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音のないプロポーズ  作者: 神屋青灯
3/60

音のないプロポーズ 03


 走れば駅に着く前に追いつけるだろうか。


 少し本気になりかけて、振り返ったら信号は赤だった。

 それだけでのぼせた頭は冷えた。


――また今度にするよ。ちゃんと考えて、タイミングみる。ありがとう。

 予測変換で表れたニコニコ顔を見つめながら、カバンの奥底に眠る小箱を春直は思い浮かべた。


 覚悟を決めたのは四ヶ月も前だ。それから毎日、小箱と一緒に出社して、斗南に会って、「一人」で帰宅した。

 箱の中身は毎晩確かめた。そうして明日こそ、と誓うのも、今や日課に近くなっている。これはこれで案外楽しい日課だが、その箱は最近、少し足枷でもあった。

 氷影にも、話した矢先に驚かれた。付き合ってもいないのに、先に指輪を買ったせいだ。渡して求婚するつもりだと言ったら、不器用な道だと言われた。

 それでも「ハルらしくてホッシーは喜ぶかもね」と言ってくれ、時折相談に乗ったり、アドバイスをくれたりしている。春直より遥かに女心のわかる氷影は、為になる知識を色々と授けてくれる今や師匠だ。頭が上がらない。


 またスマホがメッセージを受け取った。ま、がんばれ、などと来ていつもなら終わる流れだったから気楽に眺めたが、今日は少しばかり違っていた。踏み出そうとした足が止まる。

――あんまり先延ばしにしてると、いつか手遅れになることもあるよ。今すぐとは言わないけどさ、覚悟決めたなら、そろそろ勝負してみたら? 手伝えることあればするし。ま、土日ゆっくり考えてみてよ。おやすみ、おつかれ。

 最後は手を振るエフェクト付きで、たしなめるような雰囲気にならないよう気を遣ってくれていたのがわかった。それでも、思いがけず指摘されて、春直は少し迷う。


 今なら信号は青だ。


 でも、とすぐに留まった。あれから二、三分経っているし、斗南はもう駅に着いたかもしれない。それに追いかけてしまったら、変に警戒されるのではないか。息せき切って言われるのはもう「自然」ではなくて、あからさま過ぎるという行為にあたるのではないか。

 春直は代わりにまた指を動かした。本当に、指だけはすらすらと動く。

――うん。なんとか夏までにはがんばる。ありがとう、おやすみ。

 ポケットにスマホを戻すと、ふうっと息を吐いた。今すぐに追いかけて伝えに行かなくて済んだことへの安堵が、少なからず含まれている自覚があった。

 それでも、焦りはなかった。大丈夫だ、時間はいくらでもある。いくらでもは大袈裟でも、それでも相当あるだろう。何しろまだ二十六だ。結婚するには早いくらいだと、本当は思ってもいる。

 指輪を買ったのは、その上でなお、自分の生涯において斗南のほかにはいないと確信していたからだ。結婚が今すぐでなくとも、婚約だけはしておきたかった。約束だけあれば、あとはいつだっていい。そういう悠長な構えも、告白を先延ばしにしてしまう一因ではあるのだが。


 大通りを外れて住宅街に入る。一気に明かりが減った。雨のせいで靴はベタベタだ。帰ったら新聞紙で拭って乾かさねばいけない。それから、また指輪を眺めて、何と伝えるか考えよう。それは春直にとって、やはり楽しみな時間であった。

 昼間なら自宅マンションが見える場所まで来た。高架下をくぐって、公園を通り抜ければ、この重たい雨ともお別れだ。

 氷影の言う通りにしていたら、今隣に斗南がいる可能性もあったのだろうか。それはそれで、嬉しいような緊張するような複雑な気持ちだったが、いつかそんな日が来たら。想像すると心が弾んだ。


 目映いライトを背後に感じた。

 振り返り、何かに違和感を覚えた。視界が光で埋まる。


 ――そこで、春直の意識は途切れた。



  ◆  


 さして面白くもない夢をみていると、覚えのある音が聴こえてきた。同じリズムが、繰り返し何度も鳴っている。なんだっけ、この音。

 数回聴くと、音が夢ではないことに気付いた。


 目を閉じたまま、右手を適当に放って床を漁る。

 四角のカドに指先が当たり、目的の物を拾い上げると、やっと少しだけ視界を開けた。着信の相手は斗南だ。そのままスマホの端を見ると、午前四時半だった。

 こんな時間にどうしたんだろう。

 そうは思ったが、その異質さに異常を感じなかったあたり、やはり寝ぼけていたのだろう。何しろ、まだ眠ってから二時間程度だ。緑の着信バーをスライドさせると、氷影はまた目を閉じて声だけで訊いた。

「おはよ。ていうか、早くない?」

 のそのそとなんの着飾りもないままの声になったが、気にする関係ではなかった。自分の声でようやく目も覚めて、改めて深夜の着信に不思議を感じ始める。

 その時、電話口の斗南が震えていることに気付いた。

「ホッシー? どうかした?」

 なにか、言おうとして言い出せない気配がある。氷影はぱっと身を起こし、聴こえる音に神経を澄ました。

「影ちゃん…、春ちゃんが――」

「ハルがどうしたの。ホッシー、大丈夫?」

「事故に…」


 さっと、血の気が引いた。




 (つづく)

 

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