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音のないプロポーズ  作者: 神屋青灯
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音のないプロポーズ 01


 小さなのれんを出ると、ありがとうございましたという景気の良い声が追いかけてきた。

 店の中にいて忘れていたが、一日降り続いた雨は今もなお、衰えることなく猛威を振るっている。予報ではまだ三日以上、似た天候が続くらしい。

 梅雨とはいえ、今年の雨は例年より多い。夏に向かっているはずなのに、活気の籠った店内に比べ、外は肌寒さを感じさせた。

 時刻は間もなく午前零時になる。言うまでもなく空は真っ暗で、星だの月だのの光が見えるはずもなかった。ところどころ今も開店している小店の灯りを頼りに、大通りを目指して歩く。


 小料理屋『さすけ』は、三人の行きつけだったから、今更どっちへ向かうとも確認の必要はなかった。

 傘が無ければこの裏道でも何がしか会話は弾むものだが、とにかく雨音がうるさい。傘の骨に阻まれたこの距離で声を届けるのは至難の業と言ってよかった。そもそも今しがたまで三時間以上、お酒と談話に花を咲かせていたばかりで、こんな悪環境の下でまでわざわざ喋る必要もない。

 それでも、実崎(さねさき) 春直(はるな)は少し足を早め、前を歩く紺に水色のラインが入った傘を追い掛けた。


「駅まで送ろうか」

 声を大きくしたが、聞こえたのか自信は持てなかった。だが受け取り手の比野(ひの) 斗南(ほしな)はくるりと振り返り、少しだけ紅潮した頬で笑みを見せる。大した光もないのに、耳元の小さなピアスがきらりと輝いた。

「大丈夫だよ。そんなに遠くないし」

 もう少し歩いて大通りに出れば、屋根のあるバスターミナルがある。そこを待たずして、さも急用みたく聞いた春直を面白がるように、斗南は笑っていた。

 そうこうするうちに車道を行く車が見えてくる。角のコンビニは右に曲がる。駅は左手だが、解散はいつも右手のターミナルでするのが恒例だった。


 ◆


「はあ。なんだって、こうも毎日降るかね、もう」

 先に屋根の中へ飛び込んだ如月(きさらぎ) 氷影(ひかげ)が、傘の雨を落としながらぼやいた。『さすけ』からここまで五分程度の距離なのに、傘に残った滴は既に重く、適当に払ってもぐっしょりとまとわりつくような水気が抜けない。

 斗南と春直も追いつくと、重さに負けるように傘を下ろした。

「洗濯物、困るよね。ただでさえ土日しか外に干せないのに、両方とも降るなんて」

 斗南ははずれくじでも引いたかのような顔で言った。実際困るには違いないのだが、干せないとわかっていればお寝坊ができる。未来の大変さより明日の贅沢が勝っている顔だ。

「地元じゃ夜中でも干しっぱなしだったけどね。都会は治安が悪いなあ」

 氷影も他人事のようにのんびりと言った。

 とはいえ、治安が悪い、は他人事ではない。入社と同時に一人暮らしを始めた矢先、研修で帰宅が深夜を回るとわかっていながら洗濯物を干しっぱなしにしていたところ、空き巣に入られたのだ。

 幸い、これといった荷物も持たずに実家を出ていたものだから、被害といえば硝子が割られたことくらいだったが、それを聞いた斗南も春直も平日に干したまま出てくるのはやめた。あろうことか氷影本人から「考えてみれば留守を宣伝してるようなものだもんね」と言われてしまっては、強行してまで日差しに当てるより、自宅の安全を優先したいというものだ。

「ホッシー、ランドリー行く? 行くなら俺も行くけど」

「どうしようかな。明日は起きれないかも。あたしゃもう、今日のプレゼン会議のお手伝いで疲れたよ」

 春直が聞くと、斗南はくたびれた様子で言って目を閉じた。傘を支えに、立ったまま寝てしまったかにも見える。雨音は変わらず激しかったが、聞きようによって子守唄にもなった。

 エンジン音とともに、目映い光が三人を照らす。バスだ。正面を向けたまま停車し、数人の乗客を降ろす。今夜の宴も、まもなく終わりとなる合図だった。斗南は起きていたのか目を覚ましたのか、瞳をとろんと開けて地面を見ていた。でも、この目は疲れのせいではない。

 これだけ話し尽くした後でも、いざ終わりだとわかってくると、何だか物悲しかった。三人で呑むことは決して珍しくないが、その度に毎回、何かが惜しいような思いをする。春直と氷影が同じ気持ちなのかは知らない。ただ、二人もバスを前にした時、いつも無口になった。

 バスは扉を閉めると、ゆっくりと体を曲げ、今度は側部を向けた。再び扉が開き、目的地を少し控えた音量でアナウンスする。同時に、最終になりますと告げていた。

「じゃ、また月曜日に」

 その頃には斗南ももう顔を上げていて、バスに片足を掛ける氷影に頷いて応える。他に乗客はいなさそうだが、バスはまだ律儀に五分間滞在するだろう。それでも、車内とは会話ができないので、斗南と春直はここで退散する。手を降ると、氷影から笑顔が返って来た。


 バスのターミナルと地下鉄の駅は離れている。徒歩で八分程度だが、直結していないことが不評で、地域の住民から度々文句が出ては、まとめようにも場所がないと揉め事の種になった。斗南としても、ここから駅までは一人で歩くだけなので、まとめてもらえれば楽だ。

 けれど斗南の場合、このターミナルに駅が来てほしいのであって、駅の側に合体してここがなくなるのは希望ではない。だがどう考えても既に線路のある駅がこちらに吸収されてくることはないだろうから、それならこのままでよかった。

 この屋根と明かりのある空間は、宴の余韻に大切な一部だ。


 春直のポケットでスマホが震えた。取り出してみると、メッセージが来ている。内容は小窓に表示された一行だけで事足りていた。

――もっと押せ!

 送り主は氷影だった。斗南に悟られないよう振り返ると、車内に見える彼が、顎で合図している。




 (つづく)

 

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