第一話「歯医者、そこにはロマンがある」
歯医者で仰向けにいたら、いつの間にやら魔法の使える異世界の森で仰向けになっていた。
そんな話です。
四月二日。
絶賛春休みを満喫している身だが、今日は定期健診のため歯医者に来ている。
他には誰もいなかったため、椅子に腰を下ろした直後、名前を呼ばれた。
案内された席で待っていると、いつもと同じような質問をされ無難な受け答えをした後いよいよ開始となった。
まずは歯全体を診てもらった後、特に異常がないことを確認され下側の歯に取り掛かられることになった。
歯医者で自分の真上にくるライトは何せ明るく、かなりダメージがくる。それゆえ目のところにはタオルが乗せられるわけだが、そのタオルこそがかなり困った状況を招く一番の原因となるとは......。
いやはや、人生は分からないものだ。
最初はいたって普通に進んでいた。
口を開け、色々やってもらい時々口の中をゆすぐ。たまに、口を開けているにもかかわらず何も起こらないちょっとした空白の時間が生まれるが、「たまにあるな~、でもここで口を閉じるのもな~」なんていう風なことを考えながら少しの間待つ。
それが三回目のことであっただろうか。
かつてないほどに、何も起こらない時間が続いた。
流石に変だと思っても、タオルが乗っかているために時計を見ることができない。
そのため、どれほどの時間が経っているかは分からないが、ここで口を閉じることにはなんとなく抵抗があったため、結局open my mouthの状態を保ち続けることとなった。
しかし、いくら俺がこういったことに寛容だとはいっても限度がある。
そもそも担当歯科医師の気配が感じられないばかりか、周りからの音が何も聞こえなくなっていた。
俺の耳がおかしくなったかとも思ったが、少し足を動かしてみるとズボンがすれる音がしたので、そこで改めて自分を取り巻く今の環境が異様なものだということを認識させられた。
口を閉じ、タオルを目に乗っけたまま耳だけを頼りに周囲の状況を窺った。
なぜまだタオルを乗っけているかといえば、周囲の状況は確実に変化しているはずなのにライトだけは変わらず明るく照らしてきているのだ。
そのため、状況を把握するためには聴覚に頼るしかなかった。
え? 身体を動かせばいいだけだろって?
俺だってそうしたいさ。けど出来ないんだよ。いわゆる「あれ」を初体験してるんだよ。
そう、金縛り。
まさか、このタイミングで金縛りの初体験をすることになるとは思わなかった。
だが、起きてしまったことはどうしようもない。視覚に頼れなくて金縛りにもあっている以上、耳を澄ますことに集中するべきだ。
なんて思っていた直後、周りの状況が変化してきてた。
具体的には、周りから音が聞こえ始めてきた。
「いやいや、どうなってんだ」
久しぶりに口を開いた俺は、そう言わざるを得なかった。
おそらく俺と同じ境遇になれば、皆同じようなことを言うだろう。
それくらい、今、おかしなことが起こっている。
一度振り返ろう。
今日四月二日、俺は歯医者に来た。そこで定期検診を受けていると、いつの間にか周りから音が聞こえなくなっていた。加えて、身体を動かすことができなくなっていた。
しかし、再び周りから音が聞こえ始めた。
しつこいようだが、俺は、歯医者に来ている。が、今、俺の耳に入ってくる音というのはまさに、
「鳥の鳴き声やんけ......」
どうしてだよ。俺は歯医者に現在進行形でいるはずなんだ。
そのはずなのに、鳥の鳴き声、加えて木の葉が風で揺れている音も聞こえてくる。
頭の中はまさにパニックだが、一つ気付けたこともある。
「やっと金縛りが解けた」
この状況でもまだ金縛りが続行していたら、流石に泣いてたかもしれない。
もし万一、今の俺の様子を見られていたら若干困るな。何せ、仰向けのまま足だけばたつかせているんだから。
「ようやくタオルもどけられるな」
まだ明るいことに変わりはないが、歯医者のライトのあのまぶしさほどではない自然な明るさだ。
「そうきたか......」
タオルを取って、久しぶりに見えた世界。
そこに広がるは、白を基調とした歯医者、などではなかった。
広がりたるは、青い空、連なる木々、そしてその木に留まっている小鳥たち。
詰まる所、俺in大自然ということだ。
「十七年間生きてきたが、歯医者にいたはずがいつの間にか大自然に放り出されているなんて経験は、まったくもって初めてのことだな」
いやはや困ったことになった。
現状、理解のできないことが満ち溢れている。
ここがどこなのか、どうしてここにいるのか、どうやってここに来たのか、いつここに来たのか。
全く分からないことばかりだが、一番に気にするのはそういったことじゃないな。
「さてさて、こっちに向かってきている存在は何が目的だ」
気配というかなんというかが、今の俺には感じることができているっぽい。
まぁひとまず今は、死んだふりをする、この一択だな。
うわ~、間違いなく俺の方に近づいてきてるよ。
幸か不幸かその正体はおそらく人間だろうな。
「もしもし、もしもし、大丈夫ですか!」
何かすごいかわいい声がする。後、ほっぺをぺちぺちたたかれてる。全然痛くはないんだが、割と恥ずかしい。
「どうしましょう、私は治癒魔法が使えませんし、って、きゃっ!」
やべ。魔法って言葉に反応して起き上がっちまったが、驚かせてしまったみたいだな。
ていうか、待ってくれ。
「かわいい声、ブロンド、そしてドレス。お姫様かよ!」
っと、抑えろ俺。フィクションすぎる展開にいよいよ興奮してきたが、目の前には人がいるんだからって、あれ?
さっきから微動だにしていないから気になってはいたが、どうやら厄介なことになったようだな。
「もしも~し、もしも~し、大丈夫ですか?」
まさかさっき掛けられていた言葉を、今度は俺が掛けることになるとは。いやはや人生は分からないものだね、なんて現実逃避をしても目を覚ましてはくれないか。
ひとまず木陰まで運ぶとするかな。
「さて、これからどうするか」
放置するのは簡単だが、流石にそこまで性格は悪くないからな。
せめて他にも人がいれば頼れるんだが、残念ながら人気は全くない。
となると、やっぱり目を覚ましてくれるまで待つしかないか。
「にしても、魔法か~」
信じられないことではあるが、この人があの場面でそんなトリッキーな嘘をつくとは思えない。
「魔法、魔法。火を出したり、ドラゴンを召喚したり。可能性は無限大だが、果たしてそんなものがこの世界では誰にでも使えるのか?」
才能、素質みたいのものが必要で、俺には使えないなんて結末になったいよいよ萎えるぞ。
まぁ、こんな所で火の魔法をぶっ放したり、なんてことはしないが。
それでも少しは試してもみたいわけで。
「例えば、身体強化魔法とか。それでパワーアップして地面をこんな風にパンチしてみたら、ふ~」
いや~、予想外。
軽くグーで地面をパンチしてみただけなんだよ。
しっかしまぁ、こんなになるとは。
「あ、あの、何があったんですか」
どうやら、さっきので目を覚ましたようだな。
ただ、できればごまかしておきたい。
「それが、俺にも分からないんです。いきなり、地面にどでかい穴が出現しまして。ほんと、何が何やらですよ」
「そ、そうですか。それは大変でしたね......」
納得したように振る舞ってはくれるが、そりゃ怪しむよな。
さて、これからどうしようか。
誰か模範解答を知っていたら教えてほしいもんだな。
歯医者で仰向けになっていたら、いつの間にか魔法の使える世界で仰向けになっていた。加えて、ちょっとした手違いで地面に大きめの穴を作ってしまった。さらに、それをお姫様(仮称)に見られてしまった。
さて、これからどうしようか。
歯医者にはロマンがある、そう感じてくれれば嬉しいです。
今後、皆さん大好き、悪から始まって嬢で終わるようなキャラも出てくるのでお楽しみに!




