#6 地獄ろ崎くん(出典:三輪山澪)
口は災いのもとと考え、だからこそ人との会話を避け、友人関係も広げようとしない僕を、かっこよく言い表してしまうならば鉄壁の要塞だった。
三輪山ならば城壁の前に屈強な兵士を置き、大砲を構え、近づいてきた者を蹴散らすのだろうが、僕の要塞は何もしないのだった。
門の前には誰もいない。けれど、鉄壁で開けない。攻撃力はないが、とんでもない防御力を誇ると思っていた。
思い込んでいた。幻想だった。
言葉を拒絶したはずの僕は、案外あっさり、握手という非言語によって沖島真珠を友達の領域に入れてしまうのだった。
僕は結構チョロいのだった。
僕の前に三輪山、そしてその隣に沖島が座るという三者面談。
その目的はもちろん会話の練習で――おいおい、待てよ。
「なんで沖島……さんを呼んだんだ? 会話の練習相手なら僕が担当するはずじゃあ」
「あ、ごめんね。もしかしてウチ、邪魔しちゃった?」
「ああいや! そういうわけじゃなくてですね……。えっと、その……」
「敬語じゃなくていいよ。年齢だってタメなんだし、敬われることしてないし」
「え、えぇ……」
グイグイくるな、この人。
違うのか、もしかしてこれが普通の会話なのか。
どうしよう、何もわからないぞ。そうだ、三輪山! 助けてくれ三輪山――!
チョキチョキチョキ、と。
三輪山はリズミカルにハサミの刃を開閉していた。
なんで……!?
そんなもんどこにあったんだよ。というか危ないだろ、刃先をこっちに向けるな。
「この空き教室、文房具があちこちにあるじゃない? このハサミは最初から私がいる机の中に入ってたものよ」
そうだった。
この教室にはなぜか持ち主不明の文房具があちこちに放置されているのだ。ただ、板書用に使うであろう大きなマグネット付き三角定規があることから教員用と思えなくもない。マグネット分度器もある。
それにしてもハサミなんかはいらないと思うが……。
「てか、だからなんでそんなチョキチョキさせてんだ! 怖いわ!」
僕たちの間には机二つ分の距離があるから刺さったりしないが――それでも三輪山が何かの間違いで腕を思いっきり真っ直ぐ伸ばせばブスリである。冗談じゃなく怖い。だって三輪山、いつも真顔だし。
ジャリン、とハサミを勢いよく閉じた三輪山。
「黒崎くん。なぜ私には微塵の敬意も払わないのかしら。ああ、きっと体が腐りきっているのね。切り取って、新しいものと交換しましょう」
「新しいものなんてないよ! 僕は切り取られたら切られたままだよ!」
「じゃあ手術ということで。大丈夫、なんか悪そうなものを取り除いたらしっかり縫うから。裁縫セットはないけれど、化学室のガスバーナーを使えば熱で傷口を塞げるでしょう」
「とんだヤブ医者だな!」
三輪山は沖島だけ敬語を使われていることが不満らしい。
沖島本人の承諾も得ていることだし、ここはタメ口でいいだろう。
「えっと……沖島がなんでいるのかなと。邪魔とかじゃなくて、純粋に疑問で――」
「私が呼んだのよ。練習会も初回だし、さながら地獄のような会話になりそうだったから。地獄と言えば、黒崎くんと二人っきりという状況そのものがすでに地獄ではあったけれどね」
「だ、男子と二人っきりがつらかったってことだよな……?」
「黒崎くんと二人っきりがつらかったのよ」
「最悪だ!」
そんな断言するなよ。傷つくだろうが。
だったら他の男子を選べよ。類は友を呼ぶって友呼べてないじゃん。敵だよ、もう。
僕はそんな感じで怒涛のツッコミを入れたかったのだが、それをすんでのところで阻止したのは沖島の笑い声によるものだった。
「あははは!」
と、無邪気な女子の笑い声。
お腹を抱えるというベタな笑い方だったけれど、どうしてだろう、沖島の一挙手一投足全てが様になっている。
「もうみおっちと黒崎くん話せてんじゃん! 芸人コンビかって感じなんだけど」
「やめて。黒崎くんとコンビなんて阿鼻叫喚よ。阿鼻叫喚地獄よ」
「んふふ、阿鼻地獄と叫喚地獄だけどね」
「阿鼻叫喚地獄地獄よ、まったく」
地獄の話題を引っ張りすぎだ。しかもまさか女子の間で地獄トークがされるとは思わなかったし。
阿鼻地獄と叫喚地獄って地獄があるってことなのかな。
それにしても僕とのコンビを地獄で形容するあたり、やはり三輪山は僕以外を練習相手にするべきではなかろうか。僕のこと嫌いだろ。同族好感どころか普通に同族嫌悪してるよ。
「いやあ、黒崎くん、これはむしろ信頼かもよ。みおっちがこんなにイキイキと悪口言うことなんてないもん」
「黙って。別に私は地獄ろ崎くんを信頼していないし、イキイキなんてしていないわ」
「おい、人の名前に地獄をつけるな。もう地獄って言いたいだけだろ」
「地獄くん」
「完全に僕じゃなくなったよ!」
「あはははっ! ちょっとマジヤバい! 何、台本仕込んでる?」
あるわけがなかった。
確かに僕としても洋平以外とここまで長く会話できたのはなかなかの快挙なのだが、これは果たして会話なのだろうか。これを入院中のおばあさまに見せるのは違うよな……。
「あ、ヤバ、もうすぐ昼休み終わっちゃうよ。今日はこんな感じでいんじゃない?」
時計を見る。
昼休み終了まであと5分――。
「結局特に練習にならない時間を過ごしてしまった……」
「黒崎くんがもっとツッコミのテンポを上げていれば……」
いつもは真顔なくせに、そんなセリフを言うときだけは本気で悔しそうな三輪山だった。
人のせいにすんな――流石に時間がないので言わなかったけれど。
「そうだ、まだ沖島が来た理由を聞いてなかった。本気で僕と二人っきりを避けるためなわけないよな?」
だとしたらそれなりに傷つく。
だが、それは杞憂に終わったようで、また三輪山の新たなボケが返ってくるわけでもなかった。
答えたのは沖島自身だったのだ。
「まー、通訳的な? こんだけ黒崎くんのことをボロボロに言うってことは、みおっちチョー気に入ってるよ、黒崎くんのこと」
「ふん、黙りなさい……」
本気で悔しがっていたはずの三輪山が、今度はまた真顔になって横を向いてしまった。窓の外をぼんやりと眺めているが、心なしか薄く赤面している気がする。
もしかすると悪口の数だけ気に入られていると考えたほうがいいのだろうか。
「あ、そだ、黒崎くん。連絡先交換しようよ」
「はいぃ!?」
唐突な申し出だった。
連絡先ってもっと親密な関係になってから交換するものじゃないのか。何回か遊んだあととか……。
「いや、ないない。普通に遊ぶ前っしょ。どうやって遊ぶ予定決めんのさ」
「まあ、そうですね……」
「あとウチら、もうダチだし? 黒崎くんが嫌だって言うなら別にいいんだけど――」
「いいえ! ぜひとも交換させてください!」
おけー、と。軽いノリで僕の要塞は突破され続ける。
こうして僕は、はじめて洋平以外の友達と連絡先を交換したのだった。
ちなみに三輪山ともした。なぜか本人が頑なに断って、沖島経由の交換という遠回りをしたけれど。