#42 黒崎の「魂」を賭けよう
「2年の教室が居心地悪くてここに来たってか? はっ、そんな怖がんなよ」
「い、今は先輩が怖いっす……」
僕は多分八百日先輩なはずの人と女子トイレの前で話していた。
多分八百日先輩と表現してしまうのは、僕の知っているはずの黒髪で怯えている彼女とは正反対な人が出てきたからである。
「多分じゃなくて本当にオレはオレで――っと、ま、別人みたいなもんか」
「どっちなんすか……?」
「別のほうがいいかもな。ただ、八百日眞守ではある。オレもあいつも八百日眞守だ」
「あ、あいつ……?」
あれか。カラコンをした三輪山と八百日先輩を双子みたいと形容した僕だけれど、実は八百日先輩には本当の双子がいた的な……。双子入れ替わりトリックなんて推理小説くらいでしか聞いたことないけど。
「黒髪のあいつ――なんて、ウィッグ被ったオレなんだけどな。けど別人だ。人格が違うんだ」
「それってつまり――」
「二重人格」
と言ったのは先輩と同じく女子トイレから出てきた三輪山だった。
ハンカチを取り出して手を拭いているのはいいとして、なぜか前髪まで濡れている。
一体お手洗いで何やったんだよ。
「八百日先輩には黒人格と白人格があるみたいね。つい今そう聞いたわ」
「つい今そう言ったわけだ、三輪山には。はい、質問は?」
「ありすぎて何から聞いていいのか……」
だって二重人格なんて本当にいるのか……?
そんなの創作の世界だけで――いかんいかん、僕はもうアルビノという存在をこの目で見ているんだ。自分の常識だけでこの世界を見てはいけない。それを絶対と思ってはいけない。僕たちはもっと世界を認め、広く考えねばならない。
だから二重人格がいるのは強引に納得したことにして――。
「なんで二重人格に……?」
「お、いい質問だな。話はオレが小学生だったころまで遡る――」
八百日先輩の昔話が始まった。
むかしむかし、あるところに幼い八百日眞守がいました。
「オレは生まれつき髪も白けりゃ目も赤い、おまけに紫外線に弱いとかいろいろハンデがあるわけだが、そこはまあオレの人生だ。気にしてないわけじゃないけど、子供心ながらに折り合いつけてやってきた。
問題はうるさい規則があったことだ。やれ髪が白い生徒はどうかしてるだの、夏なのに長袖を着てるのはおかしいんじゃないかだの。そういうのばっかで嫌になっちまうわけだよ。子供ながらに、大人が嫌になったわけだよ。
でもオレの髪は地毛だしよ、悪く言われる筋合いはないと思うんだ。しかも、これが自分で気に入ってないわけじゃなかった。今でも髪のケアとかバッチリやるくらいには大切にしてるわけだし。つまるところ、髪を染めるとか、目の色を変えるみたいなことはしないでもいいような生き方を選びたかったんだ。
だからオレは黒髪のウィッグをつけてみた。それで目立たないように生きていこうって思ったんだよ。目立たず、事を荒立てず、平穏にってな。
そしたら不思議なもんでさ、オレがオレじゃなくなっちゃって。まるでウィッグが新しい知的生命体で、オレに寄生したんじゃないかと思ったよ。いつの間にかオレは白と黒で人格を使い分けるようになってた。
今思えば、本当の自分って存在がなんだかんだトラウマだったんだろうな。生まれもった自分を規則とやらのせいで否定されちゃったんだから。そりゃあ、オレはオレが好きだけどよ、やっぱり他の人にも好かれたいし――いや、好かれなくてもいいんだけど、否定はしてほしくないよな。好きでなくてもいい。けど、存在を認めてほしかった。
オレの別人格――クロはそういう存在だ。人目に怯えて、否定されることを恐れてるもう一人のオレだ。
でもそんな悲観してるわけじゃないぜ。ウィッグをつけたり外したりするだけでオレたちはバトンタッチできる。これが意外と便利でな、面倒なことは全部クロに押しつけりゃ、オレは寝たままでも生活が進むんだよ」
夢遊病の話は昨日の三輪山がしたんだっけか。
まさかそれみたいな状況の人がいるなんて。
「ま、そういうわけで、オレはよくわからん規則のおかげで人手を手に入れた。ラッキー。他に何か?」
「あ、ありすぎて何を質問するべきか……」
規則って、つまり校則のことだよな。
髪色にうるさいのはどこもそうだろうけど、地毛なのに指摘されるのはなんとも切ない話だ。ルールがいらないわけではないはずだし、それでも理不尽な縛りはいらないはずで……。
規則もただの文章でしかないはずなんだけど、そんな文章で人間は縛られる。八百日先輩の人格は、そんな縛りの産物だった。本人は前向きだけど……。
「あっ、でも、そしたら泊谷高校は……? うちも華美な髪色は禁止なはずでしょ。ウィッグ外していいんですか……?」
「表向きはな。オレが来てからそれが薄くなったんだよ。照月先生、わかるか?」
「う、うちの担任です……」
「その人がオレの髪は先天的だし指摘するのはおかしいって学校に訴えてさ。そしたら今度は特例でひとりを認めるのは不公平だし、もうみんな自由にさせようとか言いだして。変な人だよな」
だから沖島の髪も許されてるのか――!
でも待て。沖島は髪だけじゃなくてネイルとかピアスもしてたような……。
「その次はオレの目が赤いからって他のやつも赤のカラコンならつけていいだろうってなってきて……。そしたらいつの間にかカラコン全部が許されるようになって――そこからネイルとかピアスとかネックレスとか。オレと照月先生のおかげってことだな」
そういうことだったのか……!
じゃあ校則違反だけどお咎めはない、みたいな。いわゆるグレーゾーンな範囲になっているんだな。もうこれうちの学校、風紀委員いらなくね? 桧原っていつもどんなお仕事してたっけ……?
「ま、そのおかげでクロだけじゃなくオレものびのびと学校を楽しめてるわけだ。はい、他」
「え、えーっと……。先輩って好きな食べ物なんですか」
「それ関係なくね? プリン好きだぞ」
「おお、想像より乙女。というか、ウィッグ取ると話せるんですね」
「まあな。クロはオレの防御形態みたいなもんだから。亀なら甲羅にこもってる状態だ」
黒髪が防御。となれば、銀髪はその逆――。
「シロなオレは攻撃形態。オレ、昔から勝負事が好きでよ。だからこの体育祭も楽しみに待ってたんだぜ。すっげえ攻撃的だろ」
「は、はあ……。そっすね……」
黒い八百日先輩は防御形態というより拒絶形態っていうか……。ある意味攻撃的っていうか……。
白い八百日先輩も別に攻撃形態って言うほど棘がある印象もないしな。人間関係的にはこっちのほうが堅実で防御的な気がしなくもない。コミュニケーション形態と言ってもいいくらい話せてるし。
僕としては黒い先輩も親近感があるけど、今回の件の根本は沖島と八百日先輩の円滑なコミュニケーションを成立させることで――つまり、白い先輩はこの話に都合がよかった。
都合がいい。悪い言い方をすればご都合設定かもしれないけど、問題を解決する役である僕からすれば大助かりだ。
「ええっと、先輩、それって活動限界時間みたいな設定あります……?」
「設定とか言うなよ。要は、ずっと八百日眞守がオレでいられるかって話だろ? 無論、可能だ」
「マジで!?」
「マジだ」
とことん都合がいい。
え、待てよ。でもそしたら、黒い先輩がいる必要ってある?
ああいや、僕もコミュニケーション下手な人間だから、コミュニケーションができない人間を排除するべきとかそういうことを言いたいわけじゃない。ただ、黒い先輩より白い先輩のほうが先天的な人格なはずだ。生まれつき髪が白いってことは、白い人格がありのままの先輩ってことなんじゃないのか。
「そこらへんはややこしくてな……。確かにオレが本来の八百日眞守なんだが……。でも、クロだってオレの中にいる命だ。あいつを閉じ込めるなんてことはもうできねえよ。それに、あいつに勉強を任せておけば、寝ててもいい成績取れるからな」
「解離性同一性障害。クロとシロは独立しているということね」
突然の三輪山。突然とか言いつつ、ずっとそこにいたけれど。
でも黙り続けてたから寝てるのかと思ったわ。
「何かしら。黒崎くんは赤目だけでなく二重人格にも惹かれるのかしら。表人格の私はずっと寝ていたほうがいいと言いたいのかしら」
「そんなこと言ってないが……」
「というか、いつまで女子トイレの前で立ち話をするつもりなの。八百日さんと話すなんて建前で、実はトイレに入る女性たちを見たいだけなんじゃないの」
「僕、どんだけ変態なんだよ……」
黒崎くんを犯罪者にするわけにはいかないし、今日のところは退きましょう――と。
強引に締めて三輪山は立ち去る。
そう、立ち去る。八百日先輩と話を続けるために場所を変えようというわけではなく、文字通り「今日のところ」は話を中断して、一年の棟に「退こう」ということだった。
僕としてはまだ話したいことがあるし――それは僕が話すというよりも沖島と話させたいってだけだが――とにかく先輩と離れる理由は特になかった。
「三輪山。僕はまだ八百日先輩と一緒にいたいんだけど……」
そういうわけで僕の意思を伝える。
伝えて、返ってきたのはブーイングだった。
「黒崎くん、いい? その人は敵なの。あまり仲良くするべきじゃないわ」
「おいおい、敵って……。どうしちゃったんだよ」
「もう体育祭は始まっているのよ。情報戦から戦いは始まっているのよ」
「三輪山、体育祭にそこまで情熱向けてたの……? で、でも過度な敵視は先輩に対して失礼なんじゃあ――」
「面白れぇじゃん。そっちがその気ならオレも本気でやってやるよ」
まさかの乗り気!?
「ただの体育祭もつまらねえからな。白黒つけようぜ」
「白も黒も持っているあなたが白黒つけるだなんてご冗談を。こっちにはすでに白黒ついてる人間がいるのよ。黒崎くんがね」
「三輪山、黒星は負けだ。敗北宣言しちゃってるぞ」
「黒崎くんなんてうちのチームにいなかったわ。体育祭で白黒つけましょう」
無理があるぞ、その修正。
ともあれ、僕としては八百日先輩と沖島が話せるようになれば何も気負うことはないわけで。だからもう問題解決したも同然なんだけれど。
じゃあこの章はもう終わりかな? 僕は八百日先輩の秘密を知り、沖島と先輩は普通に話せるようになりましたとさ。体育祭もなんだかんだ平和に終わって(そうなってほしいという願いも込めて)めでたしめでたし、と。
三輪山と八百日先輩の戦いを引っ張れないこともないけど、僕はそこまで関心があるわけじゃないし、言っちゃえば『関係のない話』だ。僕が主人公の話で語る必要はないだろう。
というわけで。
完。
「ただし、ひとつだけ条件がある。勝負ってもんはこれがないと燃えないからな」
関係のない話。
だから僕はスピンオフの予告かなくらいの気持ちで聞いていた。
まあ、コアなファンが追うだけで僕は別にいいかな――くらいの気持ちだった。
「三輪山澪、何かを賭けに出せ。なんでもいい、カネでもモノでもお前自身でも――」
「黒崎くん」
突然名前を呼ばれた。
僕は「はい」と返事をするはずだった。
でもその直前で、三輪山は僕に用があって名前を呼んだわけじゃないと気づく。
三輪山の言葉で、気づかされる。
「黒崎くんを賭けるわ。あなたが勝ったら彼を好きにして頂戴。煮るなり焼くなりご自由に」
「ふうん。お前が勝ったら?」
「私が勝ったら、今後あなたが黒崎くんと接触する際は私を経由すること」
「黒崎のこと大好きだねえ」
勝手に僕を賭けに出すなよ!
僕はすぐさま三輪山にツッコミを入れてやりたかった。
関係ない話だったのに関係ある話になっちまったじゃねーか。僕が八百日先輩に煮たり焼かれたらどうしてくれるんだ。って。
ただ、それができなかったのは――する気がなくなったのは、三輪山はツンデレというか、なんだかんだ彼女なりのコミュニケーションを頑張っているんだなと感じられたからである。
三輪山なりに、八百日先輩と仲良くなりたかったのかな、なんて。
「つまり私が勝ったら、八百日さん、あなたの連絡先をもらうわよ」
それと、黒崎くんが好きだなんて決めつけないで。
虫唾が走るから。




