#36 赤い目
その後ろ姿は身長を小さくした三輪山かと思った。
黒髪ロングに巨乳に――でも三輪山より凛とした雰囲気がなくて、申し訳ないけど僕と同じオーラがあるように感じる。根暗の黒いオーラ。
八百日眞守。それが先輩の名前だった。
「んじゃ、黒崎くん。いこっか」
「ちょちょちょ! 待ってくれ、胃痛が……!」
2年5組の教室前。
思えば桧原がつけていた風紀委員の腕章は学年によって色が違ったけれど、それは上履きもそうだった。2年生がいるフロアはどこを見ても上履きのゴムの部分が緑色だ。僕たちは青だから浮いている。それがより緊張を誘い――。
「失礼しまーす。八百日センパイ、こんにちはー!」
話聞いてないよね!?
沖島が単身で二年生の教室に突っ込むものだから、僕もそれに続くしかなかった。
一年坊主が何しに来たんだコラとか怒られたらどうする……!?
やっぱ土下座しかないかな!?
怯える僕だったけれど、しかしなぜか、僕以上に怯える黒髪がひとり。
「ひゃっ!? あ、え、えと……こん、にちは。なん、なんでここに、あの……」
振り向いた先輩の顔は、やはり三輪山ほど凛としていなかった。
視線は下ばかり見ておどおどとしているし――っと、まるで責めているようだけれどそうじゃない。僕だって気持ちはわかる。
僕がここで言いたかったのはあくまでも三輪山との違いだ。
「いやー、ウチ、センパイと仲良くなりたすぎちゃってつい来ちゃいました。同じチームリーダーなんですし、親睦を深めるってゆーか?」
「あ……。そ、そっちの、男の子は……?」
「黒崎くんです! 2組だからライバルなんだけど、それでも先輩と仲良くなりたいって言ってたんで連れて来ちゃいました!」
言ってないんだが。
けれど、確かに僕という謎の人物を連れてきた正当な理由を考えるのは難しいかもしれない。ちょっと強引な設定なのは否めないけど、ここはあえて否定しないでいこう。
「1年2組の黒崎真人です。どうも……」
「あう……。ど、どうも……」
ちらっと八百日先輩が僕のことを見た。
さっき僕は三輪山との違いを挙げていたけれど、僕は決定的な違いを見落としていた。黒髪が同じだったり、身長が少し低かったり、そういった身体的特徴は一目でわかるはずなのに。けれどそうか、すぐに気づけなかったのは先輩が目を伏せていたからだ。目を合わせた今なら一目でそれに気づくことができた。
一目でその目に気づいた。赤い色の目に。
「す、すいません、私なんかが見ちゃって……。き、気持ち悪かったですよね……、あはは……」
僕がその目に気づいた瞬間、先輩は目をそらした。
「気持ち悪いだなんてそんな……。僕のほうこそじろじろ見てすんません……」
「あ、謝らないで……。私、本当にダメな人……」
「いや本当に僕のほうこそ気をつかわせてしまって……」
「ええ……。わ、私のほうこそ、初対面で、しかも先輩なのに……」
ネガティブとネガティブが共鳴して増大していく。
黒いオーラが広がるやり取りに沖島は苦笑いしていた。
「先輩、ちょっと待っててくださいね――」
僕はそんな苦笑い沖島を教室の外に出して。
猛抗議。
「無理だろ! さすがにあれは暗すぎるって! 話が何も進まないんだけど!」
「えー? 黒崎くんならできるでしょー? もっと本気出してってば」
「気楽そうでいいな……! 僕が今の会話だけでどれほどメンタルをすり減らしてるのかも知らずに……!」
「みおっちに言っちゃおっかなー。もう黒崎くんとのメッセージもスクショしてあるしなー」
くっ……!
足元見やがって……!
「わかった、やるよ。やるけどさ、先輩との共通点が少なすぎるし、情報も何もないからやりづらくてしょうがないんだよ」
「ゆーてウチも詳しく知らないんだよね……。だからこそ黒崎くんに頼ったところあるし」
「えっと、チームリーダーって言ってたよな? 体育祭のやつで間違いない?」
「ああ、うん。2年5組の女子リーダーは八百日センパイだよ。だから連携のためにもいい感じにコミュニケーションしたいんだよね……」
なるほど。
確かにチームリーダー同士じゃないなら学年を越えてのコミュニケーションはそこまで必要じゃないもんな。ひとつひとつの学年の中でだけ団結していれば体育祭の進行に支障をきたすことはないはず。
でもチームリーダー同士は体育祭の運営も担うわけだし、コミュニケーションができないのはやや致命的だ。
それなのにあの先輩がこの役目を担っているということは――もしかすると三輪山みたいに自分の殻を破って頑張りたいのかもしれない。あるいは押しつけられたとかもありえる話だった。
どちらにせよ、同族である僕が寄り添える部分と言ったら暗くて口下手なんて点しかないだろう。
「お待たせしました、八百日先輩。ええっと、僕、八百日先輩に聞きたいことがあってですね――」
限られた情報しかないから『聞きたいこと』なんかよりも『これしか聞くことがない』のほうが正しいかもしれない。
それでもまずはこの質問で寄り添う隙を探すんだ。
「どうしてチームリーダーに立候補したんですか?」
「ご、ごご、ごめんなさい……! 私なんかがしゃしゃり出るべきじゃなかったですよね……」
違ぁぁあう!
そういうことじゃないってば!
「実は僕も、人と話すのは苦手なんですよ。でも表舞台に立つ先輩に勇気をもらったと言いますか……えっと――すいません」
最悪だ。自分でも何を言っているのかよくわからない。
いかん、この話題はダメだ。会話の反射神経が鈍すぎるぞ。アドリブ苦手すぎか。
ええっと、なんか別の話題は――。
「綺麗な目、してますね」
と自分で言っておいて、初対面の女性に言うべきじゃなかったと瞬時に猛省。
だって、こんなのナンパじゃないか。突然押しかけてきて、目が綺麗とかなんとか言っちゃって。
イケメンならともかく、僕がそんなことをするなんて気持ち悪すぎる。
「ごめんなさい! なんか変なこと言っちゃって……!」
「い、いつもは眼鏡なんです……」
「へ?」
「そ、そろそろ体育祭の練習が多くなるし、こ、コンタクトにしてるんです。だから、目もはっきり見えたのかな、なんて……。あ、あれ、私、何言ってんだろ……?」
意外にも少し会話ができた。
いつもは眼鏡で、最近はコンタクトという情報までゲットできた。
目の話題というのはいいものだったのかな。というか、コンタクトってことはこの目の色は……。
「もしかして、赤いのってカラコンですか?」
「え!? あ、いや……う、うまれつき、です。気持ち悪いですよね、こんな目してて……」
「いや綺麗ですって! 少なくとも僕は好きです、その目!」
ヒューと、隣で口笛が鳴った。
横で沖島がニッコリしながら見ている。今の口笛は「やるぅ」とでも言いたかったのだろうが、僕としてはつい気障な言葉を口走ってしまったなと後悔。
「う、うん……ありがとうござい、ます……。わ、私も黒崎さんのこと、あの……かっこいいと思います」
「そんな。無理に褒めなくていいですよ」
「あ……。す、すいませ……」
無理に褒めてたんだ――!
そこはちょっと否定してほしかった――!
「きょ、今日はこれくらいにしませんか……? 私、あの……お手洗い、行きたくて……」
「うわぁぁぁ! ごめんなさい! 本当にすいませんでした! それでは――!」
「センパイ、ありがとうございましたー!」
僕が早足で逃げると、丁寧に沖島も挨拶してからついてきた。
礼儀がちゃんとしたギャルである。
「すごいね、黒崎くん。けっこー話せてたじゃん」
「そ、そうなのか……? 僕のメンタルはもうボロボロだけど……。胃も痛いし」
「ウチなんて『ごめんなさい』以外に言葉聞けなかったもん。やっぱ黒崎くんしか勝たん!」
「まあ沖島みたいな性格の人とは合わなさそうだもんな……」
とはいえ、じゃあ僕と相性ばっちりかと聞かれればそうでもなさそうだった。
ここからどう八百日先輩と話していくべきか……。
それにしても僕は、やっぱりあの人の赤い目が気になってしょうがいんだけどな。綺麗だって思ったのはお世辞でもなんでもないし。




