#35 ハニートラップ
後日。
僕の人生に後も前も決められる基準はないけど、一回目のテストが終わった日から見ての後日。
もっと具体的に言えばテストから一週間ほど。もう暦は6月になって、テスト前と変わらぬ自堕落生活にすっかり戻った頃。
僕のスマホにとあるメッセージが届いた。
僕と桧原は全然赤点なんかじゃなかったし、洋平は安定して高得点を取っていたし、沖島だって5組の上位に入る点数を取れていた。隣の三輪山に至っては――これは本人から教えてもらったんじゃなくて盗み見たのだけれど、満点さえ取っていた。どんな頭してんだ。
そういう結果なわけで勉強会は大成功。
加えて、保留されてた三輪山と桧原の友人関係も正式なものになった。まあ、今更『正式なもの』とか言ってるけど、その仲は最初からよかったんだよな。今でもその関係は続いていると。
めでたしめでたし。
けれど僕は、ひとつだけ大きな約束を忘れていた。
確かに勉強会はめでたく終わったかもしれない。
それでも勉強会のちょっと前に僕は別の重大な約束をしていて、届いたメッセージはそれについてだった。
『♡黒崎くんにお詫び&テストのごほーび♡』
と、沖島から。
下着姿の写真が送られてきた。
何枚も。何枚も――!
振り返ってみよう。なぜこのような展開になってしまったのかを。
僕は桧原とロッカーに隠れた日、三輪山に踏まれた。もうこの字面だけで僕という人間がとんでもない経験を次々と経ていることがわかるけれど、問題はその後。
三輪山に踏まれた時から見て、少し後。
僕は立ち上がりたかったから沖島に協力を要請した。そしたら結果的に三輪山は脚をどけてくれたのだけれど、その代わりに僕の股が蹴りを食らうこととなった。
そして、沖島のせいで僕の股が痛い思いをしたというわけでお詫びに下着を見せるなんていう事案すぎる約束をしていたのだが――。
なんでノリノリなんですか沖島さん……!
沖島の写真はいろいろなポージングで撮られていた。
モデルなのか、あなた? 撮影経験がおありなのか?
どうして恥じらいなくそこまでできるのか。あと写真がうますぎる。明らかに自撮りっぽかったり、鏡に映る自分を撮っていたり、一人でどうやって撮ったんだと思えるものまであったり――。
『さすがに水着ですよね……?』
聞いた。
聞かねばならなかった。
この写真を保存――じゃなくて、見ていいか否かはその答えで変わる。
『なわけw ウチのお気に入りの下着だよ♡』
『ガチのマジですか?』
『ガチのマジ。なんなら今度学校でつけてこよーか?』
うわぁぁぁ!
これは刑事罰を課されても文句言えないんじゃないか!?
黒崎真人、齢15にして逮捕――!
『どーよ? ウチの下着、かわいいっしょ?』
うわぁぁぁぁぁあ!?
感想を求められるだと!?
そ、そんなの嫌でもじっくりと見ないといけないじゃないか……!
そういうことならば見させていただくけども……。
スタイルえぐっ。胸でかっ。三輪山にはやや劣るかもしれないけど十分魅力的な胸囲と言いますかなんと言いますか……。
ていうかくびれってどういう原理でなってるんだよ。なんで胸がでかくてお腹が細いんだよ。
脚の肉付きも――っと、まずいな。これ以上は僕の中で何かが爆発するかもしれない。
どんなサービス精神か知らないが、沖島はわざわざ各所に焦点を当てて撮影した写真まで用意していた。胸だったら寄せたり、わざわざ後ろ向きでお尻を見せてくれたり。悩殺する気しかないじゃん。
それでも忘れるな。僕が求められているのはあくまでも体の感想じゃなくて下着の感想なんだ。魅惑的なポーズやあざとい表情に負けてはいけない。
下着の感想か。下着の感想……。
女性の下着ってどう褒めればいいんだ……?
え、これ安易に「エロくてかわいい下着ですね、最高!」とか言ったらセクハラになるよな?
というかこの写真を見てしまった時点で人間として大切な何かを失った気はするけどさ。
うーむ……。どうすれば……。
気づけば10分以上経過していた。
考えに考えて、それでもなんて返信すればいいのかわからない。
『スルーしたらみおっちに言うから』
脅された!
そっちから送りつけておいて告発するなんてずるいじゃないか!
僕はこの約束を忘れてすらいたんだぞ!
『めんご、おとりこみちゅーだったw?』
どういう意味だ――!
このまま放っておいたらいろいろ連投されて僕は情報の海に沈むことになる。溺れる前に何か返さないと……。
『かわいらしいお召し物だと思います』
なんだこれ……。
送信してから思ったけど本当になんだよこれ。
お召し物て。パンツとブラにお召し物て。丁寧すぎてむしろいやらしいよ。
『ありがと♡ じゃあウチのお願い聞いてくれるよね♡♡♡』
お願いですと……!?
なんか約束と違くない?
『テストのごほーびなんて約束してないっしょ。最初の一枚以外全部ごほーびだよ。はい三倍返しちょーだい♡』
なんですと!?
確かに三輪山から蹴られたお詫びとして下着を見せてもらう約束しかしてないけど……。でも、こんな大量に写真を送りつけておいて最初の一枚以外は全部追加料金ってか!? しかも三倍返しって。バレンタインのお返しじゃないんだから。
やり方があくどいぞ沖島。
『拒否ったらみおっちに言うから』
あくどすぎて悪女になってるぞ沖島――!
かといってこれを断る理由は僕にないのだけれど。たとえ写真や三輪山にチクられるペナルティが設定されなくとも言ってくれれば話は聞く。友達なんだし。
『とりあえずお願いの内容を聞かせてくれ』
『体育祭が近いじゃん? 6月下旬にやるんだけどさ』
そうなのだ。
私立泊谷高校はテストが終わったらすぐに体育祭をやって、それが終わったらまたテストをやって、2回目のテストを乗り越えた先に夏休みがあるというスケジュールだった。すなわち、1回目のテストが終わった今、僕たちは体育祭に集中せねばならなかった。
正直、体力がない僕からすればあまり好きなイベントじゃないけれど……。
『ウチ、5組のリーダーになったんだけどさ。同じオレンジチームの人にハイパーみおっちみたいな人がいてね』
おっと、一旦ストップ。
僕も驚いたのだけれど、泊谷高校は紅白に分かれて体育祭をやらなかった。僕は中学時代までずっと、紅白の2チームで雌雄を決するものが体育祭もしくは運動会だと思っていた。ところが泊谷高校、8組までクラスがあるものだから2チームにまとめるのが難しいらしい。
そういうわけでチームカラーが紅白以外にもめちゃくちゃ存在するのである。5組はオレンジらしいが、僕のいる2組は青だった。
そして、各クラスから男女ひとりずつがリーダーとして立候補する。つまり一つのチームに3学年の男女ひとりずつ、計6人のリーダーがいるということになる。その人たちは体育祭の運営に携わったり、チームをまとめたり、これからなにかと忙しくなるのだろうが、1年5組の女性リーダーは沖島ということだ。
――で、なんだって?
同じチームにハイパー三輪山がいるって?
どういうことだよ。
『口下手ってことか? 暴言を言っちゃうとか』
『暴言はないんだけどさ、めっちゃ暗いってゆーか。ウチがここまで意思疎通できないのはじめてだからマジ泣く。超えて病む』
なるほどなるほど。
ならこの黒崎真人に任せておきなさい。
僕を誰だと思ってるんだ。男子根暗部門の長であるぞ。
一年の暗い人となんて簡単に友達になれるってーの!
『じゃあ明日にでもその人に会ってみるか。5組の人だよな』
『たすかるー! そそ、5組』
僕は天狗になっていた。
というのも僕は三輪山、沖島、桧原とコミュニケーションを重ねていって、女性という属性と同学年という立場に怯えなくなっていたのである。もちろん、だからといってクラスのみんなと友達になるなんてのはキツイけれど。それでも、沖島のために話しかけるくらいのハードルなら、僕は乗り越えられるはずだった。
同学年ならば――。
『2年5組の八百日先輩。女性だよ♡ そんじゃよろー』
年上なんて聞いてませんが。
そんな反論をする間もなく、僕の胃はすぐに痛くなった。




