#3 本当に言いたかったこと
放課後。
体育館裏。
僕がこの言葉で何を思い出すかといえば、そりゃあもう昨日のことである。
昨日とまったく同じ文句でまったく同じ待ち合わせ場所――。
もし現場で彼女の伝える内容も同じだったら、また僕は同じように断らなくてはならない。
わざわざ告白してくれた人を断るのはそんなに気持ちのいいものじゃなかった。だから僕は、できれば二度と断る返事はしたくないのだけれど。
とはいえ、今更手のひらを返すのもおかしいし、何より今の三輪山とそういう仲になるのは不本意だ。
己の美貌をナルシスト張りに主張し、話しかけてきた相手に暴言をまき散らす。僕はそんな彼女と仲良くなれそうにないのだ。
そういうわけで、この待ち合わせはとても憂鬱だった。
それでも憂鬱な思いが時間を遅らせてくれるわけでもなく。
つまり、僕は二度目の待ち合わせを、予定通り迎えることになったのだ。
「洋平、どうすればいいと思う……?」
「そんなの真人がどうしたいかだと思うけど……。そんなに気負うなって、二回目の告白なんて俺でも困るよ」
「すっぽかすってのは……ダメだよな」
「だな」
予定通り、は嘘だったかもしれない。なにせ僕らは明確な時間を設定していなかった。約束はただの放課後だったから。
すると心の弱い僕はこうして洋平に泣きつき、放課後すぐに体育館裏へという行動はできなかった。
それでも僕は三輪山を長く待たせるわけにはいかないし、それはなぜなら、やはり彼女の告白を断る気でいるからだ。
三輪山を一秒でも早く幻想から救い出したい。
いや、こんなかっこいい表現をしても、その本質はただ彼女を幻滅させるだけのことなのだが。
「行くしかないかあ……」
「俺もついて行くか?」
「いや、いい。先に帰っててくれ」
僕が立ち上がると、洋平は納得したように微笑してともに立ち上がった。
彼は僕が帰れと言えば帰ってくれる。たとえどんな言い方をしたとしても、洋平だけは必ず受け入れてくれる。口は災いのもとだと考える僕が唯一気楽に話せる相手だった。
さて、洋平と別れて孤独になった僕は体育館へとぼとぼ移動したのだった。
昨日とは違って体育館は運動部が利用していた。静かで雰囲気ある昨日よりかは重い空気にならずに済むかもしれない。でも今日も夕日が昨日と全く同じように一面をオレンジ色に染めていて、それが気持ちまで晴らしてくれたらと思う。
体育館の横を通り抜け、角を曲がればそこがいわゆる体育館裏だった。
上下の辺が長い長方形を体育館とすると、その左側に体育館の入り口があり、上が待ち合わせ場所だ。
体育館裏、というより体育館側面か。
「うん……。うん、そう……」
僕が長方形の左上の角を曲がる寸前、誰かの独り言が脚を掴んだ。
体育館の中から運動部の声がするせいでさっきまで気づかなかった。
誰かが何か言っている。
いや、声でわかる。
三輪山だ。
もしかして誰かいるのか。
あれか、実はドッキリでしたみたいな。今日はそのネタバラシ?
でも、三輪山がそんな悪ノリする友達を持っているように思えないし。
じゃあ用心棒か!?
三輪山に恥をかかせた罰として、屈強な男たちが僕のことを袋叩きにするんじゃなかろうか!
三輪山の美貌を使えば、そこら辺のヤンキーくらい簡単に操れるということか!
冗談はさておき。
僕がこっそり体育館裏を覗き見ると、そこには悪ノリする友達も用心棒もいなかった。
三輪山ただ一人。
彼女は携帯電話で誰かと話していた。私立泊谷高校はスマートフォンの持ち込みが許されているのである。
「わかってるって。でも……そう、どうしたらいいかって困っちゃうのよね」
口調がいつもと違う。
その姿にはとてつもなく違和感があるが、どう聞いても声は三輪山で、横顔もどう見ても三輪山だ。
いや、え?
本当に三輪山なのか?
「えー、ムリムリムリ! 私にできるわけないでしょ! ほんと、私たちが同じクラスだったらよかったのにさあ……」
誰なんだ、これ。
なんだ、何がどうなっている。
三輪山澪って、誰とも話さないで、言葉の多くを暴言が占めていて、自分の顔のよさを自慢するだけの告白をする人間じゃなかったのか?
しかもなんだあの感情豊かな表情は。真顔以外にもレパートリーあったのか。
何もわからない中でひとつだけ言えるのは、僕は『三輪山普通に話すバージョン』を見てはならなかったということだ。
だって、絶対そうだろう。
いつもそっけない態度の三輪山が、告白の時も高圧的な三輪山が、誰もいない場所でこんな普通に話してるって。
絶対に見られたくない場面だろうし、僕は見るべきじゃなかった。
ただ、このままずっと登場しないわけにもいかないよな。
待たせるのは不本意だが、ここは彼女が電話を切った後に登場しよう。
もしも登場のタイミングを誤れば大変なことになるはず。
無神経に告白を断った分際で言うべきではないが、正直僕は三輪山に気まずさを感じている。
これ以上ギクシャクするわけにはいかない。
ここはもっと様子を見、完璧と思わしきタイミングで登場するべきだ――!
「しかも勘違いさせちゃったから……。そういうの、黒崎くんからしたらすごい迷惑じゃん? だからどうにか謝って本当のことを言いたいんだけど――そうだ、ずっと電話つないでもいい? そしたらちゃんと話せるかも、なんて」
ずっと電話をつなぐ……?
それって電話を切らないってことで、僕が登場しようと思ってたタイミングが訪れないことになるんじゃ――。
待ってくれ。誰か僕の頭の中を見てくれ。
まず、そもそも三輪山が話せることに戸惑っている。バカにしているとかじゃなく、本気で三輪山はクールビューティーを貫き通し、後にも先にもそうやって生きている人間なのだと思っていたから。
そして登場の仕方にも戸惑っている。僕はどんな顔をして、どうやって現れればいいんだ?
三輪山って普通に話そうと思えば話せるんじゃないか、なあんだ――とか?
三輪山、見直したよ、まさか暴言以外も言えたなんて――とか?
どうすればいい。彼女が一番傷つかないリアクションはどれなんだ。
そうだ、こういう時は素が一番だ。
初見であるかのように、自然な振る舞いで。
そこで湧き上がってきた言葉が一番リアルなリアクションであるはずだ。
いいか、わざとらしくするな。
ふーん、三輪山、普通に話せたんだ。
まぁ、いいんじゃない?
よし、この調子だ。
よし、ここは覚悟を決めて行くしかない。
あくまでもさり気なく。何も知りませんよって顔で。
これ以上三輪山を待たせるわけにもいかない。
僕は自然体を努めて前に出た。
三輪山の横顔をはっきりと確認して、声をかけようとして――。
「やっぱムリ、恥ずかしすぎ! ごめん、やっぱ切っていい? そろそろ黒崎くんが来る気がして――へ?」
「あっ……」
目が合った。
……。
…………。
………………………………。
ブツッと、三輪山が電話を切った。
独特の気まずい空気が充満する。
屋外のくせに。
これは不覚……!
完全にタイミングを間違えた。
さっきまで爛々と話していた三輪山はどこへやら、もうそこにいるのは真顔で冷たい目をした三輪山だった。
どうする。
何を言えばいい。
この空気を察するに、三輪山は僕にあの姿を見られたくなかったのだろう。
だから――冷気を通り越して殺気を感じる顔をしているのだろう。せめて冷たい真顔であってほしかった。殺気を感じる真顔ってどう説明すればいいんだ。
仕方ない。こうなれば。
僕はいっそ、何も聞いていないフリをしよう。
自然体、自然体……。
見ざる、聞かざる、言わざる……。
三輪山、大丈夫だ。見られたくなかったその姿を僕は見ていないことにするから。
「やぁ、三輪山。こんなところに呼び出してどうしたんだい」
「聞いてた……?」
三輪山はメンタルお化けなのかもしれない。
というか、絶対そうだ。
今わかった。
ここで僕も聞いてました、と白状すればよかったのに、チキンの僕には苦笑いで返すしかできなかった。
メンタルお化けな三輪山は、その表情で察し、話を進める。
「聞いてたのね。まぁ、いいわ。聞かれてたほうが好都合だったから」
さっきまでの口調はどこへやら、三輪山はいつも通りの態度に戻った。
いや、ひとつだけ違うところが――。
夕日の色と似て、また違った色が三輪山の頬にはあった。
「三輪山、顔が赤いぞ」
「だっ、黙りなさい! 私は、その、ただちょっと……知ってほしくて……」
三輪山の声がフェードアウトしていく。
そのフェードアウトはやがてゼロに到達し、もじもじして言葉を発さなくなる。
気まずい――ッ!
バカか、バカなのか僕は!
僕の軽率な言動がこの結果を招いたのは明らかだ。
ここはもう責任を持って僕が話を進めねばならない。
「み、三輪山って、普通に話せたんだな。あ、いや、バカにしてるとかじゃなくて、いつもは圧があるから……」
「そう、それ。それが問題なのよ……。突然だけれど黒崎くん、正直に答えてちょうだい。私、顔がいいと思わない?」
「ぶっちゃけ顔はとんでもなくいいです」
「ええ、知ってる。よくそう言われて育ったから」
よしよし、三輪山が元気になってきた。
これで本題に入るはず。
――って、そうか。
僕は彼女と話すことで、もうゴールテープを切ったような気でいたけれど、ここからが本題なのだ。
三輪山の告白。
一度目の愛の告白から24時間。
しかし今回は、予想外にも僕の想像する告白ではなかった。
「ええっとね、黒崎くん。私は別にあなたと恋人関係になりたかったわけじゃないのよ。まあ、黒崎くんが恋愛経験のないかわいそうな人だから勘違いするのもしょうがないけど」
「ちょ、ちょっと待て。でも付き合ってほしいって昨日――」
黒崎真人くん、私に付き合ってほしいのだけれど――と言われたはずだ。
昨日、ここで。三輪山澪から。
「ええ。ただそれは恋人関係じゃなくて――練習に付き合ってほしかったのよ」
「練習……?」
「私、人と話すのが苦手なの。緊張しっぱなしで、気づけば人を遠ざけるようなことばかり言ってるのよ。今朝、あなたと小東くんが話していたのを聞いて――勘違いさせちゃったなあと、また私の美貌が罪を重ねてしまったなあと思ったわけよ」
いや美貌よりも話術に罪があると思うが。
ともかく、そうか、だから三輪山は突然立ち上がって僕に向かってきたのだ。
というかわざわざ聞き耳を立てていたなんて。僕の声、そんなに大きくないだろうに。
「耳の良さには自信があるわ。あと顔の良さ」
「別に聞いてないぞ……」
「だから――黒崎くん、昨日の返事はなかったことにしてあげるわ。今朝の甚だしい勘違いも水に流してあげる」
三輪山は突然すぎる話題の舵を切った。
僕としても話のつなげ方はわからないし、やや強引にでも話を進めてくれるのは助かるが、あくまでも三輪山の毒舌は変わらないらしい。毒舌というか高圧的というか責任転嫁というか。
まあ、それを矯正するために協力を要請したということなのだろうが。
「ここからが私の本当に言いたかったことよ。私が人と話せるよう、練習に付き合いなさい。こんなに顔がいい私と公の場で一緒にいられるのだから、悪くないでしょう?」
さっきの話を聞く感じだと、上から目線になってしまうのは三輪山が緊張を感じているからこそだった。
きっと彼女も言いたくて言っているわけではないだろう。
いつもならばカチンときているかもしれないが、不思議なことに今は全く憤りを感じない。
昨日と同じ夕日に照らされた顔が、今日はまるで別人のようだ。
「それはコミュ障が治るように協力してほしいってことか。それで、いつでも素の姿を出せるようにしたいって……」
「よくわかってるじゃない。どう? 私はぜひ、この話に乗ってほしいのだけれど」
僕の昨日の答えはただ一言「断る」だった。
それは、口は災いのもとだと思っていたからだ。
口は災いのもと。そう思っている僕が誰かと会話の練習をするなんておかしい話である。
伝えたいことを汲み取ってくれなければ、言葉の無力さを知ることになる。
伝えたいことを言葉にできなければ、言葉のもどかしさを呪うことになる。
そしてなにより、言葉は時に正々堂々と人を傷つける。それがさも当然かのように。
「黒崎くん、この話に乗って頂戴」
じゃあここで断ることが僕の正しさなのだろうか。
口は災いのもと、だけれど。また同じように『口は災いのもと』を武器にして三輪山を傷つけるわけにもいかなかった。
「いえ、黒崎くん。この話に乗ってください――!」
その一言が彼女にとってどれほどの勇気であったかは言うまでもない。
そして僕がどんな返事をしたのかも、あえてここで語る必要はないだろう。