#21 三権分立
「よっ、黒崎」
朝から幼女が話しかけてきた。
話しかけてきた――というか話しかけないといけなかったというか。
その人は僕の席に座ってずっと僕の登校を待っていたみたいだ。
否が応でも席の奪還のために話しかけねばならない。
「何か用か……?」
「べっつにー。ただ偵察してんだよ、三輪山澪のことを」
ご丁寧にアンパンと紙パックのいちごオレを用意して張り込んでいた桧原。パンはコンビニ、飲料は自販機で買ったのかな。
本格的な張り込みと褒めたいところだが、そのありきたりな張り込み像のせいでごっこ遊び感がにじみ出ている。
しかもいちごオレって。刑事といったらアンパンと牛乳じゃないか。
「牛乳嫌いなんだよ。それに引き換えいちごはほんとにおいしい。これほんと大好き」
「だから身長が小さいのかあ……」
「んだ、てめぇ! やるか、こら! 別に小さくてもいいだろうが!」
ぷんすこ怒る風紀委員。
三輪山はいつでも真顔だし、沖島はよく笑う人ではあるが、桧原はなんというか表情豊かな人だった。
喜怒哀楽全部がころころ変わる。自分も感化されて心が忙しくなりそうだ。
「で、偵察して何がしたいんだ? 三輪山を見てるだけじゃあ何も変わらないんじゃないか」
「ギクッ……」
正確にはギクッなんて桧原は言ってないかもしれない。
でも僕には聞こえた。絶対にギクッて言った顔だった。
「あ、あたしは三輪山澪が悪いことしてないか監視してるだけだって。悪いことしたらそこを摘発する。張り込みってそういうもんだろ」
「悪いが桧原、多分このまま授業の時間になると思うぞ。三輪山はずっと本しか読まないから」
「う……。それじゃあきっかけが……」
「もしかして三輪山と話したいのか?」
「はぁ!? 誰があんな暴言女と――い、いや、ごめんなさい、今のは言い過ぎ……」
なるほど。
よもや桧原、こちら側か?
人とのコミュニケーションが苦手な、そういう子なのか?
ひらめいたぞ。
僕はずっと三輪山と練習して問題を解決しようとしていたけれど、逆のアプローチがあるじゃないか。
三輪山を桧原に合わせる工夫ではなくて、桧原を三輪山に合わせてしまえばいいんだ。
「桧原、よかったら今日の放課後話せないか。あの空き教室で話したいことが――」
バァン――と。
とんでもない轟音が僕と桧原の間で起きた。
その音は机が破裂した音だった。
もちろん、実際にそんな怪現象は起きていない。そのような音だったというだけで。
その正体は、三輪山が僕の机を叩いた音だった。とんでもなく目を見開く三輪山。真顔で瞳孔を開くその姿は鬼の形相とまではいかなくても化け物みたいな気迫があった。
そうか、そういえば三輪山、耳がいいんだったな……。
三輪山は机を叩いたその姿勢で――つまり机の上に手をついたまま語り始めた。
「三権分立は知ってるわよね。立法、司法、行政が独立し、抑制しあうことでバランスを保つ仕組みよ。そうあるべきだと私は思うの。三権分立は大事だと思うの」
「三輪山も放課後来るってこと……?」
「私は三権分立の話をしていただけなのに、黒崎くんったら勘違いも甚だしいわ。でもそうね、どうしても来てほしいと黒崎くんが願うのならば仕方ないかしら。恩があるもの。借りをちらつかせて女の子を自由にするなんてさぞかしいい気持ちなんでしょうね」
「誤解されるような言い方やめろ! まあ僕はいいんだけど――桧原、大丈夫か?」
桧原は突然の轟音に驚いたのか、少し放心していた。
僕が声をかけてようやく我に返る。
「べ、別にいいけど! 風紀委員としてちゃんと目をつけておかないといけないし!」
ちゅーっとストローでいちごオレを吸い込む桧原。
言うのが遅れたがアンパンは未開封だった。早く食べないと授業始まっちゃうぞ。
「三輪山澪、変なこと言ったらあたしがすぐに矯正してやるんだからな! 覚悟しろ!」
「強制の間違いじゃないかしら。それとも強請かしら」
「え? オメー何言ってんの……?」
「おっと、桧原ちゃん様さん氏殿には同音異義語問題は難しかったかしら。ごめんなさい、私、手加減を知らない人なの」
「な、なんか今日の三輪山澪怖くね……?」
僕の顔を見て言われても。
三輪山の言葉遊びはもはや癖みたいなところがあるし、鉄板ネタだと思ってもらわないと。
謎の敬称ラッシュも三輪山がオタクなんだからしょうがない。
口が裂けても言えないけど。言ったら本当に口を裂かれるんだけども。
「じゃあ、そういうことで――桧原は5組に戻れ。遅刻扱いにされるぞ」
「やっば! それじゃ、また後でな!」
走って出ていく桧原だった。
だから風紀委員が廊下走っちゃいかんでしょって。しかも飲み物持ちながらだし。
よい子の諸君は真似しないように。
「三輪山、結構勇気出したな」
「はっ、笑わせないで頂戴。勇気も何も、私は黒崎くんの懇願を聞き入れただけよ。私が個人的に話したいとか、そんな意図は毛頭ないわ」
「わざわざ机叩いて三権分立を語る人がどこにいるんだよ」
「ここよ。まさに私――とにかく私は黒崎くんと桧原様様が二人っきりという状況が耐えられなかったの。権力的な意味でね」
権力なんて持っていないのだが。
三輪山の中ではあくまでも三権分立の話らしい。
「黒崎くんが桧原様の笑顔を独占するのは許せないし、黒崎くんが誰かに独占されるのも嫌な気分よ。権力的に」
「わかったよ、大丈夫、3人で話すから……」
本当はほとんどわかっていない。
桧原のファンなんだから桧原と一緒にいたいのはともかく、僕が誰かに独占云々はどういう意味なんだ?
唯一このクラスで話せる存在だから一緒にいろということかな。桧原と話すときの通訳的な?
黒崎くんが誰かに独占されるのも嫌な気分よ――。
なんかもうちょっと考えればこの言葉の真実にたどり着けるような……。
僕の中に確信的な答えはあるはずなのに、それがぼんやりとしていてなかなか見えない。思い出せるはずなのに出てこないみたいな感覚で気持ち悪いな……。
結局、僕が頭の中で復唱し続けていた三輪山の言葉は学校のチャイムにかき消された。
まあ、なんでもいいか。




