#19 MaK+
「それで? 私とクソ崎くんが恋人関係なんて悪夢すぎる誤解をされたまま逃げられたってわけ?」
「その通りです、すいません……」
夜。
突然三輪山から電話がかかってきたと思ったら、意外なことに桧原についてを聞かれた。
なんで自分に絡んでくるのか、自分の言葉で桧原を傷つけていないか――やはり三輪山は悪いやつじゃないなと思うような質問だった。
ただ僕はそのことを話すうちに今日の放課後を思い出し、桧原に変な誤解をされたまま帰られてしまったことを三輪山に報告したのだ。
付き合ってんだろ、オメーら。
見りゃわかるわ、そんなの。だって三輪山澪が黒崎相手にはべらべら話してんだもん。
なにより黒崎の顔がデレデレだ。それほどあいつと話すのが楽しいんでしょ?
あ、それか黒崎の片想い? かわいいとこあんじゃん。
はぁ? 違う?
隠したくなる気持ちはわかるけど――あ、やっべ、あたしやることあるんだわ。
じゃねー、ばいばーい!
と、いう感じで。
桧原は僕と三輪山がカップルで、もしくは僕が片想い中だと思ったまま去ってしまった。本当に突然、嵐のように桧原は帰っていった。弁明さえさせてくれない。
しかし、なるほど。確かに他の人間とは全然話さないくせに僕とだけ話す三輪山は、僕の恋人と見られてもしょうがない誤解かも――。
「そんなわけないでしょう。顔が不釣り合い過ぎよ。あまり私を侮辱しないで頂戴」
「僕と付き合うことが侮辱なのか!?」
「時に黒崎くん、何か気づかないかしら」
三輪山から、それこそ恋人みたいなクイズが出された。
髪を切った後の変化に気づいてほしくて聞いているようなそれは、果たして僕という超鈍感男がわかるはずもない。
てか、いきなりすぎて「えーっと……」しか言えなくなっている。何か気づかないかって問題がざっくりとしすぎているだろう。
「か、髪切りました?」
結局ベタなことしか言えない僕であった。
「そんなわけないでしょう。音声通話で伝わるはずもないし。もしかして私の家に監視カメラでもつけているのかしら。黒崎容疑者くん?」
「やめろ。僕はそんな名前じゃないしなんの罪も犯してない」
「正解は、私が全裸ということでした」
「結局視覚的情報じゃねーか!」
しかもお前、前回通話した時もそんなだったよな。
裸族なのか? それとも風呂好きか?
「冗談はさておき――そうね、黒崎くん、今日なにしてた?」
「おいおい、もう僕には三輪山が何を言いたいのか全くわからないよ。本当にカップルみたいな会話じゃないか」
「あらそう、そんな暗愚な生活を送っているのね。私との叶いもしない新婚生活を妄想するという虚無な趣味があるだなんて知らなかったわ」
「そんな妄想してねえよ! えっと、学校に行って、放課後は桧原と話して、帰って――」
「配信は見たかしら?」
三輪山が配信というと、僕にはひとつのものしか思い浮かばなかった。
MaK+。三輪山がコミュニケーションを学ぶために本を読むように、配信者とのコミュニケーションもまた彼女にとっては大事な練習なのだ。特に雑談配信が好きらしい。練習とか関係なく、もうただのファンにしか見えないけど。
「ごめん。僕、リアルタイムはたまにしか見れてなくて……」
「まあいいわ。ぶっちゃけ私、同担拒否だったから。MaK+ちゃんを見るのは私だけでいいのよ」
何を言ってるのかわからないが、どうやら許されたらしい。
胸をなでおろす僕だったが、まだ話は終わっていなかった。というか本題はここからだった。
匿名でのやり取りを重ねる配信――もといインターネットにおいてのノリは、そのコミュニケーションの温度は、残念ながら日常の対話で使えないようだった。
三輪山が桧原とうまく話せないことが、その証拠だ。
「MaK+ちゃんは桧原纏さんよ。間違いないわ」
え?
「待て待て、三輪山。だって、MaK+ちゃんは顔を公開していないじゃないか」
「は? 声でわからない?」
「言われてみれば似てる声ではあったかもしれないけどさ」
「話し方でわからない? 呼吸の音でわからない? 心臓の鼓動でわからない?」
「そんなに耳よかったのか!?」
もうファンの領域を超えてるよ。
こうなったら三輪山こそMaK+ちゃんの家に監視カメラをつけてるんじゃないだろうか。
「それと、配信時間ね。黒崎くんの前から桧原様が去ったのは今日MaK+ちゃんが配信をするからだと思うのよ。というか、したもの。前からそういうスケジュールだったもの」
「ちょっと待て! そ、そんなあっけなくバレちゃうものなの……?」
「私を舐めないで頂戴。どれだけMaK+ちゃんの声を聞いていると思っているのよ。MaK+ちゃんの誕生日に欲しいものリストが公開されたのだけれど、そこにあった品物とともにファンレターを送ったことだってあるわ。あと好きな食べ物はいちごで、夜は抱き枕がないと眠れなくて、好きな男性のタイプを聞かれれば決まって『女のほうが好きだから』と答えることとかも知ってる。生活リズムも把握しているし、今朝何時に起きたかだって――」
「これ以上はやめてくれ……!」
やっぱりそっちが犯罪者だろ!
よくもまあ黒崎くん容疑者とか言えたな!
情報量が多すぎてもうお腹いっぱいだ。
しかし、そういうことだったのか。
僕が今日、三輪山に「MaK+ちゃんの話をしよう」と言っても拒否されたのは、眼前にご本人がいたからだ。桧原がいる状況であの話題はまずかったのだ。
好きな人の前で好きな点を述べるのは恥ずかしいものだろう。
「それで黒崎くん、ここからどうしましょう」
「ど、どうしましょうって?」
「私、桧原ちゃん様さん氏とお友達になりたいのだけれど」
「普通に話せばいいんじゃないの……?」
「ぶち殺すわよ」
三輪山はなぜか桧原に風当たりが強い。
それは桧原に対して三輪山が緊張しているからで、その理由はファンとして桧原のことが憧れの人であるからかもしれないが、どうあれ三輪山は『普通に話す』という行為ができない。
僕もそれはわかっている。だから普通に話せなんてのは冗談だけれど、さあどうしたものか――。
三輪山のおばあさまの前で話した時とは難易度が違う。
あの時は本番の会話相手である僕がずっと練習相手を務めていたし、僕はただの一般人だ。
今回は三輪山がファンであるMaK+ちゃん、もとい桧原が相手。いつも以上に緊張するのは当然だろう。練習相手だって、桧原にやらせるなら三輪山が桧原に自分の秘密を言わないといけないわけだし……。
「ちなみに三輪山、桧原に自分のコミュ障を言うつもりは……」
「ハイパーウルトラコミュニケーション能力グレートのことね。正直、同じ空気を吸うだけでも吐血しそうだから言える気がしないわ。もう目さえ見れないわ。どうしましょう」
「いや、どうしましょうって……」
そんな平坦な声で言われても。
しかも僕に丸投げかよ。僕にもわからないよ。
「目さえ見れないって、それもう話さなくてよくないか?」
「わかってないわね、黒崎くん。愚弄崎くん」
「言い直すな! しかもこの場合、愚弄されてるのは僕だ!」
「私はMaK+ちゃんと話したいわけじゃないの。桧原帝王とお話したいの。あ、迂闊に本人へMaK+ちゃんですかとか言わないで頂戴。その時は私があなたの口を使えなくするから」
「言わないよ……。僕が口は災いのもとを信条にして生きてること知ってるだろ」
「念のためよ。口を裂かれたくなければ――口裂きくんになりたくなければ黙っていなさい」
「だからわざわざ言い直さなくていいよ!」
口裂け女もびっくりだ。
そういえばなんで口裂け女がいて口裂け男がいないんだろう。
僕のために席を用意してくれたのか。嬉しくないけど。
「って、待て待て。ギャグに走らないで考えないと。三輪山と桧原がどうやって話せるようになるか……」
「黒崎くんって暇なのね。わざわざ真摯に私の事を考えてくれるなんて」
「お、おう……? 褒められてる?」
「黙りなさい。無粋よ黒崎くん。ブス崎くん」
「それもう別の意味だよ――って、だからギャグに走ってる場合じゃないんだって!」
三輪山の言葉を拾いながら何かを考えるなんてマルチタスク、僕にはできない。
人と話すのって結構脳のリソースを割く気がするんだけど、きっと話し上手な人はそうでもないんだろう。
僕は口裂きくんではないけれど、脳割きくんではあるかもしれなかった。
「えっとね、黒崎くん、私はただ……。その……」
声だけのコミュニケーション。
僕たちはお互いにカメラなんてつけていなかったから、僕が三輪山の表情を完璧に知ることも、逆に知られることもなかった。
でも少しだけ、今の三輪山は真顔以外の顔を浮かべている気がした。あくまでも気だけれど。
「ありがとう。私が言いたいのはそれだけ。それじゃ。なんか黒崎くんの声飽きたわ。二度と聞きたくもない。さようなら」
終わりは突然に。ブツッと通話は切れる。
最後のは三輪山なりのお礼ってことでいいんだよな……。やっぱり不器用というか、余計な言葉が混じってるけれど、そうだとしてもお礼を言えるまでに彼女は成長した。それが練習の賜物なのか、それとも彼女自身の自発的な成長なのかはわからないけれど。でも、もしかしたら今回もやり方さえよければ成功するかもしれない。
真っ暗な部屋で一人、僕は睡魔と一緒に思索をめぐらせるのだった。




