#18 匿名性
「じゃあ何? あいつ、全人類に対してあんな態度してんの?」
いつもの空き教室でいつもの時間、しかし話すのはいつもと違う人物相手だった。
桧原はちんちくりんな体をしているが、なかなかどうして座った彼女もちょこんとしている。
立てばロリ、座れば幼児、歩く姿は小学生。
そんな桧原と話しているのは他でもない、全ての元凶である三輪山について説明するためだった。説明というか、説得みたいなものだった。
なんせ桧原は風紀委員としての使命に燃えてか、三輪山のちくちく言葉を排除しようと目論んでいるのだ。
なぜか三輪山は桧原に対して風当たりが強いし、そもそも三輪山が緊張すると暴言が出る体質のことを告白しないとこの問題を解決するのは難しいだろう。
だからどうにかして桧原を説得し、今後二人の接触が起こらないように予防線を張りたかった。
だが――。
「全人類に対してではないけど、学校中の人に対してはお口が悪くなると言いますか……。でも根はいい子なんですよ、そこは嘘でもなんでもなく」
いかんせん、僕は三輪山について本当のことを言えない。三輪山が認めた人物にしか緊張暴言体質を明かしてはならない決まりだからだ。
本来僕だって安易に人と話す性格でもないし、桧原の説得は絶望的だった。
「でも暴言は暴言だろ。黒崎には申し訳ないけど、あたしからしたら三輪山澪は性格悪いやつにしか思えないもん」
「で、でも、それって教師に任せればいいんじゃあ……。ほら、わざわざ風紀委員がいち生徒の暴言なんて矯正してたら膨大な労力が――」
「いーや、それでもあたしはやる。意外と何気ない言葉で人って傷つくんだから」
桧原には意味深な雰囲気があった。
口は災いのもと論者の僕からすれば、思ったより馬が合いそうな話だ。
ただ残念ながら今回は例外。
何気ない言葉で人が傷つくという桧原の言い分が正しいからこそ、僕は桧原と三輪山を遠ざけたいのだから。
「僕も誰かを知らぬ間に傷つけるんじゃないかと不安だから全然人と話せなくて、その結果が友達の少ない黒崎真人という根暗青年なんだけれど――三輪山も自分から話をするタイプじゃないから大丈夫だよ。自分から攻撃するタイプじゃない。話しかけられない限りは無口だし、それに――」
「三輪山澪がもし変なこと言い続けたらあたしに飛び火するんだよ」
僕はその言葉を理解するのに少し時間がかかった。
例えば三輪山が言葉によって誰かを傷つけたとして、僕なら責任という名の飛び火が来るかもしれない。彼女に話すことを教えた僕は、誰かを傷つけた罪の片棒を担いでいることになるのだから。
それじゃあ、桧原はなんだって言うんだろう。三輪山と桧原が実は裏でつながっていて、会話の練習をしていました――みたいな?
それとも、あれか、風紀委員としての仕事をしていないと思われて周りから責任を押しつけられるとか。
「ちげーよ。なんつーか……三輪山澪にあたしの顔を貸してあげてるっていうか。そんな感じなんだよ」
「か、顔を貸す……? じゃあ学年一の美少女って肩書きは三輪山じゃなく桧原のものっていう……」
「物理的に貸してねーよ。移植手術でもするんけ。あたしの顔はこの通りお子様ですよーだ」
そう言って桧原は「んべ」と舌を出した。
そういうことするから童顔になるんじゃなかろうか。性格が顔ににじみ出ている。
「すまん、僕には桧原の言うことがさっぱりで――顔を貸してるってつまりどういうこと?」
「お前ってSNSとかやってる?」
質問に質問が返ってきた。
「やったことないです……」
「別にやってなくてもいいけどさ。や、そういうのってだいたい匿名じゃん。だからうわべのイメージばっかり見られがちなんだよな。イメージっつーか、レッテルっつーか、顔っつーか――」
「待て待て、もっとわからなくなってきた。えっ、三輪山がSNSで威張り散らしてるとかそういうこと?」
「そういうのはまだ見てないけど。今後そういうことがあったらあたしに不利益なの」
とりあえず三輪山の暴言体質は桧原と関係があるらしい。しかもインターネットの何かで関係してるらしい。
僕は桧原の事情がどういうものかを明確に知れなかったけど、それでも三輪山に近づけば傷ついて終わるに決まってる。
桧原の言葉を借りてしまえば、誰かを迂闊に三輪山と接触させたら僕に飛び火するのだ。まだ三輪山が人とすらすら話せる状態じゃない以上、僕には話させないよう努める責任がある。
桧原――と。
僕は神妙な面持ちで言った。
そっちの事情はわからないが、こっちの事情も詳しく説明できない。だからすまないが雰囲気で察してほしい。
「三輪山は僕がなんとかするから、どうにか手を引いてくれないか。卒業までに僕が三輪山の暴言癖を直してみせるから」
「ダメ。ちゃんとあたしが見て、あたしが安心できるまで指導すんの。それにお前、三輪山澪に甘いんだもん」
断られるだろうなとは思っていた。
これだけ三輪山に執着する女の子が、それじゃあ僕の一言で引いてくれますかなんて、あるわけがなかった。
桧原の言う通り、僕は数少ない友達になってしまった三輪山に甘いかもしれないし、風紀委員とかいう役職にも就いていないから信用も薄いだろう。
想定済みといえばそうだけれど、ただひとつだけ大きな誤算があった。全部ごもっともだけど、それは違うぞと言いたかった。
「付き合ってんだろ、オメーら」
この場に三輪山がいたら、きっと僕がハサミの餌食になっていたんだろう。




