表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

作者: 竹下博志

 マンションというのは間取りが悪いものだ。購入当初から薄々感じてはいたものの、口に出すのははばかられて、自分をごまかしてきた。おそらく妻もそうだったのかもしれず、それでも言葉にしなければ、物事は変わるとばかりに、そのことに関して、話すことはなかった。

 それでも予定外の二人目が出来て、その子供が大きくなり、上の子供がこれまた予定外で、学校を出た後も、家から会社に通うとなってくると、部屋数も広さも全く足りなくなってしまった。それでもしばらくは、多少の問題はあったものの、タイムリーな私の単身赴任という、策ともいえない解決策で、何とかやりくりしてきた。しかし、その単身赴任が無くなって、帰って来いという事になってしまうと、どうにもこうにもならない。

 まともに寝る場所すらない。上の娘は妻と並んで寝て、もうすぐ高校生にならんとする下の男の子と私が並んで寝る始末だ。部屋数で言うと、一部屋空いているのだが、ここはいわゆるモジュールの小さな関東間の四畳半で、家具を置いたらもう寝る場所がなかった。

 私の単身赴任先は部屋数も二部屋あって、その上広かったため、私は趣味の調理器具を色々と買い込んで、スロークッカーやら、パン焼き機やら、ノンフライヤーやらで手作り料理を楽しんでいたが、それらも置く場所がない。せっかく育てたぬか床もこれまた置く場所がない。

 しかし一番困ったのは服と靴だった。私は着道楽で、一人暮らしなのをいいことに、だれも止める人がいないまま、ありとあらゆる服や靴を買い込んでいた。まず、持っていない種類の服は買う。それから、当然だが、持っていない色の服は買う。気に入ったものは傷んでくると困るので、予備を買う。安売りだったら買う。画像で見て、カッコよかったら買う。と、こんな具合の購買パターンが靴にも同様にあって、仕事着であるスーツはあたかも当然の様に夏と冬を10着ずつ揃えていた。10着の理由は週休二日で、2週周期で一回着用という事からだ。もちろんネクタイは数えきれないほどある、少なく見ても100本はあるかもしれない。

 これが広い単身赴任の部屋を半分以上占めている。衣替えはするが、一回も袖を通さないうちにまた衣替えというのはざらで、ひどいのになると、買ったはいいが、一度も袖を通していないで、何度も衣替えされるものもある。こんな具合なので、自分のマンションに戻ったら、にっちもさっちもいかなくなる事ははっきりとわかっていた。どうしようもない。あまりにどうしようもなさ過ぎたので、このあたりで一番安い部屋を私専用で借りることにした。もう気づいていると思うが、私は物欲の申し子、断捨離と言う選択肢はない。

 不動産屋に行き、事情を説明して自宅から近いところで一番安いアパートを紹介してもらうことにする。広告をあらかじめ見てから行ったので、検討をつけているところを切り出すと、そこはちょっと、と何となく歯切れが悪い。聞いてみると、家主がややこしい人らしく、常に借主ともめごとになるのだという。他にないような派手な、レゴのような配色で、設備もカラフルで最新のものが入っている。特にキッチンは広くて、明るくて、個性的で気に入ったのだが、残念だ。諦めることにする。他をあたると、どうやらこのカラフルな物件はすべて同じオーナーらしい。何件かピックアップしていったが、すべてがこのカラフル物件だったため、一言ですべて終わってしまった。

 がっかりしていると、営業マンが実は…と言う。何やら資料を取り出してきて、見せられた物件は予算オーバーだったが、説明を聞くところでは、近くの大学の学生用に作られたアパートなのだが、ここは少し大学からは遠いのだと、しかも運が悪いことにこのアパートと大学の間に新しいアパートを建てられてしまい、今部屋は空き放題なのだという。そこで・・・内緒ですがと言いながら囁かれた家賃は破格値だった。即決である。

 一応部屋を見ますかという事だったので、連れってってもらう。キッチンは狭く、収納も少ないが仕方がない。それでも十分である。部屋がたくさん空いているので、好きなところを選んでくださいとのことで、荷物は自分で運ぶつもりだったので、一階を選んだ。ちょうど、上の部屋も空き部屋で、隣は両方ともふさがっているが、まあこれは仕方がない。一階の部屋は個人用の庭と、共有スペースとしての庭がフェンス越しに連続しており、広々として日当たりも良かったのだ。

 というわけで、このアパートでの暮らしが始まった。ところで、私は早起きである。だいたい四時には起きている。寝るのは八時くらいだ。このせいもあって、家族との生活は同じ家に住みながら、どのみちかなりのすれ違い状態だった。妻と子供は次の日まで起きているのがザラなのだ。だから、食事を家族全員でとるという事はない。私が一番に食べ、妻と下の子が食べ、残業の多い会社員の上の子は帰宅後に食べるといった風で、家族の団欒は食事風景の中にはない。どうせ同じ場所に居たところで、各々が好きなことをしている。外食に出たって、全員が自分のスマホを見ていて、会話はない。おまけに私は地上波のテレビを見ない。これに対して妻と子供はテレビのない生活は考えられないと言う。その証拠に二人してテレビに向かってときおり突っ込みを入れている。おそらくテレビに向かって会話するほうが、私と会話するより多いに違いない。

 だから同様に家族の団欒はテレビの前にもない。私自身テレビはうるさいので、離れたところに居る。それに私はきれい好きなので、床に髪の毛が落ちているとかが耐えられない。妻と子供は皆長髪である。長い髪の毛は床に落ちると、幽霊屋敷のようで気持ち悪くて仕方がない。私はだから、自分自身の体毛は出来るだけ3ミリ以下で揃えている。一部揃えきれないものもあるが、それでも手入れをすると全然違うものだ。3ミリだと、床に落ちていても気にならない。きれい好きの人は試してみると良い。まあ、しかし言ってみれば彼らが普通で私は変わっているほうだろう。これについての異論はない。わかっているのだ。だから一人暮らしを始めるというのは渡りに船だった。しかもこの上ない最高の船だ。

 で、このマンションだが、実際学生がまばらに住んでいる。さすが学生だけあって、夜は遅い。私は四時起きだといったが、実際起きるのは三時台だ。で、四時にはジョギングに出る。ここに住んでいる連中はその時間でも平気で起きているのだ。部屋に煌々と明かりがついている。何をしているのかはわからない。どうせゲームでもしているのだろう。壁は薄いが、静かなものだ。音はしない。

 学生なりの破天荒さと言うのもたまにはある。夜中に友人が訪ねてきてうるさかったり、ジョギングに出るときに、廊下で酔いつぶれて寝ている奴が居たりと、そんなことはたまにはあるが、全体としては満足していたのだった。あの日までは。

 そう、ある日のことだ、二階の部屋に誰かが越してきた。若いカップルらしい。洗濯物が、男女で厳密に分けられて別々に干されているのが何ともおかしいが、ジャージばかりのところを見ると、やつらは体育会系なのだろう。

 男のほうはおそらく足音がやたらと大きい。足に太鼓でもついているかのようだ。床に恨みでもあるかのように踏みしめて力強く歩く。女のほうは真夜中になると、きまって掃除機をかけ出す。そして、掃除機の後は、バタバタと風呂に入り、これまたバタバタと洗濯をし、そしてそのあとは必ず二人して運動を始めるのだ。

 これがルーティンだった。昼間は男の足音太鼓でびっくりさせられ、寝付いたころに床を転がる掃除機のタイヤの音で目を覚まされ、なんやかんやで、暫くすると、小刻みな振動が始まる。声を出せば聞こえるのだろうが、声は出さない。振動のみが伝わってくる。だからやはり純粋な運動かもしれない。

 この辺りはわからないし、分かりたくもない。体育会系用の筋肉で出来た脳みそを持った連中の考えることは、いくらそれがステレオタイプだと言っても、理解できるものではない。これには実際参ってしまった。管理会社には何度も苦情を言ったし、管理会社のほうからも注意してもらったが、予想通りに何も変わらなかった。体育会系が悔い改めることなどないのである。人と言うものは、自分自身の意図とかけ離れたところで、おのずと勝手に変わってしまう事はあっても、誰かから諭されて変わることなどないものだ。

 諦めた私は別の物件に移ることにした。近隣と言う条件を少しだけ広げてみる。だいたい、ここに住みだしてから自分の家に帰ることなど、ほとんどないことに気が付いたからだ。惜しいのは歩いて行ける範囲に大きな評判のいいスーパーがあったことで、ここは何でも揃うし、安いし、品は良いしと、とても満足していたのだった。

 それはさておき、一度破格の家賃を経験してしまうと、なかなかそれが基準となってしまって、物件は本当に限られてくるものだ。ここで、選択肢として残ったのはなんと築50年の物件だった。四階建ての鉄筋建築。前のアパートが木造でうるさかったので、鉄筋と言うのは嬉しかった。階上の騒音がトラウマとなっていたので、今回は最上階にする予定だ。最上階はちなみに一番安い。と言うのもここはエレベーターがない。

 歩いて四階まで毎日、と言うわけなのだが、毎日ジョギングをする私にはかえって好都合だ。古い地図を仲介業者が出してきた。前もって物件の場所を調べて内見に連れってくれるという。ところが、地図にはそれらしき物件がない。築50年なのだから、絶対にあるはずなのだが、業者の広告に載っていた物件名では存在しなかった。ただ、雇用促進住宅の名目で、同条件らしき物件はある。これに違いないという事になった。

 雇用促進住宅と言うのは、過疎地区に人を呼び込むために役所が建築した住宅である。これが古くなって、住民も少なくなり、処分されているという話は聞いていた。それを民間が買い上げて、運営しているのだ。公営住宅と言うのは結構品質が良い。これは思わぬ誤算で、期待が高まる。案内の仲介業者は高齢で、いまだに紙の地図が頼りらしい。コピーした地図を見ながら、車を走らせる。彼の言うには、この物件は古すぎて設備も悪いという。あまり期待しないでくださいねと、全く商売気が無く、聞いていて腹が立つ。おまけに道を間違える始末。現地に着いたら、階段がゆっくりとしか上がれずに、私はドアの前でしばらく待つことになった。

 確かに古い。階段は、今はもうこんな蹴上の低いものはないという仕上がりで、ユニバーサルなデザインである。さすがに公営住宅といった感じの配慮だ。その分昔の物件らしく階高が低いので、段数はあまりない。あちらこちらと錆びてはいるが、肝心なところ、防水関係などはかなりこまめに手が入っているようだ。

 仲介業者がやっと上がってきて、中に入ると、畳などはすっかり新しい。エアコンや水回りも交換すべきはすべて交換されている。天井は低く、したがって建具も低いが、冷暖房の事を考えると、サッシの性能に見合っている。壁や天井はペンキがすっかり塗りなおされていて、素人の日曜大工のように、笑ってしまうほど荒っぽい仕上げだが、ともかくも新しい。畳に対しても、日焼しないように窓に養生用のカーテンがしてある。

 どうやら管理会社がしっかりしているようだ。それよりなにより気に入ったのはそのディティールである。配管も配線もむき出しだし、窓のサッシもこれは50年前の製品だ、今はもうないデザインで非常にレトロであるが、実用上はよく考えられていて、換気用の小窓が上端についているタイプなのだ。今の建築などでは必要ない機構である。今は壁に換気孔が開いているからだ。これにはフィルターがあって、そこがゴミだらけになる。

 浴室も今どき珍しいタイプでいわゆるユニットではない。躯体に直接防水加工をして浴槽を据えている、湿式と呼ばれるもので、これは浴槽と湯沸かし器が新しく交換されていた。浴槽への跨ぎは高いが、どうせ私は湯舟にはつからない。シャワーだけでいいのだ。で、後付けのシャワーも付けられている。

 ここで面白いのは、脱衣場を通らずに直接部屋から浴室に入る仕様になっていることだった。これは一人暮らしならば全く問題ない。キッチンは比較的大きなものがついている。蛇口からは水しか出ない。シンクが大きく、スペースがゆったりしていて、これはさすがに50年前の家庭料理に合わせた仕様だった。

 何から何まで家庭で作っていた時代の仕様なのだ。冷凍庫から出して、電子レンジに直行と言う今の方式だと、これほど大きなスペースは不要だが、食材の下ごしらえから全てを家庭でしていた時代にはこれでも小さかっただろう。

 この当時は、ダイニングキッチンと言う間取りは最先端である。もともと、キッチンはダイニングとは別物で、独立しているのが普通である。この間取りもそうだ。玄関を入ってすぐのところにキッチン、その横にダイニングスペースが別、冷蔵庫はここに置くようになっている。その横に寝室があって、襖で全開できるタイプ。南北に窓があり、襖の全開で、すっかり家中に風を通すことが出来た。

 収納は二畳分の押し入れに、共に天袋がついている。ダイニングの方もオープンタイプの天袋が三方についており、収納は十分すぎるくらいだった。これはもう何も言うことがない。仲介の業者も、しきりに感心している。下見ぐらいしておけよ。

 この部屋は四階なので、高層とは言えないが、田舎なので、これ以上高い建物が近隣に無く、主要道路から引っ込んだ立地なので、そのせいで道に迷ったのだが、これも静かな環境と、その田園風の見晴らしに貢献していた。

 歩いて行ける範囲に小さなスーパーがあり、このスーパーは評判の悪いチェーンのそのまた最低クラスの規模ではあるが、仕方がない。ないよりマシである。その少し向こうにコンビニもあって、ここで買い物をするわけではないが、不便はないだろう。そういった感じですっかり気に入って、ここに住むことに決めた。今回は引っ越し業者を使ったが、その費用は入居した最初の二か月の家賃が不要というサービスのおかげでチャラになった。至れり尽くせりである。

 とまあ、新居への顛末はこんな感じだったのだが、実は気に入った理由と言うのが、もう一つあった。私は小学校まで市営住宅に住んでいた。ここはその市営住宅の面影がそのままにして存在したのだ。もちろん大まかなところは全く違うが、サッシや浴室、階段と言ったディティールがそっくりで、それを思い出させてくれた。人生の折り返しを過ぎてまた元に戻っていく感じが、くらくらするほどに魅力的だったのだ。

 一人暮らしが本格化してゆくと、この戻る感じはさらに濃厚になる。独身だったころの感覚が蘇ってきて、よりさかのぼると、学生時代や、高校生だったころの感覚に帰ってゆくのが懐かしくもあり、新鮮でもあった。自動車には出来るだけ乗らないようにして、あえて原付バイクを買い求め、当時のヒット曲を聴きながら、それで道を流していると、心身ともにあの当時と変わりない気がするのが心地よかったりした。

 さて、この古い団地であるが、築年数と同じく入居者も古い。ほとんどが老人で、独り者が多い。たまに夫婦もいるが少数派である。いわゆる独居老人と言うやつはこんなところに集っている、という記事は読んではいたもののその中に入り込むとやはり異質な感じがする。ここだけ終末感が満ちていて、人類にはもう未来がないといった暗さがある。

 この点は先だっての学生用マンションとは大違いだ。だが、私だってその一部なのだ。なかには若い人たちも住んではいるものの少数だし、だいたいが日本人ではない。話し言葉は何語かはわからない。日本人ならあり得ないくらいの大声で話す彼らのプロフィールは全くわからない。ただ、アジアの人であるという事だけがわかる。彼らは集団である種のグループを形成しており、時々集まっては騒いでいるが、時間がきっちりと決まっており、非常識な時間に騒いだりはしない。歌好きが居て、時折祖国の歌を歌っている。あまり上手くはない。むしろへたくそである。歌とは程遠いがなり声をあげることが彼にとっては平気なのか、恥ずかしくないのか、彼らのお国柄なのか、個人の資質なのか、旅の恥は掻き捨て的な事なのかわからないが、何とも興味を引いた。

 もっと上手ければ、ある種の郷愁も感じられただろうが、それは全くと言っていいほど感じられず、そもそもが歌い手にそれが存在するや否やという事も、団地の壁に反響して響いてくる声を聴きながらいぶかしく思うのだった。

 このアジア人たちは電動自転車に乗っている。朝は比較的早くから、働きに出るようで、その服装から察するに工場労働者のように見えた。この辺りは役場が誘致した工業団地が有って、小高い丘の上に工場が点在している。そこの日本人労働者もここに住んでいる。彼らは皆、やはり朝早くに家を出て、車ではなく自転車か、原付バイクで職場に向かう。それは朝日が昇るくらいの時間なのだが、このころにはもう私はジョギングを終えて、シャワーを浴び、朝ごはんを食べてゆっくりしている。      

 鳥が鳴き始め、明るくなってくると、金属製のドアを開ける音が響き出して、バイクのエンジン音が鳴りだす。小さな排気量の4ストエンジンは優しい音を立てて、新聞配達のそれと同じ音の時刻より二時間ほど後に聞こえてくるのだ。鳥の声に交じって聞こえだすのは洗濯機を回す音である。洗濯機をベランダに設置する間取りのこの団地では、窓を開けると洗濯機の音が聞こえるのだ。

 通勤者たちが廊下を歩く足音はすぐにわかる。彼らは足音がしない。ゴム底のスニーカーを履き、足をきちんと上げて、軽快に歩く。硬いヒールでコツコツと床を叩くような足音はこの団地では聞かれない。そういう人種は住んでいないのだ。また革靴の革底がこすれる音も聞かれない。そういう靴を履く人間もここにはいない。

 老人の足音もすぐにわかる。彼らは足がもう上がらない。すり足で、足を引きずりながらゆっくりと歩いている。夫婦者はともかく、独居の老人はすりガラスの窓に映るシルエットからもその雰囲気がわかる。彼らは何日も髪を切らず、髭を剃らず、皆一様に痩せこけて、筋肉が無くなり、背中が曲がり、いまにも倒れそうに歩いている。

 同じ服を何枚か持っているのか、それとも洗濯をしないのか、それしかもっていないのか、いつもいつも同じオレンジ色のシャツを着ている老人がいる。色の選択は誰がしたのであろうか。着たきり雀ならば、もっと印象に残らない色にすればいいのにと他人事ながら思う。

 ひょっとすると、すごく思い入れのあるシャツなのかもしれない。そして震えるように、不安定に、これまた派手な黄色い自転車で、これはママチャリではなく、ミニベロっぽい小径タイヤの自転車で、どこかへ出かけてゆく。働いてはいない、見た感じ働いているようには見えないし、誰も雇おうとは思えないほど体が弱っているように見える。自転車はスローモーションの様に、倒れる寸前ぎりぎりくらいのゆったりした速度で進んでゆく。

 ある時期に、あれは暑い盛りだったが、おそらく夜暑くて寝れないのであろう。日の出前にジョギングをしていると、この老人が近くのスーパーの自販機の前に、あの自転車をそばに置いて座っているのを見かけた。

 このスーパーは田んぼの真ん中に立地している。周囲は暗がりで、自販機のせいでそこだけがぼんやりと明るい。田んぼを渡ってくる風は生暖かいが、それでも、きっとそこが一番涼しいのだろう。小さな羽虫が飛び交う中、彼は自分の場所をそこに見極めて、誰に知られることもなく、ひっそりと座っているのだ。

 彼らは皆一人である。何人もがここに住んでいるが、井戸端会議や、あいさつ代わりの会話と言うものはここではほとんど聞かれない。皆、犬の様に寡黙で、すれ違いざまに目も合わさない。あまりにそっけないので、こちらから挨拶をすると、驚いたような反応が返ってくる。

 自分の殻にあえて閉じこもりたいのだろうと思う。ここでは誰にも干渉されず干渉もしないというのがルールなのだ。そして植物の様にひっそりと静かに生きている。その目的は生きる事だけのように見える。この雰囲気は冷静に考えると、あの学生アパートも同じなのだ。だが、全く別のものに見えてしまうのはなぜだろう。

 独居老人が自分一人の殻の中ならば、夫婦者はまた夫婦の殻の中で生きて居る。それでも、彼らはまだ比較的幸せそうに見える。ぼそぼそと静かな会話を交わし、決して大きな笑い声をあげるわけではなく、楽しそうにはしゃぐような声も聞かれないが、この家から立ち上る炊飯の香りは紛れもなく旅館のそれのようであり、出汁の取り方が手間をかけたものであるという事をその香りが雄弁に語っている。

 そんな香りはやはりあのスーパーの暗がりの中の孤独からは程遠く、いかにも幸せなように思えるのだ。

 いや、しかしながらこれは憶測だ。あの香りに、憎しみと苦しみ、諦めがこもっているのかもしれず、あのスーパーの暗がりに陶然とするような幸福感があるかもしれず、それはそれぞれの当事者しかわからない。植物のように見えて、その胸の内には熱い何かが潜んでいるかもしれない。それもわからない。

 人間は皆孤独な旅人であり、誰しも最終的には一人だと言ったのは仏陀だが、見た目では違っても、その根本は皆同じなのだ。見た目の孤独は、誰しも持つ内面が、たまたまわかりやすい形になったというくらいの意味しかない。それでも心理的孤独と違い、物理的孤独と言うやつは厄介に見える。もしも、家の中で倒れてしまったら、どうするのだろうと、不安に思う。オレンジシャツに関して言えば、いつ死んでもおかしくないくらいの年齢と状態である。そのニュースを聞いたとしても、ああ、やっぱり、で済んでしまうくらいなのだ。

 彼は自炊をしている。というのは時々近所のスーパーで買い物をしているのを見かけるからだ。独居老人の中には、いわゆる宅配の食事を頼んでいる人がいる。これはなかなか賢いように思われる。宅配は毎日来るから、これを通して、何かあれば他人の知るところになるだろう。

 そういう私だって急に意識を失うかもしれない。その時はまず職場から連絡が来るだろう。だがそれまでは誰かの知るところではない。倒れれば、そのまま帰らない人になってしまう事だろうと思う。

 スマートウォッチのエマージェンシーの設定年齢に今年達したのだが、これは倒れて、しばらく動けないと緊急連絡先に連絡をしてくれるというもので心強いものだが、肝心の連絡先の設定をまだしていない。そろそろ私もそういう年齢になったのだと、観念すべきなのかもしれない。いやなことは無視するという癖はあまりいいものではないようだ。

 さて、この団地にはある老婦人が住んでいる。この人は元気いっぱいで、オレンジシャツの100倍ほど元気だ。いつも共有スペースである団地の植え込みの管理をしてくれている。

 これは完全に自主的なもので、暑くても寒くても外で、雑草を抜き、ゴミをかたずけてくれているのだ。この老婦人だけは例外的に外交的でいつも何かしらと明るく話しかけてくれるのだった。けっこう大きな団地なので、こういった老人は何人かいるべきだが、残念ながらそういった人は彼女だけである。実に貴重な存在なのだ。

 ただ、みんな彼女にだけは心を開きやすいと見える。彼女といるときだけは何くれと世間話をしているのが聞こえてくるのだ。そんなときは、他の人のほうが、めったにない他人と話す機会を得たとばかりに、彼女をなかなか解放しないようである。

 彼女のボランティア活動は夕方が多い。夕ご飯前に一働きして、風呂に入り、それから夕ご飯と言う日課らしい。もちろん老人の事だから、夕ご飯の時間も早い。それなりに日が沈む前にはすっかり夕ご飯の準備を終えているといった感じだった。だから、あまりここで長話をしてしまうと、後がつかえてしまうようで、会話中に何度か、さあ、帰って風呂に入るわ、と言うのだが、話相手の方も老人なので、知ってか知らずか、気が回らずについつい彼女を引き留めてしまうのだ。

 それは大概日没前の風景となっており、その話の内容も、老人らしく、何度も同じことを繰り返す、たわいのない、誰も傷つかないような中身のなさである。例えば、もう一度白無垢を着ないといけないので、日焼しないようにしているとか、どこそこのおやじはエロ爺だとか、そのような事なのだ。それでも、それは一種の欠かせない娯楽と言えるのだった。

 そんなある日のことである。ここは最上階、四階なので、通常はあまり人通りがない。住んでいる人が、自分の住居に帰るのに使うくらいである。階段は両方向にあり、私の部屋の前は私よりも奥に住んでいる人、外国の青年たち、オレンジシャツの老人、老夫婦と三組が行き来するだけだった。また、これらの家に遊びに来る人も全くと言っていいほどいない。皆ひっそりと住んでいて、時折テレビの音が聞こえるくらいの静けさなのだが、その日に限ってぞろぞろと大勢の人間が奥に向かって歩いて行った。

 覗くわけにもいかないが、声からすると管理人を筆頭に例の老婦人、この人たちは会話しているのではっきりとわかる。あとは黙って歩いているので誰だかわからないが、この棟のほかの住民のようだった。珍しいこともあるものだ、特に気になったわけではない。ああ、大勢が通っていくなあ、珍しいなと、それだけの感想だった。

 しばらくすると、階段に向かって戻ってくる。その時にはっきりと耳に入った言葉が、あの人、同じ棟に住んでいたのに名前も知らんかったなあ、と言うくだんの老婦人の声だった。

 過去形の言葉に何となく胸が騒いだ。オレンジシャツに何かあったのだろうか?

 思わず外を見る。自転車置き場が見えて、彼の黄色い自転車が見えた。

 私も新参者で、近所づきあいも最低限度だ。だから、誰かに聞きに行くというわけにはいかない。私だって、両隣の人たちすら名前も知らない。当然向こうも私の名前など知らないだろう。この団地は表札がどこも出ていなかった。郵便受けにも名前は出ていない。

 老人ばかりの低所得世帯がほとんどで営業マンすら寄り付かない。あの国営放送すら、チラシを入れるのみだ。その匿名性、世間から隠れるようにして老人が住んでいるこの団地では、文字通りの終の棲家と言うやつだった。

 居なくなって、管理人が行動を起こしたときにだけ、皆に名前が明かされる。それまではただのオレンジシャツなのであり、或いはボランティアの老婦人なのであり、隣の老夫婦と言うわけなのだ。  ここではだれもその由来や人柄を思わせるものを隠して生きている。名前すら、知られてはいけないというのは、まるで平安時代のそれの様でもある。

 この二つ並んだ、古い壁の中。どこに人が住んでいて、どんな人なのか気配だけで感じ取る暮らし。このような暮らしをしている同じような壁がきっとあちこちにあるはずである。この県下だけで、このタイプの団地はたくさんある。そしてどの地区もそこに住む老人達には事欠かないのだ。

 あれから、私は気を付けて周囲を見るようにしている。意図的に駐車場でゆっくりと過ごしたり、共有スペースで外を眺めたりしている。そこでは何人か知らない住民たちと挨拶を交わすことが出来た。相変わらず、見なくなってしまったのはオレンジシャツで、もう寒くなってしまったが、それでもスーパーの自販機の明かりの中に座っているのではないかと、ついつい見てしまう。

 仮に出合ったしても、彼と会話することなんてできないだろうとは思う。

でも、挨拶だけでもいい。あるいは目礼だけでもいい。そう思うのだ。

 黄色い自転車が雨に打たれている。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ