ニャンコさんの野球をする理由
俺は今、レムコさんに案内され、魔王城の一室で今日の試合のスコアブックを眺めていた。
用意された部屋には、風呂からトイレ、生活に必要な物は全部用意されていた。なので、クールダウンをして、アイシングもしてから風呂に入った。着替えはレムコさんが用意してくれた。普通の現代人が着るようなTシャツとジーンズのような見た目の服だった。
風呂から出ると、机の上にメモ書きとスコアブックが置かれていた。メモ書きはキャプテンからのもので『一時から今日の試合の反省会をするから食堂に来てくれ。それとこれは頼まれていたスコアブックだ』と見たことのない文字で書かれていた。それなのになぜか読むことができた。
今は正午手前くらいの時間だ。試合が始まったのが7時45分。終わったのが10時45分。その後、クールダウンをし、転移魔法で魔王城に着いたのが11時。そこからアイシングをして風呂に入って、今の時間になっている。
時計の見方も、なんとなくだが分かった。ローマ数字のような文字が、一般的な時計みたいに十二個。円形にならんでいたからだ。
俺はため息交じりに見ていたスコアブックを机に置いた。そしてストレッチでもしようかと、なにか床に敷くものがないか探そうとしていた時だった。ドアがノックされ、返事をする前にニャンコさんが入って来た。
「レムコー。いるかにゃー? あれ優にゃー? 何でレムコの部屋にいるにゃ?」
「あれ、ここってレムコさんの部屋だったの?」
だから風呂のシャンプーみたいなものが減っていたりしたのか。けれど、この部屋は全然生活感がない。
「そうにゃ。ちなみに隣がニャーの部屋にゃ」
この部屋に入った時レムコさんに、自分の部屋のように使って良いと言われていた。そして、部屋に来る前に、選手なら魔王城の一室を無料で借りることができると聞いていた。なので、ここが貸し出し用の部屋なのだと勝手に思ってしまっていた。
「それで優は、にゃんでレムコの部屋でお風呂に入っていたのかにゃー?」
ニャンコさんは漫画でよく見る、猫が獲物を見つけた時の眼をこちらに向けて来る。
俺はさっき思い込んでいたことを正直に話した。
「にゃーん。それだったらいいにゃ。ところでレムコはどこに行ったにゃ? まぁ、立ったままじゃなくて、そこのソファーにでも座るにゃ」
ニャンコさんは、近くにあったソファーを指差す。俺はそれもそうだと思い、机を挟んで奥のソファーに腰を掛けた。位置的にこちらが上座になるが、別に大丈夫だろう。そんなところを気にする人ではないだろうし。
「レムコさんだったら、俺の昼食を――。「にゃにゃーん」
俺の言葉を遮るように、ニャンコさんは俺に飛びかかってきた。そして俺の膝の上に自身の腹を置いて、うつぶせで寝てしまった。
「何してるんだ!? 離れろ――。「くすぐったいにゃ」
「あ、ごめん」
俺はニャンコさんを引きはがそうと、彼女の腹を持とうとしたが、妙に艶めかしい声を出されてしまった。なので思わず謝った。
「それで、レムコはどこにいったにゃー?」
「それよりもさきに、あっちのソファーに座ってくれ」
彼女の言葉の端から、こちらをからかってやろうとする意図が見え隠れしている。それに付き合ってやる必要は無い。
「別にニャーは気にしないにゃ。それとも優はこれぐらいの事で気にするのかにゃ? 彼女さんは大変にゃねぇ」
「そんな人はいない……。それよりニャンコさんは俺の彼女じゃないだろ。それに誰にでも、こんなことしないほうが良いよ。からかうのが目的なら、俺ストレッチでもしたいんだけど」
俺は無理に立とうとした。しかし、その時に彼女の憂いげな顔を見てしまったため立てなかった。
「そにゃー、三割くらいはそうだにゃ。けど、七割は本気だにゃ」
「会ったばかりの、こんな芋っぽい男にか」
俺はニャンコさんの顔に戸惑いながらも、彼女に質問する。
「優がいたら海洋権争いは貰ったも同然にゃ。だから、ニャーの好きなお魚さんが食べ放題にゃ……。それと――。「失礼します」
ニャンコさんの言葉を遮るように、レムコさんが帰って来た。
「ニャンコさん。私に用事があったのでは? おそらくワンコさんの事だと思いますが、それで合っているのでしたら、もう解決しましたので先に食堂に行って下さい」
「わかったにゃ。あとは頼むにゃ」
そう言ってニャンコさんは俺の膝から離れ、食堂へ向かおうと扉を開けようとした時だった。急に振り返りこちらに話しかけてきた。
「髪型は長めの方が似合うと思うにゃ。けど、顔は可愛らしいにゃ」
彼女は俺の反応を見もせず、そのまま部屋を出て行った。
「ははは、彼女、手慣れていますね」
俺は苦笑いを浮かべながら、レムコさんを見た。彼女は真顔のままだった。
俺の視線を余所に、その顔のまま彼女は「手慣れていませんよ」と言った。俺は「え」と思わず言葉を漏らした。
「彼女、他の国の水産会社の同族の若手イケメン社長に言い寄られていましたけど、『そんな軽い女じゃないにゃ』って、無愛想に断わっていました。それに、男性に今みたいな行動や言動をしているところを見たことがありません」
確か、ニャンコさんは自分の好きな魚が食べ放題と言っていた。それなら水産関係の社長なら俺なんかより、魚を食べさせてもらえるだろう。となると、それは本音ではない。
それを言った後、「それと」と言い淀んでいた。それが関係あるのかも知れない。そう思っていたら、彼女が答え合わせをしてくれた。
「彼女は他の国の戦争孤児なんです」
なんでも、ニャンコさんはこの国の北東にある国の出身らしく、その国では野球を使わず、人間と魔族が海を挟んで、武力による戦争を繰り広げていたらしい。今は両方が疲弊してしまっているため一時休戦状態で、野球による決着も視野に入っているらしい。
彼女が暮らしていた村は海の側だったため、五年前にこちらに疎開してきたそうだ。なんでもこちらの国とその国は協定を結んでいて、ある程度疎開を受け入れているらしい。
ただ、彼女の父親は戦死し、母親は物心ついた時には、いなかった為、孤児となってしまった。
「最初、彼女は野球を戦争の代替品としてしか見ていませんでした。けれど野球を通じて、仲間と触れ合い、今は心から野球を好きになっています」
「だからか……」
彼女も俺の野球の才能にしか目を付けていない。そう思ってしまった。
最初、俺は彼女に共通点を見つけた。それは、野球を好きで始めたわけではないことだ。
俺は、親がいない一人の家に帰るのが嫌で、野球を始めた。彼女は、戦争の代わりとしてだ。
ただ、彼女は野球を好きになった。それなのに俺はどうなのだろう。
今、俺が感じたのは、怪我が治り野球ができるようになった嬉しさより、また怪我した時の恐怖だった。
俺が野球をできなくなったら彼女や他の皆はどう思うのだろう。そんなことを考えてしまった。
「どうかされました?」
俺の顔色を読んで、励まそうとしてくれているのだろう。俺はその言葉を真剣に聞かず、流すことにした。
「なんでもありません。それより昼食は大丈夫でしたか? なんなら昼ぐらいなら抜いても……」
「そっちは大丈夫です。なので呼びに来ました。食堂に行きましょう。食事が終わったらすぐに反省会もするそうです」
それなら、スコアブックも持って行こう。今日の試合については聞きたいことが山ほどある。
俺はレムコさんに連れられ、食堂へと向かった。