殺人野球②
「あの野郎、ふざけ――。って、うわ!」
俺は相手バッターを睨みながら、ベンチから立ち上がりマウンドに駆け寄ろうとした。だが最初の一歩目で、こけてしまった。
キャプテンや俺の後ろのベンチにいた者、守備についていた者がマウンドに駆け寄る。それを遠巻きにマネージャーが見守っている。
俺はその輪に加わろうとしたが、自身の体の違和感と周囲に思考がいってしまった。
ただマウンドに駆け寄ろうと足に力を入れただけだ。それなのに何で地面に小さなクレーターが出来てしまっているのだ。
そして、明らかに自分が入れた力以上に足に負担が掛かったのを感じた。
俺は立ち上がり、おそるおそる自身の足に力を入れて、マウンドに駆け寄ろうとする。
ただ今回は、何事も無かったように普通に走り出すことができた。
おそらく即席で球場を造ったことによる弊害だろう。地面の一部に異常が現れたのだ。そして自分が覚えた違和感は気のせいだろう。そう思い皆に遅れてマウンドに走り出した。
「大丈夫だ」「本当だな」
俺がマウンドに向かうころには話が終わっていた。続投するようだ。
やっぱり、ドラゴン顔だけあって体も丈夫なのだろう。
俺は乱闘にならないかヒヤヒヤしながら、その様子を遠巻きに見ていた。するとワンコさんが俺に話しかけてきた。
「新人君。派手にこけていたね」
「見られましたか」
「うん、ばっちり。まぁ、気にする必要はないよ。一番に駆け付けようとしていたのをボクは知っているからさ」
そう言ってワンコさんは俺の背中をポンポンと叩く。
「まぁ、乱闘とかになったらまずいですからね」
俺は正直に胸の内を話した。実際、彼の心配はあまりしていない。ドラゴン顔なのだから体も丈夫だろうと思っていたからだ。それより心配していたのは乱闘になることだ。人間と魔族が素手で戦うのだ。人間側に最悪死者が出るだろう。
しかし彼女は俺の考えに怪訝な反応を示した。
「そんなことになるわけないよ。本気で言ってるの?」
「冗談です」
俺は思わず、取り繕うための言葉を口にしていた。それは真面目そうな彼女にそんな顔をされるとは思っていなかったからだ。
「そりゃそうだよ。もう試合が再開するみたいだからベンチに帰りなよ」
ドラゴン顔の彼の投球練習が終わった。少し違和感があるみたいだが、投げられはするそうだ。
それなら、無理に俺が出ていく必要は無いだろう。投げたがっている奴を無理に引きずり下ろすのは俺の趣味じゃない。
ただ肩は作っておこう。こっちの攻撃になったら、ニャンコさんかワンコさんにお願いしてキャッチボールに付き合ってもらおう。
そう思い俺は、さっき貸してもらったグラブをはめる。ある程度使い込まれていて、変な癖がついているが支障はない。
「にゃにゃにゃー」
「アウト」
ニャンコさんの声が聞こえ、俺はグラブからグラウンドに顔を向ける。
ドラゴン顔の彼は、二番バッターをセカンドゴロに打ち取ったようだ。
ニャンコさんの送球は、ふんわりとしたものだった。ただ打球のコースがセカンドベース付近、センターへ抜けるのではないかといった所からの送球のため、それは仕方ないだろう。貶すのでは無く追いついたことを褒めよう。
そんなことを考えていたら、ドラゴン顔の彼は三番バッターを一球で、またセカンドに打たせた。ただ今回はニャンコさんの真っ正面だ。しかし――。
「楽勝にゃ。っと、にゃ」
彼女はイレギュラーバウンドしたボールをお手玉してしまった。けれど、バッターが真面目に走ってなかった為、送球は間に合った。
「アウト」
一塁塁審の無機質なコールと共に守備陣がベンチに帰って来る。笑顔があるのは、二遊間の犬猫コンビだけだ。他は硬い表情を浮かべながら戻って来た。それを一番にキャプテンが迎え入れる。
「お疲れ。レイ、トップバッターだが大丈夫か?」
「大丈夫だ」
そう言ってドラゴン顔の彼、レイさんはバットを持ってすぐにバッターボックスに向かって行った。
相手の先発は、あのチャラチャラした奴だ。そいつが今、投球練習をし始めた。
そいつの球は遅かった。いくら練習とはいえ、本当に少年野球レベルの遅さだった。
ただ奴の性格上やる気がなく、テキトウに投げているかもしれない。
一応注意深く相手を観察していたが、何も起こらないままチャラ男の投球練習が終わった。結局一球も速い球を投げなかった。それどころか、最後の一球はホームベース手前でワンバンしていた。変化球を投げたわけではなく、球に力がこもっていなかったからだ。
「お願いします」
チャラ男の投球が終わると、レイさんが審判にお辞儀をし、左打席に入る。
通常、右投げの投手が左打席に入るのは褒められたものではない。相手に利き手側の肘を直接晒すことになるからだ。死球でも当てられると、モロに、投球に影響が出る。
だから自分が応援していた球団のそういった投手は、監督から利き手と同じ側の打席に入れと命令されていた。ただそれは、通常プロ野球では一部例外があるが、投手に打力は求められない。なんなら投球に影響が出るからとわざと三振する場合もある。
しかしレイさんは違う。一番バッター、チームのリードオフマンとして打席に立っているのだ。だから内角に来た球を避けずに振りにいかなければならない。
俺は危ないなと思いながら打席を見守ることにした。さきのバット投げの件がある。わざと死球を投げてくる可能性が十分高い。しかしチャラ男の球なら避けられる。最悪、肘や頭など危ない所ではなく、背中などに当たるようにできるだろう。そう思ったからだ。
しかし、その予想は外れそうだ。
「ボールスリー」
初球から三球続けてのボール球。それも投球練習より少し速いが、コントロールが全然定まっていない少年野球レベルの球速の球だ。
「レイ、振らなくていいにゃー」
ネクストバッターズサークルのニャンコさんの言うとおりだ。このまま死球だけ気をつけていれば、相手は勝手に自滅しそうだ。そう思い俺は、肩を作るべく八番バッターのワンコさんにキャッチボールを頼もうとしたその時だった。チャラ男が動いた。
先ほどまでセットポジションから投げていたチャラ男が、初めてワインドアップで投げようとしたのだ。セットから投げてあの制球だ。ワインドアップで投げるのは余計に制球を定められないだろう。ヤケになったかと俺は思った。けれどそれは違った。
「危ない!」
それに反応できたのは俺だけだったのだろう。声を発さなかったベンチの人たちはもちろん、打席のレイさん。いや、相手チームは反応出来たであろう。
「うッがーァ」
「デッドボール」
レイさんが悲痛な声を上げるが、審判は淡々とそう告げる。
チャラ男が投げた球は、一直線にレイさんの肘に当たった。それも、今までで一番速い球。恐らくレイさんより少し速い。
「レイ!? 大丈夫かにゃー!」
一番近くにいたニャンコさんが、いの一番に彼のもとへと駆け寄る。それに続くようにベンチの皆が飛び出した。
俺は今度こそ乱闘になると思った。一回目のバット投げの時点で乱闘にならなかったのがおかしなくらいだ。
しかし、そうはならなかった。こちら側の選手は全員、相手には詰め寄らずレイさんのもとへ駆け寄った。そして相手ベンチからは誰も出て来ていない。それどころかニヤケ面を浮かべている。
その異常事態の中、俺だけはチャラ男に詰め寄ろうとしていた。
「お前、いい加減に――。「やめてください、江夏さん」
聞き覚えのない声が、俺の右肩を掴む。振り向くと、俺の肩を掴んでいたのは、マネージャーさんだった。
「何でですか。明らかにわざとでしょ」
「だから、殴りにでも行くんですか?」
いや、そうじゃない。あんな奴殴ってもしかたがない。グラウンドで、プレイ以外での怪我など選手として恥だ。ただ、仲間がわざと怪我をさせられたのに怒らないのは違う。だから俺は……。
「いや、すみませんでした」
少し頭に血が昇っていたようだ。あのままチャラ男に向かって行ったら、絶対殴っていた。この子に感謝しなければならない。
「いえ、気持ちは私も同じですから……」
怒った表情だった彼女だが、今、少し笑顔になった。
お互いに、気まずいものを抱えながら、俺とマネージャーの子は、レイさんのもとへと遅ればせながら向かおうとした。だが、チャラ男がそれを邪魔してきた。
「おーい。そこの君。そのボール拾って投げてくれよ。取りに行くの面倒だからさ」
チャラ男がそう言うと、マウンドに集まっている野手たちもニヤニヤしながらこちらを見てくる。
きっと、俺が喧嘩っぱやい奴だと思い、わざと煽っているのだろう。俺は、レイさんたちの方を見た。ニャンコさんが飛びかかりそうになっていた。それをキャプテンとワンコさんが抑え込んでいる。
「江夏さん」
マネージャーの子が俺の右腕をギュッと掴む。さっきは気が付かなかったが、彼女の手の感触は石のように硬かった。きっとゴーレムみたいな種族の子なのだろう。
「ええ、分かってます」
俺は、彼女を安心させるために笑顔で返事をする。そして自分の足元のボールを拾った。
「いきまーす」
肩に違和感はない。ただ、出来上がってはいない。
俺は腕を頭上へと振り上げ、右足を上げる。
「早く投げろよ。ベンチのへたくそ」
俺に魔法の真偽判定を行った相手のキャッチャーがそう言うと、マウンド上で笑いが起こった。
それを無視して、俺は思いっきり腕を振った。そして――。
「フォームだけは一丁前だ――。なぁ? あれ?」
風切り音がチャラ男の頭上を通り過ぎただろう。
「すみませーん。投げる直前に、怪我させたら悪いと思ったんで、変な所投げちゃいましたー。外野の人に捕ってもらってくださーい。外野の人お願いします」
かなりイヤミたらしくチャラ男に俺はそう言った。俺はボールを彼の頭上、グラブを伸ばしても取れない位置へと投げた。一応、外野の人は今回の件に関わっていないかもしれない。だから、彼には丁寧な口調で頼んだ。
俺の球に誰も反応出来ていなかった。俺がワインドアップで投げようとした時に、早く投げろとか言っていた周りも一気に静かになった。