第六章 10 この世界
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翌朝は、目覚まし時計をかけなかったこともあり、朝の七刻すぎまで三人とも寝ていた。
それからゆっくりと起きだし、身支度を整える。昨日の疲れは残っているが、それを上回る満足感が三人を満たしている。
ゆっくりと朝食を済ませた後、鑑定屋に向かうことにした。
今日は朝からいい天気で、三人はますます晴れやかな気分になった。
「ヴァルルシャの服、破れちゃったね」
リユルがヴァルルシャのローブの裾を見ながら言う。昨日、氷竜との戦いで引き裂かれたのだ。
「繕うか何かしないといけませんね。とはいえ、まずは鑑定屋に行きましょう。昨日の氷竜がいくらだったか早く知りたいですし」
「水獅子やオーガの何倍も強かったんだで、きっと高いよね。鑑定屋から出たら、服屋か仕立て屋みたいな店を探そうよ」
そんな話をしながら三人は鑑定屋にやってきた。あまり混んではおらず、すぐに窓口に向かうことができた。女性の職員と女性型のファスタン・カンティーがいる窓口だった。
三人は蓄光石を差し出す。
「では、鑑定いたします。こちらの蓄光石に蓄積された功績は……」
精霊はそこまで言うと、しばらく沈黙した。
そして、こう言った。
「魔王を倒されたようですね。おめでとうございます」
「……えっ?」
ユージナも、リユルも、ヴァルルシャも、そう言って顔を見合わせた。
「氷竜を倒されたのですね。氷竜は100,000テニエルですので、三人で倒されたので、おひとり様33,334テニエルとなります。それからオーガなどの分がございますので、こちらの蓄光石に蓄積された功績は……35,484テニエル、35,484テニエル、35,484テニエルとなります」
三人が黙っていると、人間の職員が声をかけた。
「精霊の鑑定にお間違いはございませんか?」
三人は顔を見合わせていたが、代表して、ユージナが質問した。
「あのう、魔王を倒したって……? 魔王予報とか出てなかったんじゃ……?」
職員は笑顔で答えた。
「昨日、魔王発生の予報が出たところだったんですよ。さっそく倒されたんですね。しかもお三方でとは、すごいですね」
そう言われて、三人は魔王予報の掲示板を振り返る。やや遠いが、『魔王出没注意』という張り紙が増えているのが見える。
「でっでも、氷竜が、魔王だったの?」
「魔王というのはもっと、険しいダンジョンの奥深くに出るのでは?」
リユルとヴァルルシャも職員にそう尋ねる。
「100,000テニエルを超える魔物は、魔王と呼ばれます。魔王を倒された方には、蓄光石の光とお引き替えする金額とは別に、国からの賞金をお渡しします。氷竜は魔王の中では下級のクラスですので特別報酬は10,000テニエルとなりますが。お三方にお分けする場合は、端数は切り上げになりますので、おひとり様3,334テニエルとなります」
三人が黙っているので、職員がもう一度尋ねた。
「精霊の鑑定にお間違いはございませんか? 特別報酬も、お一人ずつにお分けしてよろしいですか?」
「あ……はい……」
三人はうなずく。
「でしたら、お金を準備いたします」
職員は準備を始めた。金額が大きいからか、特別報酬があるからなのか、窓口から奥に下がって他の職員とも何かを話している。
「では、こちらの書類にサインをお願いいたします」
戻ってきた職員が一枚の書類を差し出した。そこには、こう書かれていた。
『魔王退治特別報酬受取書
退治された魔王:氷竜(100,000テニエル)
特別報酬:10,000テニエル
戦闘参加者三名に分割(各3,334テニエル、端数切り上げ)
参加者名』
目の前にその書類が置かれ、羽ペンとインク壺が差し出される。
職員に促され、『参加者名』の後に、ユージナ、リユル、ヴァルルシャ、と、それぞれが自分の名前を書いた。
「お待ちください」
職員はそう言って書類を受け取り、お金の乗った三つのトレイを差し出した。
「こちらの蓄光石の光と交換する分が35,484テニエル、それから特別報酬分が3,334テニエル、合わせて38,818テニエルとなります。ご確認ください」
トレイにはそれぞれ、38,818テニエルずつが乗っていた。三人がうなずくと、精霊が言った。
「では、光を吸い取らせていただきます」
精霊が蓄光石に手をかざすと、光が吸い取られ、蓄光石は元の黒い色に戻った。三人はお金と蓄光石をしまう。
「またよろしくお願いします」
頭を下げる精霊と職員に見送られ、三人は窓口を離れた。三人とも黙ったまま、足は魔王予報の掲示板に向かう。
掲示板には『魔王出没注意』と大きな字で書かれた張り紙が増えていた。その下には、もう少し小さい字で詳細が書かれていた。
『報告されている魔物退治の量に対して、精霊の力の使用量が上回っています。魔王が発生する恐れがあります。魔物退治の際は注意してください。
魔王を倒した方には魔王の強さに応じて特別報酬をお渡しします』
その横には、こんな張り紙もあった。
『魔物退治の量を正確に把握するため、蓄光石が金色になっても鑑定していない魔物狩り屋を見かけたら、こまめに鑑定し、魔物を退治した数を国に報告するように伝えてください』
三人がぼんやりそれを眺めていると、職員がやってきて、『魔王出没注意』と書かれた張り紙をはがし、『現在、魔王発生の予測はありません』と書かれた紙を貼りなおした。
「なんだ、先を越されちまったのかよ」
掲示板を見ていた他の魔物狩り屋が、三人の横でそう声を上げた。
「予報っつっても誤差があるから、目撃情報が出るまで待とう、なんてお前が言うからだよ」
「だって情報収集は必要だろ。予報が出た昨日の今日で魔王が倒されるとは思わねーよ」
「弱い魔王だったら、普通に魔物狩りをしようとした奴らが偶然、魔王と遭遇して倒しちまったのかもな」
「しょーがねーや。また次を待とう」
魔物狩り屋たちは仲間とそう話し合い、雑談しながら去っていった。それほど悔しがっている様子ではなかった。
鑑定屋にいる他の魔物狩り屋も、魔王予報の掲示板の変化を珍しいことではないという表情で眺めているようだった。
「……端数は切り上げなんだ」
ようやく、リユルがそう言った。
「……そうみたいですね」
ヴァルルシャが答える。最も気にするべきはそこではないのだが、三人ともぼんやりしてそれ以上のことが考えられない。
「……とりあえず、どっかお店に入ってお茶でも飲まん?」
ユージナの言葉にリユルもヴァルルシャもうなずき、三人は呆然としたまま鑑定屋を出て、近くの飲食店に入り、テラス席に座って飲み物を注文した。
朝食でも昼食でもない時間なので他に客はおらず、道を歩く人々を眺めながら、その間も三人は無言だった。
運ばれてきた飲み物に口を付け、味覚からの刺激を受けたことで、やっと少しずつ頭がはっきりしてくる。
茶でのどを潤し、ユージナがようやく、こう言った。
「……うちらが倒したの、魔王だったんだね」
その言葉をじっと聞いてから、リユルがつぶやいた。
「……魔王って、いろいろいるんだね」
「そういえば、『魔王は勇者にしか倒せない特殊な存在ではなく、ただものすごく強くなった魔物』という扱いにしよう、という話をしましたものね」
ヴァルルシャが言い、三人はその時のことを思い出す。
『あいたちにとっての精霊は、現代日本人にとっての電気やガスみたいなもの、ってことにするんだね。便利だけど、使うと魔物が生まれ続ける……それで、精霊のストレスが規定値を超えると定期的に魔王が誕生するってことにしようよ! 一回倒したら終わりじゃなくてさ。それなら、他の人に先を越されても、レベルを上げて再チャレンジに備えるとかできるでしょ? 大きな目的がずっとあるから、物語が行き詰まらないよ!』
この世界における、魔法や精霊や魔物の設定を考えた時に、リユルがそう思いついた。
『魔王は、選ばれた勇者にしか退治できないような特殊な存在じゃなくて、ただめちゃくちゃ強くなった魔物、みたいな扱いでいいのかな? 強い分、倒すと国から特別な賞金が出るとこが他の魔物と違うぐらい?』
『そうですね。魔王を退治した者に国が賞金を出すのは、特別に予算を組んで一つの公害問題を解決するようなもの、と考えたらどうでしょう。報酬があれば人は頑張りますから』
魔王の設定を詳しく考えた時に、ユージナとヴァルルシャもそういう話をした。
「……だから、つまり、ある程度強くなった魔物はみんな魔王で、小規模なものもいるってことだ」
リユルの言葉に、二人もうなずいた。
「魔王退治を目指すならこのぐらいの魔物には勝たんと!って思って必死に氷竜を倒したけど、あれも魔王扱いされとったんだね……」
「我々の目的である魔王退治、果たしてしまいましたね……」
ユージナもヴァルルシャも気が抜けたようにそう言った。
「……でもさ、あいたちがそうやって話していたあの暗闇から、世界はここまで広がってきたんだよね」
リユルが、背筋を伸ばして二人の顔を見る。
書き途中のまま、もしくは設定だけ作って物語すら書かれないまま、放置されていた自分たち。
それが嫌で、自分たちで世界を動かそうと決めた。
現れた自分たちは、ユージナ、ヴァルルシャ、リユルと名乗り、暗闇の中で、新たな世界の設定を考え始めた。
「……最初は、本当に何もない暗闇だったもんね」
ユージナが、懐かしそうにその時の様子を思い浮かべる。
「魔王の設定を考えた時だって、部屋ができている程度で、部屋の外の様子なんてほとんど決まっていませんでしたものね」
「そうそう。それで、少しずつ設定が固まっていって、外に出て、あいたちが考えなくてもその場所にリスタトゥーの宿屋って名前がついて、北にも町があることになって……。そうやって、あいたちはここまで来たんだよ」
三人は、その事実を噛みしめる。
「我々が動き出さなければ、今のこの世界は無かったんですよね」
「うちらが途中で投げ出しとっても、世界は止まったままだったよね」
そして、リユルが言った。
「そう。それにさ、まだ終わりじゃないでしょ? 魔王はこれからも生まれてくるんだから」
精霊のストレスが規定値を超えると定期的に魔王が誕生する。ここはそういう世界なのだ。
「魔王を倒して、めでたしめでたし、という世界にはしませんでしたからね。この世界で我々が生活している限り、魔王は生まれ続けるんですものね」
「最終回によく出てくるセリフ、『俺たちの戦いはこれからだ』みたいに……うちらの戦いはこれで終わりじゃないんだよね」
「もっと強い魔王を倒すことを目標にしてもいいし、今度は違うことを目標にしてもいいんじゃない? あいたちが動けば、世界はもっと広がっていくよ」
魔王を退治した、と鑑定屋で告げられ、三人はしばらくの間ぼんやりしていた。氷竜が魔王だったこと、魔王退治という目標が突然無くなってしまったことに、頭が付いていかなかった。
だが、目標は一つの通過点でしかないのだ。新たな目標を設定すればいい。歩みをやめなければ、もっと遠くまで行けるはずだ。
三人の顔から呆然とした表情は消え、これから先への期待と希望があふれ始めた。
「弱いと言っても魔王を退治できたので、次は違うことを目指すのもいいかもしれませんね。もちろん魔物狩りは続けて、強くなればいずれもっと強い魔王とも戦えるでしょうし」
かつて放置された物語で魔王退治を達成できなかったヴァルルシャが、今は、穏やかな表情で言う。
「焦って次の目標を決めなくても、ゆっくりでもいいよね。寄り道するのも楽しいだろうしさ」
リユルが笑顔で言う。
「寄り道することでまた世界は広がってくもんね。今度は世界を見て回ることを目標にしてもいいかも……あっそうだ!」
満足そうな顔で言うユージナが、何かを思いついた。リユルとヴァルルシャが「何?」という顔でユージナを見る。
「こないだ鑑定屋で、『この世界の名前は何にしよう』って話をしとったよね。うち思いついたんだけど……。
『コオンテニウ』って、どう?」
ユージナが示した言葉を、リユルとヴァルルシャも口にする。
「コオンテニウ……」
「コーンテニゥ……」
「コン……テニュー……」
「『コンティニュー』!!」
二人はその意味を理解した。
「世界がどこまでも続いてく、広がってくような名前がいいってうちら考えとったでしょ? コンティニューなら、それにふさわしくない?」
ユージナの思いついた名前に、二人はうなずいた。
「いいと思うよ。あいたちが最初にいたのが『リスタトゥーの宿屋』だし。リスタートとコンティニュー。つながってるよね」
「世界の広がりを感じさせる、いい名前だと思います」
三人は微笑み合った。
「『剣と魔法と冒険の世界、コオンテニウ』……。それが、うちらのおる世界……」
「魔王を倒しても終わりじゃない、日常生活の続く世界、コオンテニウ……ですね」
「このコオンテニウの世界には、他にどんなものがあるんだろう。あい、早く見たくなってきた」
三人は先ほど鑑定屋で見せていた放心した顔とは全く別の、生き生きとした表情になっていた。手元の飲み物を飲み干し、大きく息を吸う。
「この世界を、もっと見て回ろう」
ユージナが言った。
「うん。あいたちのいる、コオンテニウの世界をね」
リユルが言った。
「どんな世界が広がっているのか、楽しみですね」
ヴァルルシャが言った。
三人は立ち上がり、期待に満ちた表情で歩き出した。
To Be Continued




