第六章 02 靴屋
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「店に精霊や店主の名前を付けるとは限らんのだね」
ユージナが、店を振り返りながら言う。最初は雨でよく見ていなかったが、店には『雑貨屋・木陰』という看板があった。
「なんで木陰なんだろ……。あいたちが雨宿りで入ったから? それとも、偶然そんな名前だっただけかな? おしゃれな名前だもんね」
リユルもレインコートの下に持っている紙袋を撫でながら、相槌を打つ。
「どちらにせよ、いいものが買えましたね。これなら、宿までゆっくり歩いても濡れずに済みそうですね」
ヴァルルシャがユージナとリユルに言った。水滴はレインコートから転がり落ちていくし、中は蒸れないのでべたついた感じが全くない。
「うん、でもその前に、鑑定屋に行かん? 結構お金使っちゃったし、光がまた溜まってきとるでしょ」
「そうだよね。今も金色だもの」
ユージナの言葉にうなずき、リユルが服の上から蓄光石に触れた。
五日ほど前にも、鑑定屋に行って換金した。蓄光石が金色になっていたからだ。その時は三人それぞれに8,522テニエルが渡された。ユージナもリユルも生理で休んでいないので三人とも同じ金額になった。
それからまた五日ほど森で戦っていたので、三人の蓄光石はまた金色に輝き始めていた。
三人は雨の中、鑑定屋に向かった。
「水たまりができとる。二人とも靴だでいいけど、うちは草履だでべちゃべちゃだなあ……。ていうかこれ草履? わらじ? ろくに資料も調べずに何となく設定されたもんだから謎の履き物だわ……。
何にしても、さっきの店にも長靴みたいなのは売っとらんかったよね。せめてこれが地下足袋だったらいいんだけど……」
ユージナが石畳に溜まった雨水をよけながらそう言った。ヴァルルシャは革靴、リユルはブーツだったが、ユージナの履き物はあまり足を覆わない構造だった。
ユージナの履き物は、親指の股を通るひもが後ろまで伸びて足首まで固定できるようになっているところはわらじっぽいが、そのひもは藁ではなく、草履の鼻緒のような布製だった。全体的にも、藁というよりは布製のようだが、よくわからない。
「ルームシューズとして、『布ぞうり』なんてものも現代日本にはあったよね。外反母趾にいいとか言って。そういうのが想定されてたのかなあ。何にしても、ずいぶんぼろぼろになってきてるよね」
リユルがユージナの足元を見て言う。
「うん。きみらみたいに革とか、せめてもっと丈夫そうな布だったらいいんだけど。新しいのを買うとしても、中世ヨーロッパ風世界に和風の履き物なんて売っとるんかな?」
「大きな町ですし、和風の商品を取り扱う店があってもいい気がしますが……『和風』?『東洋風』? 日本語訳しているという建前ですけど、『和』で日本を現しちゃっていいんでしょうか。『東洋』と言ってしまうと、東の方にユージナさんの出身地があることが確定してしまうでしょうし……」
ヴァルルシャに言われ、ユージナは少し考えてから答えた。
「『和』が日本の意味になるのかもそうだけど、そもそも『日本』って呼んだら異世界感が無くなってしまわん? それにうちの着とるのは嘘っぱち着物と履き物だもん、リアルな日本じゃ無くて、ファンタジーの、それっぽい国なんだよ。なんか架空の名前にしとかんと……。まあそれは今決めんでもいいけど。
だで、『東洋』ってくくりにしとくのがいいんじゃないかな。ざっくりと『東の方の海の向こう』ってぐらいで。方角ぐらいは決まっとった方が後から細かい設定も乗せやすいだろうし」
「ユージナがそれでいいんなら、いいよね。てことは、『日本刀』も『東洋刀』って呼んだ方がいいのかな?」
リユルが言い、ユージナはうなずく。
「そうだね。それか、ただ『刀』って呼ぶか……。シャムシールとかサーベルも刀って呼ぶもんね」
そんな話をしていると、ヴァルルシャが声を上げた。
「あ、靴屋がありますね」
三人は交差点に差し掛かっていて、角のすぐ横に『靴屋・旅人の友』と書かれた看板があったのだ。
「タイミングいいねえ……。まあせっかくだし、入っていこうよ」
リユルが言い、三人は角を曲がって靴屋に入ることにした。
店は、晴れた日は道路に面した大きな扉を広く開けて品物を陳列するのだろうが、今は雨なので扉を閉ざしていた。だが、ドアノブに『営業中』と書かれた札がぶら下がっている。
屋根は道に大きく張り出しており、三人は軒先でレインコートの水気を払った。少し振るだけで水滴がすぐに流れ落ちていく。脱いだレインコートをたたんで手に持っても、乾いた布を持つようにさらっとしていた。
店に入ると、さまざまな靴が並べられていた。男性用、女性用の両方があったが、歩きやすそうな靴や登山靴のような丈夫そうな靴など、『旅人の友』という店名にふさわしい、魔物狩り屋向けの品ぞろえの店だった。
店の一角に『東洋物』と書かれたコーナーがあるので三人はそこに向かう。そこには、『つま先が二つに分かれた東洋スタイル! 足に力が入りやすいです』と宣伝文句が描かれていた。
「あ、地下足袋がある! ここで買ってこ」
そこには丈夫な布に頑丈な靴底の付いた、地下足袋が並べられていた。ユージナはそれを手に取り、自分の足に合うサイズを探す。
「確かに、つま先が分かれてると力が入るもんね。でもこれを履いてる人っていた? あいは見た覚えないんだけど」
「異国のスタイルだから使いづらそうとか、全身のコーディネイトに合わないとかで敬遠する人が多いんでしょうかね。だからこうして宣伝文句を書いてあるのかもしれません」
リユルとヴァルルシャがそう話していると、店の奥から人がやってきた。店の奥は靴の製作や修理を行う工房のようだった。やってきたのはまだ若い男性で、店主ではなく弟子か店番だろうと思われた。
「そうなんですよ、一度履いていただければお気に召してリピーターになってくださる方も多いんですが……。試し履きなさいますか?」
地下足袋を選んでいたユージナが店員に振り返った。
「あ、試し履きってしてもいいんですか? でも今、濡れとって……」
「あ、東洋の方がいらっしゃるんですね。でしたら地下足袋にも馴染みがおありですね。今、拭く物をお持ちしますから」
店員は店の奥からタオルを持ってきてくれたので、ユージナは足を拭き、地下足袋を試着した。
「じゃあこれ、一つはこのまま履いていって、もう一つは持っていくことにします」
ユージナは地下足袋を二足買うことにした。一つは今履く用、もう一つは、地下足袋がどこでも買えるとは限らないだろうと考えての予備だ。
「あ、室内履きもあるんだ」
店内の他のところを見ていたリユルが一か所に目を止める。そこには、『宿でくつろぎたいときに……携帯用スリッパ』という宣伝文句が書かれていた。
その売り場には、現代日本のトラベル用品の折りたたみスリッパのような、薄くて軽そうな履き物が並べられていた。
「いいですね。お風呂の後でくつろぎたいときに、こういう履き物があると便利ですよね」
ヴァルルシャがそう言って品物に手を伸ばす。
「そうだよね。一つ買ってこ!」
「うちも欲しいわ」
リユルとユージナもそれを買うことにした。
地下足袋は300テニエル。室内履きは100テニエル。
リユルとヴァルルシャはそれぞれ室内履きを雑貨屋・木陰でもらった手さげ袋の中に入れた。
「今までの履き物はどうなさいますか?」
店員が、ユージナの買った地下足袋の一つを紙の手さげ袋に入れながら尋ねた。もう一つの地下足袋を履いて店を出るのだから、今まで履いていた物は不要になる。ユージナはしばらく考えたが、こう答えた。
「……持って帰るんで、同じ袋に入れてください」
ユージナは新品の地下足袋の袋に、わらじか草履かよくわからないそれを、泥を払って入れた。
レインコートを着て、外に出る。三人は元の道に戻って歩き出し、少ししたところで、リユルが言った。
「あいも、最初に着てた水着みたいなやつ、ずっと大荷物に入れて持ってるんだ。実用性が無いことは分かってるんだけど、捨てられないんだよね」
「うん。実用性も時代考証もされとらんものではあるけど、記録というか、記念品というか、そんな感じだもんね」
二人の言葉に、ヴァルルシャもうなずいた。
「時代考証も大事ですけど、それに囚われすぎて話を投げ出してしまったら本末転倒ですからね。どういう世界が見たいか、というのが、最も優先されるべきだと思います。十代の作者に作られた設定は稚拙かもしれませんが、情熱は込められていますものね。むしろ技術や知識が足りない分、情熱が突出しているのかもしれません。その結晶の一つが衣服のデザインなのですから、手放せないのは当然だと思います」
書き途中で話を投げ出されたヴァルルシャが言うと、説得力があった。
(かつての作品や設定が大事なのはみんなおんなじだ。うちがこの履き物を捨てられんように)
ユージナはそう思った。
「でも、あいもユージナも服をこうして変えてるけど、ヴァルルシャはそのデザインに不満はないの?」
リユルが尋ねる。ヴァルルシャの服はいわゆる『魔導士風のローブ』。上半身は長そで服、下半身は足首まであるロングスカートのような形状で、それが上下で一枚につながっている。その長いワンピースのような服を、腰のところをベルトで絞めている。
青地に白の上着を羽織ったようなデザインになっているが、重ね着ではなくそういう模様だった。
少し考えてヴァルルシャは答える。
「ズボンの上にスカートをはいているような状況ですが、布地が厚すぎず薄すぎずなので、体感温度の面では今のところ不満はないです。スカート部分無しでズボンだけの方が動きやすいのでしょうが、戦闘で私はそこまで走り回ったりしませんし、わざわざ変えなくてもいいかなとは思います。
髪の手入れが大変と言えば大変ですが、せっかくここまで綺麗な長髪なのですから維持しようと思います。整髪料も買いましたし」
「髪の手入れはやっぱ大変なんだなあ。でも本人が気に入ってるならいいか」
リユルが言い、ユージナもヴァルルシャも笑った。
和やかに談笑しながら、三人は鑑定屋を目指した。




