第五章 09 相談
09
西ファスタンの宿屋に戻り、近くの店で夕食をとる。今日はユージナ、リユル、ヴァルルシャだけだ。
宿に戻って休憩したのち、風呂に入る。
ルーリーンたちは食事も風呂ももう済ませて早く寝たのだろうか、どちらも遭遇しなかった。
宿屋の風呂で、ユージナとリユルは二人きりになった。
「……ねえ、今日はどうしたの?」
湯船につかりながら、おもむろにリユルは口を開いた。
「……えっ……」
同じく湯船につかっていたユージナが顔を上げる。
「ユージナ、なんか変じゃなかった?」
リユルの瞳に見つめられ、ユージナは顔を伏せる。
「……いや、なんにも!? なんにも変になっとらんよ!?」
ユージナはうつむいたまま首を振る。胸の、今日できた傷跡が目に入る。
「……でも、今日はありがとうね。これ……治してくれて」
ユージナはその跡に触れる。その痛みはもう無くなっている。
「なーに言ってんの! 物理攻撃する人がいなきゃ、あいたちだって困るんだから! 敵に飛び込んでいく人が一番怪我するのは当然でしょ! だから治すの。あいたちは三人で組んでるんだから、一人の怪我はみんなの怪我だよ。治せる人が治すの」
リユルはユージナの肩を叩いた。
「うん……ありがとう」
そして二人は風呂から上がり、部屋で寝る支度を整えた。ヴァルルシャはすでに戻ってきていて、自分の髪を乾かしていた。その表情はさっぱりしていた。
「リユルさん、ユージナさん、おやすみなさい」
ヴァルルシャは二人の顔を見て、そう言って部屋に入っていった。
「なんだか昨日よりさっぱりしてるね。……じゃああいたちも、寝ようか」
リユルがユージナにささやいた。
「うん、おやすみ」
ユージナはそう答えて部屋に入り、扉を閉める。
そのままベッドに向かおうとするが、足が止まる。
(……このまま隠し事しとっていいの? 三人そろって仲間だ、って言ってくれとったのに)
ユージナはしばらく立ち止っていたが、やがて踵を返し、部屋の外に出た。そして、リユルの部屋をノックする。
「リユル……ちょっといい?」
扉が開き、リユルが顔を見せる。
「なあに?」
「話が……あるんだけどさ」
そう言ってユージナはリユルの部屋に入り、扉を閉める。
「風呂場じゃああ言ったけど、やっぱうち、変だったよね」
「うん……まあ座んなよ」
リユルがベッドに腰かけ、隣に座るようにユージナに促す。
リユルの部屋は301。ユージナは302。ヴァルルシャは303。部屋一つ分の空間がある。
これなら言える。意を決して、ユージナはその言葉を口にする。
「……うち、ヴァルルシャのこと、好きになったのかもしれん……」
改めて口にすると、その言葉に自分で自分が動揺して、ユージナは頭を抱えた。
「あ、やっぱり? なんか変だなあと思ってたんだよ」
リユルはあっさり答えた。
「え!? わかる!? そんなにあからさまにわかる!? ヴァルルシャにも伝わっとる!?」
ユージナは顔を上げてリユルに問う。
「どうだろ……男の人にはわかんないかもしれないね。ていうか、いつからよ?」
言われて、ユージナは考え込む。
「……こないだまでそんな……特に好きとかそんなことを思った覚えは……いや、仲間としては好きだったけどね? 変に意識したのは、彼女……ルーリーンと出会ってから? いや、彼女と食事に行ってから、かな……?」
「うん……そうだよね。その前からユージナが変な様子だったら、あい、あの子たちを食事に誘ったりしないもん。ヴァルルシャだけがあからさまにあの子のこと気にしてたから、気を利かせたつもりで一緒に食事しようって言ったんだけどさ。そうか……」
リユルはしばらく考えた後、ユージナにこんなことを聞いた。
「ねえ、『ユージナ』ってどんな漢字を書くって言ってたっけ?」
「え? うちの名前の字? 『字の有る名』って書いて、『有字名』だけど?」
唐突にそんなことを聞かれてとまどいつつも、ユージナは答える。
「でも和風ファンタジーの設定だったんでしょ? 苗字は無いの? それって当時はどういう意味でつけられたの?」
「え……? どうって……。あれ……? でも、苗字……? 言われてみれば……思い出せん……」
ユージナは頭を抱える。
「あいたちさ、最初は何もない闇の中から始まったじゃない。そこから、世界を自分たちで動かそう、って思ったよね。それで、あいたちの姿が現れ、リユル、ヴァルルシャ、ユージナ、って名乗ったよね。その時初めて、あいたちはあいたちとして、動き出したんじゃないの?
あいたちの姿が『有って』、あいたちの『名前』が『文字』として『有って』、それで、あいたちは動き出せたんじゃないの? 『有字名』って、そういう意味の名前じゃないの?
世界のエネルギーに名前を付けて、精霊とか魔物の形に具現化する……。
まさにこの世界の設定そのものを現した、この世界のための名前じゃないの?」
リユルの言葉に、ユージナは頭を押さえ続ける。
「えっ……ちょっと待って……。てことは、『うちらが過去に描かれた物語』なんて無いの? うちは『ユージナ』としてあの闇の中から現れる前は、どこにもおらんかったの?」
「断片的な設定はあったんだと思うよ。ヴァルルシャみたいに書き途中のまま放置された物語や、かけらみたいなワンシーンの妄想とかはさ。
でも、この世界で、改めて自分の名前を名乗って、この物語の世界観で動き始めて、それで初めて、あいたちは今のあいたちになったし、今の物語も動き始めたんだよ。
だからユージナは、今のユージナに似た外見と名前のキャラだったかもしれないけど、この世界に現れた時に、名前や設定が変わったんじゃない?
しかもこの世界で『有字名』って名前を付けられたんだから、この物語の主人公はユージナなんじゃないの?」
そこでようやく、ユージナは顔を上げてリユルの目を見る。
「そんな!? 主人公って言うなら、うちら三人とも主人公だよ! だって闇の中から世界を動かしたこと、知っとるのはうちらだけだし! 三人そろって主人公がいいよ!」
そう言うユージナに、リユルは答えた。
「まあね。今のは、あいの推測だよ。闇の中から世界を動かしたのを知ってるのはあいたち三人だけかもしれないけど、この世界は同じ作者の中から飛び出してきたんだもの。この世界のすべては、作者の分身とも言えるし。
でも、誰が主人公かどうかはともかく、あいたち三人は特に作者とつながりが強いわけでしょ。今でも作者にシンクロして、現代日本ではどうだとか情報を得ているわけだし。でもそれ、ユージナが一番シンクロが強いと思うんだよね。訛ってることもそうだし、時計の設定の時だって、『作者が、時計が十進法ならいいのにって昔考えたことがあった』って真っ先に思い出したよね。
逆に、ヴァルルシャはシンクロが弱くなってると思うんだ。男だし、生理の話とかはやっぱりわからないし、作者にシンクロしづらいと思うんだよね」
「確かに……」
「で、ルーリーンは眼鏡してるでしょ。ヴァルルシャの様子から見て、当時も同じ姿だった、つまり『ルゥリィン』だったころも、彼女は眼鏡だったんだよね。
眼鏡、今のこの世界だから、鑑定屋の精霊が眼鏡してるのを見て、ヴァルルシャが『労働者階級にも普及してるんだ』なんて背景を推測したけど、ヴァルルシャのかつての物語の頃は、眼鏡の設定や背景なんて詳しく想定されてなかったと思うんだよね。
作者が眼鏡だから、ヒロインを眼鏡にしたかった……。それだけの理由な気がする。感情移入するために。
作者って眼鏡だったでしょ?」
リユルに確認され、ユージナはうなずく。
「しかも、当時の物語で、主人公はヴァルルシャじゃなく、『ルゥリィン』の方だったみたいなこと言ってたよね。
でさあ、ユージナは黒髪で、ルーリーンも黒髪でしょ。設定的にちょっと通じるところがあると思うんだよね。
ユージナ、最初の頃、『作者はヨーロッパ風ファンタジーに東洋人がいるのが好き』って言ってたじゃない。だからユージナの元になったキャラも、たぶん黒髪だよね。
で、今のこの世界でも、髪染屋で、『黒髪はすべての色を含んだ特殊な色』って言われてたじゃない。黒髪が少し特別扱いされてるよね。ユージナ、魔法が使えなくてもちょっとうれしかったでしょ。黒髪を特別扱いしてる世界観……それはつまり、作者が黒髪だからだと思うんだ。
今のこの世界でも世界観にそんな空気が残るんだから、昔はもっと強かったと思うの。黒髪を特別視するとか、黒髪のキャラは珍しいとか。ヨーロッパにいる東洋人って設定が好きなのも、そこから来てるんだと思う。
だから、黒髪のユージナも、黒髪のルーリーンも、作者とのシンクロが強いキャラだったと思うんだよね。
作者は眼鏡で黒髪の、物語やキャラクターを作って空想の世界で遊ぶことが好きな、生身の男と付き合ったことのない学生だった。そうだよね」
「うん」
「だから、物語の主人公を想像するときに、黒髪だったり眼鏡だったり、もしくはその両方だったり、自分に近い属性のある女の子を想定して、感情移入することが好きだったんじゃないかと思うの。
で、ヴァルルシャは『物腰穏やかで一人称が私の魔導士風の男』でしょ。それって作者の好みのタイプじゃない。
主人公である『ルゥリィン』の恋の相手、つまり作者が感情移入してる女キャラの、理想の王子様……。ヴァルルシャってそういうキャラだったと思うんだ。
だから、ユージナは、作者というか、『ルゥリィン』にシンクロしちゃったんじゃない?」
「……えっ?」
リユルの説をうなずきながら聞いていたユージナは、最後の結論部分だけ、理解が追い付かなかった。
「つまり、ユージナも『ルゥリィン』も、当時の作者が最も感情移入してるキャラだったんじゃないかって思ったの。
ヴァルルシャって、作者が中学から高校の時に作られたキャラだって言ってたでしょ。てことは十五歳ぐらいじゃない。もちろん同じ時期に『ルゥリィン』も作られたはずだし、こっちの世界のルーリーンも、見た目が十五歳ぐらいだったでしょ。
で、ユージナは……当時は別の名前だったかもしれないけど、ユージナの元になったキャラは、高校の頃に作られたって話でしょ。だから十八歳ぐらいじゃない。
当時の作者と同じ年齢で、黒髪。だから二人とも、作者が最も感情移入してる女キャラだったんだよ。
しかもユージナとルーリーンは身長も同じぐらいでしょ。ある意味、双子みたいなものというか……。生まれた時期が違うから、その時期に好きだった漫画やゲームや、作者の成長具合も影響して、ずいぶん違う姿になったけど、本質的には近いところにいたんだと思うよ。
で、今のルーリーンはかつて『ルゥリィン』だったことは覚えてないわけでしょ。でもヴァルルシャはかつての物語のことを思い出したじゃない。それは本人の記憶って言うか、作者にシンクロして、作者の記憶を探ってるわけだよね。
ヴァルルシャがそれをやったことで、ユージナに影響が出たんじゃないの?
ルーリーンがかつての物語のことを思い出さない代わりに、ユージナがその時の気持ちを思い出した……。そういうことじゃないの?」
ユージナはしばらく黙ってリユルの言葉の意味を考える。
「え……ってことは、うちは作者にシンクロして現代日本の知識を得るどころか、作者を飛び越して、作者が投影されとる、かつての『ルゥリィン』にまでシンクロしちゃったってこと? それで、『ルゥリィン』の気持ちをうちが思い出したってこと!?」
リユルはうなずく。
「うん。だって、ユージナが変にそわそわし始めたのって、ルーリーンと一緒に食事してからでしょ? 近くにいるから影響を強く受けたんじゃない?
あいは、ヴァルルシャより前、中学の最初の頃に作られたキャラだったはずだから、ユージナや『ルゥリィン』とは生まれ方が違う気がするんだよね。『魔法が何でも使えて、金髪でスタイル良くて美人の大人のお姉さんかっこいい!』みたいな、あこがれを集めて作られたキャラって気がする。自分で美人とか言うのもどうかと思うけど。しかも十九ってそこまで大人でもないけど。
だから作者の感情移入も少なくて、ヴァルルシャの過去の恋愛話を聞いても、あいは動揺しなかったんだと思うよ」
「……」
「あの闇の中から最初に現れたのは、あいたち三人だけだったじゃない。この三人が、最も思い入れがあったんだろうってヴァルルシャが言ったよね。
ユージナは、作者が今でも感情移入してる黒髪のキャラクター。
ヴァルルシャは、作者の理想の王子様。
だから、真っ先に浮かび上がってきたんじゃないかな。
『ルゥリィン』は、作者が十五歳ぐらいの頃は思い入れがあっただろうけど、その後、ユージナが……名前は今と違うかもしれないけど、ユージナの元になった黒髪キャラが生まれて、作者がそっちに感情移入するようになったから、ユージナに上書きされて、浮かんでこなかったのかもしれない。ユージナの後には、作者は物語やキャラクターを作ることをやめて、黒髪キャラが生まれなかったと考えれば、ユージナは作者が最後に感情移入してた黒髪キャラってことになる。だから今でも思い入れがあって、黒髪の女の子キャラといえば真っ先にきみが浮かんでくるんだよ。
で、ヴァルルシャは、物語の中である程度は形になってた、作者の好みのタイプの男キャラ。だから今でも思い入れがある。
そこになんであいが加わったのかよくわかんないけど、二人きりじゃ話が進まないから、こういうこと説明するために呼ばれたのかもね」
「そう……なのかな。そういうこと、なのかな……」
ユージナは考え込み、リユルも黙った。
しばらくの間、二人が息を吸って吐く音だけが部屋の中で聞こえていた。
「まあ、今の話は、全部あいの推測に過ぎないんだけどね!
でもヴァルルシャも言ってたように、名前が同じでも、過去に書かれた物語と、この世界にいる人間は、別の存在なんだよ。ましてや当時と名前が違うなら、それはもう別人なんだよ。今のあいたちは、この世界の中にしかいないんだよ。
だから、今の自分の気持ちで、もう一度よく考えてみたら? それでもヴァルルシャのこと好きだって言うなら、あいも応援するし」
リユルはそう言って、話をまとめた。
ユージナはしばらく考えて、リユルに答えた。
「ありがとう。自分じゃ思いつかんことをいろいろ気づかせてもらったよ。一人で考えこまんで、相談しに来てよかったわ。
リユル、なんで自分も最初の三人に……って言ったけど、うちにはわかるよ。作者が感情移入する黒髪キャラや、理想の王子様じゃなかったかもしれんけど、リユルはリユルで、作者に大事にされとったんだよ。だから、うちらと一緒に現れてきたんだよ。
リユルがおってくれて、よかった」
二人は、ほほ笑み合った。
ユージナはゆっくり立ち上がる。
「今日はよく眠れる気がするわ。ありがとうね」
「どういたしまして」
そしてユージナは扉を開け、自室に戻った。
ユージナは昨日とは異なった気持ちで、眠りにつくことができた。




