第五章 08 戦闘
08
森の中にも公衆トイレは設置されており、ユージナたちはトイレ休憩や昼休憩をとりつつ、ズーミー湖を目指した。
体感的には昼過ぎ、この世界の時計で言えば昼の三刻あたりだろうか。三人はズーミー湖にたどり着いた。
湖はかなり大きく、西ファスタンと同じぐらいはあるように見えた。森の木々も湖の上空を覆うことはできず、湖の上には青空が広がっていた。その色と、森の緑が湖に映っている。
対岸のあたりで他の魔物狩り屋が魔物と戦っているようだが、遠くて詳しくは見えない。湖は正円ではなく、岸辺が湖に食い込むような箇所も多いので、余計に見えにくくなっている。
「おっきいねー。すごい魔物が出てきそう」
リユルがそう言って湖を見渡す。
「こうやって、覗き込んどると、いっつも魔物が出てくるんだよね」
ユージナは警戒しつつ、湖の水面を覗きに行く。
「水の中から出てくるか、それとも周りから出てくるか、ですね……」
ヴァルルシャが水際の草木の茂みにも注意を怠らず言う。
湖から川が流れだす辺りには魔物は見当たらなかったので、三人は湖の岸に沿って歩いてみる。湖の水面はなだらかで、風がわずかに表面を揺らしていた。
しかし、突風が吹いたわけでもないのに、急に強い波が打ち寄せ始めた。
「魔物!?」
リユルが言い、三人は身構える。
三人の見ている前で、波は盛り上がり、形を成した。
水を粘土にして捏ね上げたような、透明な獣。
「水狼? いや、それよりも大きい……」
ヴァルルシャが声を上げる。それはかつて戦った水狼よりも大きく、姿も異なっていた。
「狼っていうか……猫? 猫っぽい!!」
ユージナの言葉通り、それは水で捏ね上げた猫のような魔物だった。
「ということは『水猫』でしょうか? でも猫よりも大きいので……豹? 『水豹』とでも呼ぶべきでしょうか?」
ヴァルルシャがそう言うが、リユルが答える。
「水の豹と書くと、確か『アザラシ』って読むんだったよ! 海の豹だったかもしんないけど……なんかああいう、水に棲む哺乳類のことだったはず!」
「ええと……では……虎? 水の虎……『水虎』ですかね?」
ヴァルルシャの言葉に、今度はユージナが答える。
「『水虎』って確か、日本で言う『河童』のことだよ! 元は中国の妖怪で、河童とは違っとったんだけど、日本に来て混同されたとかなんとか……。妖怪だで魔物と言えんことも無いけど、日本で言われとる『水虎』とは全然違うよ、これ!」
そう言っている間にも、その魔物は形を成し、水から岸へと一歩、歩み始めた。
「じゃあ、この魔物はなんと呼べば……」
ヴァルルシャがそう言ったとき、波が盛り上がり、もう一匹、魔物が現れ始めた。
それは、先に生まれたものと同系統の魔物ではあったが、先に生まれた魔物は、ただ、猫を巨大化したような姿だった。次に現れた魔物は、同じく猫のような姿ではあったが、顔の周りに、たくましいたてがみをはやしていた。
「ライオンだ!!」
リユルが叫んだ。
「てことは……獅子だ!! どっちも!! 最初のはメスライオンなんだ!!」
ユージナが叫んだ。
「ということは……『水獅子』ですね!? 『水獅子』なら海獣や妖怪の名前と一致しませんね?」
ヴァルルシャが確認する。リユルとユージナもそんな単語は知らない。
「現れたのは『水獅子』が二匹……そういうことですね」
ヴァルルシャの言葉に二人がうなずいたところで、水獅子が襲い掛かってきた。
体長は、人間の身長と同じぐらいだろうか。以前戦った水狼よりも大きく、しかも二匹いる。
だが、基本的には水狼と同じ戦い方でいいはずだ。
「炎よ!」
ヴァルルシャが炎の魔法を発動させる。たてがみのある水獅子は炎の塊をぶつけられ、体をすくめる。やはり炎は効果的のようだ。
「やあっ!」
同じ水獅子に、ユージナが刀で切りかかる。水で形作られているとはいえ、水狼には刀攻撃が効いた。水獅子にも効くはずだ。ユージナの刀は水獅子にかわされるが、刃先が水獅子のたてがみをかすめ、ゼリーのように切り落とした。
「氷よ!」
リユルが雹を降らせる。水狼には、水の魔法は吸収されてしまった。だが氷ならそうはいかないはずだ。
雹はメスライオンの方の水獅子をとらえ、体の半分ほどを覆うが、水獅子は水に濡れた動物がよくやるように体を震わせ、表面に張り付いた氷を跳ね飛ばした。
「体が大きいから小さい氷じゃ効かないか……。じゃあもっと大きいやつで……!」
リユルは氷の刃を発動させようとするが、ヴァルルシャが叫ぶ。
「リユルさん、あぶない!」
ヴァルルシャはオスの水獅子をもう一度炎の魔法で攻撃しようと精神を集中していたが、水獅子はヴァルルシャとユージナにはさまれ、狙いをリユルに変えて走り出した。ヴァルルシャは魔法の発動を中断し、リユルの方へ向かう。
リユルは体をかわして事なきを得たが、リユルとヴァルルシャは魔法が中断した状態で、水獅子二匹ににらまれる。
「こっちにもう一人おるよ!」
ユージナが追ってきて、オスの水獅子に切りつける。その刀は水獅子の胴を深く切り裂き、水しぶきを上げさせた。
「グルルル……」
うなり声をあげ、切られた水獅子はユージナに飛びかかった。ユージナは仰向けに倒れ、水獅子の前足が胸にのしかかる。
(重っ……! しかも、水なのに爪まであんのか!)
ライオンサイズの水の塊と思えばその重量にも納得がいった。しかもその前足には爪があり、それがユージナの胸に食い込んでくる。布の服ごときでは食い止められない。
「ユージナ!」
「ユージナさん!」
リユルとヴァルルシャが駆け寄ろうとするが、メスの水獅子が二人を追い越してにらみつけ、近寄らせようとしない。
「離れてたって、あいたちの魔法で……!」
リユルが魔法を使おうとするが、その前に、声が響いた。
「大丈夫ですか、ヴァルルシャさん!!」
森の中から現れたのは、ルーリーンと、フィルラ、ユージーンだった。
ユージナもその声を耳にし、胸を押さえつける水獅子の圧力が弱まったのを感じる。
「グゥゥ……」
二匹の水獅子はうなり声をあげつつも、ユージナたちから離れ、湖の中に入っていった。
ルーリーンたちが加勢したわけではないが、人間の数が六人に増えたことで魔物が警戒したのかもしれない。
ユージナは体を起こし、リユルが駆け寄ってそれを支える。まだ押さえつけられた感触と、爪痕の痛みが残っている。
「ヴァルルシャさん、みなさん、大丈夫ですか?」
ルーリーンの声が聞こえ、ユージナの胸を別の苦しみが襲う。
「え、ええ……大丈夫ですが……」
ヴァルルシャがルーリーンにそう答える。
「あたしたちも魔物退治に来てたんだけど、近くで戦ってる音が聞こえたもんだから」
「今のは水獅子だな。しかも水に隠れただけだ。水の中から様子をうかがっていて、そのうちまた出てくるだろう」
フィルラとユージーンがそう説明した。
「てことは、あいの氷の刃を水の怪しいところに投げ込んじゃえば先制攻撃できるよね。ケルピーの時みたいにはいかないんだから」
リユルがユージナを下がらせ、水の中を覗き込む。ケルピーの時はまだ雹のように氷を使うことしかできなかったし、魔法を敵の頭上に出すことしかできなかった。だがオーガとの戦いで、氷の刃を手元に出して投げつけるやり方を覚えた。それを水に投げ込むこともできるはずだ。
「水獅子は二匹いましたからね。私も炎の魔法……いや風の魔法で……」
ヴァルルシャは言いかけるが動きが止まる。炎も風も、湖に投げ込むのは難しいだろう。
「あの……お手伝いしましょうか? 雷の魔法なら水の中も狙えます」
ルーリーンが言った。他の魔物狩り屋が戦っている魔物に勝手に魔法をぶつけるのは横取りだが、相手の許可を得て戦いに参加するのは、魔物狩り屋のルールとして、失礼ではないのだろう。
ヴァルルシャはその申し出を受け入れようかと、迷ったようにユージナには見えた。
「大丈夫! ヴァルルシャも雷の魔法使えるでしょ! ね!」
ユージナの口から、そんな言葉が出た。
さっき、ヴァルルシャに雷の魔法の設定を追加するのを、拒んだはずなのに。
ユージナは自分の言動を後悔するが、口に出してしまったものは無かったことにはできない。
「そう……ですね。私も……雷の魔法が使えます。水の中の魔物を狙ってみましょう」
ヴァルルシャはそう言い、湖の方を向いた。
(何やっとるんだろ、うち……)
ユージナは自己嫌悪に陥るが、魔物はそんなことを待ってはくれない。
湖が不自然に揺らめくのを見て、リユルが声を上げた。
「氷よ!」
氷でできた刃が、水の中に潜っていく。
もう一度形を取り始めた水獅子に、それは突き刺さる。
「雷よ!」
ヴァルルシャも、雷の魔法を発動させる。それを行うのは初めてだが、今までずっと使ってきていたかのように、稲妻が現れ、湖の中に突き刺さる。
「ガァーッ!!」
氷の刃を受けた手負いの水獅子は、水から飛び出し、前足を振り上げてリユルに襲い掛かろうとする。
それを見逃さず、ユージナが相手の懐にもぐりこんで水獅子の胴を切り裂く。
その間に、リユルはもう一度精神を集中していた。
「氷の刃よ!」
リユルが作り出した氷の刃が、目の前の水獅子を両断した。叫び声をあげて水獅子は消滅していく。
雷に貫かれた水獅子も、湖から飛び上がってヴァルルシャを狙っていたが、もう一匹の断末魔で一瞬、注意がそれた。
ヴァルルシャはその隙を見逃さず、魔法を発動させる。
「炎よ!」
ヴァルルシャの前にいた水獅子は、炎に焼かれて蒸発していく。
二匹の水獅子の光が、ユージナ、ヴァルルシャ、リユルの蓄光石に吸い込まれていった。
「何とか倒せたぁー」
リユルがそう言って肩の力を抜く。
ユージナも刀を鞘に納めるが、緊張が解けたことで、先ほど水獅子に押さえつけられた胸の痛みが戻ってきた。
「うっ……」
ユージナは胸を押さえてうずくまる。
「大丈夫ですか!? 怪我をしたなら私が回復魔法を……」
ヴァルルシャはユージナに駆け寄って手を差し伸べるが、ユージナは思わずその手を払いのけてしまう。
「え……」
驚いた顔をするヴァルルシャを見て、ユージナは慌てて取り繕う。
「あ、いやその、胸だから! 男の人にはちょっと……」
その様子を見て、リユルが言った。
「……そうだよね。デリケートな部分は女同士じゃないと。あいも回復魔法使えるから、あいが治してあげる」
その言葉にユージナもヴァルルシャもリユルを見るが、リユルは微笑みを浮かべているだけだった。
「ああ、血が出てるね……」
リユルはそう言いながら、うずくまったユージナの隣にしゃがみ込み、胸に手を伸ばす。胸の傷を優しく撫で、目を閉じて、心を込める。
「傷よ……癒えよ」
ユージナは胸の痛みが消えていくのを感じた。
「……ありがとう、リユル」
傷を治してもらったことも、その能力を使える設定にしてくれたことも、すべて含んでユージナはそう言った。
「いいよいいよ」
リユルは笑っていた。
「あっ! 奴が来た!!」
その時、少し離れたところから、フィルラの声が聞こえた。
ユージナは立ち上がり、リユルも立って二人はヴァルルシャの隣に並ぶ。
フィルラとユージーンが、森の中から現れたオーガと向き合っているのが見えた。
「私たち、さっきまでオーガと戦ってたんです。でも一度見失ってしまって……。オーガを追っているうちに、皆さんの声が聞こえたんです」
ルーリーンはヴァルルシャたちにそう説明した。
「私も戦ってきます!」
フィルラとユージーンが戦っているところに、ルーリーンも駆け出していった。
フィルラが斧で、ユージーンが剣で、オーガに切りつける。二人の物理攻撃の合間を縫って、ルーリーンが雷の魔法を使う。防御力の高いオーガに、ダメージが蓄積されていくのがよくわかる。
「息の合った三人ですね……。私たちが加勢する必要は無さそうですね」
ヴァルルシャがそうつぶやく。ユージナが彼の顔を見ると、彼は安心したような、満足したような顔をしていた。
やがて、ルーリーンたち三人の手によってオーガは倒された。光が蓄光石に吸い込まれていく。
安堵の表情を浮かべ、ルーリーンはヴァルルシャたちの方を向いてほほ笑んだ。
「私たちも、何とか倒せたみたいです」
「……皆さん、いい動きをされてましたよ。良いパーティーですね」
そう言うヴァルルシャに、ルーリーンは言った。
「皆さんも、息ぴったりでしたよ! 私がお手伝いする必要ありませんでしたね。仲間と一緒に戦うって、そういうことですよね」
ルーリーンは屈託なく笑った。ヴァルルシャも、その横のユージナもリユルも、お互いに顔を見合わせて、やがて笑った。
「私たち、この森で戦うのは今日で終わりにしようって話してたんです」
ルーリーンが言い、フィルラとユージーンも武器を収めてルーリーンのそばにやってきた。
「同じ敵とばかり戦っていると腕がなまるからな。別の場所でまた魔物狩りをしようということになったんだ」
「といってもあたしたち、今夜はまだあの宿に泊まるんだけどね。今日はゆっくり休んで、明日の朝、出発するつもりさ」
「だから最後にあのオーガを倒して町に戻ろうと思ってたんですけど、一度逃がしちゃって……。でも、そのおかげでヴァルルシャさんたちの戦いを見られたから、良かったです」
ルーリーンはそう言って笑った。
「オーガを倒せたんだから、今日はもういいよね」
彼女は振り返って、仲間たちに話しかける。
「ああ、最後にいい稼ぎができたよ」
フィルラが答え、ユージーンが続ける。
「鑑定屋が閉まる前に町に戻って、換金した方がいいな」
そう言うユージーンに、ルーリーンが言う。
「ユージーンは朝が苦手だもんね」
「俺じゃなくてフィルラだろ」
「あたしは最近は早起きしてるよ」
そんな会話をした後、三人はヴァルルシャたちの方を向いた。
「ええと、私たちはこれで町に帰ります。皆さんはまだ戦って行かれるんですか? 気をつけてくださいね。短い間でしたけど、ご一緒できて楽しかったです。……といっても、今夜はまだ同じ宿ですけど」
ルーリーンはそう挨拶をし、フィルラ、ユージーンと共に町へ帰っていった。
その姿が見えなくなるまで見送ってから、リユルが言った。
「息ぴったりに見えたんだ、あいたち」
それを聞いて、ユージナが二人の顔を見る。
「ご、ごめんね……。うち、雷の魔法、使うなとか使えとか、回復魔法だって、リユルに使ってもらったし……」
そう言ってうつむくユージナに、ヴァルルシャは声をかけた。
「いえ、戦闘中だったので魔物との戦いにすぐに生かせましたし、失敗できない緊張感があったので、前もって設定しておくより良かったのかもしれません」
「それに、やっぱりあいも回復魔法は使えた方がいいよ。この先、だれがどんな怪我するかわかんないしさ。ヴァルルシャに魔法を一個追加したんだから、あいにも追加しないとバランス悪いし」
リユルもそう言ってフォローした。
「二人とも……ありがとう」
ユージナはそう言ってほほ笑んだ。
「さーてと! あいたちもそろそろ帰る? もう夕方だよね。さすがにあんなのともう一回戦うのは疲れない? 帰り道に魔物が出ないとも限らないし」
リユルがヴァルルシャとユージナにそう言った。二人とも、異論はない。
「そうですね。今日はゆっくり休みましょう」
「うん、帰ろう」
三人は湖岸をたどってキヨゥラ川のところまで戻り、川に沿って町に帰ることにした。帰り道では、魔物と遭遇せずに済んだ。




