第二章 07 就寝
07
リユルとユージナが風呂場を後にし、食堂を通りかかると、魔法使い風や戦士風の人間が何人も食事をしているのが見えた。
二階の部屋に戻り、休憩する。ヴァルルシャも戻ってきていた。男湯の様子も女湯と同じで、ヴァルルシャも洗濯をすませてきたそうだ。
窓から入る日の光はオレンジ色で、夜が近づいていることがわかった。
「まだ寝るには早いよねえ。いろいろあって疲れたけど……。髪の毛も濡れてるし」
リユルが自分の髪を触りながら言う。髪がそれより長いヴァルルシャはもちろん、髪の短いユージナも、タオルで拭いただけなので髪は乾ききっていない。
「他に夜にすることと言うと……あ、歯磨きってどうするんでしょう?」
食事をし、風呂を済ませ、寝る。その時刻にしている習慣を思い出してみて、ヴァルルシャがそれに気づいた。
「そうだね! ファンタジー異世界だとどうしてるの!?」
リユルが言い、三人は作者の知識を探る。
「えっと……江戸時代には『房楊枝』っていって、木の枝の先端を叩き潰して繊維を房状にして、それを歯ブラシみたいに使って歯の掃除をしとったらしいよ! 今でも……作者のいる現代日本と同時代の世界でも、インドやアフリカではそうしとるみたい」
ユージナが言い、リユルも作者のその知識にシンクロしようとする。
「てことは、あいたちもそれで歯磨きすればいいのかな? 荷物の中にある……? でも、『房楊枝』って使い捨てだったみたいだね。毎日そうするとなると結構かさばるよね」
ということは大荷物の方に入っているのだろうか。だが、『描写していないのだから荷物の中身は後から設定できる』とはいえ、カバンの容量を超えるほどの中身は設定できないだろう。気軽に何でもカバンから取り出していたら、本当に必要なカバンの中身を設定したくなった時に、容量に矛盾が出てきては困る。
「そんなにかさばるものではないでしょうが、生活用品で、消耗品ですよね。宿屋でも販売しているんじゃないですか? 食べ物のように腐るわけでもないですし」
ヴァルルシャの意見にリユルとユージナはうなずき、三人は一階で宿屋の主人に尋ねることにした。
「ああ、房楊枝な。十本で10テニエルだ」
カウンターにいた主人は、棚から箱を取り出した。箱には十本ずつ束ねられた木の枝が何束も入っていた。三人はそれぞれ一束ずつ買ってみる。
その姿を見て、おかみさんが近づいてきた。
「あんたの部屋のやつだったよね。はい新しいの」
おかみさんは、ユージナにそれを手渡した。
「え? 何ですか、これ?」
ユージナが渡されたものを見て言う。
それは、握りこぶしが入るぐらいの四角い木箱の上に、ガラスのコップを逆さに埋め込んだような形のものだった。
木箱にはバケツのように取っ手がついていて、取っ手を握ってぶら下げてもガラス部分に手が当たらないほどの長さになっている。
ユージナの知識……作者の知識と照らし合わせれば、ランプ、カンテラ、などと呼ぶものに近い形状ではあったが、逆さまコップ部分に灯心のようなものは見られなかった。
「昨日も使ったろ。木箱の方に光の精霊の力が込められてて、スイッチをひねると少しずつガラスの筒にその力が流れて、明るくなるの。で、あんたの部屋のやつは、明かりが切れかけてきたんだろ。だから新しいのを持ってきたんじゃないか。
火を使うランプより高いけど、ここは森だし建物は木造だし、火事になったら困るからね。客室のランプは全部このタイプに切り替えたんだよ。異国の人には珍しいのかもしれないけどさ」
おかみさんは、ユージナを見てそう言った。ユージナの寝間着は温泉宿で着るような和柄付きの浴衣だった。リユルの寝間着は長そでTシャツタイプ、ヴァルルシャは前開きシャツタイプで、そちらが寝間着の定番の形状なのだろう、風呂から出た他の魔物狩り屋が、そういう寝間着で廊下を歩いていくのが見えた。
自分たちは昨日も宿泊したのだから、そのランプは使っているはずだった。それを知らないのは不自然だが、ユージナが質問したことで、おかみさんは疑問に思わなかったようだ。
おかみさんはその場を離れ、一階の窓を閉めはじめた。そして、柱にあるフックに吊り下げられた、ユージナに渡したものより大きいランプを手に取った。ねじのようなスイッチをひねると、ランプに明かりがともった。
ご亭主は食堂に向かい、マッチらしきものを取り出して、食堂のランプに火をともし始めた。食堂では火を使うので、ランプも火を使う物でいいということだろう。
三人は洗濯物を回収するために宿屋からいったん外に出た。日は沈み、闇が濃くなってきている。だが宿屋と風呂場は、あちこちにランプがともされて明るく浮き上がっていた。
三人は風呂場に寄って各自の洗濯物を回収する。薄手の物なのでほぼ乾いていた。
二階に戻ると、おかみさんが戸締りをしたのだろう、窓は閉まっていた。よく見れば、二階の廊下の柱にもランプが吊り下げられていて、今はそれが光源になっている。
客室を開けると、出入口の横の柱にフックがあり、ユージナの手にあるものと同じ形のランプの、取っ手部分がひっかけられていた。三人の部屋それぞれに最初からあったはずだが、扉を開けたときに死角になり、自分たちの荷物のことに気を取られていたこともあって、視界に入っていなかったようだ。
ユージナの部屋のランプを壁からはずし、木箱部分にある、ねじのようなスイッチをひねってみる。ガラス部分の光り方は弱く、交換時期の近い照明器具という感じだった。
ユージナは渡された新しいランプ、ヴァルルシャとリユルは部屋にあるランプのスイッチをそれぞれひねってみると、ガラス部分に光が満ち、ひねりの大小で明るさの調節ができた。
客室の場合は、壁のフックに取っ手をかけて部屋全体の照明にしてもいいし、明かりを小さくして手元に持ってきてベッドライトのようにしてもいいということだろう。
「光を最大にすると火を燃やすランプより明るいんじゃない? 光の色は火みたいなオレンジだけど……。光の精霊の力って言ってたから、そういう色になるようにしてるのかな? LED電球にいろんな色をつけてるみたいにさ」
「おかみさんが、高いけど火を使うランプから切り替えた、って言っとったから、まさに電球をLEDに切り替えるようなもんかもね。まだ火を使うランプも珍しくなくて、そっちの光に慣れとる人が違和感を持たんように、こういうランプも同じ色にしとるとかさ」
「木箱の底の部分が開閉するんですね。瓶か何か……硬いものが入っていますね。ここに、ランプの油を注ぐように光の精霊の力を注ぐ、光が薄くなってきたら、新たに精霊の力を注入、ということでしょうか。ユージナさんに新しいランプを渡したということは、上水タンクに水を溜めるように、専門の方でないとエネルギーを再注入できないということかもしれませんね」
三人はそれぞれの部屋のフックにランプをひっかけた。ユージナは古いランプを一階に返却しにいく。
「洗濯物、ほぼ乾いとるけどもうちょっと乾かした方がいいよね」
一階から戻ってきたユージナが言う。今、洗濯物は各自の部屋で荷物の上に広げられていた。
「あ……壁には他にもフックがあるね。洗い場のハンガー、頼めば貸してもらえるのかな? それで朝まで置いておけば乾くかも」
リユルが自分の部屋を眺め直しながらそれに気づく。各自の部屋の扉を開け、廊下と部屋の境目あたりで三人は話し合った。
「洗濯物、まだカバンにしまえるほどではないですからね。もう少し乾かした方がいいでしょうが……ハンガーのこと、聞きにいきます? でも洗濯物は部屋干しでいいですが、私たちの髪は結局どうしましょう?」
ヴァルルシャが自分の髪を触る。短髪のユージナの髪は乾いてきていたが、長髪の二人の髪はまだ濡れている。
「ボイラー室の熱風で洗濯物はこれだけ乾いたけど、背伸びしてあれを浴びて髪を乾かすのは……髪が傷みそうだから嫌だなあ」
リユルが廊下の壁に持たれながら言った。
「ドライヤーなどは無さそうですし、この世界で早く髪を乾かそうと思ったら、風の魔法を使うんでしょうか? 洗濯物の乾かしの仕上げをするにもいいかもしれませんが、我々がそんなに魔法を使える設定にしてもいいものでしょうかね」
ヴァルルシャが部屋の出入り口のあたりに立って言う。
リユルは水と氷。ヴァルルシャは炎と回復。今日、二つの魔法が使えることを設定した。さらに風の魔法を追加しても、不自然にならないだろうか?
「んー……でもさ、髪を乾かすぐらいならそんなに強い風でなくてもよくない? それに、うちは魔法が使えんで、何もないところに火や水を出すのはどうやってやっとるんだ?って思うけど、風は、手で空気をあおいでも起きるよね。だで、初級の風の魔法なら、火や水の魔法より簡単なんじゃないの? 中級以上になるとどうかわからんけど。きみらみたいに他の魔法が使えるんなら、初級の風の魔法は簡単に習得できるってことでどうかな。ドライヤー程度の風ならさ」
ユージナの言うことももっともだと、リユルとヴァルルシャは初級の風の魔法が使えることにしてみた。
「風よ……起きよ!」
リユルが自分の髪に手のひらを向けてつぶやくと、ドライヤーのような熱風ではなく、扇風機のような風が沸き起こった。
「風よ……」
ヴァルルシャが自分の髪を撫でるように手をかざすと、そこに風が起こり、髪を吹き上げて乾かしていった。
「ユージナにもやったげるね」
リユルが、短い髪の奥に残っている水滴を乾かすように、風の魔法を使い、ユージナの髪を撫でた。
髪と洗濯物を乾かし、櫛で髪を整える。
そうしていると、階段の方から足音が聞こえた。風呂を済ませて寝間着に着替えた他の魔物狩り屋たちが二階にやってきたのだ。全室が埋まっているわけではないので三人の真横の部屋ではないが、同じ階に何人も宿泊客がいるようだ。
あまり廊下で騒がしくしてもいけないし、世界の設定がどうなどという話も、聞こえない方がいいだろう。少し早いが、三人はもう寝ることにした。
トイレの手前の手洗い場に行き、房楊枝で歯を磨く。木に含まれる樹液が歯磨き粉のような役割を果たし、思っていたより綺麗になった。
「今日はいろんなことがあったね」
部屋の前に戻り、リユルが言う。今日は、一日の始まり、いや、世界の始まりだった。
「うん。また明日ね」
明日も、いろんなことがあるだろう。ユージナは期待に満ちた顔でうなずいた。
「おやすみなさい」
ヴァルルシャが言い、三人は笑顔でそれぞれの扉を閉める。
充実した一日を終えて、三人はすぐに眠りについた。