第二章 02 初めての戦闘
02
人の足に何度も踏まれ、草が生えにくくなった硬い土を、自分たちも踏みしめて進む。
「まだ魔物出てこんね。道沿いに歩いとったら出てこんのかな。相変わらず鳥もさえずっとるし」
ユージナの言葉に、リユルが立ち止り、あたりを見回す。森の中と言っても、道があるのでまだ人間の領域という感じがする。
「道は人間がよく通るから魔物が避けてるとか? ちょっと道を外れてみる?」
あたりは、山というほどではないが多少の隆起があり、木々の茂みも重なって遠くまでは見通せなかった。
「でも、下手に道を外れると宿に戻れなくなりませんかね。我々、土地勘は全くないわけですし」
ヴァルルシャが今来た道を振り返る。一番歩きやすい場所を歩いてきたので、ここからなら、帰り道もそうすればいいはずだ。
「うーん、このままもうちょっと進んでみるか……、あ、ちょっと待って」
リユルが手を耳に当てて目を閉じる。
「なんか、水の音がしない?」
ユージナとヴァルルシャも耳を澄ましてみる。言われてみれば、かすかにさらさらと水が流れるような音が聞こえてくる。
「川でもあるんかな……? あ、その辺も、ちょっと道っぽくなっとらん?」
ユージナが音のする方を探して視線を巡らせると、今、三人が立っている道ほどではないが、それなりに人間が歩くので草が生えにくくなったような部分が、脇に続いていた。
「ちょっと行ってみようよ。そんなに遠くなさそうだし、このぐらいならすぐに戻れるんじゃない?」
リユルが言い、三人は脇道に入ってみることにした。
少し上り坂になっているが、息が切れるほどではなく、歩いていくとすぐにそれは目の前に現れた。
足元は、人の背丈より低い崖、というか段差になっており、その下には、水が広がっていた。
「池、っていうか、泉? あんまり大きくないね」
リユルの言葉通り、それはさっき見た宿屋の食堂ぐらいの大きさだった。
「でも、川になって流れとるね」
ユージナが指さす先には、泉から細く流れ出す川があった。さらさらと音を立てていたのはこれだった。
「横からなら、下りられそうですね。ちょっと行ってみましょうか」
ヴァルルシャたちの足元は崖のような段差で泉に接していたが、その横はなだらかな斜面になって段差の下に続いていた。
三人は低いところに移動し、泉の水際に立った。
「小さいけど、川になって流れてくってことは、水が湧き出しとるんかな?」
川はまたいで飛び越せそうな細さだったが、泉に流れ込んでいるのではなく、泉から流れ出していた。
「細いけど、ずいぶん先まで続いてそうだね」
リユルがその流れを視線で追う。土の高低差や木々の茂みに隠れ遠くまでは見渡せないが、川は視界の先まで続いているようだ。
「川沿いに歩くなら、引き返す時も迷わずにすみそうですね。ちょっと行ってみます?」
ヴァルルシャも川の流れを目で追い、ユージナも同じ方向を向いた。
「うん。小さなせせらぎだったけど、リユルが気づいてよかったね……」
そこまで言うと、真顔になって口を閉ざした。
「……ちょっと待って。鳥のさえずりが聞こえんくない?」
道沿いに歩いていた時には聞こえていた鳥の声。のどかな雰囲気を醸し出していたそれが、今は無い。何かに対して息をひそめているように。
「!」
三人は泉を振り返る。
そこには、『魔物』と呼ばれるであろう存在が、いた。
それは泉の、水面の上に立っていた。
水を粘土にして捏ね上げたような、透明な獣だった。
「出た! いきなりオリジナルの魔物だ!!」
ユージナが刀の柄に手をかける。
「泉から水が湧くように、魔物も湧いて出たということでしょうか?」
ヴァルルシャも、こぶしを握って身構える。
「水の獣……水獣ってとこ?」
リユルも、地面をしっかりと踏みしめる。
「水獣……だと、大雑把すぎん? 水でできたこういう獣っていろんなのがおりそうだよ」
魔物を警戒しつつも、思わず設定を考えてしまう。
三人は魔物をじっくりと見る。水でできたその魔物は、犬のような姿をしていた。
「『水獣』という魔物の種類があって、そのうちの一種、というところでしょうか。犬に似ているので、水犬……、だと、酔拳のようですね」
「おおかみっぽいとも言えるから……『水狼』?」
リユルが言ったところで、『水狼』が飛びかかってきた。
三人は身をかわし、足場のいいところを選んで『水狼』から距離をとる。
「名前は水狼で決定ね! あとは戦い方だけど……この場合、あいの水の魔法って効く?」
水の攻撃魔法を習得している設定にしたリユルが、よりにもよってという顔をする。
「うちの刀攻撃だって効くかわからんよ!」
とはいえ、やってみなくては分からない。ユージナは鞘から刀を抜き放ち、中段の構えをとった。しかし、切りかかるタイミングがつかめない。
「とりあえず、私の炎の魔法は見るからに効きそうですよね。やってみます!」
ヴァルルシャが言い、精神を集中し始めた。
この世界において、攻撃魔法はどのようにして発動するのか。
誰の魔法も見たことがない。だから、自分で決定するしかない。
ヴァルルシャは、自分が良いと思う方法で、それを行った。
両方の手のひらを近づけ、その中央の空間に、力が集まってくることをイメージした。そうすると、手のひらに熱を感じ始めた。
目を閉じ、さらに集中する。自分はその魔法が使えるはずなのだ、今までにそれを何度も使ってきた、そういう設定のはずなのだ……。そう自分に言い聞かせると、手のひらに感じる熱が強くなってきた。
目を開き、叫ぶ。
「炎よ!」
ヴァルルシャの手の中に炎が現れ、それを胸の前から押し出すように、ヴァルルシャは両手を広げて前方に突き出した。
しかし、目を閉じていたので、水狼がさっきの場所から移動したのが見えていなかった。
「ヴァルルシャうしろーーー!!!!」
二人に言われ、ヴァルルシャはとっさに身をひねる。おかげで水狼の攻撃を受けることはなかったが、状況が飲み込めずに彼はうろたえる。
水狼に当たらなかった炎は、木にぶつかってそのまま消滅した。人間の精神力で呼び出した炎なので、木々に触れても燃え広がらない。
「ヴァルルシャ、目を閉じたら当たらんよ!」
「うっかりしていました。精神集中するにしても、目は開けていないといけませんね」
「それか狙いを定めるときにはちゃんと敵を見て……うわっと!」
リユルが水狼の体当たりをかわす。水狼は相変わらず無傷のままだ。
「よし、じゃあ次はうちがやってみるよ」
ユージナが刀を構え、水狼に向き直る。
自分は剣士。ずっとこうして戦ってきた。これが初めての戦いではない。大丈夫、戦える!
自分で自分を奮い立たせ、水狼に向かって切りかかる。
水狼が身をかわしたため、ユージナの刀は水狼を両断することはできなかったが、しっぽの部分を剣先でかすめることができた。
水しぶきがあがり、ゼリーを切り落としたように、水狼のしっぽが短くなった。
「切れた! 刀でも、あの水の体が切れたね! 水そのものに見えるけど、意外と形がしっかりしとるんかな?」
攻撃が成功した。それは魔物にダメージを与えたということだけでなく、自分の太刀筋が剣士らしいしっかりしたものであることの証しだった。ユージナは興奮で顔を紅潮させた。
「ってことは、あいの水の魔法でも、あいつにぶつけたらダメージになるかな? ちょっとやってみるよ!」
自分もこの戦いに参加したい。リユルはそう思い、気合いを入れた。
目は閉じず、水狼を見据えたまま、精神を集中する。
水の魔法。自分はそれを使える。いつもやっている通りにやればいい。できるはず!
「水よ!」
リユルは水狼の頭上に向けて手をかざし、それを下に振り下ろした。
水狼の上に水の塊が現れ、水狼めがけて落ちていく。
ヴァルルシャは自分の胸元に炎を現してそれを敵に投げつける形をとったが、リユルは敵の頭上に水を現す形をとった。
人間の精神力を使うとはいえ、世界を構成する精霊の力を呼び出すのだ。世界を構成しているのだから、自分の胸元でも、敵の頭上でも、どこだって世界の一部なはずだ。精神を集中さえできれば、魔物の真上にだって攻撃魔法は出せる、リユルはそう思った。
そしてその通りにはなったが、リユルの魔法は水狼にダメージを与えることはできなかった。
「ああっ、しっぽが!!」
リユルが叫ぶ。リユルの放った水の魔法は、ヴァルルシャの炎の魔法のように消える前に、水狼に吸収されていった。ユージナが切り落としたしっぽは修復され、水狼自身も少し大きくなったように見える。
「ごめん……。あいの魔法じゃ、やっぱり駄目だった……」
肩を落とすリユルに、ユージナとヴァルルシャは言った。
「大丈夫! また切りつけりゃいいんだで!」
「それに、的が大きくなったので狙いやすいです!」
ユージナとヴァルルシャは水狼を挟んで左右に分かれた。水狼がどちらを警戒しようか迷っている隙に、ユージナが切りつけに行く。
水狼は身をかわすが、今度は目を閉じなかったヴァルルシャが、炎の魔法を発動させている。
ユージナの剣から逃れた先で、水狼の体はその炎に打たれた。
うなり声をあげながら、水狼は炎に焼かれて蒸発した。
消滅していく水狼を見ながら、ユージナは息を吐いた。
「やった……のかな?」
その時、水狼のいた場所から、光のようなものが三つ分かれて飛び出し、三人の胸元に吸い込まれていった。
「え? これは……」
一番離れたところにいたリユルが、自分の胸を見る。
「蓄光石に、光が配分された、そういうことでしょうか?」
そう言って、ヴァルルシャが服の内側から自分の蓄光石を引っ張り出す。
さっきまでは黒くて輝きのない石だったのが、今は、銅の輝きを放っている。三人は輪になってお互いの石を見比べる。三人とも同じ輝きをしていた。
「なんか、ごめん……あい、さっき魔法失敗したのに」
落ち込むリユルを、ヴァルルシャが励ます。
「失敗してもいいってことですよ。今の魔物は見るからに水でしたけど、弱点のわからない魔物だって今後出てくるでしょうし、誰だって常に有効な攻撃ができるとは限りませんよ。それがペナルティになる世界ではないってことです」
「そうそう。一人で何でもできたらパーティー組まんでもいいんだからさ。足りんところを補い合えばいいんだよ」
二人に言われ、リユルは笑顔になった。
「でも、三分の一になったとはいえ銅の色ってことは、そんなに高くない、強くない魔物だった、ってことかな?」
ユージナが蓄光石を見ながら言う。
「私の魔法が、当たれば一撃で消滅しましたからね。あの泉が水狼の発生しやすいスポットだとしても、そんなに高い魔物ではないので、他の魔物狩り屋からスルーされてたんでしょうか?」
「あいたちみたいな初心者が、レベル上げするためにあの泉に行くから、少しは地面が道のようになってたのかな」
戦いの間に、少し開けた場所に移動していたので、リユルが泉を振り返りながら言った。
「……いや、うちらは初心者じゃないよ」
ユージナが、誇らしそうな顔で言った。
「うちらはずっとこうして、魔物狩り屋として旅をしてきたんだ」
刀を扱えたこと。魔法が発動できたこと。
設定だけで物語が展開しなかったユージナも、リユルも、自分にその力があったことをうれしく思う。
書き途中のまま物語が止まっていたヴァルルシャにとっても、それは同じだった。
「そうですね。あれぐらいの魔物、私たちは何度も倒しているはずです。今は、弱い魔物でレベル上げ、いや、勘を取り戻している最中なだけです!」
ユージナが頭上を見上げる。木々の葉の隙間から、昼の日光が降り注いでいる。
「まだ一日は長いよ。他の魔物も探そう」
三人はうなずきあった。