第一章 ムラクモ
支部長のデスクには、白い封筒が一つ乗っていた。
「来たか【アラハバキ】。寝起きだな?」
全日本異形浄化専門協会――――通称、サムライ協会の仙台支部支部長は、呆れたように煌太を見上げた。煌太は跳ねた髪を押さえこんで、口元を引き結ぶ。
「辞令だ。お前、来月……四月からトウキョウな」
「はい……えうええええっ!?」
「不満か? 好きだろう、修羅場。お前の好きなアンダーシティ支部に放り込んでやろう。半年前のダウンタウン襲撃以来、一段と競争率が上がっているんだ。光栄に思え」
「思えないっす」
「あそこの支部のサムライ課、課長補佐……高杉。あいつは私の後輩でな。うちのルーキーをやると言ったらメールで丁重に丁重に返事を寄越した。泣いて歓迎するぞ」
支部長は封筒を取り、煌太の胸元へ放る。
「それと……うちの【ヤタカガミ】からも推薦状を書かせた。サムライ三種の神器直々だ。断られやしないさ」
煌太は、支部長の傍らに控えていた女へ鋭く視線を向ける。胴着に淡い桜色の羽織を着た女は、腕を組んで煌太を見下ろした。
サムライでもとりわけ稀有な存在として扱われる、三種の神器を字として冠する三人。その一人、【ヤタカガミ】の百合下利佳子だ。
「……直々?」
「そうだ。お前が余りにも、あまっっっりにも死にたがりだからな」
眉一つ動かさずに利佳子は吐き捨てる。煌太は視線を逸らして首を縮めた。
「引っ越しには一週間あげよう。向こうの受け入れも寮ならすぐにできる。トウキョウは遠いが、まあ頑張りなさい」
支部長のぞんざいな送り出しを受けて、煌太は支部長室から追い出された。手の中の辞令を見て、煌太は首を振る。
「……はあ」
「そうだ」
「うわあっ!?」
思わず煌太がため息を吐いた直後、扉を少しだけ開いて利佳子が顔を出した。
「アンダーシティには、私と同じ三種の神器の【ムラクモ】がいる。そいつにも連絡を入れておいてやる。死にたがりとはいえ死なれても困るからな、いざとなったら頼るといい」
「……はあ」
「名は燈瑞。牛頭の式神を従えた隻眼の偉丈夫だ」
ムラクモのことは、煌太も知っていた。十八で三種の神器の名を継ぎ、フリーになって十年以上活躍しているサムライだ。日本刀を主な武器に選ぶサムライには、彼に憧れて剣を取る者が一定数いる。
二通目の紹介状を差し出し、利佳子は「息災でな」と扉を閉めた。
「……むらくも……天叢雲剣か……」
辞令よりも大分質のいい封筒に入っている紹介状を引っ繰り返し、煌太は眉宇を潜めた。
「……藤虎、燈瑞?」
アンダーシティ支部は、建て替えられたばかりということもあって随分と綺麗だった。ガラス張りのロビーに、愛想のいい笑みを浮かべる二人の受付嬢。ロビーのソファには依頼人らしき女性が座っていた。買ったばかりのスーツケースをがらがらと引いて、煌太は手元の携帯に視線を落とす。約束の時間はまだ一時間ほど先だった。
「あの」
受付に近付くと、『依頼窓口』の札がある方の受付嬢が、「はい」と満点の笑顔で応じた。
「えっと……あ、仙台支部から来ました、【アラハバキ】っす。今日の三時から、桂樹支部長に約束がありまして……」
「はい、承っております。 申し訳ありませんが、桂樹は多忙でして。お時間まで、お待ちいただけますでしょうか。お荷物はこちらでお預かりいたします」
「あ、はい。あの、時間まで、適当に見て回ってもいいっすか?」
「ええ、どうぞ。よろしければ案内を手配いたしますが」
「あー……はい、よろしくお願いします」
迷子になるよりはましだろう、と煌太は頷いた。
受付嬢が内線電話を取り、煌太は携帯をしまう。煌太のスーツケースの横側には、二振りの愛刀がしまわれたケースがあった。刀のケースを固定しているベルトを緩めていると、もう一人の受付嬢が、荷物を受け取りに出てきた。スーツケースだけを預け、細長いケースを両手で抱える。と、左胸にケースが当たり、自分の心臓が早鐘を打っていることに気づいた。
慣れないトウキョウとはいえ、ここまで緊張しているとは、我ながら情けなくなってくる。
「やあルーキー」
「うわああっ!」
突然声をかけられ、煌太は声をあげた。振り返ると、声をかけたらしい若い男が、困った顔で笑っている。背は煌太より高く、茶髪は首筋ほどまである。どことなくだらしないループタイが似合う、優男であった。
「ごめんごめん。驚いたかな。君が煌太君だね?」
「えっ……はい」
「僕は高杉慧。アンダーシティ支部のサムライ課、課長補佐だよ」
にっこりと笑う慧に、煌太は眩しそうに目を細める。
「は……よろしくお願いします」
「はは、そう緊張しないで。それで――早速で悪いんだけど、出撃の準備はできるかい?」
「はいっ?」
「低級のマジモノなんだけど、今、手が足りないんだ。作戦概要は移動しながら話すよ」
握手と同時に無線機を手渡され、煌太は顔の困惑を深めたまま頷いた。
慧に先導されて、煌太はアンダーシティの中心部へと向かっていた。
「中心部にちょっとした広場があるから、そこに誘導するよ。四人で囲んで足止めして、確実に処理する」
「……はい」
「何か問題が?」
「いえ、別に」
「そうかい。意見があったらすぐ言うように。若いからってないがしろにする奴はいないよ」
慧はぽすぽすと煌太の頭を叩く。煌太は「はい」と頷き、腰の剣帯に手を当てた。
煌太は左腰に脇差、右腰に短刀を差しており、手にはグローブをはめている。刃渡りの短い得物は、一太刀の攻撃力よりも、機動力を重視しているサムライに多い武器だ。道の先にマジモノの影が見えると、煌太は脇差の柄を握った。
「そこの路地に梯子が設置してある。君は上から。広場に追い込んだら離れるように。射手の餌食だからね」
「……はい」
慧に指差された路地に向かうと、銀色の梯子が壁に立てかけられていた。煌太がそれを登っている間に、慧はポーチから無線機を取り出して襟に取り付けた。
「……じゃ、始めよっか」
妙に緊張感のない慧の宣言と同時に、白い信号弾が上がった。
平たい屋根の上を走り、煌太はマジモノに近付いていく。慧によって路地から追い出されたマジモノは、予定通りに広場へと向かっていた。大きさは軽自動車程度、上から見下ろすと饅頭のような形をしている。地面に接している部分が芋虫のごとく蠢いており、それによって移動しているようだ。既に負傷しているのか、通り過ぎた後の地面には点々と赤黒いシミができていた。
煌太は屋根のふちに足をかけ、マジモノを見下ろす。広場はずいぶんと先だが、マジモノの動きは既に止まりそうであった。今攻撃を仕掛ければ、広場に誘導するまでもなく仕留められるだろう。
「高杉さん。あの程度なら、俺仕掛けます」
無線機にそう告げ、左腰の刀を抜く。
『ダメだ』
だが、慧はぴしゃりと言った。
「……でも、今行けば仕留められます。わざわざ誘導しなくてもいいし」
『作戦の根幹を変えることはできない。追い立てる以上は不要だ』
「……、」
煌太は無線のマイクを切り、舌打ちをした。
「非効率的だ」
アンダーシティにおけるマジモノの討伐件数は、同じ大きさの他の地域に比べて群を抜いている。それだけマジモノが多いということだが、その全てにこれほどの人数と時間を割いているのだろうか。
『何考えているかは分かるんだけどね、【アラハバキ】君』
突然割り込んだ慧の声に、煌太は息を飲む。
『もう一度言うよ。ダメだ』
「でも、意見があったらすぐ言えって」
『突っ走れとは言っていない』
「~っ、」
煌太は屋根から飛び降り、二振りの刀を抜いた。
『こら【アラハバキ】!』
慧の制止も聞かず、煌太はマジモノに向かって走り出す。距離にして十歩。銀色の切っ先は既にマジモノの皮を捉えていた。無数の足がついた饅頭のような異形、その表面がぱっくりと割ける。
「おおおおおっ!」
気合の声を吐いて、そのまま抉るように一か所を切りつける。マジモノの足が止まり、表面が波打った。煌太は即座に後方へ跳び、刀を振って血を払う。
「そこだあああっ!」
マジモノの傷口が塞がる直前、煌太は刀を交差させて突き出した。左右に振り抜かれた刃が、マジモノの体を内側から切り開く。切り離された上部が、ぼてっ、と地面に落ちた。煌太はくるりと短刀を回転させ、それでマジモノの胴体を突き刺す。赤黒い断面には、マジモノの核、木製の依代が覗いていた。
煌太は、腰のベルトから布を引き抜く。そして、短刀を突き刺したまま、依代を布で掴んだ。マジモノの表面が蠢き、煌太の手ごと包み込もうと再生を始める。
短く息を吐き、煌太は一気に依代を引き抜いた。
「っ……よし!」
糸を引いた体液を切り、煌太はマジモノから距離を取る。依代を失ったマジモノは、腐臭のする煙を噴きながら、液状になって崩れていった。皮膚は古くなったビニール袋のようにボロボロになり、本体は粘着質な赤黒い泥となる。その中から、小さく折り畳まれた白骨が現れた。湯気の立つ鮮血が、一足先に周囲に広がって池を作る。
「……、」
さあっ、と煌太の顔から血の気が引いた。
「……全く」
慧が、緑色の信号弾を撃った。マジモノ討伐完了の合図だ。青白い顔のまま立ち尽くす煌太に駆け寄り、慧は無線機のマイクを口元に引き寄せる。
「手間をかけたね。無事彼の『問題行動』とやらが明らかになったよ」
煌太が振り返り、慧は苦笑いを漏らす。
「全く、とんだ死にたがりじゃないか」
よくよく見なくとも、煌太が震えているのが分かった。依代を包んだ布は握ったままだが、左手からは短刀が滑り落ちている。
「……高杉さん、」
「討伐ご苦労様。見事だったよ。流石、仙台の鬼支部長の推薦だ」
「えっ……あ、はい」
褒められたことが意外だったのか、煌太は肩透かしを食らったような顔になる。慧は右手を煌太の頭へと伸ばし、
「てやっ」
「いっ!?」
手刀を振り下ろした。
「君の耳にはポップコーンでも詰まってるのかい」
気合の抜けた声とは裏腹に、ごすん、と鈍い音を立てて手刀は煌太の頭を打った。煌太は俯き、左手の甲で頭をさする。
「まずは言い分を聞こうか。どうして、待てなかったんだい」
「……えっと……あの程度のマジモノならすぐに仕留められるし、わざわざ人員と時間を割かなくてもいいかなって……」
「作戦は無視?」
「……でも、俺の意見は聞かなかったじゃないですか」
「聞いたうえで却下したんだよ。……作戦にどんな不満があったのかな」
煌太は唇を尖らせる。慧は腕を組んで息を吐いた。
「一人で仕留められるマジモノに、三人も四人も割かなくても……時間も、無駄です」
「……なるほど、なるほど」
慧はもっともらしく頷き、それから長い息を吐いた。
「では、こちらの作戦の根幹を説明しよう。これは死なないための作戦だ」
煌太は慧を見上げ、唇を引き結ぶ。
「アンダーシティはマジモノが多い。ダウンタウンの影だから仕方ないね。面積、人口に対してどうしたってマジモノの数が多くなる。だからこそ、サムライはまずロスを減らすことを第一に求められる」
慧は腕組みをほどき、煌太の胸を軽く小突いた。
「ここでのロスというのは、時間じゃない。手間でもない。人命だ」
「……、」
「人が死なないことが第一だ。手間だろうが時間がかかろうが、絶対に安全な道を行く。それがアンダーシティ支部の方針」
煌太はよろめいて、また俯く。慧の理屈は当然理解できる。自分の行動がそれに反しているのも、命令違反が悪いことだということも。
「……それでも我慢できず飛び出すのが、君の悪癖なんだね」
「えっ」
「いや、実はもう君のことはよく聞いていてね」
態度を軟化させ、慧は微苦笑をこぼした。
「あくへきって……?」
「悪い癖のことだよ」
「いやそれは分かりますけど……」
「まさか、自分が命令を聞かずに飛び出すことが悪いとも思ってない……」
「いいえ!」
煌太は慌てて首を横に振る。
「でも……何つーか……その、我慢できなくて……とにかく、速く終わらせたいんです」
「……それを繰り返していたら、遠からず死ぬよ」
慧の言葉に、煌太は黙って視線を落とす。
「……いい先生を知っている。そこで実感してくるといいよ。実感しないと理解できないし、治らないだろうし、その実感のために死にたくないだろう」
慧は踵を返して歩き出す。煌太は落ちていた刀を拾い、重い足取りでそのあとを追った。
依代を陰陽課に引き渡し、武器の手入れをして、シャワーを浴びてから、煌太は支部長室へ通された。支部長のデスクが一つあるほかは、ファイルがぎっしりと並べられた本棚と、来客用のソファがあるのみだ。壁に掛かっているのは時計とカレンダーで、装飾らしい装飾は何一つなかった。
「いらっしゃい、お座りなさいな【アラハバキ】」
デスクに積み上がった書類の向こうから、煌太に声がかかる。煌太は礼をしてソファへ向かった。
煌太が座ると同時に立ち上がった支部長は、背の高い年配の女だった。煌太も、名前は知っている。桂樹美鶴、ダウンタウンを護る最前線となるアンダーシティ支部のサムライ、陰陽師を統べる司令塔である。
「茶だよ。ゆっくり飲んで気持ちを落ち着けなさい」
「は、はい」
「緊張してちゃ面接にもなりゃしないからね」
美鶴は書類を持ったまま煌太の向かいに座った。手や顔は皺が目立つが、スーツを着こなす佇まいはとても還暦を迎えているとは思えない。煌太は両手でカップを持ち、顔色をうかがうように美鶴を見上げた。
「藤虎煌太。九月採用組の飛び級かい。半年で、命令違反による反省室十四回、危険な行為による反省文二十八回、規約違反による始末書十二回、支部長室への呼び出し三十回……お前さんねえ。支部長室は校長室じゃないんだよ?」
「う……」
「高杉の坊やの報告じゃ、反省も改善も見られないときた。さてねえ。こんなお荷物抱えられるほどウチは暇じゃないし……」
「でも、俺、実力は保証しますから」
「当然のことをセールスポイントのように言うんじゃないよ」
美鶴が、万年筆の先端を煌太の目に突き付ける。
「サムライの免許を貰った時点で、あんたはマジモノを倒せる実力がある、それが当然のことなんだ。誇るんじゃない」
「……はい……」
「あんたの行動は、全部『速く済ませたい』ってことに繋がりそうだが……東北支部はそんなに人手不足なのかい?」
「いいえ」
「じゃあ、何で」
美鶴の鋭い視線に、煌太は口をつぐんで視線を落とす。
「……先輩達の作戦には従いたくないかい?」
「いいえ、でも、俺も俺なりに考えて……大丈夫だと判断して、動いているんです」
「……どうやらとんだナルシストのようだね」
美鶴の言葉に、えっ、と煌太は顔をあげた。
「……やっぱり、藤坊が適任かね」
「ふじぼう……?」
「あんたの教育係さ。高杉に呼んでもらったからありがたく教えを乞いに行くといい。そいつが認めたら支部に戻ってよし。以上、面接終わり」
美鶴は書類を机に置き、ソファから立ち上がった。
「……失礼します」
釈然としない、といった顔で煌太は立ち上がる。部屋を出ようとしたその背に、美鶴が声を投げかける。
「期待してるよ、ルーキー」
「……!」
その言葉に背を押されるように、煌太は扉を閉めて階段を駆け下りた。
建前でも、社交辞令でも。アンダーシティ支部の支部長、その人の一言はあまりに重い。慧、美鶴と立て続けに説教をくらい、沈んでいた気持ちが持ち直すには十分であった。
「我ながら単純……」
苦笑して、煌太は階段を降りてロビーへ向かう。
「ああ、煌太君。丁度良かった。今君の引き取り手が来てくれたところだよ」
ロビーの一角で、慧が振り返った。その向こうに立っている人物に視線をやり、煌太は足を止める。
「……え?」
黒髪の短髪に、簡素な服装。サムライのポーチと武器がなければ、一般人に紛れていても目立たないであろう。――――右目を隠す、黒い眼帯さえ無ければ。
眼帯の下にまで伸びる、目を潰しているであろう傷。左の眼尻の傷跡。首から下げた木札に、腰に携えている太刀。そのサムライの名前を、煌太はよく知っていた。
「……【ムラクモ】……?」
煌太の声が聞こえたのか、隻眼の偉丈夫は煌太へと視線を移した。心臓が跳ね、煌太は刀の鞘を固く握る。
「燈瑞、彼が例のせっかちさん。悪いけどお願いできないかな。支部長からもお願いするって。お礼はちゃんとするからさ」
「……鶴さんの頼みを断れるわけがないだろう」
サムライ、【ムラクモ】はがりがりと頭を掻き、煌太を手招きした。
「あまり長い付き合いにならないことを祈るが……藤虎燈瑞だ。よろしく頼む」
「……【アラハバキ】、名前は煌太っす。よろしくお願いします」
差し出された握手の手を握り返し、煌太はじっと燈瑞を見上げた。