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終章 閉幕

 一定の間隔で、点滴の液が落ちる音がする。ベッドの上では、霖之助が眠り続けていた。ベッドの周囲には、隔離のための透明なビニールカーテンがぐるりと引かれている。

「ありがとうございました」

 丸椅子に座り、綾音は青白い霖之助の顔を見下ろす。その隣で、煌太は頬を掻いた。

「俺は、何も……」

「いいえ。あなたがいなかったら、私達は死んでいた」

 綾音の首には、細々と文字が書きこまれた紙が巻きつけられていた。両手は手首を合わせて拘束され、服は白いワンピース一枚だ。

「でも、いたところで本当、助けたのはゲンブだし、切り崩したのは高杉さんだし」

 霖之助へと視線を移し、煌太は自嘲気味に笑った。

「勝機を作ったのはこの人だ」

「でも、その全てが、あなたがいなければ成り立たなかった」

 手首の縄を軋ませて、綾音は笑みを作る。

「あなたが来たから、高杉さんはホテルに来たんでしょう。あの人がいなければマジモノがきっと勝っていた。あなたがいなければゲンブさんはホテルに来なかった。あなたがいなければ、リンは、私の前に飛び出すなんてできなかった。あなた自身の評価がどうであれ、私は、あなたの行動が私達を救ったと思っています」

「……そうかな」

「だから、お願いですから、そんな辛そうな顔しないでください」

 すとんと、煌太の肩から力が抜けた。軽くなった頭を持ち上げて、眩しい窓の外へと視線を移す。

「……記憶、やっぱり、あるんだ」

「残念ながら」

 綾音は眉根を寄せて、困ったように笑った。どうして、一番辛い筈の綾音が笑っているのだろう。

「それが私の責任ですから」

 煌太の心内を見透かすように、綾音は続ける。

「道を踏み外した私を、あなたは見捨てなかった。でも、私がした行いが消えるわけではありません。悲嘆にくれてなんかいられないんですよ。悲劇を起こした犯人が泣いたって喚いたって、やかましいと言われて終わりでしょう?」

 煌太を見遣った綾音の顔は、やはり完璧な微笑を浮かべていた。

「……あのさ」

 煌太は立ち上がり、膝に乗せていたジャケットを取る。それを、綾音の頭にばさりと被せた。驚く綾音の頭を掴んで前を向かせ、隣に立つ。

「無理するの……あんまり、よくねえと思う」

「………………」

「俺昔から泣き虫でさ。怖いこととか嫌なことがあったらすぐぴいぴい泣いてたんだ。親父はそういうの厳しかったけど、よく、お涼さ……家政婦さんとこ行って泣いてた」

「お坊ちゃんだったんですね」

「話の腰折らないでくれねえかな?」

 綾音が顔を上げて、煌太は視線を逸らした。

「まあ、何だ。泣けるって幸せだと思うよ。大人になると大っぴらに泣けなくなるし。でも、苦しいことをずっと溜め込んでたら、心が溺れて死んでいく……らしい」

 ジャケット越しに、綾音の頭が動くのが分かった。俯いたまま動かなくなった頭から手を離し、煌太は椅子に戻る。空いた手でキーホルダーを転がしながら、もう片方の手でポケットを探った。

「ごめん、ティッシュはねえや」

 綾音の手の甲に雫が落ちる。ジャケットで表情は見えないが、肩は震えていた。

「……俺、外に行こうか」

 綾音は首を横に振った。煌太は浮かせた腰を降ろし、視線を遠くへと投げる。

 ビニール越しに見える窓からは、青空が見えた。隣の棟の屋上が、日を受けて白い地面となっている。空調でビニールが揺れるたびに、景色がぐんにゃりと歪んだ。

「……?」

 歪んだ風景の中に、人影が一つ立っていた。ビニールが揺れても、その人影は歪まない。煌太は目を擦った。

 影が振り向いた。顔は見えないが、背格好からして男だろう。一つに結ばれた髪が、風に揺れていた。白いシャツは眩しいほどで、美丈夫だろうな、と煌太は思う。

 ポケットで携帯が震えて、煌太は立ち上がる。「ごめん」と綾音に断って病室を出ると、廊下には数人の陰陽師が、険しい顔をして立っていた。

「彼女の様子は?」

「大丈夫ですよ」

 ドアを後ろ手で閉めて、携帯を取る。ゲンブからの着信だった。ドアに寄り掛かったまま留守電を聞くと、「手が空き次第折り返せ」とだけ残っていた。廊下の突き当り、屋上に続くドアへと視線をやると、立ち入り禁止の貼り紙が見える。息を吐いて、煌太はポケットに携帯を戻した。

「【アラハバキ】君」

 陰陽師の一人が、病室に戻ろうとした煌太の肩を掴んだ。アンダーシティに所属している一人で、あのホテルの現場にいた青年だ。

「そう心配そうな顔しなくても」

「君は少し彼女への肩入れが過ぎるから」

「……そうですか?」

「彼女はこれから本部預かりになる。……あまり深い縁を結ぶと、君が苦しくなるよ」

 陰陽師らしい言い方だな、と煌太は苦笑する。

「でも、俺にも責任がありますから」

 先の綾音を思い出しながら、煌太は微笑を浮かべてみせた。

「せめて俺くらいは、隣にいてあげないと」

 病室に戻ると、綾音は綺麗に畳んだジャケットを膝に乗せていた。

「……器用」

「数少ない取り柄ですから。……すみません、少し濡らしてしまって」

 差し出されたジャケットを受け取って、「そうだ」と煌太は顔を上げる。

「傷を抉るようで悪いけど、聞きたかったことがあって」

「何です?」

「カミの御業」

 煌太の顔に、綾音はすっと笑みを引っ込めた。

「……知ってるかなって」

 綾音は、縛られた手を口元に持っていき、人差し指を唇の前に立てた。

「あれは、ヒトの領域外にあるものです。知らない方が、幸せですよ」

「……そう。じゃ、さっきあそこにいた人は? 知合い?」

 さして落胆した様子もなく、煌太は窓へと視線を向ける。屋上に、既に人影はなかった。

「――それは」

 綾音も窓へと目を移し、絵画のような青空を瞳に映す。

「ツバキですよ」

「椿?」

「ええ」

 綾音は目を細めた。

「今日は春なのに暑いですから。そんな日は、少し見えたりするんです」

 何が、と煌太が聞く前に、綾音は口を閉じていた。

 部屋の中はまた、点滴の落ちる音だけになる。綾音は霖之助を、煌太は窓の外を瞳に浮かべて黙っていた。

 しばらく経ってから、かちりと、時計の針が時を刻む音がした。



 分厚い封筒を燈瑞に渡され、慧は露骨に顔をしかめた。

「これ、ぜーんぶ綾音さんの?」

「ああ。あれこれと書いていたらこうなった」

「卒論じゃないんだからさ」

 ダウンタウンの公園の端で、慧は封筒を開いて中を検める。

「……そういえば、処分が下ってから煌太君に会った?」

「いいや。しばらく謹慎……という名目の休暇だからな。謹慎の間は事務所にも来ないと言っていたし、かれこれ一週間は会っていない」

「僕もだよ。ゲンブ君はいつの間にか医務室作ってたし、色々聞きたいことあったんだけどなあ。今はそっとして置くのも吉なのかもしれないけれど」

 封筒の紐を閉じて、慧は頬杖をついた。

「彼の身の上というか、トラウマ? それからすると、今回の一件は関わらせるべきじゃなかったよ」

「……だが、結果として成長はしていると思うが」

「そう?」

 燈瑞は、缶コーヒーを慧の頭に乗せた。それを取って顔を上げ、慧はプルタブを起こす。かしゅっ、と子気味の良い音がして、ブラックコーヒーの香りが漂った。

「少なくとも、自分が間違えているかも知れないとは分かっている。まっすぐ駆けるのも才能だが、ブレーキは欲しいからな」

「あなたがブレーキになると思ったんだけどな」

「俺はただの迷子紐だ」

 空になったカフェオレの缶をゴミ箱に放り込んで、燈瑞は立ち上がる。

「あと一年もすれば化けるだろう。若い奴の成長は速い」

 慧の携帯と燈瑞の携帯が、同時に震えた。慧は缶コーヒーを口に咥えて、携帯の画面を見遣る。

「おっとぉ……マジモノ警報じゃないか。ここで出るってことはダウンタウンに相当近いね。若干後手に回ってるみたいだ」

 焦った足音が、二人に近付いてくる。燈瑞は、首に降ろしていたゴーグルを目元まで持ち上げた。慧も鞄に封筒をしまい、缶コーヒーを飲み干す。

「いた! 燈瑞さん、高杉さんっ!」

 駆け寄ってきたのは、頭にヤマブキを乗せた煌太だった。煌太は、息を整えながらヤマブキを前に突き出す。ヤマブキは地面に降り、燈瑞の服を掴んだ。

「【ムラクモ】、依頼だ!」

「了解した」

 公園の傍らに停めていたバイクに駆け寄り、燈瑞はヘルメットを被る。煌太を振り返ると、二つ目のヘルメットを突き出した。

「来るか」

「はいっ!」

 煌太は、燈瑞からヘルメットを受け取った。


(了)

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