幸せ。
窓より夕焼けの映える教室には、彼女と二人きりだった。
彼女と言っても恋人という意味ではない。ただの代名詞の『彼女』だ。
「いきなり失礼かもしれないけど、きみって無愛想だよね?」
彼女が言ったので、僕は勿論
「失礼だな」
と返す。
彼女は頬をわざとらしく膨らませたが、僕はどうもせずただじっとしていた。
無愛想なのは分かっている。そんなの昔からだ。小学生の頃も、中学生の頃も、そして高校生の今も、そのスタイルが変わった覚えは無いし変えるつもりも無い。今までの人生に満足しているわけではないが、だからと言ってわざわざ生き方を変える必要は無いはずだ。
「でもね……そんなんだったら、幸せが逃げちゃうよ?」
「幸せなんて、僕が捕まえるものでも無いよ。僕は目の前に現れる人生をなぞるだけだ。幸せが無くたって、人生は過ぎていく」
人生は用意されている。あらかじめ、人間がそこを通るずっと前から、その人間ごとに敷かれているレールなのだ。ありきたりな表現だが、僕の考えには丁度良い。
幸せなんてのは、そのレールが整備されているかされていないかの違いだ。人間によっては、そのレールに障害物があったり、はたまた途中で途切れていたり。それを不幸と呼ぶ。
レール上を進むだけの人間には、障害を取り除くことはできず、レールの先を埋めることも不可能だ。
「本当に無愛想だね、きみは」
「本当に失礼だね、きみは」
「でも、私は……違うと思うよ? そういう、何て言うのかな。きみの人生論みたいなのは」
「そりゃあ結構。だからと言って僕にきみの人生論を強制されるのは心外なんだけどな」
「強制はしないけど、知っておいて貰いたいんだよね。なんつーか、きみは……格好良いし?」
「僕が格好良いだけで自分の考えを押し付けるんだね」
「女の子って結構単純だからねー。特に私は。思い立ったが吉日っても言うじゃん。何かしら行動を起こしていないと、何か幸せが逃げていっちゃう感じがするの」
「またそれか。幸せは逃げない。幸せなんて初めから備わっていないんだよ」
「徹底的に意見が違うんだねー。とりあえず、私の話を聞きなさいよ」
これ以上言っても無駄だと諦めた僕は、手近に有った名前も知らないクラスメイトの椅子に腰掛けた。
それを見て納得したのか、彼女は満足げに頷き、僕と同じように近くの椅子に座っていた。
「幸せってさ、初めから持ってるものだと思うよ。みんな平等に、いっぱいの幸せ」
「……」
「私たちって、みんな小さかった頃は何でも楽しかったじゃない。逆に楽しくないことが見つからないくらい、何をしてても楽しかった。それって、きっと幸せを逃がしてなかったんだよ。言い方は悪いかもだけど、貪欲にただ楽しさを求めていたんだね。今の、丁度きみとは正反対。きみは幸せって人生全体を見て判断するものだと思っているんだろうけど、私は違うよ」
「……」
「幸せって、今が楽しいことを言うんだよ」
「後先考えずに行動すれば良いって言うのか?」
僕は気付けば反論していた。彼女は横に首を振る。
「ううん。そうじゃない。後先考えられない人間なんていないもの。例外無く未来の幸せを願う。だからね、単純な解決策があるんだよ」
「今を幸せに生きながら、未来の幸せも考えるっていうやり方」
「そんな都合よく人生は進まない! そもそも未来なんて知覚できるものじゃないんだ! そんなので人々の人生が幸せになるのなら、世界からはとうに悲劇は滅んでいる!」
「なら、その悲劇に巻き込まれている人たちは、みんな未来の幸せを願っていないんだよ」
「それはその人たちへの侮辱か? ずいぶんと破滅的な人格を持っているんだな」
「……きみがそこまで熱くなるとは思わなかったな。結構な現実主義かと思っていたけど、それならヒーローの素質満点だね」
「はぐらかすなよ。まさかきみは、悲劇の渦中にいる人間に対して、なんの感情も持たないのか?」
「そうだよ?」
彼女は、自分の考えはさも間違っていないかのように言う。
「狂ってるぞ、お前」
「そう? 正論だと思わないかな? 自分に何の関係も無い人の幸せなんて、自分の幸せと比べたら小さな物じゃん」
「他人のことも考えない奴に、幸せになる資格は無い」
「幸せになる資格はみんな持ってるってば。彼らはそれを活かしてないだけ。何で私が見ず知らずの人の幸せを考えなきゃならないかな。自分の幸せは自分で何とかしなきゃなのに」
「ひどいなお前は。人格破綻にも程がある」
「自分の幸せを考えない人は、他人の幸せなんて掴めないよ」
「……どういうことだ?」
「自分のことを一番良く知っているのは自分だから。まず自分の幸せを掴まないことには、他人の幸せの掴み方なんて分からないの」
「……」
「きみは、今、幸せなのかな?」
僕か?
応えは当然。
「不幸せだな。これでもかってほど、不幸せだ。お前みたいなのと話している時点で、どんな話題であろうと最低最悪に不幸せだ」
「あはははははは!! ひどい言われようだね。でも、きみはおこがましいよ。不幸せな時点でおこがましい。人はみんな、幸せでなくちゃいけないんだよ。何できみは不幸せなんだろうね?」
「言っただろ? お前と話しているからだ」
「違うね。きみが私と話しているだけで不幸せになると、決め付けたからじゃない?」
「じゃあ何だ。僕は自己暗示でもすればいいってのか? お前と話すと幸せになれる、とでも? 下らないな」
「下らない? その意見のどこが下らないの? 幸せになることができるのなら、自己暗示にでも何でも頼ればいい。これ以上無いくらいに簡単じゃないの」
「そんな偽りの幸せで、お前は納得できるのか?」
「できるとも。少なくとも、不幸せよりはずっとまし。幸せなら、虚構の幸せで十分よ」
「そんな虚像はすぐに消える。その像が消えたとき、計り知れない不幸が圧し掛かるんだぞ?」
「だったら虚像を実像に変えてしまえばいい。自分がどうなっても傷つかないように。どんな手を使ってでも幸せを永遠にすればいい」
「そんなことできるはずが無い」
「私は今、とっても幸せ。さっきも言ったように、顔だけなら満点のきみと話をしてるんだもの。だったらずっと話してれば私は幸せ」
「僕が今、窓から飛び降りたらどうする? 僕と話せなくなって不幸せだ」
「そうしたら、また幸せになれる方法を考えるよ。そうだね、とりあえず家に帰ってテレビ見て幸せ、ってのも悪くないよね」
「なら早く帰ったらどうだ? 僕と話す幸せがテレビを見る幸せで代替できるのなら、僕としてはとっとと帰ってもらいたいんだけど」
「無愛想だね」
「失礼だな」
彼女は何が楽しいのか、大声で笑う。
きっと、笑うことが楽しいのだろう。
僕は笑わない。
「うん。目標は達成できたし、もう帰ろうかな」
「目標?」
「きみの人生論を滅茶苦茶にしてやろーって目標」
「最悪だな」
「幸せでしょ?」
「不幸せだ」
彼女の目標通り、僕の人生論はもはや瓦解しているようだった。もう形跡さえも思い出せない。
「本当に不幸だ」
「じゃあさ―――――」
「幸せになろうよ」
幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。幸せ?
幸せって何だよ。
友達と遊ぶことか? 勉強でいい成績をとることか? 親に誉められることか? 美味しい物を食べることか? ぐっすり眠ることか? まさか、彼女と同じように、家に帰ってテレビを見ることか?
「幸せが分からないんだったら、ためしに、私と付き合わない?」
は?
「て言うか、私と付き合ってください」
まさか今までのは、前フリ? こんなに、僕を、不愉快にさせておいて?
告白? こんな空気で?
ありえない。
それ以上に、こいついい根性してやがる。
「返事は?」
勿論。
「―――――ごめん。はっきり言って、きみのことを万が一にも好きになれそうに無いんだ」
彼女は、少しだけ残念そうな顔を見せた。
「ちぇ」
それだけを呟いて。
彼女は椅子から立ち上がり、
別れの言葉も無しに、
教室から去っていった。
「あいつ……本当にいい根性してるな」
言いたいこと言って、僕の心を壊して、挙句には告白? 不愉快だな。
それでも、彼女にとっては全てが幸せだったんだろうけど。
彼女は幸せで、僕は不幸せ。
納得いかない。
彼女は僕にふられたのに、何で幸せなんだ?
普通、どっちも不幸せになるだろうが。
畜生。
幸せになってみたくなりやがった。
こんな最悪な日は今日だけで十分だ。
こんな最悪な日が二度と訪れないように、僕はテレビを見よう。
こんにちは、こんばんわ。
まりずみです。
突然ですが、幸せってなんでしょう。
一度は考えたことはあるのではないでしょうか?
結局、何なんでしょうね。
僕には分かりません。
だから、幸せの真理を知っている方、ぜひ教えていただきたいです。
僕は幸せになりたいですから。
では、まりずみでした。




