ラブレターの秘密
ラブコメっぽいものを書きたくて書きました。
9/13 改稿しました。
3/30 少しだけ改稿しました。
図書委員長である二年生の高槻明志は図書委員専用の事務室で弁当を食べていた。昼休みに図書室を利用する生徒のために、委員長は開室し事務室で昼食をとらなければならない。
それを憐れむような言葉を友人から貰った事もある。しかし、明志にしてみれば、見当違いも甚だしい。明志に言わせれば、ここは全く天国のような場所なのだ。
ポットもあるし冷蔵庫もある。食後にコーヒーを楽しむ事も出来るし、逆に冷たい飲み物を用意して冷やしておくことだってできる。教室で食べるよりもずっと整った環境だ。食堂のように煩雑さに不愉快になることもない。
何より、冬場に温かい飲み物を用意できるのが有り難かった。
ただ、匂いのきつすぎる汁物等については禁じられている。事務室とはいえ薄壁一枚で区切られただけで図書室の一部と変わりない。みそ汁等の匂いは覿面に漏れ出すのだ。
ポットの置かれている棚の後ろの壁には、独特の力強い金釘文字で「匂いの強いもの禁止」と書かれた紙が貼られている。先代の図書委員長が貼ったものだ。上記の失敗は先代委員長が犯したもので、その時はコンビニで買ってきたチゲスープを作ろうとして惨事が起きた。
匂いはたちまち図書室に充満し、読書を楽しむ生徒から苦情の嵐。その後、きっちり顧問にまでその話は伝わり、先代委員長はコテンパンに怒られた。ポットが撤去されなかったのは、顧問の教師もポットを愛用していたからで、その辺は幸運だったと言える。
顧問に理由を問われた先代委員長は事もなげに答えた。
「辛いものが食べたかったので」
この一言により顧問は怒りを通り越してあきれ果て、禁止事項の確認だけ行って解放されたとか。
明志が半分ほど弁当を食べ終えたころだった。
「おいすー」
軽い挨拶とともに一人の生徒が事務室に入ってきた。
ブレザーの内側に見えるネクタイの色が、彼女が三年生である事を示している。
彼女の名前は加古川通子。図書委員会における明志の先輩であり、先代の委員長でもある。つまりはチゲスープ事件の犯人であるが、彼女にとってそれは取るに足らない事らしく、気にも留めていないのだとか。
前向きで打たれ強く、頼もしさだけならそこいらの男子に引けを取らない。同時にとてつもない我儘という印象もある。
自称図書室を最も愛する女とのことだが、そういう人間が果たしてチゲスープを図書室で作るだろうか。図書室への愛とチゲスープへの欲求は確かに別物だろう。だが、そうしたことでどうなるか、を予想していなかったのだとすれば浅はかだ。分かっていてやったのなら図書室への愛は疑わしいものとなる。
思慮の浅い人か嘘つきか。上記の事件だけを見れば通子はそのどちらかに収まる人間となる。しかし、一年半という月日を図書委員として共に過ごしてきた明志は、それだけでは片づけられない何かを彼女に感じていた。結論として、不可解な人とカテゴライズされることとなっているのは、もちろん秘密である。
そんな不可解な先輩ではあるが、明志は彼女の事を悪く思ったことは一度もなかった。何しろ彼女と話していると楽しかったからだ。
二学期からの三年生は受験モードという事で、委員長職は明志が引き継いだが、今までと変わることなく図書室での食事を日課としている。
「こんにちは、加古川さん」
「ノンノン、違うでしょ明志」
「あー、通子さん」
彼女は名前で呼ばれることを好んだ。他人に対しても下の名前で呼ぶことが多い。それに対して、明志はそういうのがあまり得意ではなかった。隙あらば苗字呼びに戻そうとするが、通子がそれを聞き逃すことはただの一度もなかった。
「昼飯を食いに来たのよ」
分かり切ったことを言って適当な椅子に腰を下ろし、持っていた紙袋を開いた。中からはサンドイッチが出てくる。ラップで包まれているところから、手作りなのだと分かる。軽く断面を見ただけでトマトにレタス、ハム、チーズと具だくさんだ。
「委員長の職も終わったのに、毎日来ますね」
ちなみに彼女のほかにも三年生は何人かいる。しかし、二学期に入ってからはただの一度も姿を見せていない。
「まあ、ずーっとここで食べて来たからね。昼休みの教室に私の居場所はないのよ」
「寂しいことを」
「貴様も来年になればわかる」
そう言って、通子はサンドイッチに豪快にかぶりついた。
「コーヒー入れます?」
明志が訪ねると、通子は大きく頷いた。
昼食を終え、コーヒーを飲みながらぼんやりと時を過ごす。珍しく、昼の利用者がまるっきり来なかった。そうなると俄然暇なのである。
「受験勉強は大丈夫なんですか?」
「うん、私、確実に受かるところしか受けないから」
あっけらかんと笑う通子。実に彼女らしい、と明志は納得した。
「それに私、やり残したことがあるのよ」
「ほう、それは?」
「秘密」
唇に人差し指を当て、悪戯っぽい笑みを浮かべる通子。その姿に妖艶さを感じてしまい、思わずドキリとしてしまう。さっきまで大口を開けてサンドイッチを頬張っていた人とは思えない。
しばらくの沈黙の後、不意に通子が口を開いた。
「明志ってさぁ、ラブレターって貰ったことある?」
「無いですよ」
「だろうねぇ」
「ケンカ売ってんのか」
むくれる明志を見て楽しげに笑う通子。
「まあまあ、聞いてよ」
「聞いてますよ」
「仮によ、仮に、君がラブレターを貰ったとしてさ」
「念を押す必要あります?」
明志の苦情に対し、通子はあからさまに目線を逸らして何も答えない。
「んでさ」
「続けるんですね」
「中身が空だったらどうする?」
「捨てます」
「迷わない?」
「だって、悪戯でしょう?」
「決めつけるね。白い横長の封筒で、丁寧に糊付けしてあってハートのシールが貼られていたとしても?」
「やけに具体的だなぁ」
「差出人の名前は無く、封筒の表面の真ん中に印刷した文字で名前だけが書かれてあっても?」
通子は少し身を乗り出してきている。
「なんかあったんですか?」
「え?」
「やけに具体的だから。そんな事があったのかなと」
「あー、うん。クラスでね」
「へえ、事件ですね」
「そうなのよ」
明志は通子がワクワクしている理由が分かった気がした。推理小説好きによくある事だが、彼女も事件に巡り合うことを夢見ているタイプだ。こういう謎めいた出来事が身近で起こってはしゃいでいるのだろう。
「暇だし、詳しく聞きましょうか」
「暇じゃなくても聞かせるつもりだったけど、自主的なのは実によろしい」
二度ほど偉そうに頷き、それからわざとらしい咳ばらいを一つ。
そしてようやく通子は話し始めた。
「受け取った人間をA君とするわね」
「何で仮名?」
「そりゃ、どうせあなたの知らない人だから」
「はあ」
あまりこだわる事でもないと判断し、明志は続きを促す。
「A君は朝、登校してきて自分の席に着いた。それで机の中に教科書を入れようとしてそれを発見したの」
さっき話した封筒の事よ、と通子は付け加える。
「ハートのシールを見た彼はピンときたわけ。これってラブレターだってね」
普通はそう判断するだろう。
差出人不明のラブレターなんて、随分と古式ゆかしい人だ。ロマンチストとでもいうべきか。明志はそんなことを考えながら話を聞いていた。
「で、彼は宛名を確認した後、早速それを開封しようとして気付くわけ。中が空っぽだって」
「あの?」
「はい、明志探偵」
探偵って……。そういう者になったつもりはさらさらなかったが、通子の興をそぐ必要も感じず、明志は促されるままに質問をする。
「A君は教室で一人きりだったんですか?」
「ん?」
「だって、ラブレターなんて人のたくさんいる教室でいきなり開けたりします?」
その質問に対し、通子は眉を八の字にして唇を尖らせた。
「細かい奴ね。正確にはいきなり開けたりはしなかったわ。手紙をもってトイレに駆け込んだのよ」
「ああ、そういう事ですか」
学校と言う場で、トイレの個室に籠る事に危険が付きまとう可能性に目を瞑ってでも中を確認したい気持ちも明志には理解できた。
「しかし、すると通子さんはどこで知ったのですか?」
「ん?」
「いや、ラブレターをA君が貰ったってどこで知ったのですか?」
「ホントに細かいわね。えーと……」
通子の視線が宙を彷徨う。
「トイレから出てきたところをばったりとね。様子がおかしかったものだからカマをかけたの」
「それは災難な……」
「災難っていうな。まあ、私の鋭い観察眼をごまかすことができず、彼は白状する羽目になったわけよ」
「ノックアウト強盗みたいですね」
「誰が金属バットで人の頭ぶん殴って金品を強奪するのよ」
似たようなものだ、と明志は思ったがそれ以上何も言わなかった。
「さてと、ここからが本題よ」
「はあ」
「このラブレターは何だったのかって話」
「悪戯でしょう」
「その根拠は?」
「第一に中身を入れ忘れて封をしちゃった、なんてことはあり得ません。苦労して書いた中身を入れ忘れるなんて。しかも、封筒はしっかり糊付けされていた。入れ忘れた事に気付かないなんてないでしょう」
「ふむふむ」
「そして、教室ってのは意外と人の目がある場所です。周囲はクラスメイトばかりだから、何かしら不自然な動きをすれば誰かしらが気付きますよ」
「……ほう」
「からかってやれ、見たいな事で笑いながら机の中に放り込まれた可能性の方が高くないですか?」
明志としてはそれで充分満足のいく回答のはずだったが、通子は尚も食い下がった。
「朝早くとか、放課後誰もいない隙にとか」
「放課後、うちの学校は全員退出確認後、担任が教室のカギ締めるでしょ?」
「そうね」
「すると、最後までいた生徒ってのはおのずとバレますよ。朝も教室のカギを取りに来た奴が一番乗りですから、自然とそいつが怪しくなる」
「バレると不味いかな?」
どうしてもミステリ方向にもって行きたいのだな、と感じた明志は説明の方法を変えることにした。
「じゃあ、仮に本物だとしましょう」
「うん」
「さっき聞いた話で行くと、中身無し、差出人無し、宛名もワープロ打ちですよね」
「そうね」
「悪戯じゃないとしたら、正体を隠すことを最優先にしているんじゃないですか?」
「そう……かも」
「白封筒の中央に印字するなんて苦労、普通はしませんよ。それだけ徹底して正体を隠そうとしている人が、特定され易くなる行動をとるのがおかしい」
「うう……確かに」
ぐうの音も出ないのか、通子は唇を尖らせたまま黙り込んだ。
「まあ、ミステリを欲する通子さんの気持ちもわからないではないですか……」
「じゃあさっ」
窘めようとした明志の言葉を、通子は大声で遮った。
「……なんです?」
「これが本物だとしたらさ、誰が出したんだと思う?」
もはやこじ付け具合もひどすぎて考える気にもならない。明志はそう言いかけたが、通子の目が意外と真剣なので口を閉ざした。その後、改めて考えてみる。
知られたくないけど知らせたい。
伝わらないことで伝える手紙。
少し考えてから明志は結論を出した。
「これだけ正体を消しても伝わるだろう、なんて考えつくのはよっぽど親しい間柄の人だけですよ」
「そうね」
「それも、薄々お互いの感情が分かっているような間柄かな」
「甘酸っぱい間柄ってやつね」
そんな呼び方、明志は初耳だったが聞き流した。
「でも、それでもせめて、宛名は手書きであるべきですけどね」
「そうかな?」
「そりゃまあ、要件を書かないなら、差出人のヒントぐらい残すべきです」
「そっか、確かにそうだね」
納得した、とばかりに通子は頷いた。
「で、通子さん」
「ん?」
「なんなんです、この話。クラスであった話とか嘘でしょう」
「分かる?」
「分かります」
通子は悪戯っぽい笑みを浮かべ、軽く肩をすくめて見せた。
「なんだと思う?」
「小説でも書いているんですか?」
「……実はそうなのよ」
「じゃあ、無理して隠さなくても」
「だって恥ずかしくて……。初めて書くもんだからさ」
「誰だって最初は初めてですよ」
「分かったような分からんような事を……」
呆れたように通子はそう言い、座っていた椅子から立ち上がった。
「まあでも弱点も見えたし、相談して良かったわ」
「俺も相談して貰えて嬉しかったですよ」
「ほんとに?」
「はい」
明志の返事を聞き、通子は嬉しそうに笑った。
「それじゃあまた明日ね」
「はい、さようなら」
出て行く通子の背中を見送り、明志は軽く伸びを一つした。同じ姿勢で考え込んでいたものだから体はすっかり固まっていた。
体が伸びる快感を味わいながら、明志は考える。結局、どうやって手紙を仕込むかってところが抜けたままなんだけどな。まあ、明日はそっちの話で相談が来るかもしれない。いくつか手を考えておいてあげようか。
昼休みの残り時間を明志はそれに消費することにした。
翌日。
移動教室が終わって戻ってきた明志は、机の中に入っていた物を見て顔を強張らせた。
慌ててそれ胸ポケットに押し込め、高鳴る鼓動を押し鎮めようと深呼吸を繰り返す。
そのまま何気ない風を装って勢いよく席を立ち、椅子やら机やらに躓きまくりながら平然と教室を出る。そのまま速足でトイレに入った彼は、目撃者にもかまわず個室へと飛び込んだ。
胸ポケットからそれを取り出し、まじまじと眺めた所で気が付いた。
「何が小説書いてるの、だよ」
すっかり騙された。
悔しい。
悔しいけど嬉しい。
とてつもなく。
果たして彼女は今日、図書室にどんな顔で来るのだろう。そして、自分は何と返せば一番効果的だろうか。素直にはい、というだけじゃきっと彼女は満足しない。これは参った。授業何て受けている場合じゃないぞ。
そんな事を考えながら、彼はそれを改めてじっくりと眺めた。
ありふれた白い横長の封筒。
空っぽの中身。
しっかり糊付けされた封の真ん中に赤いハートのシール。
差出人は不明。
表替えしてみれば封筒の真ん中に「高槻明志様」と手書きで書かれている。
その文字は、独特の力強い金釘文字で書かれていた。
高校時代に図書委員会に所属していました。図書室で食べた静かな昼食は実に贅沢な時間だったと思っています。
ただ、僕にはこんなロマンチックな食後のトークは無く、男子同士のしょうもない話でうっかり大声を出してしまい、顧問の先生にボロクソ怒られた記憶しかありませんが。
ラブコメっぽく仕上がっていれば幸いです。