第三十八話 思ったよりもほのぼのと
「……………何をしているのだ俺は」
羽根は起きて一言目に、そう発した。
そして布団にくるまったまま、頭を抱える。
「ダンジョン……ダンジョンだぞここは。それなのにここまで無防備に……」
言うなれば敵地である。
しかし今の今まで、羽根はここで爆睡していたのだ。
昨夜、バレンタインチョコを糸目に渡した後、金澤瑠依は幸せそうな顔で倒れた。
一瞬全員が心配したが、ただ疲れて寝ただけであった。
連日の急ピッチのダンジョン攻略、しかも昨夜は徹夜までしていたので、彼らは等しく疲労困憊であったのだ。
見かねた糸目が部屋を貸し、そこに布団を敷いて男女で別れて寝たのが、ここまでの顛末である。
実に十時間。羽根は熟睡した。
「向井は……」
隣で寝ていたはずの向井の姿は無く、布団は綺麗に整えられていた。どうやら羽根が目覚めるよりも先に、起床していた様子である。
それに習って自身も布団を整えると、羽根は警戒した様子で部屋の外に出た。
「……改めて見てもやはり、家だな」
地下であるが故に窓はないが、廊下はまさに一般的な田舎の広めの民家といった感じであった。唯一不自然な点は、床がフローリングに似たレンガで出来ていた事である。
と、その廊下の壁に反響して、何かの音が聞こえてきた。
「銃声か?」
羽根は少々訝しみながら、廊下を進む。突き当たり、反響して分かりにくいが、音は右の方から聞こえてきた。羽根はそのまま音のする方向へ進んでいく。
暫くすると、毛色の違う部屋が見えてきた。その部屋の扉には民家らしさが無く、剥き出しのコンクリートである。見るからに頑丈な作りをしていた。
扉は開いており、廊下に強い白色蛍光が漏れている。銃声はその部屋の中から聞こえていた。
羽根はその部屋の前で少し躊躇したが、すぐに一歩踏み出した。
「失礼」
「あ、羽根刑事おはようございます」
「カレシ君さぁ、こいつさっさと帰してくんねぇ?」
羽根を迎えたのは、二人の声であった。
一人はいつもより幾分嬉々とした様子の向井であり、もう一人はうんざりとした表情の糸目隆司──ダンジョンマスターであった。
「……何をやっているんだ?」
問いつつ、羽根は部屋を見渡す。
そこにはあらゆる一般的な防具、武器が壁際に並べてあり、床には体育館のように線が至る所に引かれている。
部屋の一方には、頭を撃ち抜かれたであろう事切れたスケルトンが並んでおり、もう一方には向井が立っていた。
向井は両手に拳銃(試作ガビエル)を持っており、スケルトンも幾つか武器を持っていたようだ。対して糸目は素手。壁際で二人を眺めるような位置にいる。
「何って、訓練ですよ」
「部屋の外、扉の上に書いてるはずだぞ」
糸目に言われ、羽根は一歩下がって上の壁を見る。確かに札があり、そこには「第二訓練場」と書かれていた。
「……その魔物は?」
「俺が出した。ちなみにすぐ復活するぞ」
言うやいなや、糸目の言葉通りスケルトンの死骸は黒い霧となり、再びスケルトンを形作る。
「ダンジョンの幻か!」
「ああ、お前達はそう呼んでいるみたいだな」
スケルトンは復活したまま動かない。
糸目が「組め」と言うと、それぞれの武器を持ち陣形を組んだ。
「命令どおりに従うのか……」
「頑張って躾けてたからな」
「このスケルトンを相手に、暫く訓練していたんです。糸目、もう一度頼む」
「またぁ? 何度目だよ……ほら行け」
糸目の号令とともに、スケルトン達は動き出した。同時に向井も距離を詰める。……何故拳銃使いである向井が距離を詰めるのか、羽根にはよく分からなかった。
そして始まる接近戦。断続的に鳴る銃声。
糸目はいよいよため息をついた。
「この調子で訓練やめないんだよ、こいつ。カレシ君さっさと持ち帰ってくれない? 部下だろ?」
「生粋の訓練馬鹿だからな、暫くは話も聞かないだろう。……というか、先程からその『カレシ君』という呼び方は何だ」
「え? 違うの?」
「誰の彼氏だ誰の」
「またまた。言わなくても分かってるくせに〜」
糸目がニヤニヤと羽根に言う。
こいつは本当にダンジョンマスターか、と羽根は何度目か分からない疑問を浮かべた。
「出せる魔物はスケルトンだけなのか?」
向井の訓練姿を傍観していた羽根が、呟くように言った。
「……まさかカレシ君も訓練したいとか言わんよな」
「そんな危険な真似はしない。そしてカレシ君ではない」
「それならいいけど、何で?」
「向井の相手にしては少々弱すぎると思ってな。幻ならば仕方ないのかも知れないが……」
「可能っちゃ可能だな。ウチのダンジョンの魔物で、躾ができてる奴に限るが」
「ふむ」
「ちなみに、ちょっと魔力くれれば幻じゃない魔物も出せるぞ。それでレベルアップも出来るんじゃないか?」
「なっ──」
目を見開く羽根に対し、糸目はからかうような視線を送った。
「いや、向井君に好評だったらこの訓練場、地表にも作ってみようかと思ってるんだよな。冒険者達にも受けるだろうし」
「……貴様は」
羽根は糸目に対する認識を改めた。
確かにこいつはダンジョンマスターだ。そしてその上、糸目隆司は腐っても天才糸目明日香の兄なのだ。
(交渉材料……ということか)
羽根は頭の回転が悪い訳ではない。訓練場の価値が分かってしまう。
糸目は冒険者と言ったが、この訓練場はどちらかといえば、大人数を平均的に鍛え上げ、連携を身に着けさせるのにうってつけなのだ。
つまり練兵である。殆ど軍と化している警察や自衛隊が今、最も欲している環境である。
それを糸目は、敢えて羽根に見せつけた。警察側のメリットとして。
「……対価に何を要求するつもりだ?」
「おー、馬鹿じゃないなやっぱり。でも早急すぎる。結論を急ぐなよ。カレシ君にそれを決定する権利があるのか?」
「伝令役、という事か」
職務に忠実な彼は、見たままを国に報告することになる。その馬鹿正直さを、糸目は利用した。
「ま、それだけじゃ無いけどな……」
「お、やっと起きましたかー、寝ぼすけー」
部屋の入り口の外から、明日香が二人に声をかけた。
羽根と糸目隆司は会話を中断し、振り向く。
「明日香か。おはよう」
「おう妹よ。そちらの寝ぼすけはどうだ?」
「瑠依は起きる気配ないですねー。随分と気を張り詰めていたようでー」
「奴が起きるまで君らは待機か……さっさとこいつ帰らせてくれないかな」
「向井さんは何をー? ……ってああ、訓練ですかー」
明日香は入り口の札を見て、納得した。
「兄さんはここで何をー?」
「訓練の監視。ついでにカレシ君とお話を」
「だから……誰がカレシ君だと」
「おー、流石兄さん。慧眼ですねー」
「だろ?」「明日香!?」
明日香が何故かボケにのり、羽根は困惑する。
「何を言っているんだ!?」
「妹よ。もしかして違うのか?」
「そうですねー。こんな馬鹿と誰が付き合うかって話ですよー」
「そ、そうだな。我々が付き合っている訳がない」
「羽根ー? それは私が魅力的でないという意味ですかー?」
「ちが……そういう訳では……! 明日香! 何だ君面倒くさいな!」
「よしそこだ妹よ。もっと押せ。行けるぞ」
「君は君で何を言っているんだ!?」
「分かってますよ兄さんー」
「分かってますじゃない!」
明日香はラジャ、と兄にハンドサインを送ると、さらに煽ろうと羽根に近づく……が、すぐに離れる。
鼻をつまんで顔をしかめた。
「羽根ー。臭いですよー」
「ぐはっ」
「そうだな。俺もずっとそう思ってた」
「ぅぐ……」
地味に隆司からの口撃の方が効いた羽根である。
何分、暫くダンジョンで過ごし、昨夜はそのまま布団に入ったのだ。臭くて当然とも言える。
「お風呂入ってきたらどうですかー?」
「風呂……あるのか?」
「私も先程入ってきた所ですしー」
明日香の服装は明らかに寝巻きといった上下で、頭にバスタオルを巻いていた。
「そうだな。明日香、案内してくれ」
「了解ですー。じゃあ羽根ー、取り敢えず部屋からまだ綺麗な着替え持ってきて下さいー」
「あ、あぁ」
兄妹の連携によりスパスパと話が進み、ただ相槌を打つしかない羽根であった。