第三十七話 そういえば今日は
勝手口と書かれた通路の前、四人は立ち尽くす。
「……いやいや、罠だろ。流石に」
「『マップ』上では罠はないみたいですがー、いくら何でも怪しいとかいうレベルじゃないですよねー」
「むしろ罠じゃない理由を聞きたいくらいですね」
「大丈夫よ」
迷う三人をよそに、瑠衣は臆することなく通路に入った。
「……だから先行するなと……」
「良く躊躇なく入りましたねー。兄さんのことですー、こういう意味のわからない罠を仕掛けちゃうタイプですよー」
「思い返してみなさい。私があなた達の家を訪ねて、追い返されたことがあるかしら。いつもリビングまでは入れてくれていたでしょう?」
「ここは家の前にダンジョンだと思うんですがねー……」
大きくため息をついたあと、明日香は羽根を見た。
「まあ、ボスに進むにせよこの道を進むにせよー、危険なのは変わりないっちゃないですしー」
「まだ可能性があるこっちの道の方が良いってわけか……」
どうせ瑠衣は、止まる気がない。羽根も諦めたように頷いた。
「進もう。勝手口とやらに」
ここは来客用のロビーだ。
いくら客人とはいえ、流石に自室やダンジョンを管理している中核にまで招き入れるわけには行かない。あくまで俺が対応するためだけの場だ。ルドルフに関しても、だいたいここに通している。俺の身になにか起こるという万が一の場合にも備えた部屋だ。ある意味囮とも言える。
とはいえ、ぶっちゃけ来客用と想定して作ったが、実際に使うことになるとは正直思っていなかった。つか俺が対応する来客とか考えてなかった。ルドルフと会うのに一々移動するのも面倒で、大体ゲームの時間とダンジョン管理の時間以外はここで過ごしていたりしたのだ。おかげでロビーというには生活感バッチリである。ほぼリビング。
そして、そのロビーにつながる扉が、ゆっくりと開かれた。
「やぁ、客人諸君? ようこそ我が……」
「隆司様ーーーー!!」
「んごふっ!」
かっこよく決めようとした所で、扉が勢いよく開かれ、瑠衣が飛びついてきた。
……大げさに吹き出してしまったが、別にダメージはない。流石にステータス差がある。
「……瑠衣? 久し振りだな……?」
「隆司様隆司様隆司様隆司様隆司様隆司様隆司様隆司様隆司様」
「だめだこりゃ。聞いちゃいねぇ」
俺の腹にグリグリと顔を押し付けてくる瑠衣。俺のファンを自称するならもう少し節操持ってくれ。せめて涎は拭いてくれ。いや俺の服で拭けと言っているんじゃない。ああああ服が汚れる。
「マジで勝手口でしたかー……お久しぶりですー、兄さんー」
「おー、久し振り明日香。元気そうで何より」
「……元気に見えますかー?」
「疲労困憊に見えるな。どうした何かあったのかい兄さんに話してみなさい」
「実家を鬼畜なダンジョンに変えたバカが居るんですよー。そのせいで疲れてるんですー」
「何、そいつは酷いな。顔が見てみたいものだ」
「この部屋鏡ありましたっけー?」
なに、俺をそのバカだと言いたいんだな? 何も反論できないな、ははは。
と、久し振りの円満な兄妹の交流をしていたところで、男の一人が声をかけてきた。確か名前は羽根だったかな。
「……随分と、こう、普通というか、生活感溢れるという感じだが、本当にダンジョンマスターなのか?」
「ん? まあそうだな。これでもこの家の主だ」
チャキッと音がした。
どうやらもう一人の男──確か向井──が、銃に手をかけたようだ。
(羽根刑事……どうします……? 無力化しますか?)
(いや。会話ができる以上その手段は許されない。抑えろ)
こちらに聞こえないように声を抑えているようだが、おーい、聞こえてますよー。化物ステータスを舐めないでいただきたい。敢えてこちらから教えることはしないけども。
しかしそうか、ダンジョンマスターは一応精神ぶっ壊れていようと日本人のはずだ。どう対応しているのかと思ったが、殺す以外の無力化は許されてるわけだ。そんで患者として精神病院に隔離……といった流れだろうか。
「それで? どうやら廃人にはなっていないようだが、ダンジョンコアと融合したんじゃないのか?」
「へぇ、そこまで知られているんだな」
「こちらも研究しているからな。それで、返答は?」
「ああ。ダンジョンコアと融合はしていない。だから精神も侵されていない。特殊な状況だとは思う」
「出来れば詳しく教えて貰いたいものだが」
「ノーコメントだ。そこから先はプライバシーの侵害だな」
俺の突き放すような言葉に、羽根くんは目を細める。
「それを判断するのはこちらだ。話してくれれば、個人情報としてこちらで管理しよう。他言はしない」
「それじゃあ意味ないんだ。じゃあ言い方を変えよう。黙秘する。何より、それほどそちらにとって重大な情報じゃないんだ」
「それを判断するのはこちらだと言っている。君のような状況となっているダンジョンマスターが次に現れた場合、そしてその人間が反社会的だった場合、その対策が必要だ」
「特殊な状況だって言ったはずだ。俺の他に現れるとは思えない」
「だが現れる可能性はある」
「じゃあ現れたら情報を公開しよう。それに、それよりも優先すべき問題があるんじゃないか?」
そう言いながら、俺は自分を指差す。それを見て、羽根はため息をついた。
「君の動機か。そのために君の状況を知りたいんだ。もし君が強制的にこのダンジョンを管理させられているなら……」
「強制はされていない。誓うよ。俺の自由意志で、ここにダンジョンを作った」
断言した俺に対し、暫し沈黙する羽根くん。
「……なら尚更分からないな。なぜ我々人間と敵対するようにダンジョンを管理しているのか」
「引きこもりたかったから」
「………………は?」
随分と長い溜めだった。羽根くんの間抜け顔が笑える。
「自宅警備員になりたかったんだ」
「……わざわざダンジョンを作って?」
「それほど手間じゃなかったんだ。ちょっとした庭の自己防衛装置だって」
「罠に引っかかった冒険者が山ほど居るだろうが……」
「ウチの庭で転んだみたいだな」
「モンスターに関しては?」
「ウチの番犬、気性が荒くてさ。もしかして彼らに怪我させたかな? 慰謝料払えばいいかい? 確か死人は出てなかったはずだ」
「宝箱を餌にして、冒険者を誘き寄せたのは……」
「ウチの庭の作物だな。家庭菜園やっててさ。本当は冒険者諸君の不法侵入、窃盗、器物損壊だと思うんだが、俺は事を荒立てたくないから何も言わないよ」
「…………」
羽根くんが信じられないような目で見てくる。
いや全部屁理屈だよ。でも理屈だ。実際にそういうつもりでもあった訳だし。
「羽根ー、諦めてくださいー。私の兄はこういうやつですー」
こういうやつとは何だね我が妹よ。
すると、暫く目線を下に向けて考え込んでいた羽根くんが、バッと顔を上げて、
「保留だ」
と言った。
「保留?」
「君の事は、現行の法規では裁けないと判断した。どうやら無闇に周囲に危害を与える危険人物と言うわけでもないようだから、一旦保留だ。上司に判断を仰ぐ」
おお。カッチカチだ。
「妹よ。もしかして羽根くんはバカなのかい? 頭が固いタイプの」
「ですねー。これでも柔らかくなった方なんですからー、驚愕ですー」
「聞き捨てならないな。大体今回に関しては大分柔軟に……」
「隆司様ぁ!」
どうしたんだ瑠衣。
会話の間もずっとグリグリやってた瑠衣が、顔を上げてこちらを見た。
うっわ。
うっわ。
すっごい顔してる。興奮して恍惚としているし、涙やら涎やら体液でぐちゃぐちゃだ。体もずっとモジモジと変な動きを周期的に繰り返している。
たまに痙攣してるのが俺の恐怖を煽る。
あとどっからか謎の視線を感じる。
なんだろうなー。誰だろうなー。監視カメラから感じるけどまさかコアじゃないよなー。
「はぁ……はぁ……隆司様ぁぁぁ」
「おい落ち着け? 流石にヤバイことになってる。少なくともお茶の間に見せられない感じになってるぞ」
「はぁ……はぁ……」
だめだこいつ早くなんとかしないと。
会話が通じない。はぁはぁ息づいて戯れてくるとか犬かな? むしろお手とかすら言うこと聞かないから犬以下かな? 帰ってこい人間の知性。
もしかして大分拗らせてるなこいつ? 暫し放置している間に偉いことになってるみたいだ。昔はこんなんじゃなかった……と思う。多分。自信ないけど。
「兄さんー。取り敢えず殴って気絶させればどうでしょうー?」
「おい、一応タレントだぞ……?」
「ポーションあるのでタンコブくらい治せるでしょー」
いや俺のステータスで殴ると頭がパーンだ。だから反撃できないのだ。
「はぁ……はぁ……」
「あ、ちょ、まずい」
マジで理性を失っておられる。
瑠衣の黒手袋に包まれた手が、俺の腕を床に抑え込んできた。
要するに押し倒された。
まずい食われる。性的に。
「隆司様ぁ」
「はい、何でしょうか。出来ればどいて頂けると助かる」
「あなた様に会うために……冒険者になったんですぅ」
あ、すごい。会話ができる。
いや出来てないや。完全に一方通行だわこれ。言葉をキャッチボールしてこそ初めて会話。
「んふふ……ご褒美下さいなぁ」
ご褒美って知らんがな。そっちが勝手にやったことやろがい。俺は別に冒険者になってくれなんて言った覚えは無いってんだ。
もう腕折ってでも強引に抜けちゃおうかな。
……と、そこまで考えたとき、彼女の手に違和感を覚えた。
いや、端から違和感はあったんだ。瑠衣は別に、手袋とか常時つけるタイプじゃない。感触が気持ち悪いとか言って。外は寒いから手袋をつけるのは分かるが、ここは室内で温かい。なにより彼女のつけている手袋は、防寒用じゃない。
そして、その手袋の内側。指や手のひらに硬い感触があった。
(……タコか?)
メイスだこ、とでも言うんだろうか。多分あのメイスを振るために出来たたこだ。手袋越しによく触ってみると、随分と荒れた手だ。
今はポーションが一般的に広まり、スキンケア用のポーションなんか発売されているくらいだ。多少マメが出来たとして、それくらいポーションでどうにかなる。
しかしポーションの回復量が追いつかないほど激しく訓練したり、常時傷を作っていたりすると、治りきらずにタコができたままになると聞いたことがある。
そうか。そしてこの手を隠すための手袋って訳か。
(俺の記憶違いじゃない。確かに元々瑠衣は、運動能力は高くなかったんだ)
それが今や、タレント一の冒険者と呼ばれるまでになった。タレント業をこなしながら、どれだけの修練を注ぎ込んだんだろうか。
彼女のレベルは、92という数値まで上り詰めていた。羽根くんと違って、能力が無いにもかかわらず。
スライムで楽々レベル上げした俺には、知り得ない程の努力だ。
全部俺のため、というのが本当かは知らんが。
ただただ凄いと思った。
だから、これは当然の行為だ。
俺は少し強引に彼女の手を振り払い、頭に手を乗せる。
「……へ?」
頭に手を載せられた瑠衣は、何が起こっているか分からないといった表情で固まった。
「凄いよ瑠衣。よく頑張ったな」
瑠衣は頑張った。だから褒めた。
当然の行為だろう。
「え……えぁぁ」
俺の言葉に変な声を出して、徐々に顔を赤くしていく瑠衣。
おお、何だか初めて言葉が通じた気がする。宇宙人と初めて言葉を交わしたみたいな感動がある。
と、少し心配になるほど顔を赤くしたあと、瑠衣は目を回して気絶してしまった。
ええ……?
「あちゃー、そりゃそうなりますよー」
明日香が呆れ顔で、脱力した瑠衣を支える。
俺もこの隙に、彼女のマウントポジションから逃れた。
ついでにどんどん冷たさを増していた監視カメラからの視線も、若干緩やかになった。
「俺、顔を赤くして気絶する奴初めて見たわ」
「まあー、睡眠不足もありましたしー、ずっと気を張ってたこともあると思いますよー。でもー、このまま寝かすわけにも行かないのでー、えーい」
バチーン。
容赦ない明日香のビンタが瑠衣を襲う。
ええ……?
「お、おい明日香? 一応タレントの顔だぞ? 往復ビンタはやめとけって」
「そうは言っても羽根ー、ここで寝かしたら日付過ぎちゃいますしー、無駄骨になっちゃいますからー」
そう言いつつ、往復ビンタを止めない明日香。瑠衣の顔がさらに赤くなっていく。大丈夫かアレ。
そういえば期日ってなんの事だろうか。もう日付が変わるまで五分くらいしかないが大丈夫か?
何か用事があるのだろうか。
「ほらー、瑠衣ー、今起きないとー、今年も渡せないですよー」
「………はっ! そ、そうだったわ!」
おお、起きた。
瑠衣は正気を取り戻した目で自分の荷物を漁り、何か大きな物を取り出した。
両手で抱えるサイズだ。宅急便で言うところの80サイズ?
綺麗に可愛く梱包されている。リボン付きだ。
それをこちらに差し出しながら、必死な表情で瑠衣は言った。
「隆司様……! これ、去年渡せなかった分も含めて多くしました! 今年のバレンタインチョコです! 手作りです! 受け取ってください!」
……あ、チョコですか。そうですか。
君毎年くれてたね。
……そういえば今日は、バレンタインデーだったな。