銀白のオオカミと、たったひとりの友達
あるところに、ひとりぼっちの少女がいました。
少女は町の外れの今にも崩れてしまいそうなお家で、さみしく細々と暮らしています。少女は、家族の顔を知りません。新月の夜に生まれた少女は「不吉の子」と恐れられ、捨てられてしまったのです。
少女は家族の優しさも、暖かな人のぬくもりも受け取ったことはありません。それでも、少女の心は初夏の空のように澄み渡り、水晶のように穢れを知りません。
「おはようございます。朝生まれた卵をもってきました」
「いい朝ですね。森で採れたきのこです。食べごろですよ」
「薪を割り終わりました。他に、お手伝いすることはあります? 」
働き者の少女は、誰も恨まず、文句ひとつこぼさず、せっせと働きます。たとえ町の人が目を逸らしても毎日挨拶を忘れず、黙って小銭を渡されても笑顔でお礼を言いました。そうして少女は、一日一日を懸命に生きていたのです。
冬のよく冷える朝のことです。
寒さに目を覚ました少女は、窓の外を見て驚きました。しんしんと降りしきる雪が、一夜にして景色をまっしろに変えてしまったからです。
「まぁ、大変。にわとりさんが、凍えてないかしら」
少女は心配になりました。真っ赤なフードをすっぽりとかぶり、暖かな格好に身を包んだ少女は、いそいそと雪の中を歩きます。
幸い、昨夜のうちににわとり小屋を囲いで覆っておいたので、にわとりたちは凍えることなく、ぬくぬくと気持ちよさそうに寝ていました。安心した少女は、せっかくなので雪原を散歩します。
きゅっ、きゅっ。
きゅっ、きゅっ。
少女が一歩すすむと、雪が音を鳴らします。次第に楽しくなった少女は、リズムをつけて踊るように歩きました。
そのうち、少女は自分の他にも、雪をふむ者がいることに気が付きました。姿は見せないのにまるで一緒に踊っているように、その誰かは少女にあわせて雪をふみます。
「あなたはだぁれ? 」興味をひかれ、少女は呼びかけました。
「隠れているの? あなたに会いたいわ」
「出てはいけないよ。君を怖がらせてしまう」
誰かは、悲しそうに答えました。少女は驚きました。誰かと話すなど、少女は初めてのことだったのです。どきどきしながら、少女は一生懸命よびかけました。
「怖がったりしないわ。わたし、あなたと一緒にあそびたいの」
「君は僕をみていないから。僕をみたら、後悔する」
「そんなことあるもんですか。ねぇ、お願いよ」
少女が懇願すると、誰かは困ったようでした。ですが、しばらくして、少女の前に一匹の真っ白なオオカミが姿を現しました。
雪に溶けてしまいそうな銀白のオオカミに、少女は目を奪われました。凛とした佇まいは恐ろしくもあり、そしてなんと美しいのでしょう。
「驚いたかい? 」オオカミの深い声に、少女は目を丸くしたまま頷きました。
「驚いたわ。あなた、すごく素敵なんだもの」
「それは驚きだ」オオカミは笑ったのだと、少女にはわかりました。
ひとりと一匹は、すぐに一番の仲良しになりました。
純白のからだを持つオオカミと少女は、あくる日も、そのまたあくる日も一緒にあそびました。そうして、強い絆が結ばれていきました。
「一番? いいや。僕の友達は君だけ。たった一人の友達」
「わたしのお友達も、あなただけ。はじめてできた、大切なお友達」
ふたりは互いのことを知りたくて、いろんなことを話しました。
好きな食べ物、好きな季節、好きな色、好きな空。
ひとりぼっちだった少女は、オオカミとふたりっきりになりました。ふたりというのは、とても素晴らしいことでした。彼と一緒にいるだけで、心が暖かく、とても幸せでした。
「僕も同じさ」オオカミは少女に顔をすりよせ、言いました。
「君に会って、僕の世界は変わった」
町の人たちは、少女がオオカミと仲良くなったことで、ますます少女を恐れるようになりました。オオカミが言う通り、他の人たちは彼のことをひどく怖がったのです。
「おかしな人たちね。あなたのどこが怖いっていうのかしら」
少女が憤慨して言うと、オオカミは穏やかに首を振りました。
「仕方がないんだ。人は心が曇ってしまうから、目で見えるものが違ってしまう」
「変なの。どんな風にみたって、あなたはあなたでしかないのに」
少女は首をかしげます。オオカミはたいへん賢く物知りなのですが、時々、少女には難しいことを言います。
「人間には、それがとっても難しいんだ。だから、彼らはわからない。君がどんなに美しく、どんなに清らかな心を持つのか。僕だけが、それを知っている」
「私も知っているわ。あなたがどんなに優しく、気高いオオカミなのか」
時が経ち、少女は16才になりました。穢れのない美しい心はそのままに、少女はたいそう美しい娘に成長しました。少女を恐れながらも、町のひとたちは残念がりました。彼女が「不吉の子」でなければと、皆が惜しく思ったのです。
美しい少女の噂は、やがて王都にまで届きました。その評判は、ついに王子の耳にまで入りました。媚を売るだけの貴族の娘にうんざりしていた王子は、噂の少女にひとめ会いたいと願い、こっそりと城を抜け出しました。
美しい金髪をフードで隠し、王子は身分を偽って町を訪れました。町の人は、まさかこのボロ布を纏った青年が王子とは気づかず、手を貸そうとはしません。それどころ薄汚れた服装の彼を罵り、扉を閉め、鍵をかけてしまいました。
遠い道のりを馬にのってきた王子は、くたくたに疲れていました。加えて、町の人たちの冷たい仕打ちに、すっかり悲しくなってしまいました。聡明な王子はわかっていました。王子という身分がなければ、誰も見向きなどしてくれないのです。
ところが、ただ一人、銀色のオオカミを連れた美しい娘だけが違っていました。
意識も朦朧に、王子が町の外れのボロ家の前を通りかかったところ、娘が家から飛び出し、王子の体を支えてくれました。
「どうしたの、あなた倒れてしまいそうよ。ああ、大変」
娘は王子を寝床に寝かせてくれました。疲れ果て、ぐっすり眠った王子が目を覚ますと、娘は温かなスープとパンを用意してくれていました。
決して快適とは言えない部屋なのに、王子はこんなにも暖かな部屋を知りません。
普段食べているものよりずっと質素なのに、こんなにも美味しい食事を知りません。
王子は確信しました。この美しく心の清らかな娘こそ、王子が探し求めた運命の女性だと。
「あなたは素晴らしい女性だ。僕と、一緒になってください」
フードを脱ぎ去り、身分を明かした王子は、娘の前に恭しく跪きました。王子もまた、澄み渡った心を持っていたので、娘も王子に恋をしました。
王子が娘に求婚したということは、たちまち王国全土に知れわたりました。
それが「不吉の子」だということで、貴族の娘は怒りました。身分も気品も、自分たちの方が王子に似合っていると、誰もが信じて疑わなかったからです。
扉を閉め、鍵をかけていた町の人たちも、娘を憎らしく感じていました。彼を王子と知っていたら自分の娘を売り込むチャンスだったのにと、悔しがりました。
どうして、皆わからないでしょう。王子が娘を好いたのは、媚も野心もなにもない、娘の心の純粋な美しさだというのに。
娘はいまや、王国中から敵意を向けられていました。愛する人の心を得たというのに、娘はちっとも幸せではありません。おそれられ、忌み嫌われた娘でしたが、こんなにも悪意に満ちた目を向けられるのは初めてのことです。
あんなにも美しく、笑顔の絶えなかった娘は、次第にふさぎ込み、顔からは血色が薄れていきました。そんな娘のことを、オオカミは心配しました。
「彼とは一緒にならない方がいい」オオカミはそう忠告しました。
「どんなに彼との愛が深くとも、君は悪意に耐えられない。傷つき、血を流し、やがて君が君でなくなってしまうだろう」
「それでも、あの方を愛しているの。苦しいわ、オオカミさん。私の大切なたったひとりのお友達」
娘がぽろぽろと流す涙に、オオカミは胸が痛みました。それに、オオカミは娘に打明けずにいることがありました。森で暮らすオオカミは、王都に嫁ぐ娘についていってやることはできません。もう一緒にいることができないのです。
「僕の大切な君。僕の世界に君がいればそれでいい。君は違うの? 」
本当は、オオカミは娘にそう言いたかったのです。ですが、優しく聡いオオカミは、そっと言葉を飲み込み、涙を流す娘に寄り添いました。王子のかわりにオオカミはなれず、オオカミの代わりに王子になれず、それをちゃんと知っていました。
ついに、娘は病床に伏してしまいました。心配した王子が、すぐにでも娘を城に呼び寄せようとしましたが、オオカミがそれを止めました。弱った彼女の体は、長い旅を耐えられないことでしょう。
娘は、オオカミと二人で過ごすことを望みました。町の外れの崩れてしまいそうな小さな家に、娘とオオカミはふたりっきり。それは、二人が友達になってから幾度の昼と夜と過ごした、幸せな時間と同じでした。
ある寒い夜、村のまわりに雪が降りました。まるで、二人が出会った日のように、雪は辺りをまっしろにかえていきます。
その光景をみながら、娘が穏やかに微笑みました。
「雪は好きよ。あなたと同じ色だもの」
「僕も雪は好きだ。君とたくさんあそんだから」
オオカミがそういうと、娘は寂しそうに目を細め、寄り添うオオカミの体を撫でました。
「オオカミさん、もうすぐ私、とても遠くへ行くわ」
「いけないよ。君は、そこへ行くべきじゃない 」
白い毛を揺らし、オオカミが必死に頭を振ります。ですが、オオカミがどんなに縋っても、娘の命の灯火は今にも消えてしまいそうでした。
「ああ、オオカミさん。私のたったひとりの、大好きなお友達。目を閉じた時、きっとあなたのそばにいると約束するわ。だから、泣かないで。あなたが悲しいと、私はとてもつらくなってしまう」
娘は一筋涙をこぼすと、そっとまぶたを閉じ、眠りにつきました。窓の外では、しんしんと雪が降り積もり、その度に娘の命の灯は弱くなっていきます。
オオカミは決心しました。オオカミの瞳から、しずくの形をした水晶がこぼれおちました。それは、どんな宝石よりも美しく、ガラスのように透き通っていました。
そのしずくを大切にうけとめると、オオカミはそっと娘の手に握らせました。
「僕の心をあげる。これは君を想う、僕の心の全て。君を傷つけるものを退ける矛となり、君を守る盾となるだろう。ああ、大切な僕の友達。僕は君を忘れてしまう。それでも僕は、君に生きてほしい。どうか、許しておくれ」
オオカミはそれだけ言うと、眠る娘をおいて家を飛び出し、真っ白な雪原に消えてしまいました。
数日後、娘は目を覚まし驚きました。枕元に、愛しい王子の姿があったからです。さらに、体を起し娘はふたたび驚きました。体がすっかり良くなり、嘘のように気分がよくなっていたのです。
「王子さま、オオカミさんはどこ? 」
嬉しくなった娘は、ずっと看病してくれたオオカミに、元気になった姿を見せたいと考えました。ですが、王子は悲しそうに首をふりました。
「僕の愛しい人。彼は行ってしまった。彼は最後に、僕を君のところへ呼んでくれたんだ」
王子の言葉に、娘の美しい目には涙があふれました。
娘の手には、しずくの形をした水晶がありました。見覚えがないのに、なぜかそれは優しい銀白のオオカミが残したものだと、娘にはわかりました。いくつもいくつも大粒の涙が娘の目からこぼれ、水晶を濡らしました。
しばらくして、娘は王子さまの待つお城に嫁いでいきました。
貴族たちや、町のひとたちは娘を妬み、いじわるをしようとしましたが、どれ一つとして上手くはいきません。しずくの形をした水晶が娘を守り、悪意をすべて跳ね返したからです。そのうち彼らも、娘があまりに清らかで純粋な心を持っているとわかり、いじわるをすることを諦めてしまいました。
やがて王妃となった娘は、愛しい夫との間にたくさんの子供に恵まれました。子供たちは、寝る前に王妃が話してくれるオオカミの話が大好きです。
「お母さま、オオカミさんのお話をして。銀色の優しいオオカミさん」
「ええ。もちろんよ。愛する子供たち」
昔より、大切な人がずっと増えた王妃さまですが、はじめての友達のことを話すときは、とても心が温かくなります。王妃さまはじずくの形をしたペンダントを胸に、愛しい子供たちの頭を撫で、こう話し始めます。
――むかしむかし、あるところに、ひとりぼっちの少女がいました。