死について語ること
死について語ること
aoto
とある心理カウンセラーに送られてきた手記がある。
白い長方形封筒から三つ折りで取り出されたのは、プリンター印刷された、パソコンのワード原稿だった。手記とは別に、挨拶文を載せた送付状が一枚同封されていて、患者の律儀な性格を窺い知ることができるようだった。
拝啓――以下略。
先生に勧められてから、遠藤周作の『沈黙』を拝読いたしました。
巻末に描かれるロドリゴのやけにすっきりしている虚無感は私にとって重要な参考となりました。
読後、死について思うところがいくつかあったので、手紙にしたためることにしました。
頭の中にあるものを、無理やりにでもいいから文字化すること。
この方法も先生から教わったことの一つです。たいへんありがたく思っています。
一つ。
小学五年生の頃、曾祖母が亡くなりました。
曾祖母の家は、私の家から百メートルも離れてはいなかったのですが、曾祖母と直接面識があったわけではありませんでした。
私の家族も葬式に参加しました。朝から出かけた葬式はいっこうに始まる気配がありませんでした。
大人たちはなにやら小部屋で雑談に忙しく、大人は大人だけで、子供は子供だけで集まる構図が出来上がっていました。
子供は私を含め、小学生ばかりが八人広間にいました。私たちは葬式の退屈さから、どたばたじゃれあって時間を過ごしました。手押し相撲を行ったり、年長の女の子にわけもなく体当たりしてみたり。
靴下の上からするりと過ぎて行く、畳の網目が気持ちよかったことを今でも覚えています。
葬式では誰かが誰かに「おめでとうございます」という言葉をかけていました。天寿を全うされて幸せだったでしょうね、と。
彼らは喜んでいたわけではありませんでした。けれど、悲しんでいるようにも見えませんでした。私はこういう葬式しか知らなかったものですから、テレビドラマの葬式のシーンがへんてこに見えたのを覚えています。
どうしてみんなこれ見よがしに泣きじゃくっているのだろう、と。
火葬のとき、私は坊主から花を一つ手にもらい、大人たちがするように、棺桶の中にある曾祖母の体のそばに置きました。死んでいるようには見えませんでした。
それからブロック崩しです。
私は退屈しのぎに、キーホルダーつきのブロック崩しゲームを持ってきていました。
父に「いいよ」といわれた間だけそれをやったのです。二万五千点をとりました。その点数は当時の私にとって最高点でした。葬式の数日後、ゲームの電池が切れてしまいました。キーホルダー式のゲーム機というのはソフトとハードが一体化していますので、電池がなくなれば記録がリセットされるのです。
大事な記録が失われたことを私はいつまでも悲しみました。
二つ。
中学の頃、私はクラスで一番死に方が上手でした。体育の授業で器械体操をしていたとき、お忍びで流行った遊びでした。
それはマットの上で直立し、そのまま倒れるというだけの「死体ごっこ」なのですが、これが難しいのです。倒れるとき、だれもが恐怖を覚えて不意に手をついてしまうのです。あるいはひざからマットについてしまいます。私だけがびくんともぶれることなく、手も膝もつかず、真っ平に倒れることができました。
「一直線にマットに倒れるもんな。微動だにしない」
友人は尋ねました。
「怖くないの」
さあ、と私は言いました。本当によくわからなかったのです。
三つ。
高校時代には二人の人の死を知りました。
一人は二人目の曾祖母。こちらの曾祖母は祖父の方の家系でした。
毎年お年玉をくれ、優しい笑顔をする方でした。病院の中で会ったのが最後でした。”そろそろ”ではないかといわれ、家族でお見舞いに行ったのです。その一ヵ月もしないうちに曾祖母は亡くなったのでした。
「行っておいてよかったな」
と母か父のどちらかがいいました。
もう一人は自殺で亡くなりました。同級生でした。名前は控えさせていただきますが、仮名として「道恋さん」と名づけておきます。この仮名自体に特別な意味はありません。
道恋さんとは一度も喋ったことがなく、同じクラスになったこともありませんでした。
先生は言いました。
「皆さんの中にはきっと道恋さんのことをよく知らない方もいらっしゃると思います。顔も思い浮かばない方もいらっしゃると思います。でも、この学年から確かに一人の人がお亡くなりになられたのです」
葬式では中学で同じ部活動だったという仲間たちが追悼文を読み上げていました。私にとって三回目の葬式でした。泣きそうになったのはその時が初めてでした。
それと同時に自殺という言葉はその時の私に大きな感慨をもたらしました。当時、世の中でも自殺は流行っていたのです。ニュースは毎日それを報道したこともありました。どこかの学校の校長による遺言状の隠蔽の話は記憶から消えないまま頭の中に残っています。
四つ。
『ハムレット』に登場する暗殺方法を知っていますでしょうか。
殺したいものが眠っている間に、耳の穴の中に毒薬を流し込むのだそうです。
死に方にもいろいろあります。知り合いの空手経験者は、首のある箇所を三秒押さえるだけで人は死ぬのだといっていました。
Mという作家のとある小説ではリストカットは死ぬ方法としては不十分だとありました。一番確実に死ぬ方法は耳の裏にある血管を切ること。そうすると、病院に運ばれても手遅れになるのだそうです。Dという作家の著作ではとある内臓を拳銃で撃つシーンがあるのですが、そうすると残り二十分だけ生きられるのだそうです。
Ⅰ君の経験談も記憶に強いです。
「うちの高校でも飛び降り自殺しようとしたやついてさ。三階だったかな、窓から飛び降りたんだよ。でも、腰うっただけで死までには至らなかった。もっとも、そいつ腰を怪我して車椅子生活になったんだけどな」
Mという作家の著作に登場する主人公は高いとこから落ちたら確実に死ぬと信じていているのですが、私はその感覚にうまく馴染めませんでした。
私は飛び降り自殺が登場する物語に出会うたびに思うことがあるのです。
人が人の死を本当に感じるのはいつの時期なのだろう、と。
最後に。
私は地元の祭りで一度死に掛けたことがあります。山車を担ぐ祭りです。
山車は切り口が顔くらい大きさのある丸太を組み合わされて造られています。山車を担いでいたときのことでした。反対側から別の山車がやってきて、私の引く山車とすれ違いました。
狭い町なので、すれ違うとき山車と山車との間隔はわずかしかありません。
そのとき、私の首が二つの山車の丸太と丸太との間に位置しました。あと一センチでも誰かが山車を揺らせば、首は丸太に無惨にもつぶされていたでしょう。
「危ないんじゃないか」
十メートル前方で別の山車を引いている知らないおじさんが剣幕の表情でつぶやいたことを覚えています。おじさんの他の人たちは皆、山車を担ぐことに夢中でした。私でさえ、その人がつぶやくまでは自分の危険に気がついていなかったのです。
私の首は丸太と丸太との間に、首に木目の跡を感じるほど密接に合わさっていて、左右に抜け出すことはできませんでした。頭の大きさが邪魔をして、縦に首を引っ込めることもできません。
下手に助けを呼ぼうものなら、山車の運び手が足を止めたときの微動で、最悪の結果が起こるとも限らないのです。手も足も出なくなって、山車と山車がすれ違っていくわずかな時間を私は待つことにしました。
山車は幸運にも私の首をすり抜けていきました。次の年の祭りでは山車の出発早々、商店街の一つの看板が砕かれました。わずか数センチ方向がぶれただけで行燈と看板がぶつかってしまったのです。
隣町の同祭りでは実際に頭をつぶされた人がいるといいますが、誰だって想像したくないものです。私はその日死というものがいかに簡単に訪れるかを悟りました。そして、はっ、と気づいたときには、その流れを止めることが完全にできなくなってしまうらしいのです。誰か一人異変に気がついたところで、「祭り」を一旦ストップするには時間がかかります。
私はあのとき死への恐怖を抱きませんでした。「死への恐怖を抱かなかった」といえば、なんだか自慢や強がりのように聞こえるかもしれませんが、決してそういうつもりで書いているのではないのだということを先生にはわかって欲しいです。死に一番近づいた後も私はそ知らぬ顔で山車を担ぎました。
誰かに報告をすれば厄介になるので、自分の口からは何もいいませんでした。
また、誰かが私に「危なかったじゃないか」などと言い寄ってくることもありませんでした。なので、山車を担ぐことに集中し、死ぬかもしれなかったことなどすぐに忘れてしまいました。死んでいたかもしれない恐怖よりは、現在進行形で繰り出される肩の筋肉痛の方が、脳神経にとって重要な問題であるらしかったのです。
先生に私の言いたいことがうまく伝えられていますでしょうか。私は自分と死とをうまく結び付けることができなかったのです。死ぬことに未練を感じることもありませんでした。普段は違います。
例えば村上春樹の『アンダーグラウンド』を読み、サリンで人が倒れていくシーンを想像するとか、高いビルの上に立って地上を見下ろすとか、どこかに向かってヒューとまっさかさまに落ちていく夢を見るだとか、そういうことがあれば、人並みに死への恐怖を抱くのです。
あの気だるい時間の流れの中で、私は自分が生と死との硲にいることを頭の中で把握していました。望むだけで、たったわずかなアクション一つで、向こう側に簡単に降り立つことができることを知っていたのでした。それなのに、私が一番感じていたのは肩の筋肉痛だったのです。
もっと正直に、より率直に語ることの出来る言葉があればいいのにと思います。今でさえ、私は人間の死が「こんなものであってはいけない」と思いこんでいます。
もっと、何か違う形での、泥のようにやんわりした、不確かではあってもつかみどころのある何かが死に際に用意されてもいいだろう、とそう思うのです。現実の死は、少なくとも私が感じ取れなかった死は、想像力が及ばないうちにやってくるものでした。
胸の中にあるこのもやもやを先生に分かっていただけているでしょうか。
それがない限り、私と私の回りを横切る死の影たちとを切り離すことができないのです。死の影に気がつく夜には、私は私であることを疑ってしまいます。私が埋められると信じていた空白は、もしかすると空白ですらないのではないか、と。こんな私が、一体、誰に何を与えていくことになるのでしょう。
それは不安という形をとる感情ですらありません。ただ漠然とした、興味本位の疑問符なのです。そして、先生に宛てているこの手紙さえも私には遠い存在となっています。
死について語ること、そこにはどんなリアリティも存在しないのだと思います。
ずいぶん長々と語ってしまってすみませんでした。先生のお仕事のお邪魔にならないようにこの辺で筆をおかせていただくことにいたします。
――敬具。
23:05 2009/11/06