エカルラートの眠り姫
異星の少女の時代よりずっとずっと先になるお話です。
「姫様、ほんとに、本当によろしいのですか?」
「ええ、いいのです。予定通り進めてください」
沈痛な面持ちで目の前で横たわる少女に問いかける侍女服の女性。
侍女の名はアリエージュ。ファラエル=レアル=アリエージュという。
「エル。長い間お世話になりました。ううん、あなただけじゃないわね。アリエージュ家の方々には長年……、本当に長い間……お世話になったもの。感謝の言葉もありません」
主従が悲しい別れを迎えていた。
継ぎ目なく、どこまでも滑らかな表面をした淡い銀色に輝く細長い繭状の筐体。それは人一人が入るのがちょうど良いサイズであり、今そこには一人の少女が一糸まとわぬ姿で横たわっていた。
「さようなら……」
最後にその一言を告げ、ソラ姫をおさめたカプセルが無情に閉じられてしまった。
密閉されたカプセル内部は薄い赤色、少女が好きだったいちごの色を思わせる色彩を帯びた溶液で満たされていて、彼女はその中で漂うように浮かんでいた。
いや浮かぶというのは誤りで、その体は完全にその溶液の中に沈み込んでいて外の世界とは完全に隔絶されている。そしてその溶液の中で広がり漂う、もう長い間整えられることもなく伸び放題となってしまっている真っ白な髪――が、その裸身を人の目から隠すかのように纏わりついていた。少女、ソラ姫の髪は長い年月で紫がかっていたはずの髪の色が完全に抜け、何物も汚すことの出来ないほどの純白へと変わってしまっていた。しかしそれは老化とはまた違う原因があるようだがなぜそうなったかはわからないのだという。
そもそもソラ姫は老化とは無縁。
そのカプセルで漂う姿は、遠い昔、奇しくも今は無きライエルの星船"クラウディア"によって創り出された時の姿のままである。
否。
そのままと言うにはあまりにも乖離がある。
緋色の王玉を埋め込まれることで、はからずも人以外の存在になってしまったソラ姫。
彼女に人としてはあり得ない能力を与えてくれた王玉との融合は緩やかに進んでいき、埋め込まれた当初は体内にしっかり確認出来ていたはずのそれは、いつしかその姿が消え、完全にソラ姫の体と融合してしまっていた。(したがってソラ姫最大の弱点ともなり得た、体内からオーブを抜き出されれば一日と少しもすればその体組織を維持出来ず崩壊してしまう――という恐れは完全に無くなったわけである)
そもそも人に融合した成功例が過去に一度もなく、ソラ姫が最初にして最後の成功例であった為、埋め込んだ張本人、星船クラウディアにしても、どうなるかなど本当の意味で把握していたわけではない。
突発的な事故に対する対処療法として仕方なく行った処置のはずであり、当時、ライエルの族内での諍いに巻き込まれその命を散らそうとしていた"柚木蒼空"という地球の小さな生命を救うにはそうする他選択肢は無かったはず――である。(まあ、その処置を嬉々として行っていたとも言われているが)
しかしその代償はあまりに、あまりにも大きかった。
永遠の少女。
時空すら越え存在しえる、一種、神とも呼びえる存在。
無限の時を生きる、死とは無縁の存在。
それは意識を持った生命、人間であったソラ姫にとって……あまりにも残酷な現実。
自分以外のあらゆる存在は、有限であり、どんなに失いたくなくても、どんなに別れたくなくても……、過ぎゆく時がそれを奪い去っていく。
自分がいかに万能で、神のような存在になろうとも……、それだけは、姿あるものの滅びを留めることだけはかなわない。
この世界に唯一の存在。
そのあまりに寂しい、悲しくも残酷な現実から逃れるため――。
ソラ姫は眠りにつく。
目覚めの期限などない、永遠ともいえる眠りにつく。
それは意味のない逃避。
解決になどはならない対処療法。
それでもソラ姫はそれにすがる。すがらざるを得ない。
数えきれない寂しくも悲しい別れに――、その得た力に対してあまりにも小さく弱く、脆い心は耐えることが出来ない。
結果、ついにソラ姫は眠ることを決意した。
エカルラートの民は、その姫の悲しい選択に誰も異を唱えることは出来なかった。
儚げに笑う少女、永遠を生きる……あまりにも美しくも悲しいその姿に、誰も眠らないで――とは言えなかった。
ソラ姫がエカルラートの姫となってから千と七百年あまり。
今や地球との行き来も普通となり、かつては争っていたプレアデス星系とも細かな諍いはあるものの、おおよそ友好的な関係を築くに至っている。
長命なライエルの人々とはいっても、それでもいくらかの世代が移り変わり、すでにソラ姫と関わりのあった人々の姿はここにはない。
あの星船クラウディアですらその役目を終え、その記憶はライエル彷遊宮の基幹コンピュータの中へと取り込まれてしまっていた。
ソラ姫の星船ソラリス……いや、アリスは今も変わらずソラ姫と共にある。
しかし、そのアリスでさえ当初のままの存在というわけではなく、幾度かに渡る……ほとんど新造といっていいほどの艤装改修を受け、その存在を留めていた。しかしその心臓部であるAIだけは――、生み出された当初からの……変わらない個性を持ち続けていた。
そしてそのアリスも今、ソラ姫と共にその機能のほとんどを――ソラ姫の周囲の警戒と自らの保守メンテにかかわる部分をのぞいて――、停止し静かに、ただ静かにその時を黙々と刻んでいた。
ソラ姫の納められたカプセルは某所にある巨大施設の最深部、グラン星の要、物質生成装置であるアクシオンの懐深くにおさめられようとしていた。
今までもソラ姫はアクシオンの起動に欠かせない存在であることから、必要に応じてその役目を果たすべく、この場所を訪れていた。それは王玉を宿すものの義務であり、千年以上、文句も言わず黙々と行っていた。
しかしそんな行動も今をもって終わりとなる。
何しろカプセルに入ったことにより、自ら再び目覚めることを望むか、アクシオンが停止することでもない限り、アクシオンとソラ姫は、半永久的に切り離されることはない、運命共同体となったのだから……。
なんと悲しい運命、いや宿命なのか。
アリエージュ家に連なる人々、そしてエルは、しかし、そんなソラ姫にかける言葉はすでに尽き果てていた。
「ソラ姫さま……。
やはり考えをお変えになることは……、
もはや、ないのでございますね――」
エルはカプセルに収まり静かに目を閉じて眠りにつこうとしているソラ姫を見て、一人寂しくつぶやく。
そしてついにそのカプセルがアクシオンの懐深く、ゆっくりと飲み込まれていく。
どこまでも可憐で、どこまでも儚げな少女。いつも見せてくれた優しい笑顔。かわいく、そして美しく、しかしあまりにも寂しすぎた彼女の生涯。
そんな彼女の姿、やさしい笑顔を見ることはもう二度と叶わないのだろうか?
エルはカプセルを見送り、悲しみの涙に暮れながらも最後まで、諦めきれない……そんな思いを胸に抱き続け、それでも無情に……、無情にカプセルはエルの前から姿を消してしまった――。
エルこと、ファラエル=レアル=アリエージュはそれ以降、自らの命が星のかなたに召される、その時まで……、一度としてソラ姫の姿を見ようとはしなかったという。
姿を見ることに限れば……、アクシオンに来ることさえすれば可能であったというのに。
しかしエルのその気持ちは、多くの女性たちの共感を得た。
そんな主従の話、そして悲しい運命にもてあそばれた地球からきた少女。
ソラ姫の数奇なる生涯は人々から永遠に忘れ去れることはない。
アクシオン、その存在の役目が終える、その時まで、
永遠の少女も共にあり、語り継がれていくのだろう。
今はただ。
眠りについたソラ姫が……、かつて共にすごした愛しい人々と共にあることを願ってやまない。
安らかな眠りを祈って……、
おやすみなさい、ソラ姫。
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