オオカミ階段
私の父は嘘吐きだった。
今、自分が生まれ育った家に帰り、階段の上から二段目という子供の頃からの定位置に腰掛けて父について思いを馳せると、そんな言葉が滴り落ちた。正面の西日の差す窓からは蜂蜜色の光が差し込んできて、とろりと周囲にわだかまっている。誰にも手が届かない位置にあるせいで、掃除を怠っている窓縁に埃が幾年にもわたって降り積もり、その晩夏の光を反射させていた。取り囲む空気は一日の熱によって充分に暖められ、汗ばむほどではなかったが、座り込んでしまうと指一本動かすのさえ億劫だった。
実家には、表玄関のほかにもう一つ裏門に通じる玄関がある。いささか急な階段が狭い靴脱ぎから直接二階に繋がるこの奇妙な構造は、私の生まれる前に、部屋を貸していた間借人のためのものだったと聞いた。私が物心ついた頃には間借人はとうに出て行った後で改装も済み、この階段だけが当時の名残を残している。実際に外に出るのに家族の誰もこの階段を使ってはいなかったのだが、昔から私はここがお気に入りで、本を読むのも宿題をするのも、この硬い木の段に座ってすることが多かった。私だけの秘密の呼び名まで付けていた。オオカミ階段という。
私が父の習癖を思い出したのも、彼の吐いた嘘のなかで一番荒唐無稽なものがその名前にまつわるものだからだ。
父は元来無口な、おとなしい人だったのだが、一人娘の私に対して、稀に突拍子もない嘘を吹き込むのだった。嘘といってもそれは罪も無い法螺話に属するものが多かったが、実に見事に。私はませている子供だったから、それが他の大人によって語られた言葉であったならこれっぽっちも信用しなかったことだろう。けれど、彼が独特の色素の薄い目で私を見つめ、まるで催眠術でもかけるかのような、いつも通りの穏やかでゆっくりした口調で私に告げるなら、それは真実以外のなにものでも有り得なかったのだ。
彼がそんな嘘を付くのに、特に意図はなかったように思う。たとえば何かを秘匿したいからという理由で彼が嘘を付いたことはなかった。それはまるで、花が間違った時期に狂い咲くことがあるように、自然にしかし突然に行われるものだった。
この階段の下には、夜になるとオオカミが来る。
その時、彼は廊下の窓の雨戸を閉めながら、階段に座っていた私にそう言った。私が小学校に上がる前のことだったと思う。今と同じ夏の終わりの黄昏時で、彼は沈みかけた日の光を家から閉め出そうと雨戸を引き出したところだった。光が大方遮られてしまうと、階段は急なこととあいまって穴のように見えた。私が立ち上がって傍に寄ると、まだお前が生まれる前にここで、と彼は階段に続く廊下においてあった揺り椅子を指差した。ひとりで本を読んでいて、ふと窓の外を眺めたら、オオカミが一匹こちらを見ていたよ。満月が眩しいくらいの夜で、冬だった。雪が積もっていたせいで、あたりはしんと明るく照らされていて、こちらを見上げているオオカミの口から白い息が出ているのや、黒い鼻が濡れているのが見えたくらいだった。すぐに興味をなくしたようで、また月を見上げていたけれど、本に挿む栞を探してね、顔を上げたらもういなくなっていた。次の日、まだ朝早くに仕事に行くときに見たんだが、四つ足の獣の足跡は残っていたよ。あれがオオカミのものかどうかはっきりとは分かっていないのだけど。
そこで静かに笑って付け加えた。
道路が舗装されてから、足跡は見つけられなくなったけど、まだ夜に時々来ていると思うんだ。
私は彼の言葉を信じた。
ここで違う話になるが、子供から大人になるということは、階段を上るようなものだと思う。何かが出来るようになったり、また逆に何かが出来なくなったときに、人は違う段階へ進むのだ。
私にとってそのうちのひとつは悪夢を見た後の行動だった。
大人になるということは、悪夢を見て飛び起きたあと、誰にも助けを求められないということだ。朝が来てから、それについて話して笑い飛ばしてしまうことはできる。けれど目が覚めた瞬間、まだ心臓が早鐘のように動悸を打ち、冷汗が身体中から滲み出ているときは、もう助けを求めるわけにはいかないのだ。
両親の寝室に、毛布をかぶったまま裸足で駆けていくわけにはいかないのだ。
だから私はこの時、まだ子供だったということになる。この夜、オオカミが自分を襲いに来る夢を見て、私は半泣きになりながら父の寝床に飛んで行った。私の訴えを聞くと、父は大丈夫だよ、と困った顔をして繰り返した。オオカミはここまでやってこないよ。納得しない私を背負って、母を起こさないように気を使いながら、彼はあの階段を下りて外に出た。
夏の夜の水っぽい空気が私達を包んだ。あたりは静かで、虫の声も犬の遠吠えも聞こえなかった。父はしばらく歩き回って見せて、ほら、オオカミはいないよ、と囁いた。かくれてるだけかもしれない、とむずかって私は父の背に顔を押し付けた。じゃあ、もしやってきたらおとうさんがたいじするから、と彼は私を揺すりあげて、ほしがきれいだね、と見上げたようだった。私もやっと瞑っていた目を開いて、空を見た。どこを見ても星だった。目をまた閉じても、星がそこにあるようだった。瞬きを繰り返し、背中越しに伝わるゆっくりとした心臓の音を聞いているうちに、私は眠りに落ちた。
結局私は何年も後に、日本のオオカミは既に絶滅していることを知るまで、その嘘をずっと信じていた。少し考えればおかしいことくらい解る筈なのに、ただひたすらに。
父の嘘の回数は私が成長するに従ってだんだんと減っていったが、私が結婚して家を離れると、まるで最初から存在しなかったごとくにまったく無くなった。彼の孫、つまり私の息子も彼には懐いていたけれど、彼は孫には嘘を吐かなかったように思う。私が聞いたことがないだけなのかもしれないが。
しかし、私は今になって思うときがある。何が彼にそんな嘘を吐かせたのだろう。『オオカミが来た』と、オオカミ少年のような嘘を。彼には結末が分かっていたのだろうか。何故かは知らないが、そういう雰囲気を持った人だった。未来を知っているといっても不思議ではないような、常にそんな孤独の中でひっそりと呼吸していた。
オオカミ少年は嘘吐きだ。けれど最後には真実を語る。
「すきなひとができたんだ」
数年前、仕事帰りに呼び止められて、駅の近くの喫茶店に二人で入った。彼は来ることを告げずにいたから、混雑した駅で会えたのは奇跡に近いものだったかもしれない。私はケーキセット、彼はコーヒーを頼んだ。ケーキはモンブランだった。どうでもいいことばかり憶えている。
運ばれてきた飲み物には手をつけず、私が父を観察し終わった頃合に、やっと彼は目を上げて一言だけ告げた。幼子が言い募るような必死さが垣間見えた。その色素の薄い瞳を見たときには、確信するしかなかった。
何より、父が吐く嘘にしては、悪質にすぎた。
私はどう返事したかを思い出せない。ただ、フォークで滅茶苦茶に突き崩した、ベージュ色のクリームの塊しか、頭には浮かんでこない。あとは、叩きつけるように千円札をテーブルに置いて、父を残したまま店を出たこと。家に辿り着いた時には、辺りがもう暗かったこと。
季節が移り変わり、私の両親は離婚した。そして私と彼の間の連絡は、呆気無く途切れた。裏切られたと、今でも感じる。嘘を吐かれるよりも、真実を告げられることに傷付けられた、悪夢のような経験だった。こうやって思い出すことさえ痛みを伴う。忘れられたらとさえ思う。しかし、すべてを忘れることなど出来る訳が無い。
……あの嘘を彼は忘れてしまっただろうか。
オオカミがやってきたらおとうさんがたいじするから。
忘れてしまっていればいいと思った。忘れていなければいいと思った。
もはや自分が何を望んでいるのかさえも解らなかった。私にはオオカミ少年の心は解らない。たとえ父でも、何故あんな嘘を吐いたのか解らないし、どうしてこんなことになったのかも解らない。
ただ解っているのは、ずっとこのまま階段に座っているわけにはいかないということだった。彼に助けを求めて、裸足で駆けていくことはもう出来ない。
おとうさん、と小声で私は暫く読んでいなかった名で彼のことを呼んでみた。耳に届かないと知っているからこそ出来ることもある。もう階段の下の方は薄闇に紛れ、あの時と同じく穴のように見えた。嘘だと知った後でも、この階段は私の中ではずっとオオカミ階段と呼ばれ続けている。私が父をそれ以外の名では呼べないように。
私は立ち上がると雨戸に手を掛けて、壁に弱々しくへばりついている夕暮れの光を閉め出した。見下ろした道は白っぽく乾いていて、凌霄花の花が幾つか横たわっている他には何も存在していなかった。わかりきっていたことだ。
彼は嘘を吐いたのだ。この階段にオオカミがやって来るというのも嘘。退治してくれるというのも嘘だ。けれど私は彼の嘘が好きだった。
途端に暗くなった廊下を爪先で探るように歩いて、私はまた階段に座り込んだ。光の加減のせいか目の奥が痛んだが、瞼をいくら強く閉じても涙は出てこなかった。時は着々と過ぎていくけれど、まだ何も気持ちの整理はつかずに、心の中は渦巻くばかりだ。いつか全てが思い出になり、割り切って考えられるようになると知識としては解っていても、信じることは出来なかった。
もう少しだけ、ここに座りこんでいることを、私は自分に許した。ずっと居るわけにはいかないと知っているが、もう暫くの間だけは。
オオカミ少年は最後に嘘を吐き続けた報いを受ける。父にはどんな結末が待ち構えているのだろう。何があっても私は彼を父としてしか認められなかったし、今でも好きとか嫌いとかそんな簡単な言葉では彼への感情をまとめる事は出来ない。ただ言えるのは、私の父は嘘吐きだったということだ。私は彼以上にうまく嘘を吐く人にこれまで会ったことがないし、会いたいとも思わない。