二つの矛盾~矛と盾を売っていた男のその後~
むかしむかし、Aという国に一人の商人がおりました。矛と盾を商う行商人です。
「ちくしょう、大恥かいちまったぜ」
宵の口、その商人は寝泊まりしている宿屋の自分の部屋で、自棄気味に酒を飲んでいました。
思い出すだけでも顔から火が出るような思いがする、そんな出来事がこの日にあったのです。
昼間、市場で矛と盾を商っていました。
この商人、けして悪気は無いのですが、物事を少し大げさに喋る癖がありました。この日も自分の商品を少し大げさに紹介しながら商っていたのです。
商人は言います。
「この矛はとても鋭い。どんな盾でも貫くぞ」
そしてさらに言います。
「この盾はとても固い。どんな矛でも貫けないぞ」
商人の威勢の良い呼び込みにたくさんの客が集まりました。これはたくさん売れそうだぞ、と商人はほくほくでした。
ところが一人の客がふと首を傾げて言ったのです。
「ではその矛でその盾を突いたらどうなるんだ?」
商人はその問いに答えられず、ただ項垂れるしかできませんでした。誰も商人から矛も盾も買いませんでした。
「商品をちょっと大げさに紹介するぐらい誰でもやるだろうに。それにいちいち突っ込むなってんだよ!」
商人は愚痴を言いながら酒を飲みます。愚痴りながらも、自分自身「確かにそりゃないわ」と思っていたりもするのですが。
次からは気を付けよう、でもこの町はもう仕舞にしておこうか。そんな事を考えながら、いつの間にか眠ってしまいました。
そして夢を見ました。
だだっ広い空間に机が一つだけ、ぽつんと置かれています。そして机の上には一冊の本が広げられていました。
商人は「これは夢だろうか」と思いながらも、その本に目を落とします。そしてぎょっとしました。
人間が書いたとは思えないほど几帳面で小さな文字がびっしりと書かれた本でした。
文字は商人が知っているこの国の文字と同じなので読むこともできますが、それより先に目に付いたのはページの片隅に描かれている絵でした。
矛と盾を後ろにして、一人の男が項垂れている絵です。なんだか今日の自分の姿を見ているようでした。
そして今度こそ文章を読んでみます。
『矛盾』と題された文章は「むかしむかしあるところに矛と盾を商う商人が〜」と始まり、「このことから辻褄の合わないことを矛盾と言うようになった」と終わります。
「こ、これは俺のことなのか? なんなんだ、この本は?」
商人が本をひっくり返して表紙を見てみますと、そこには『故事成語』とあります。
故事とは「昔あったこと」です。今日の出来事が本に書いてあって、それが故事とは? 訳がわかりませんでした。
そうして本を調べていると、後ろの方のページにこの本が発行された年月日が書いてあるのを見つけました。
○○○○年××月△△日 初版発行
「はあ?」
商人は呆気に取られます。そこに書いてあるのを信じるなら、この本は何百年も未来に書かれる本なのでした。
「そんな馬鹿な!」
と言ったところで、夢から覚めました。
「矛盾……矛盾だと!?」
商人は寝台の上で転げまわりました。
市場でかいた大恥が何百年も後まで伝わって、本に載るような有名な言葉になってしまうなんて。ただの夢だと片づけるには、あの本は現実感がありすぎました。
「う、うわああああ!」
商人はいてもたってもいられなくなり、逃げるように宿屋を、この町を、そしてAという国を後にしました。
そして商人はBという国に来ていました。もともと行商のルートにあった国です。
ある町の市場にやって来ました。明日からここで商いをするので様子を見ようというのです。
ふと見た先で槍と盾を商っている商人がいました。矛と盾を商う商人は「これは商売敵になるかな」と思って注目します。
その槍と盾の商人は威勢の良い呼び込みをしています。
聞いていると、「この槍はとても鋭いぞ。どんな盾だって貫ける」と言い、さらに、「こっちの盾はとても固いぞ。どんな槍だって防げる」と言いました。
商人は驚き、そして叫んでいました。
「矛盾だー!」
ぎょっとする周りの人達にも気付かず、商人は思いました。ここで以前自分がされた様に相手の商人の辻褄の合わない点を指摘してやれば、例の故事成語は自分の事ではなく、この商人の恥として伝わるのではないかと。
だから商人はこう言います。
「どんな盾も貫ける槍と、どんな槍でも貫けない盾なんて、辻褄が合わないじゃないか。君の槍で君の盾を突いたらどうなるんだい」
言われた相手の商人は絶句しています。しめしめと思いました。もしかしたら故事成語は矛盾ではなく槍盾とでもなるかもしれないと思いました。
「さあ、どうなんだい?」
重ねて商人は問います。
すると、呆気に取られていた相手が「なにを言っているんだこいつは?」という表情で口を開きました。
「そりゃ、腕の立つ奴が持った方が勝つだろうな」
あっさりと答えられてしまい、商人は「は?」と口をあんぐり開けてしまいます。
「槍と盾が勝手に戦うわけじゃないんだ。どっちが勝つかなんて、持った奴の腕次第で決まるもんだろ。辻褄が合わないとか、何のことだ?」
「あ……」
商人は言葉に詰まります。
言われてみればその通りなのです。槍の達人が槍を持った場合、盾の扱いが上手い奴が盾を持った場合、そしてその逆。槍や盾は、それを持つ人間の腕前を加味して初めてどちらが強いか決まるのですから、商人が売っている時点でなら「最強の槍」と「最強の盾」が両方あっても問題は無いのです。
なんだ、こうやってきり返せば良かったんじゃないか、と思いながらも、商人はもう何も言い返せず、項垂れて市場を去りました。
その後ろで声が聞こえます。
「あいつ、ムジュンとか言っていたけど何のことだ?」
誰かが答えます。
「A国では槍を矛と呼ぶ。矛と盾でムジュンと読むんだろう」
「なるほど、俺の槍と盾の話を聞いて、辻褄が合わないとか言っていたが、それを矛盾というのか」
納得したように、槍と盾を商っていた商人が頷きました。
その夜、商人はまた夢を見ました。
また机と本がある夢です。文字は商人も知っているB国の文字なので読めますが、まず目についたのはページの片隅に描かれた絵でした。
槍と盾を後ろに置いた男と、その男の前で項垂れているもう一人の男。
文章は『矛盾』と題されており「むかしむかしあるところに槍と盾を商う商人がおり〜」と始まり、「このことから辻褄が合わないと勘違いしてしまうことを矛盾と言うようになった」と終わります。表紙にはB国の文字で『故事成語』とあり、最後の方のページにはまた何百年も未来の年月日が発行日として記されています。
目を覚ました商人は、寝台の上を転げまわることもできず、ただ諦めたように笑うだけでした。
そして何百年かの後、隣り合うA国とB国でそれぞれ発行された『故事成語』の矛盾のページ。
A国では「辻褄の合わないこと」
B国では「辻褄が合わないと勘違いしてしまうこと」
意味は全然違ってしまっているのですが、ページの片隅で項垂れている男の絵が、なぜか良く似ているのは偶然なのでしょうか。




