第1話
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「はぁはぁ、くそっ、なんだよ、あれ」
何度も足元の木の根に足を取られそうになったり顔の高さに生えている木の枝にぶつかりそうになったりするが、そんなのお構いなくただ全力で走る。
(いや、走るは違うな。正確には逃げるか)
そんなのんきな事を考えたせいだろうか。これまでなるべく人の出会えそうな方向に進んできた。そしてとうとう開けた場所に出れたと思ったら目の前に現れたのはこれまでの木だらけの光景がウソのような、学校の教室ぐらいの広場とそれを取り囲む壁。というか崖だった。
高さは十メートルくらいあるだろう。その高い壁が自分の左右と前を半円になるように囲っており、後ろはさっきまで疾走していた森が塞いでいる。
さっきまで居た森の中はあまり日が差し込まなくて暗い印象を受けたが、この広場はとても明るい。それがまるでここだけ太陽に祝福された神聖な場所に思えて、しばらく我を忘れていた。
ズドォォン
突如響いた轟音に、自分が今置かれている状況を思い出す。
(っと、そうだった。早く逃げないと、……って、逃げ場所無えぇぇぇ!)
首を右左と動かし逃げ道を探すが、前はもちろん右も左も崖で囲まれていて逃げ場所など無い。そうなるとさっきまでは神聖に思えたこの広場も今度は恨めしく思えてくる。
そうしているうちにも災厄の足音は近づいてくる。諦め半分に自分に訪れた災厄の正体を再確認するために振り向く。
(前門の壁、後門の……、熊?)
逃げ回っていたときは森の暗さによる視界の悪さと得体の知れないものに追い回されるという恐怖により、あまり正確に確認できなかった。しかし、あらためて確認してみるとその災厄はあまりにも奇妙な姿をしていた。
体は熊、顔はライオンに角が生えていて、尾は蛇がくっついていて、顔をこちらに向け舌をチロチロさせている。
大きさは2メートルぐらいだがその見た目のせいでもっと大きく見える。
(やばいやばいやばい、やばすぎる。なんなんだよこれ。何科だよ、何目だよ、何種だよ。熊か、お前は熊なのか、いやもう熊だな、うん、っていうかむしろ熊じゃね?)
恐怖のせいで頭がこんがらがってうまく思考することができない。
(熊から逃げるにはどうすればいいんだっけ。死んだフリ…はダメだって聞いたことがあるな。じゃあ鈴…は会わないための対策だ。第一んなモン持って無え。なら他には……)
うまく働かない頭で必死に生き残る方法を模索する。
ふと、視界がすこし暗くなる。一瞬太陽に雲がかかったのかと思ったが、そうじゃない。あの熊らしき生き物がもう目の前まで来ていた。どうやら起死回生の打開策は間に合わなかったようだ。
(あ、たぶん当たったら死ねるな)
できるとは思わないがせめて最後まで生きる努力をしようと思い、振り下ろされる腕を避けるために相手をじっとみる。
その状態で2~3秒だろうか、もしかしたらもっと短かったかもしれない。とうとう熊の腕が動いた。いや、腕だけでなく体全体がこちらに向かってくる。しかしその動きに速さは無く、体を横に少しずらしただけで避けれた。
(…………え?)
先ほどまで自分を殺そうとしていた存在が今は目の前で倒れている。初めは何が起こったのかよく分からなかったが、熊の頭と胸の辺りから流れている血で死んでいるのだと分かった。
「どうやら間に合ったみたいだな」
声の聞こえたほうを向くと、そこには三人の男女が居た。
一番手前、見た目30代ぐらいのがっしりした大男が倒れた熊の後ろに立っていた。その手には血で濡れた西洋剣が握られており、それでこの熊を倒したのだと分かった。
その5メートル程後ろに20代後半ぐらいの、肩くらいまでの短髪で気の強そうな女と、顔をフードで隠し、目の前の大男と比べると幾分ひ弱そうな長身の男が立っていた。
「おう。ボウズ、怪我はないか」
大男が顔に似合わず優しい言葉を掛けてくる。
しかし、なぜか目の前が暗くなり意識が遠のいていく。
(……あ、お礼を…言わないと……)
そう思うも、お礼の言葉が口から出る前に意識は途切れてしまった。
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