誘拐ラングドシャ(前編)
隣人が、私の前にひざまずいていた。
現在日本において、ただの隣人にされるにしては、ほぼありえないポーズである。そして胸のところに差し出された片手に乗るくらいの正方形の箱。
ああ今日のお菓子はなんだろうなあ。
私にはそんな考えしか思いつかなかった。年頃の乙女としてどうなのか、とは我ながら思わなくはない。だが、あの西原さんである。いくら丁重な手つきで、もう片手に乗せられた正方形の小箱を開けていても、中身はもしやあの一個千円とかいうチョコレートだろうかとしか思い浮かばない。だって、あの西原さんである。
「給料三か月分です」
知り合って一年以上経つが、いまだに西原さんの仕事というのは謎のままである。しかし、それが何にせよ、失礼だが、三年ならともかく三か月のお給料ではこのサイズの石はむりだろう。
「いかがでしょうか、桃さん」
そこで、やっと西原さんは、燦然と輝くダイヤのついた銀色の小さな輪っかから、顔を上げた。
西原さんじゃなかった。
八つ橋だった。
正確にいえば、身体が西原さんで、顔が八つ橋。
吹き出した。
「っぐっふっっ!?」
自分でも、首を絞められている最中の断末魔のような、と表現したくなる声を発しながら、私は目をさました。
「大丈夫ですか?」
隣の席の西原さんがあわててペットボトルを手渡してくれる。お茶を口に含んで、私はようやく一息つけた。
私たちはいま京都行きの新幹線の中にいるのだった。
「もうじき着きますよ」
今いる場所の検討をつけようにも、車窓の外は何の変哲もない住宅街だった。手がかりを求めて見回していると、食事中の手と口を休めて西原さんが教えてくれた。
西原さんの前には、広げられたテーブルから半分近くはみ出てしまうくらい大きな黄色と茶色の縞柄の箱が置かれていた。
東京駅を出てすぐにいそいそと箱を取り出した西原さんに興味をひかれて、私は中身をちら見し、その瞬間、見たことを後悔した。中にはぎっしりと色も形もさまざまなスイーツが詰められていたのだ。私も甘いものは嫌いなほうではないが、あれだけ一気に見せられると胸が焼ける。
「いつも出かける時は、お弁当を作って、家から持ってくるんです。駅弁なんぞ食べられないもので」
西原さんは堂々としたものだった。駅弁、私は大好きだが。
「桃さんもいかがですか?」
私にも勧めてくれたが、胸焼けした直後だったのと、そのとき西原さんが食べていたのがこれまで見たことも聞いたこともない、はっきり言えば正体不明の色形をしているものだったのと、つい『ハンニバル』の一シーンを思い出したもので、私は丁重に辞退した。
作って、と言っていたから、もしかするとあれが西原さん自作の宇宙人用お弁当定番スイーツだったのかもしれなかった。日本人のお弁当における卵焼き、みたいな。
品川を通過する前に私は寝てしまい、新幹線がひた走っている間、西原さんは箱を空にする作業にいそしんでいたらしい。最後に残った餡ドーナツを頬張ると、缶ココアを一口で飲み干し、ため息をついた。
それだけの糖分を、おそらく毎食消費しつつ、西原さん本人は、ひょろひょろ、という言葉がぴったりの体型なのである。どう考えても燃費が悪すぎるだろう。
それもまあ、ありえないことではないのかもしれなかった。
西原さんが、彼が言うように、宇宙人なのだとすれば。
西原さんは、これまでに言ったように、私の隣人であり、大の甘味好きであり、そして自称宇宙人である。自分のことをエイリアンだと言うくせに下の名前は次郎左衛門。なにやらお侍さんのような厳めしい名だが、本人は笑うと糸のようになる垂れ目に銀縁眼鏡、のほほんとした敬語、よくいえば細長い体つきなどなどのせいで名前負けしている感がある。
私はひょんなことから、彼が家を空けている間、彼の飼い猫、八つ橋を預かるようになり、そのお礼として茶菓子を持参され、それでお持たせで失礼ですがまあお茶でもという流れで、彼らと親しくなったのだった。まあ、正直なところ、西原さんと八つ橋がいつもあまりにも突拍子がないので、目が離せなくなってしまったのだ。
このように、西原さんと私の関係といえば、観察対象と観察者であって、まあせいぜい茶飲み友達とは言われても仕方はないけれど、決して一緒に旅行するような間柄ではない。
それなのに今、二人で京都に向かっているのには訳がある。
八つ橋が、誘拐されたのだ。
嘘みたいな話だが本当のことである。
と、わざわざ断り文句をつけたのは、そもそも八つ橋が血統書付きだったり、めずらしい種類だったり、可愛らしい外見をしているというわけではないからだ。特に最後の。
確かに耳こそ名前の由来となったとおり逆三角形の垂れ耳で少数派だが、一目見たら忘れられないほど巨大な茶色の体に凄みのある丸顔とくれば、もうこれは完全にドラ猫である。
まあ雑種であろうと何であろうと、飼い主の愛というのは偉大なもので、西原さんは八つ橋の誘拐を知らせる手紙片手に、今日の明け方、私のところにすっとんできたのだった。
『大洞桃氏を連れて、下記の住所迄ご足労願いたい。』
いかめしい文体で書かれた文章を読みながら、バイト13連勤目の夜のシフトが終わったばかりの私はあくびをかみ殺した。もうはっきりいって、あんなに待ち望んでいた休日がやっと来たことすら眠すぎて実感できていなかったのだ。手紙の内容がよく理解できるわけもなかった。
『誰かの悪趣味な冗談じゃ……はあ、ないんですね』
疑問文から確認に変えたのは、西原さんの顔が蒼ざめていることにそこでやっと気づいたからである。
『事情はよくわからないのですが、とにかく一緒に来ていただけませんか。もちろん交通費、宿泊費等は僕がもちますし、桃さんは僕が守るので大船に乗った気持ちで』
『どっちかっていうと泥船に乗せられる気持ちのような……泣かないでください、行きますから、でも今日中には帰らせてもらいます』
などという押し問答の末、私は西原さんに同行することにしたのだった。
眠くてたまらなかったし、自由時間がほとんどないとしても、日帰り京都というのは魅力的だった。睡眠は新幹線に乗っている間にとればいい。そして最後に付け足すのもどうかと思うが、一応私だって八つ橋の安否が気になってはいたのである。
回想が現在に追いついたところで、飼い主はさぞかし焦っていることだろうと様子をうかがった途端、西原さんが菓子箱を握りつぶしながら舌打ちをした。
「まったくアイツと来たら余計な手間ばかり取らせて」
あれ? と私は思った。本気で苛立っているように聞こえたのだ。まあしかし、心配もしすぎるとかえって腹が立ってくるということもある。
私が勝手ながら心の中でフォローしていると、西原さんがくるっとふり向いた。
「もうほんっと桃さんって良い人ですよね、疲れてるのにこんなところまで一緒に来てくださるし」
「や、そんな」
「いやほんと疲れてるのにたかがあんな猫一匹のために来てくださるなんてほんと良い人以外の何者でもないですよ、立ち居振る舞いにも気品がにじみ出てますし」
「ちょ、ま」
「ほんなら行きましょか」
さっきまで口を開けて寝こけていたのと思われるが、それのどこが気品なのか。私がいたたまれなさから西原さんの口を止めようとしたのと同時に西原さんが立ち上がった。京都駅への到着を知らせるアナウンスがスピーカーから流れ出したのだった。
新幹線から降りた西原さんは本当にめざましかった。
混雑をするすると抜け、あっという間にタクシーを呼び止める。なんとなく、八つ橋が心配だからというより、普段も混雑したデパ地下で目当ての季節限定菓子などを買うときにはこんな身のこなしなのではないかと思った。水を得た魚のごとく、と言いあらわすのがぴったりだ。
私はといえば、その勢いにのまれ、四つ葉のマークがついたタクシーのドアが閉まったところでやっと一息つけた。
「すみません、こんなところまでご足労頂いてしまって」
西原さんが耳ざとく、行き先を告げた姿勢のままで何十回目かの謝罪をした。なぜか関西風のアクセントになっている。
「もう僕、なんでこうなんでしょうね、自分一人ではどうにもならなくて、ふがいなくてしょうがないです。でも桃さんに来て頂いたのでもう安心ですわ」
「は」
「いやほんと、こんな才能と美貌に満ちあふれた方に一緒に来て頂いて、僕、幸せですわ」
才能ってなんの才能だ。美貌に関しては漢字変換するまでに数十秒はかかり、結局私は平安神宮すら見過ごした。
「や、あの、そうだ、西原さんは、八つ橋を誘拐したのは誰なのかあてはあるんですか?」
私は焦って話を変えた。タクシーの運転手さんもいる前で、こんな妙な褒め言葉を活かされ続けるなんて恥ずかしいにもほどがある。
「……知人だと思います」
西原さんは中指でフレームを押し上げ、眼鏡をきらりと光らせた。
「そう思いませんか、桃さん。あんなクソの役にも、いや失礼、百害あって一利なしみたいな駄猫、誘拐するメリットは皆無です」
私は思わず沈黙した。犯人については、私もうすうすそうだろうとは考えていたのだ。お金目当てであれば、よりにもよって西原さんの飼い猫を誘拐するとは思えない。
私が黙った理由は他にあって、それは西原さんの八つ橋に対する悪口だった。あの日本語が結構わかっちゃってるらしい八つ橋の耳に入ったが最後、西原さんが無事にいられるかどうかはあやしい。なにしろ八つ橋は、飼い猫というより、飼わせてやってるってことをよく肝に銘じとけよという猫なのである。もちろん態度には行動がばっちり伴っている。
「あの、西原さん、西原さんは、八つ橋のこと、好きですよね……?」
私は思わず真正面から聞いた。
「いや、ふつうに嫌いです」
西原さんは落ち着きはらって回答した。まるで新聞の見出しを朗読しているかのような平静な声で。いまここにいない猫のことを呼んだり撫でたりしたことが、これまでに一度もなかったかのように。
しかも、西原さんは、またもや眼鏡をくいっと押し上げながらとどめに言い放った。
「あいつさえいなければ、とよく思いますわ」
私は西原さんをしげしげと眺めてしまった。言われたこともその口調も予想外すぎて、なんだか仕草さえ新鮮に感じる。恋愛経験では私達姉弟随一の妹の棗だったら、さきほどの夢もこれも、私が西原さんを男性として意識してるからだとか言ってきそうなところだが……断る。だが断る。断じて断る。
西原さんは、私がふたたび黙りこんだ理由を誤解したのか、少し声をやわらげた。
「すみませんね、せっかくの休日なのにこんなことになってしまって。今度のデートでは桃さんの行きたいとこ、どこにでも行くし、なんでもわがまま聞きますから」
「き」
私はみたび絶句した。この隣人は、以前から会話というキャッチボールで暴投につぐ暴投を重ねていたが、もうちょっとましなコミュニケーションができていたと思うのは私の思い込みにすぎなかったのだろうか。
そうして、私が自問している間に、タクシーは西原さんと私を目的地におろして走り去ってしまったのである。
さすが京都というべきか、中心部とは少し離れているとはいえ趣のある通りだった。道は狭いが綺麗に掃き清められていて、エアコンの室外機なども竹の囲いでうまく隠してある。隣で西原さんが首をかしげた。
「き?」
「気持ち悪い!」
私は、はっきり言った。もう耐えられない。ものには限度っていうものがあるのである。
「もうなんなんですか西原さん、さっきからずっとわけのわからないことを、私たちはデートするような関係にないし、そもそも近所以外で一緒にでかけたこともないですよ! しっかりしてください!」
「そうなんですか? そんなヘタレですか」
西原さんは、少し面白そうな顔をして私を見下ろした。
「じゃあ桃さんは八つ橋と付き合ってるんですか? 悪いことは言わないんでやめたほうがいいですよそれは」
「いみがわからない」
私は思わず一歩下がった。ずっと思っていたが西原さんがおかしい。どれくらいおかしいかといえば、何か他のものに乗っ取られたというのがぴったりくるほどおかしい。『インベージョン』とか、宇宙人が人間を乗っ取ってなりすますという映画はよくあるが、宇宙人が宇宙人に乗っ取られてどうするのだ。でも広い意味では地球人も宇宙人だからいいのか。とりあえずこの西原さんは嫌だ。
「チェンジで……」
思わず言いかけて、私は急にひらめいた。外見こそそっくりだが、関西風のアクセント、眼鏡を押し上げる癖、いつも以上に暴投気味の会話。どうしてこれまで気づかなかったのか、推理力の低さが恨まれる。
「あなたは『西原さん』じゃない」
自分がこんな非現実と関っているとは思いたくはなかったが、相手は西原さんである。宇宙人ときたら乗っ取りや擬態は定番ではないか。
しかし、私の渾身の一撃に対し、西原さん(偽)は笑みを深くしたのだった。
「いいえ、僕も『西原』ですよ?」
西原さん(仮)は体を動かして、それまで隠れていた表札が私にも見えるようにした。たしかに、その苗字が刻んである。珍しい苗字ではないが、これがもし擬態とかそういうものでないとすれば、このそっくりっぷりは血縁でしかない。私は、以前、西原さんが話していたことを思い出した。「叔父さんになる」と喜んでいたはずだ。
と、すれば。
「西原太郎右衛門です。弟がいつもお世話になっております」
私の隣人の西原さんの双子の兄は、眼鏡を押し上げながら言った。
「こんなところで立ち話もなんですから、中に入りませんか」
そして、さっさと家の中に入って行った西原さん(兄)(確定)の後を、警戒しつつもついていった私は、そこでわざわざ私が京都まで連れてこられた理由に遭遇したのだった。




