見ぬふりハニーバニラアイスコーヒー
家に帰ると、八つ橋が脱皮していた。
私の住んでいるアパートは狭い。何せ遊びに来た友人たちが付けたあだ名が「靴箱部屋」。
これには天井が低く長方形で、まるで靴を入れるボール紙の箱のようだという意味のほかに、これだけ小さいと靴入れクローゼットくらいにしか使えないという暗喩が含まれている。
つまりあまり名誉ある名前ではないわけで、真実でなかったら異議を申し立てたいところなのだが、彼らにテーブルの下や流しの前という寝場所しか提供できなかった実績には屈さざるを得ない。
そんなことを言っても、住めば都とまではいわないが、埴生の宿もなんとやら。雨風も防げるし、家賃も安い。それよりなにより、ここに引っ越すまで一人部屋というものを持ったことがなかった私にとって、自分だけの空間というのは、あるというだけで贅沢なものなのだ。
というわけで一人暮らしは存分に楽しんでいるのだが、大学生活を楽々と過ごしているとは、この時期とても言えなかった。魔の課題提出期間だったからだ。
窓の外が白々と明るさを増しはじめ、起きたばかりの鳥が平和に鳴き交わしている時間に就寝、という不規則かつ不健康極まりない生活態度にも、最後の課題が終了した今日やっと別れを告げられる。毎度のように、次からもっと勤勉にという誓いを胸にしても、でもまあ済んでしまったことにはくよくよせずにシャワーを浴びてさっぱりしてから気楽な格好をしてくつろぐ、もしくは寝ることだけを一心に、課題を提出して狭いけれども楽しい我が家に帰ってきてみれば、ビバ超常現象。
ビバ。
そう、どうしてこんなに長々しい前置きがあるのかといえば、その異常事態を説明するための心の準備をしていたからなのだ。
……もしも八つ橋が蝉だったなら、問題はまったくなかっただろう。
蝉の脱皮をご覧になったことはあるだろうか。夏の早朝、木立の下の地面に親指くらいの穴が開いて、そこから出てきた茶色の奇妙なかたちをした虫が幹を登っていくことがある。足場のいいところにたどり着き、準備万端ということになると、背中が割れて、中から奇麗な翡翠色の成虫がゆっくりと出てくる。最初は縮れていた羽根も時間が経つうちにぴんと伸びて、それと同時に体色は緑から茶色などの保護色に変化する。
これがご存知のように、その短い生涯ずっと鳴き続け恋に明け暮れる蝉だ。
とにかく、私が帰ってきたとき、もう脱皮は最終段階に入っていた、らしい。
「ただい」
ま、と挨拶しかけたとき、私の目に入ったのは逆三角形の耳だった。
飼い主が色と形が京都のあの銘菓に似ていると言い張る部分である。確かに似ていなくもない。
そこが通常の八つ橋の色……茶色ではなく、緑だということに、一番に気が付いた。
ああ、抹茶入りの八つ橋に似てるなあ。
そのときは、そんなのんきな考えしか浮かばなかった。
言い訳をさせてもらえるなら、極度の寝不足で判断力が低下していたのだ。
じわじわと目の前にしているもの――つまり、鮮やかな翡翠色をした巨大な猫と、その下の抜け殻とおぼしい茶色の縞の毛皮――の意味が頭にしみこんで来るなり、私は持っていた鞄を取り落とし、台所に逃げ込んだ。
まるで開けた引出しからゴキブリが飛び出してきた際のような悲鳴を上げたかもしれないが、よくは覚えていない。そういうことにしておいてほしい。
まわれ右して外に飛び出せばよかったものを、なぜこんな逃げ場のないところにとっさに飛び込んでしまったのだろうか。
私は台所の隅で頭を抱えていた。
換気扇を取り外しても、腕一本くらいしか外には出せないだろう。
手を突き出してひらひらさせたところで、誰かが気付いてくれるとは思えない。
「クラリィース……」
私は低い声でつぶやいた。言葉にたいした意味はない。英語でもしゃべれたら「オオマイゴーッド」とでも言うところだろう。
ただ先週『羊たちの沈黙』をレンタルビデオで観てから、衝撃を受けたときにはこの言葉が出てきてしまうのだ。ピンチの際に凶悪連続殺人犯の真似をしているのだから変といえば変ではある。
変ということから自然と連想がつながるのは、八つ橋の飼い主、西原さんである。
飼い猫にこんな妙な名前を付けることからもわかるように西原さんは奇人だ。別に害があるわけではなく、観察するのは楽しい。が、自分のことを宇宙人だと大真面目に言ったことは記憶に新しい。
しかし八つ橋までにここまで常識外れというか地球外生物のような行動をされてしまうと、私が困る。
猫というからには昆虫ではなく哺乳類、しかも愛玩動物である。いくら八つ橋が巨大で足が短く愛想がなく、あまり鳴かない、はっきり言ってしまえば鳴き声を聞いたことがない、猫だとしても、ペット、なのだと思っていた。
思わされていた、のかもしれない。
くれぐれも人を襲うとかそういうことはしないでほしい、と私は真摯に願った。ホラーは嫌いだ。だいきらいだ。
ここまで真剣に願懸けをしたのは、高校受験の際、試験会場が火事になって受験が延期されるのを祈った時以来だと思う。
魚より遊びで食べさせたコーンフレークの方が好きだったから、もしかすると肉食じゃないかもしれない。というか、そうであってほしい。
そういえばミルクよりは紅茶、しかもストレートの方が好きだった。生意気にも葉による味の違いというのも分かるようで、好きなのはアールグレイだった。調子にのってそればかり飲ませていたので、もう茶葉が残りわずかになっていたのだった。
「今度買わなきゃ……」
ここから無事に出られたら、の話だが。
ガサリ、と何かが動く音がした。
ああだめだ、もうだめだ、ほらもうだめだ。きっと襲われ倒れたところにのしかかられ、鼻や耳の穴から体の中に進入されてしまうのだ。で、気が付いた時には全てのことを忘れているのだが、一ヶ月ほどたつと、胃袋や肺で胴に髑髏の模様のついた蛾が孵化し、中から体を引き裂いて、うようよと出てくるのだ。
クラリィース。
ああ映画と現実がごっちゃになっている。それよりは頭から食べられる方が、一瞬で済むし、ずいぶんマシだろう。
どんどん気分は急な坂をころがり落ちていく。
遺書はないけれど、形見に残せるようなものはまったく持っていないので大丈夫だろう、といささか捨て鉢な気分になった時だった。
「桃さーん!!!!???」
突然、バタンと玄関ドアが開き、西原さんが返事も待たずに飛びこんできた。
パニックで私の心臓はきっちり三秒は止まっていただろう。悲鳴をあげる余裕もなかった。
私がもう少しか弱ければ、いや乙女なのだからして充分か弱いのだが、私がここで言いたいのは心臓に疾患の類などを抱えていないということで、まあとにかくそうであれば有無を言わさず卒倒していたと思う。
何も起こらないようなので、10.04秒目にそっと台所から顔を覗かせた。
西原さんはひどい格好だった。髪の毛はいつも以上にぼさぼさで、ワイシャツは皺だらけ。ネクタイはかろうじて首に引っかかっていたが、いつもの何も考えていないようにのんきな顔は、これまで見たことがないほど必死で汗だらけだった。
失礼かもしれないが、今の西原さんの情けない姿ほどヒーローというものからかけ離れたものはないような気がした。
天の助け、だとは思わなかったし、思えなかったのだが、そういうことなんだろうと心で折り合いをつける。
終りよければすべて良し、というやつである。
「ここですよー」
ぐるぐる部屋中を見回して私を探しているようだったので、小声で呼んでみた。
「あああ」
私が台所の隅でしゃがみこんでいる、ということにはまったく頓着せずに、西原さんは息切れしつつ同じように座り込んで訴えた。
「僕は、八つ橋に、対して、ひどい、誤解を!」
私も誤解、というか間違った認識をしていた自覚はある。私は黙ったままで先をうながした。
「本当は!! 八つ橋というのは京都で八橋検行を偲んで作られた琴のかたちをしているといってもこまかく言ってしまえば管を半分に切ったような湾曲がついた長方形のちょっとひなびた味がいける焼き菓子なんですがその生地を焼く前のものが生八つ橋でそれはやわらかくぺったりした長四角ですそれで僕は耳のかたちから安易に八つ橋と名付けてしまったんですけどでもあんなふうに餡を挟んで三角形に折りたたむお菓子は色々メーカーによって名前が違いますけど正式名称は粒餡入り生八つ橋と」
「ダマレ。」
液体窒素と同一温度の声で私は西原さんをさえぎった。
ちょうど良いタイミングで、にゃあ、と同意するような鳴き声があがる。
西原さんの後ろから、例の茶色の巨大猫がこちらを覗くのを、私はぽかんと口を開けたままで見ていた。
姿からは考えられないような可愛らしい声だった。
その後、まあ私が軽く叫んだり今度は八つ橋が部屋の隅に逃げ込んだり西原さんがばたばたしたりして、落ち着くまでにはかなりの時間がかかった、とだけ言っておこう。
とりあえず色々叫んだり威嚇したりなだめようとしたりで、のどが渇いてしまったから紅茶でも入れようか、と棚に手をのばしかけて、茶葉が切れていることを思い出した。
ふり向いて、西原さんをチェックする。彼は八つ橋を撫でようとして、手を思い切りひっかかれたところだった。
「西原さんはアイスコーヒーはお好きですか?」
「甘ければなんでも飲めます!」
見なかったふりをして訊ねると、空元気の返事があった。まあ大丈夫だろう。
冷蔵庫からアイスコーヒーのペットボトルを取り出して、ミキサーに注ぐ。眠気と闘うために試験勉強中はこればかり飲んでいた。冷蔵庫にそれを戻して、次は冷凍庫を開けてバニラアイスの容器を手に取った。
西原さんは好奇心丸出しで、今度は私の一挙一動を見ている。縁日の飴細工師を子供がじっと見つめているような熱心さで、居心地が悪い。
アイスクリームをスプーンで三杯と、最後に蜂蜜を大さじ一杯ほどミキサーに加え、スイッチを入れた。ぐいーん、と気持ちの良い振動音をしばらく聞いたあと、氷をたっぷり入れたグラスに中身を注ぐ。
予想通り、おいしいです、と一口して西原さんは言った。
蜂蜜のやさしい甘さが私も好きだ。毎日飲むぶんには甘すぎるかもしれないが、たまにはこういうものもいい。
西原さんが自分のグラスから少し分けたので、八つ橋も満足そうに皿を舐めていた。
そうやっているのを見ると、ちょっと大きめの普通の猫にしか見えない。
脱皮したあとの抜け殻、つまり毛皮、も部屋中探したのだが、見つけられなかった。
なんだか、私が白昼夢を見ていたのだと言い聞かせてしまいたいような気がする。
「八つ橋の名前をどうしようかと思って」
心配そうに窓辺の愛猫を見やりながら西原さんは言った。
だって僕の誤解のせいで、名前を付けまちがえていたわけですから。本当にあの耳の形と同じお菓子の名前にするとすれば。
「粒餡入り生八つ橋って呼ばなくては……!」
長い。音節にして十二文字。
が、主張する本人はいたって本気だ。変えるとなったら本当に変えるだろう。
この名前を真顔で叫びながら猫をさがし歩く彼を思い浮べて、私は笑いをこらえるのに必死だった。
今でさえ普通の名前とは言えないがこれはもっとすごい。八つ橋も災難である。
「……『つぶあんいりなま』までを名字にしたらどうですか?」
「名字、ですか?」
「あるでしょう。あなたにも西原っていう名字が」
「下の名前は次郎左衛門といいます」
じろうざえもん。江戸時代のサムライのような名前だ。
というか次郎ということは、上に兄が居るということなんだろうか。それもまた私の想像の限界をこえる。
「……そう、それで親しい間柄らしく、下の名前だけ呼んでることにすれば」
「桃さんも僕のこと下の名前で呼んでいいですよ」
「それはご遠慮させていただきます」
にっこりと微笑を作って、私は丁重に辞退した。
関西の方に仕事で行ってきたんです。で、おみやげです。
コーヒーを飲み干したあと、生八つ橋と走り井餅各二箱ずつを渡すと、西原さんはそそくさと帰る準備をはじめた。おみやげがいつもより多い気がするのは考えすぎだろうか。
「あのですね、再来週また出張なんですが……」
「いいですよ」
これしきのことで隣人の観察をやめるのはもったいないし、くやしい。
のど元過ぎれば熱くもないし、それに結局私は八つ橋が嫌いではない。お菓子も、猫(多分)も。
だから私は八つ橋を抱いて帰っていく彼の背広のポケットが、まるで、毛皮かなにかのような、柔らかくてかさばるものを詰めこんだように、ふくらんでいたのを気にしないことにした。
急に予定より二日も早く帰ってきたことも。
世の中知らない方がいいこと、というのも確かに存在するのだ。