[COORDINATE 0009] The Reward for Surviving
# Lunaria's_Special_Healing:
まだ昼下がりの早い時間だというのに、俺たちのいる宿屋の一室は分厚いカーテンが閉め切られていた。
ランプが淡く照らす薄暗い空間には、ちゅっ、ちろ……という、水気を帯びた生々しい音だけが微かに響いている。
「……んっ、……ちゅ……れろ……っ。……はぁっ……」
ベッドの端に腰掛ける俺の横に膝をつき、ルナリアは俺の左脇腹にそっと唇を寄せていた。
数日前、王都の路地裏で大立ち回りをした時、深々と刃を突き立てられた箇所だ。
俺の回復魔法によって、今はもう傷は残っていない、完全に元に戻っている。
だが、内臓を灼かれるようなあの痛みと死の恐怖は、未だに記憶にべっとりとこびりついていた。
俺は表面上は強がりながらも、本当は心が折れてしまいそうだった自分の弱さや悔しさを一緒に誤魔化すように、こうしてルナリアに癒やしてもらっているのだ。
「……アルス。……まだ、痛む……?」
肌からそっと唇を離し、ルナリアが潤んだ上目遣いで尋ねてくる。
「いや、痛まない。怪我はもう完全に回復してる。…それにしても、メイド服、やっぱりすごく似合うな」
本心の怯えを悟られないよう、俺は努めて軽い調子で茶化した。
「……っ。からかわないで、アルス。こんな布だらけの服……重たいし、動きにくいし。なんだかすごく、落ち着かないんだから」
顔を微かに朱に染めながら、ルナリアは少し口を尖らせて抗議する。
今のルナリアは、俺の趣味で選んだクラシカルなロングスカートのメイド服姿だ。
足首まで隠れる重たい布地で肌の露出を極端に抑えている。
さらに俺のオーダーにより――胸元だけは大きく開いており、さらにその周辺の生地だけがひどく薄い仕様になっている。
王都でも評判の服飾店で仕立てた一着だ。
あの、内臓が飛び出しかねない恐怖からの回復には、ただのペロペロ程度では足りないと思い、なけなしの大金をはたいて誂えたこだわりの品である。
――こだわり抜いたオーダーメイドは想像以上に金がかかり、今の俺は実質すかんぴんだ。
そのせいで、彼女の暴力的なまでの胸の質量が薄い布越しに透けるように主張し、コルセットのようなエプロンの締め付けと相まって、逆にひどく扇情的に強調されていた。
彼女が少し身じろぎするだけで、胸元の薄い生地越しに柔らかな双丘が、むに、と生々しく形を変え、その重みが視覚を激しく煽るように揺れ動くのだ。
「……でも、きみが着ろって、命令したんだから。……似合ってないと、困るけど」
恥ずかしさを誤魔化すように小さく呟いた後、彼女は再び視線を伏せた。
ちゅ……ちろっ、んっ……。
「……ここ、きみの汗の味が濃いね……。アルスが怖い思いをした匂い……ちゅ……全部、わたしが舐めて、消してあげるから……っ」
かすかな布越しに柔らかな双丘を大きく上下させながら、熱っぽい吐息が漏れる。
言葉とは裏腹に、彼女の舌の動きはさっきよりもずっと執拗で、どこか焦りを孕んだようにねっとりとしていた。
「……んぅ……れろ……っ。アルス……ここ、少し、ビクってしてる……。わたしの舌、気持ちいい……? ……もっと、感じて……。わたしが、アルスを安心させてあげるから……っ」
文句を言いながらも、俺の服の裾をぎゅっと握りしめている彼女の両手からは、俺の無事を確かめようとする切実な熱が伝わってくる。
「ああ……すごい、落ち着く。お前のおかげだ」
俺はルナリアの頭にそっと手を置き、その柔らかい金色の髪を撫でた。
彼女の異常なまでの依存と、脇腹を這う柔らかな舌の感触。それが、俺の骨の髄まで染み込んでいた死の恐怖を、確実に溶かしていく。
完全に、気が緩んでいた。
心地よさと絶対的な安心感に身を委ねながら、俺はつい、あの激戦を軽い笑い話のノリで口走ってしまったのだ。
「いやあ、それにしても今回は危なかったよ。あの一撃、あと少し回復魔法が遅れてたら、マジで内臓がまろび出るところだったからな」
――ぴたり。
俺の脇腹を這っていたルナリアの舌が、完全に停止した。
部屋の空気が、一瞬にして凍りついた。
俺の服の裾を握りしめたまま、ルナリアは俯いてピクリとも動かない。
だが、その華奢な背中から、どす黒い感情が凄まじい密度で膨れ上がっていくのが、肌を通してビリビリと伝わってくる。
ゆっくりと、彼女が顔を上げた。
先ほどまで俺の肌を舐めながらとろけていた熱っぽい瞳は、そこにはない。
そこにあるのは、「なんでわたしを置いて、そんな危険なところに一人で行っちゃうの」という、底知れない悲しみと、静かに燃えるような怒りの炎だった。
「……内臓が、出る……?」
地を這うような低い声。
とろけて半分寝かけていた俺の脳髄は、冷水を浴びせられたように一瞬で覚醒した。
(やばい、やばいぞこれ!)
慌てて思考をフル回転させる。
このまま彼女の感情が暴走すれば、最悪の場合、俺はこの部屋に監禁されかねない。文字通り「わたしから離れないでください」と首輪をつけられた上で、「ほら、早く命令して」と迫られる未来が容易に想像できる。
「ま、待てルナリア! 好き好んであばれ回ったわけじゃないんだ! それに、今回は子供を助けるためだったんだ!」
俺は必死に身振り手振りを交えながら、早口で弁明した。
「……こども?」
ルナリアの目が、わずかに見開かれる。
「そうだ。ちっちゃい男の子が誘拐犯に囲まれててね。その子を守るためには、俺が日和るわけにはいかなかったんだ」
実際にはただ巻き添えで一緒に誘拐されただけだが、少し話を盛ってるだけで、大筋の嘘はついていないはず。
俺の言葉を聞いて、ルナリアの表情が少しだけ和らいだ。
だが次の瞬間、彼女の顔はみるみるうちに蒼白になり、ひどく落ち込んだように眉尻を下げた。
* * *
――わたしは、わたしのアルスの優しさと格好良さに、女の子として打ち震えた。
――相棒として、彼の気高さと高潔さを再認識して、誇らしげな気持ちになった。
けれど、すぐに気がつく。
アルスが一人で子供を守って死にかけている時、わたしは宿屋で何をしていた?
わたしは本能と欲求に負けて、ただの留守番すらまともにできずに、おかしくなった自分を一人で慰めていたのだ。
――わたしは、彼といると自分が時々おかしくなることを、うっすらとだけど理解している。
彼を想うだけで徐々に理性がすり減っていって、自分のドロドロの欲望が溢れ出てしまうのだ。わたしは多分、ひどくふしだらなんだ……。
* * *
「わたしが、自分の欲求に負けて、アルスの隣に立つ魔法剣士であるっていう『やるべきこと』を放棄したせいで…」
ギリッ、と彼女の奥歯が鳴る。
そして、さっきまでの淫靡でとろけていた雰囲気は完全に吹き飛び――ルナリアは一変して、背筋をピンと伸ばし、きりっとした大真面目な顔つきになった。
「ごめん…。わたし、もっとちゃんとしないと」
「お、おお。わかってくれたか。よかった」
――アルスは監禁ルートを回避した。
「今はもっと、いっぱいくまなく舐めて癒やさないと! きみの全身、隅々まで舐めてあげるね! 他の怪我がないかも確認しないと! ほらアルス、下も脱いで!」
――ルナリアは愛撫モードに突入した。
「…はい?」
きりっとした大真面目な顔のまま。本当に一片の曇りもない真剣な瞳のまま、ルナリアが俺のズボンのベルトに手をかけてきた。
いや、おい、待て。
傷の確認と癒やしという大義名分を盾にしているが、それはもう完全に別の行為だろ!
俺は、彼女の『反省』から『全身を舐める』に行き着く、そのぶっ飛んだ思考順序を珍しく理解できず、本気で慌てふためいた。
「いや、下は怪我してないから! 待てって、ルナリア、目が怖いから!」
「駄目、隠れた怪我があるかもしれない。わたしが全部脱がしてあげるから、大人しくしてて」
駄目だ。防御不可だ。
いやよいやよも好きのうちだ。そもそも、俺だって全身舐められたい!
しかしこれを受け入れたら、俺は多分、一生自分で服を脱がさせてもらえなくなる気がする!
本能に負け、俺の抵抗が徐々に弱々しくなり、ついにベルトを外されズボンを下ろされそうになった、まさにその時だった。
コンコンッ。
部屋のドアが、控えめにノックされた。
「アルスさーん、今よろしいですかー?」
宿屋のおかみさんの声だ。
俺は地獄に仏を見たような気持ちで、半ば食い気味に叫んだ。
「あ、はい! はい! アルスさんです!!」
俺の裏返った情けない声に、おかみさんがドア越しに少し不思議そうなトーンで用件を告げる。
「冒険者ギルドからご連絡です。重要なお知らせがあるらしいので、早めにギルドまで来てほしいそうですー」
助かった…! 俺はズボンを必死に引き上げながら、目の前のメイド服のルナリアを窘めた。
「ほ、ほら。ルナリア。重要なお知らせらしいぞ。ちゃんとするんだろ!」
俺の正論に対し、ルナリアは俺のズボンの端をがっちりと掴んだまま、不満げに頬を膨らませた。胸元の極薄の生地越しに、暴力的な質量がむちりと揺れる。
「…まだお昼だよ? 一、二時間くらいしてから行けば大丈夫だよっ」
俺たちは三時間後、身なりを整え、宿を出た。
# Promotion_to_A_Rank:
ギルドへと続く石畳を歩きながら、俺は懐から取り出した紫の短剣を眺めていた。
俺の腹を切り裂いた、黒尽くめの男、グラディオが使っていた神器。
俺は混乱の隙にそれを回収し、報酬代わりとして懐へ収めていた。
刀身は毒々しいほどに濃い紫。背から刃へと鮮やかな紫が流れ落ちる、片刃の造形。
柄は漆黒。全体のラインはトゲトゲしく、邪悪さを感じる禍々しいデザインだ。
(…かっこいい。センスの塊だな。さすがは俺の内臓を切った短剣だ)
あの後、折を見て詠唱を真似してみたが、やはり血統の違いか、魔法は使えなかった。
とはいえ、武器としての性能が破格なのは間違いない。
量産品の日本刀を振り回すより、こっちを主武器にした方がいいのだろうか?
「なあ、ルナリア。これ拾ったんだけどさ。俺の武器、こっちにするのはどうだ? お前から見て、俺は刀と短剣、どっちがマシだと思う?」
いつものネイビーブルーのバトルドレスに、白のミニスカート。
宿屋でのメイド服から魔法剣士の装いへと着替えたルナリアは、俺の歩調に合わせて速度を落とした。
ふわりと、彼女の髪から石鹸の澄んだ香りが漂う。
「…すごい武器だね。うーん、きみは武器を叩きつけたり、咄嗟に投げつけたりするから…。リーチのある日本刀を使った方がいいよ。その短剣は、あくまで補助武器で持っておくのが正解じゃないかな」
「やっぱそうか。ありがとな。…だよなあ。短剣戦闘はかなりの技量を求められそうだ」
俺は短剣を背中の鞘に放り込み、苦笑いしながら腰の愛刀の柄に触れた。
先日の大立ち回りで、もともとガタが来ていたこいつには、日本刀として想定されていない無茶をさせすぎた。いよいよ使い物にならなくなっている。
心なしか刀身自体が少し曲がっているような気さえしている。
買い替え時なのは百も承知だ。
しかし、金がない。ほとんどメイド服に使ってしまった。
「でも、王都ってすごいんだね。そんな短剣が道端に落ちてるなんて…。でも、ねこばばしちゃだめだよアルス。持ち主の人が困ってるんじゃないかな? ちゃんと騎士団に届けた方がいいよ」
ルナリアが、眩しいほどに真っ直ぐな瞳で言う。
俺は、肩をすくめて白状した。
「…わるいわるい、拾ったってのは冗談だ。さっきの話に出てきた、俺の腹を切り裂いたあの短剣だよ。だから持ち主は今頃檻の中だ」
刹那、隣を歩くルナリアから、凍りつくような空気が漏れ出した。
「…へぇ。その短剣がそうなんだね」
彼女の赤い瞳が、俺の背後の短剣を、獲物を屠る直前の肉食獣のような鋭さで射抜く。瞳の奥の星型の瞳孔が、すうっと細まる。
先ほどまで何気なく眺めていた時とは比較にならない、濁った殺意。
「こら、ルナリア。怖いからやめなさい」
冗談抜きで背筋に冷たいものが走った。おしっこ漏れそう。
彼女の威圧感に、俺は引き攣った笑いを浮かべながら、冷や汗を拭う。
ルナリアをなだめていたら、いつの間にか本部ギルドの正面まで来ていた。
フリージア支部の安っぽい門とは違う、王都本部の重厚な木製ドアを押し開ける。
――――――――――――――――――――――
セレスティア王国 王都の冒険者ギルド本部。
地方支部に見られるような無秩序な騒がしさはない。
高い天井を支える太い石柱の下、整然とした活気が空間を引き締めている。
フロアは広く、天井も高い。
正面奥には、本部ならではの長く重厚な受付カウンターが一直線に並び、その前には等間隔に整えられた待機用のスペースが広がっている。
制服姿の職員たちが、訪れる冒険者を相手に淡々と手続きを進めていた。
その手前、中央の掲示スペースには、大きな木製の掲示板が据えられている。
冒険者への諸注意、王都内の商店広告、定期クエスト――すべてが几帳面に張り出され、乱雑さはない。
ただしBランク以上の依頼は、個別にカウンターで発行される。
そのため掲示板に危険な討伐依頼が貼り出されることはない。
俺は迷うことなく、真っ直ぐにその受付カウンターへと向かった。
「たのもー! ハロルドさんいますー?」
カウンターの奥、書類が積まれた事務スペースでペンを走らせていた男性が、俺の声に顔を上げる。
都会の洗練さとは無縁の俺の声に、彼は小さく苦笑を漏らしながらこちらへ歩み寄ってきた。
スラリとした細身の体躯に、シワ一つない制服。
王都の数多い煩雑な案件を、常に涼しい顔で捌き切る才人だ。
俺のAランク昇格への無茶な嘆願に対しても、こちらの身を案じながら丁寧に対応してくれる優しい人でもある。
「こんにちは、アルスさん。ご連絡した件ですね。まさか通達の当日に来られるとは…対応が早いのは助かります」
なぜか隣でルナリアが、自分のことのように少し誇らしげに豊かな胸を張った。
「えへへ。アルスは意外とマメだもんね」
ハロルドさんは穏やかな笑顔を浮かべたまま、手にしてきた書類にスッと目を通す。
「ではアルスさん、少しお時間をいただけますか。応接室を使いますので、こちらへどうぞ」
促されるままカウンターの脇を抜け、俺たちは今まで足を踏み入れたことのない、関係者専用の部屋へと通された。
初めて入る応接室は、外の喧騒が嘘のように遮断された静かな一室だった。
手入れの行き届いた分厚い革張りのソファが、チリ一つなく磨き上げられた低いテーブルを挟んで整然と向かい合っている。
壁の展示スペースには王族や貴族からの感謝状や、なんらかの功績のある武器だろうか? 持ち主の名前が添えて飾られている。
促されるままソファに腰を下ろすと、程なくして上品なカップに注がれた温かいお茶が運ばれてきた。
ふわりと立ち上る香りの良い湯気を挟み、俺とルナリアの対面にハロルドさんが静かに腰を下ろす。
そして穏やかな声で切り出した。
「まずは、急な呼び出しにも関わらずご足労いただきまして、ありがとうございます」
俺は温かいお茶に少しだけ口をつけ、喉を潤してから静かにカップをソーサーに置いた。
「いえ、丁度宿でくつろいでいたところですから。
それに…この呼び出しには少し心当たりがあって、正直わくわくしながら来たんですよ」
隣に座るルナリアが、こてんと可愛らしく首を傾げる。
「アルスは何か心当たりがあるの? ああ、もしかしてあれかな。
この間きみが助けたっていう、お子さんの親御さんからお礼とか?」
俺はこいつを後で思いきりびっくりさせてやろうと企んでいたため、その『お子さん』がどこの何者であるかは、今日まで一切喋っていなかった。
ハロルドさんは穏やかな顔つきのまま、感嘆が少し混じった声を出す。
「ええ、アルスさんの想像通りですよ。…しかし、私も事務長になって長いですが、国王陛下直々の書状を預かるのは初めてです。
アルスさんは非凡な方だと思ってはいましたが、想像以上でしたね」
そう言いながら、ハロルドさんは奥に据えられた頑丈な金庫から、うやうやしく一つの書面を取り出してきた。
「こちらが国王陛下からお預かりした書面の実物です。
…そして、全く同じ内容をこちらの紙に書き写しておりますので、どうぞご覧ください」
国王陛下から下賜された王印が押された書面を、テーブルでベタベタと触りながら広げるわけにはいかないのだろう。
ハロルドさんは、用意してくれた写しの書面を俺たちの前に滑らせた。
前後に仰々しい挨拶や賛辞が並んでいるが、要約するとこんな感じか。
* * *
セレスティア王国第三王子ユリウス・アーサー・セレスティア殿下の救出、並びに第一級賞金首グラディオ・サンダールの捕縛。
これらの偉業に対し、ロドリック・アーサー・セレスティア国王より、感謝の意と共に以下の恩賞を与える。
一、冒険者ギルドにおけるAランクへの昇格。これは此度の件のみならず、これまでの活動実績を鑑みた結果である。
二、王家より報奨金として金貨五百枚、並びに冒険者ギルド会費の三年間免除。
三、貴殿の王国内での身分を、ユリウス・アーサー・セレスティア王子の名をもって保証する。
四、貴殿が盾となり守り抜いた命は、我が国の至宝である。此度の功績に対し、王家より感謝状並びに然るべき褒賞を贈る。
* * *
書面の冒頭に目を通したルナリアは、顔を前に突き出したまま、完全にフリーズした。
艶やかで柔らかなラインを描く唇が、間の抜けた形に少しだけ開いている。
「え? …きみは一体、わたしがいない間に何をしてきたの?」
震えるような声で放たれたその問いに、自分の内臓を捧げかけた会心のドッキリが成功したことを確信し、俺はご満悦だった。
とはいえ、この褒美の内容は…。
俺は改めて書面に目を落とし、向かいに座るハロルドさんを見上げる。
「もしかしてハロルドさん。俺の目的の件、口利きをしてくれました?」
俺の問いに、ハロルドさんは悪びれる様子もなく、ふっと柔らかな笑顔を浮かべた。
「…ばれましたか。ええ、アルスさんが目標のために一生懸命頑張っているのは知っていましたからね。
私は結構、アルスさんやルナリアさんのファンなんですよ。これで念願だった王立図書館も、堂々と利用できますね」
そこまで言ってから、ハロルドさんは目を細め、書類に視線を落とした。
「とはいえ、身分保証に関しては、王家からの推薦であっても期限付きの簡易なものになると思っていました。
まさか、王子殿下自らが直々に名を貸して保証されるとは…」
男同士の、世代を超えた友情を感じて、俺は思わず少しうるっときてしまった。
「…ありがとうございます! …めちゃくちゃ嬉しいです」
深く頭を下げた俺に、ハロルドさんはただ優しく目を細めてくれていた。
俺がひっそりと感動を噛み締めている横で、いつの間にかフリーズから復帰したルナリアが、書面の続きに目を通していた。
応接室の小窓から差し込む陽光が、彼女の少しウェーブのかかった金糸の髪をキラキラと透かして輝かせている。
「うーん。きみが凄いのは知っていたけれど…まさか、ちょっと目を離した隙に王子様を助けているなんて」
ルナリアは自分のことのように誇らしげな顔をして、にこにこと無邪気に笑っている。
「さすが、アルスだねぇ。きみは勲章授与のときも、いつもみたいに堂々としてそうだよ」
俺は目頭の熱を瞬きで散らしながら、間の抜けた声を出した。
「ん? 勲章授与? なにそれ」
「ほら、ここ」
ルナリアが身を乗り出し、書面の一部を指差して見せてくる。
無防備に近づいてきた彼女の肩先から、ふわりと甘い香りが漂った。
それと同時に、俺の二の腕に彼女の豊かな胸の質量が、薄布一枚を挟んで、むにゅっと無自覚に押し付けられる。
……その温かい柔らかさと明確な重力感に意識を持っていかれそうなのを堪えつつ、俺は彼女の細い指の先にある一文を追う。
そして、内容を理解した瞬間に素っ頓狂な声を上げた。
「え? 俺、謁見するの? 王様に!?」
「…王家からの感謝状が、ギルドの窓口で『はいどうぞ』と渡されるわけがないでしょう。
当然、それなりの格式を持った授与式が王城で行われるはずです」
「王子の誘拐事件を解決し、一人で救出してみせたのですから、当然の扱いですね。
勲章授与に合わせて、感謝状もその時に下賜されるのでしょう」
俺の驚愕に対し、ハロルドさんはティーカップを傾けながら、努めて冷静に答えた。
この人、仕事ができる優秀な人だと思っていたけれど…。
こんな大事件の事務処理を淡々と進めるなんて、有能どころの騒ぎじゃないぞ。
肝の据わり方が尋常じゃない。
「日程については、追って王宮からギルドへ直接連絡があるでしょう。
謁見となれば、きちんとした礼服が必要になりますが…まあ、Bランクだったアルスさんたちの収入であれば、大した出費にはならないでしょう」
ニコリと微笑むハロルドさんの言葉を最後まで聞くや否や。
俺は革張りのソファから滑るように降り、チリ一つなく磨き上げられた応接室の床に両手と額を擦り付けた。
流れるような、完璧な土下座だった。
「お金貸してください」
俺は胸だけ生地の薄いメイド服に全財産をつっこんだ直後だった。
# COORDINATE 0009 END




