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[COORDINATE 0086] Eridania Village

# Visiting_Ars’s_Grandfather’s_Grave:


* * *


 勇者たちが冒険を繰り広げる現在から、約二十年前。

 正確には、十九年前。


 セレスティア王国の南東を治める、とある伯爵家に初めて生まれた子は、女子であった。

 跡取りを望んでいた伯爵は、それを知って、ほんの少しだけ落胆を顔に出してしまう。


 伯爵夫人は大層気の強い女性であったため、夫のその態度に激怒した。

 だが、夫婦は仲睦まじくもあったため、夫人は反省した伯爵を許し、伯爵自身も大役を果たした夫人を労った。


 少し成長したその子は大層可愛らしく、幼いながらも、すでに将来の美しさの片鱗をのぞかせていた。

 毛先がウェーブがかった金色の髪はつややかで、くりくりとした赤い瞳は、まるで宝石のようだった。


——そればかりか、彼女はとんでもない天才児だった。


 彼女の剣術は、四、五歳にしてすでに父を超えていた。

 伯爵はその才能を伸ばそうと、王家指南役を務めたこともある剣士を家庭教師として、王都から呼び寄せる。

 その家庭教師ですら、彼女が五歳になる頃には、打ち合うだけで精一杯になっていた。

 頭脳も明晰で、屋敷にある本は、その頃にはすべて読み終えていた。

 鈴が鳴るような可愛らしい声音で、話す言葉はすでに大人のようであった。


 明らかに常軌を逸した子どもだったが、伯爵夫妻は共に人格者で、決して態度を変えることなく、彼女に愛情を注いでいた。


 だが、当の本人には、世界がひどく色褪せて見えていた。

 物語の天才にありがちな話だ。

 両親のことはそれなりに好きではあるが、自分の気持ちは決して理解できないだろうとも思っていた。

 彼女の楽しみは、ときおり屋敷を抜け出し、鋼の刃で魔物を狩ることだけという有様だった。


 彼女の様子を心配した伯爵夫妻は、領地にある海辺の別荘への旅行を計画する。

 自然が織りなす雄大な景色を見れば、もしかすると我が子が笑顔を見せてくれるかもしれないと思ったのだ。

 そう、少女は一度も笑ったことがなかった。


 だが、少女はその景色を見ても、特別何かが変わったとは思えなかった。

 両親以外は、相変わらず灰色のままだ。

 暇を持て余した彼女は、屋敷でしていたのと同じように、こっそり別荘を抜け出す。


 彼女は、海へ沈み込む大峡谷の壮大な景色を一望できる崖上から、大きな湾を見下ろした。

 湾の向こう側の低地には鄙びた漁村があるようだった。


 とくに目的のない彼女は、そこへ行ってみることにする。


 子どもが歩くにはかなりの距離があったが、規格外の少女にとっては問題にならない。

 辿り着いた漁村で、彼女はぷらぷらと砂浜を歩いていた。

 ふと、彼女が前方へ視線を向けると、漁船の修理をしている少年がいた。


 近くへ歩み寄ると、茶色い髪をしたその少年が振り返った。

 年相応の小生意気そうな少年の瞳を見た瞬間、彼女の全身に電流が奔った。


――彼女は恋をした。


 その瞬間、濃淡でしか見えていなかった世界が、鮮やかに輝いて見えた。

 空と海が、きらきらと輝く青を放っていた。


 少女は少年に出会っていなければ、刺激だけを求めて、いずれ三国を統べる覇王となっていただろう。

 もしかすると、世界を燃やし尽くす火炎の魔王になる可能性すらあったかもしれない。


 だが、結局のところ、少女はそうはならなかった。

 彼女が振るう銀の剣は、大好きな彼のためだけに在るのだから。


 そんな金色の髪の少女は、彼を育ててくれた祖父の墓前で、彼とともに祈りを捧げていた。


* * *


 俺は、村の共同墓地で静かに黙祷していた。

 じいちゃんに、色々と伝えたいことがあったはずなのに、心の中ですら何も言えなかった。


 ただ、ただいまと伝えるのが精一杯だった。


 しばらくそうやって黙祷していた俺は、目を開き、共同墓地の小さな墓標に視線を向ける。

 ルナリアとフェリスが供えてくれた小さな花が、揺れていた。


 じいちゃんが生きていたら、連れ帰った女の子が二人いるのを見て、ぶん殴られただろうな。

 俺は少しだけ寂しげな笑みを漏らしてから、振り向いた。


 そこには、すでに祈りを済ませ、俺が顔を上げるまで静かに待っていてくれた彼女たちの姿があった。

 俺は、海から吹きすさぶ潮風に美しい髪をなびかせる二人へ声をかけた。


「お待たせ。行こうか」


 すぐそばで墓標を見つめていたルナリアが、俺に視線を向けて気遣うような声音で言った。


「もういいの? カタリナさんたちが馬車を先に回してくれたし、もう少しゆっくりしていても大丈夫だよ」


 少し離れた位置で海を眺めていたフェリスが、ちらりとこちらを見て口を開いた。


「……ん。私たちのことは気にするな。……それにしても、いい所だ」


 俺は振り返って墓標にもう一度、ただいまと心の中で伝えてから、彼女たちへ笑みを浮かべた。


「ああ。もう大丈夫。それに、どっちにしても、まだうまく話せないんだ」


 歩き出した俺の隣にルナリアが歩み寄り、フェリスが少し後ろを歩く。


「そっか。……また来ようね」

「……今日は、私が食事を作ろう」


 正直、別に故郷自体にはそれほどの思い入れはない。

 そもそも、まだ村を飛び出して数年しか経っていないのだ。

 だけど不思議と、押し寄せる波の音も、潮の香りも懐かしいと思った。



# Eve_of_the_Labyrinth:


 俺たちは今、ユーリの案内で、俺の村から湾を挟んで反対側にある小さな別荘に滞在していた。

 伯爵家が管理するここは、賢者の迷宮を管理するために作られたそうだ。

 もっとも王国では、賢者の迷宮へ挑戦する者はここ数十年現れていないらしく、その役目は形骸化しているらしい。


 俺はユーリと、厩舎に入れた愛馬たちの世話をしながら話していた。

 ルナリアとフェリスは夕食の準備をしている。

 カタリナさんは、俺の故郷でもある麓の村の村長へ、ここに滞在する旨を伝達しに行っていた。

 俺は初めて知ったのだが、故郷の村はエリダニア村といい、近海はエリダニア海という名前らしい。


 多分、村民は誰も知らない。


 ユーリが軍馬たちに飼い葉を与えながら、口を開いた。

 彼はこの旅で初めて馬に餌をやったらしく、今日も楽しそうに世話をしている。


「僕の聞いた話と、先生の話をすり合わせると、やはり先生の言う洞窟で間違いなさそうですね」


「そうだな。それにしても、あれが賢者の迷宮への入口とはなあ」


 俺はブルーとブラウンをブラッシングしながら、別荘から一望できる、自然の生み出した大絶壁に視線を向けた。

 別荘から峡谷までは距離があるにも関わらず、海からそびえる大絶壁が幾重にも重なり、複雑な入り江を作り出しているのが見える。

 海へ沈み込むような雄大な渓谷は、これからの長い年月を経た遠い未来でも、なお波を受け続けているのだろうと思った。


「子どもの頃は、なんてことのない風景だと思ってたもんだが、とんでもない。外へ出ないとわからないもんだな」


「よく分かります。僕もこの旅で、王都の本当の美しさが分かった気がします。王宮がつまらないのは変わりませんが」


 軍馬たちと、ブルーとブラウンが張り合い出したのを宥めながらユーリが続けた。


「洞窟の場所は先生の記憶と、あの不思議な地図をすり合わせれば分かるでしょう。あとは、どうやって辿り着くかが問題ですね」


「ん? ああ、それは問題ない。もう見当をつけてるから夕飯の時にでも話すよ。楽しみにしておけ」


 それを聞いて、尊敬の眼差しを向けるユーリに笑みで答えた。


 絶壁の周囲の海は流れが速く、激しく打ち寄せる波の中、舟で洞窟まで行くのは困難だ。

 だが、俺たちには、空飛ぶ勇者がいる。

 大森林の川と同じことをすればいいのだ。

 魔界の大河を流れに逆らって登っていくのに比べれば、大したことはないだろう。


 そこで、俺の脳裏にひとつの疑問が浮かんだ。


 俺は一体どうやって、五歳にしてそんな洞窟に行ったのだろうか。

 たしかこう、縄を木に縛るかなんかして、崖を降りたような……。

 あの時、五、六回は銀色の既視感に触れた気がする。


 そうだ。俺はあの時、縄が切れて落ちたぞ。


 視界いっぱいに広がる青空を思い出した。

 そうか、だから俺は異常に高い所が怖いのかもしれない。


 どうやって助かったのだったか。

 誰かが俺を受け止めてくれたような、そんな淡い記憶があった。

 そのとき助けてくれたのは銀色ではなくて……そうだ、金色の天使だった。


 なんだ、金色の天使って。

 俺は自分の妙に情緒ある表現が可笑しくなって、苦笑した。


 しばらくして、食事の準備が整い、俺たちは五人で食卓を囲んでいた。

 故郷の新鮮な魚をふんだんに使った彩りも華やかな料理は、香り豊かでとても美味しかった。


 俺は、丁寧に甘辛く煮られた鯛を口にしながら首を傾げた。


「いや、新鮮な魚をフェリスが料理したから美味しいだけか? ここまで美味しかった記憶はないぞ」


「……急に何の話だ」


 揚げた鯵を食べていたユーリが、上品に口元を拭ってから言った。


「フェリスさん、料理がお上手ですよね」

「うんうん。わたしも頑張ってはいるんだけどなあ。なかなかフェリスちゃんには敵わないんだよ」


 ルナリアが、肩口で金糸の髪を揺らしながら答えた。

 それを聞いたフェリスが、瑠璃色の瞳にほんのり照れを浮かべて口を開いた。


「……戦いであれだけ水をあけられているんだ。……料理くらい、私に自慢させろ」


 カタリナさんが、上品に料理を口へ運びながら、俺たちのやり取りを優しげに見守っていた。


「私もフェリス殿の料理は大変美味しいと思う。……殿下、足をぷらぷらさせるのはお止めください。最近、少し子ども返りしすぎですよ」


「いいではないですか。迷宮の攻略が終わったら、また、しばらく窮屈な王宮暮らしが待ってるんですから」


 俺は、エールで喉を潤しながらユーリに言った。


「ははは。つまんなそうだもんな。まあ、数年は頑張れよ。別大陸へ行くときには、一緒に連れてってやるからさ」

「約束ですよ。次は置いていかないでくださいね」


 苦笑を浮かべたカタリナさんが、小さく息を吐いた。


「はぁ……。アルス殿はまたそんなことを。五年は駄目ですよ、殿下」


 今回のユーリとの冒険は、一旦この賢者の迷宮の攻略までと決まっていた。

 俺の予定では、この迷宮を踏破後、そのまま世界樹を目指すつもりだからだ。

 さすがにそんな強行軍に、幼いユーリを連れて行くわけにはいかない。


 ユーリは無鉄砲だが、我儘ではない……はずだ。

 自分でも、世界樹に行くには実力不足なことを理解しており、素直に言うことを聞いてくれた……よな?


 いまいちそこは信用できないな、と俺は思った。


 ユーリは、カタリナさんの言葉に曖昧な笑みを浮かべ、それから俺へ顔を向けた。


「先生たちはここの迷宮を踏破したら、そのまま教国の賢者の迷宮へ転送してもらうのですよね。そんな魔法が使える人がいるなんて驚きですね」


「ああ、踏破済みの迷宮間は移動できるそうだ。それに、最奥には案内人てのがいるんだが、地上への帰還はそいつが飛ばしてくれるから、ユーリはここに戻る感じだな。あ、そうだ。ルナリア、茶葉は忘れないようにしてくれ」


 料理に手を伸ばしていたルナリアは、一度食器を置いてから答えた。


「うん。教国の案内人さんと一緒に飲むんだよね。もう用意してあるよ」


「……問題は、教国の案内人がどこまで転送できるかだな。あの感じ、世界樹はかなり遠い」


 俺は、エールに口をつけながらフェリスの言葉について考えを巡らせた。

 予定では、教国の案内人に、可能な限り世界樹へ近い水場まで転送してもらうつもりだった。

 ルナリアとフェリスがいるから、水の確保さえしておけば食料は現地で賄える。


 さらに俺たちは、女神の加護で病気にもかからない。


 懸念点は、世界樹への距離だけだった。

 どれだけ近くへ転送してもらえるかが分からないのだ。


 さすがに大森林を数ヶ月歩くのは無理がある。

 だが、こればかりは教国の迷宮で案内人に確認するしかなかった。

 前回の迷宮を踏破した時、帰る前に聞いておくべきだったな。


 食事を終え、茶に口をつけていたカタリナさんが、呆れたように俺を見た。


「本当に、今回の攻略で踏破するつもりなのだな。規格外が過ぎる。Sランク級の迷宮攻略といえば、本来は最低でも数か月単位で行うものだ」


「いやあ、カタリナさんに聞くまで知りませんでした」


 普通はSランク級の迷宮を、初回に踏破するなどありえないらしい。

 けど、俺とルナリアがまともに迷宮攻略を始めたのは、フェリスが加入した最近だ。


 そんなことは全然知らなかった。


 カタリナさんがユーリに視線を向け口を開いた。


「殿下、明日からは約束通り、私は同行いたしません。アルス殿たちの指示をきちんとお聞きください。無事、戻られるのをお待ちしております」


「はい。カタリナ、我儘を聞いてくれてありがとうございます。きちんと戻ってきますよ。でないと、カタリナの首が本当に飛んでしまいますからね」


 カタリナさんの同行は、ここまでだ。

 明日からは四人で洞窟へ向かう。


 数日後には、ユーリの帰路を護衛する騎士隊がここへ訪れるらしい。

 ユーリの帰還については、案内人の転送魔法で王都に送ってもらう選択肢もあるが、カタリナさんが一人で帰還することになり危険があるし、なによりユーリが嫌がった。


 帰るまでが冒険らしい。

 魔法で飛んで終わりは絶対に嫌だと言っていた。


 まあ、ブルーとブラウンを王都まで連れて行ってもらわないと、俺たちも一度ここへ戻らないといけなくなるしな。


 俺は食後の茶に口をつけてから、赤みがかった髪を後ろで束ねたカタリナさんへ視線を向けた。


「ブルーとブラウンのこと、よろしくお願いします。あいつら、ちょっと調子に乗ってるんで、道中、遠慮なく教育してやってください」


「動物は、群れの強さを自分の強さだと勘違いする。ルナリア殿と旅をしているのだから仕方あるまい。だが、王都では丁重に扱われるだろうから、教育できるかどうかは分からないな。なにせ、Sランク冒険者の愛馬だ」


 そう言ったカタリナさんは、凛とした表情にほんのりと優しい笑みを浮かべた。

 その魅力的な微笑みを見た俺は、少しどきっとして顔を上気させてしまった。



# COORDINATE 0086 END

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