[COORDINATE 0028] Leo’s Village
# A_Date_with_Chloe:
「見て! アルス! あれがうちの村の牧場だよ!」
俺の手をぐいぐいと引きながら、彼女は村の自慢の場所を次々と案内してくれている。
「おお、山羊じゃないか。なるほど、レオは牧羊犬だったのか」
見下ろす丘の先、広めの木柵に囲まれた敷地の中で、数頭の山羊がもそもそと草をはんでいるのが見えた。
レオは俺たちから少し離れて山羊の様子を見ている。
こころなしか、その横顔は凛々しく、山羊たちを見守る姿には小さな誇りすら感じられた。
「俺たちみたいなよそ者が、勝手に牧場に近づいていいのか?」
「うーん。本当はだめ! でも、アルスはいいの!」
胸を張って断言するクロエ。随分と懐かれたものだ。
俺は少し照れくさくなって頬をかきながら、少し距離をあけて後ろを歩くルナリアをちらりと振り返った。
彼女は、宝石のような赤い瞳で静かに俺を見つめていた。
目元を優しく細めて、子供と遊ぶ俺の姿をどこか嬉しそうに見守っている。
さあっ、と。高原の冷たい風が吹き抜けた。
ルナリアは、風に乱れそうになった髪を左手でそっと押さえた。
細く白い指の間からこぼれ落ちた金糸の髪が、傾きかけた陽光を受けてきらきらと光の粒のように揺れた。
澄みきった青空を背景に静かに佇むその姿は、まるで絵画のようで、俺は思わず歩みを止めて見とれてしまった。
すると横から、少しむくれたような、怒ったような声が俺を呼び、手をぐいっと強く引っ張った。
「もう! デート中に、他の女の人を見たらだめなんだよ!」
……そうか。これはデートだったのか。
ならば、しっかりと彼女をエスコートせねばなるまい。
俺は前髪を軽く整える。目元に力を入れて凛々しさを作る。イメージするのはフェリスだ。
そして、自分が思う最大限に格好良い顔を作り、クロエの前に静かに片膝をついた。
小さな左手をそっと取り、彼女の純粋な瞳を真っ直ぐに見つめながら、甘い声で告げる。
「すまない、クロエ。俺が悪かった。これからは、君のことしか見な――」
俺が言い終わる前に、物質化したかのような鋭く冷たい殺気が背に突き刺さった。
背筋を凍らせながらちらりと後ろを見ると、先ほどまで微笑んでいたはずのルナリアが、目を細めてじっとりと俺を睨みつけている。
……少し怒っている。少しでこれかよ。おしっこ漏れそう。
ちなみに、クロエはすでに俺の手元にいない。
真剣な決め顔の俺に突然手を握りしめられ、甘いセリフを吐かれ始めた時点で、恥ずかしくてたまらなくなってしまったらしい。
顔を真っ赤にして、もはやこちらを見ることもできず、「きゃー!」と甲高い声を上げながら、俺の手を振り解いて牧場横の小さな建物へ走って逃げていってしまった。
ルナリアが呆れ混じりの声で俺に言う。
「アルス、きみは本当にもう……。子供だからって、女の子相手にそういうことを気軽に言ったらだめだよ」
「すいませんでした」
確かによくなかったか。
俺からしたら子供でも、彼女からしたら大事な出来事になってしまうかもしれない。
……そういえば、俺にもそんな出来事があった気がする。
感傷的になった気持ちを誤魔化すため、立ち上がって牧場の柵のへりに手をつき、少し風に当たる。
すると、建物に逃げ込んでいたクロエが、てこてこと慌ただしい足音を立てながらこちらへ戻ってきた。
その両手には、なみなみと液体の注がれた木杯がひとつずつ握られている。
「アルス! 金色のお姉ちゃんも! よかったらどうぞ!」
「お? なんだろう。ありがとう」
「わたしにもくれるの? ありがとう、クロエちゃん!」
ルナリアはクロエと同じ目の高さにしゃがみ込んで、笑顔で木杯を受け取る。
俺はクロエに微笑みながら、立ったまま受け取った。
杯の中身は、新鮮な山羊のミルクだった。
搾りたてなのだろう、口に含むと、濃厚な乳の甘い風味が広がって驚くほど美味しい。
都会の店で飲むものより、嫌な癖がなく、後味がすっきりしている。かなり飲みやすかった。
俺はあっという間に飲み干し、口元を拭って礼を言う。
「ありがとう。すごく美味しかったよ。搾りたてなのか?」
「本当? よかった! わたしがお世話してる山羊のお乳なんだよ!」
俺の隣では、ルナリアもすでにミルクを飲みきっていて、小さな清潔な布で上品に口元を拭っている。
その横顔は、嬉しそうに綻んでいた。
こいつ、同性にこうやって優しくされること、あんまりないもんな。
「クロエちゃん、すごく美味しかったよ。街で飲むものより飲みやすいし、味が濃くて甘い気がするね」
ルナリアが心からの賛辞を送ると、クロエは少しほっとしたように胸を撫で下ろした。
「よかった! 都会の人がこういうの飲んでくれるか、不安だったの」
俺は空になった木杯を返しながら、苦笑して答えた。
「王都で飲んだものより、ずっと美味しかったよ。……いや、そもそも俺は都会の人じゃないぞ。辺境の漁村の出だ」
「え! じゃあ、海があるの? すごい!」
クロエが目を輝かせて身を乗り出してくる。
波の音や潮風の匂いが、ふと脳裏に蘇って懐かしくなった。
「ああ。毎日船に乗って、漁に出ていたよ」
「いいなあ。わたしもいつか連れてって!」
俺たちがそんな穏やかな会話をしていると、いつの間にかどこかへ走っていっていたレオが、あぜ道の向こうから戻ってくるのが見えた。
レオの隣には、大人の女性が一人ついてきている。
目元や雰囲気が、どことなくクロエに似ている。彼女の母親だろうか。
レオは途中までその女性と並んで走っていたが、俺たちの姿を認めると歩みを速め、いち早くこちらへ走ってくる。
まずクロエの匂いを嗅いで無事を確認し、それからルナリアとはきっちりと距離を取りつつ、最後には俺の足元へ座り込んだ。
俺を見上げて、満足そうに尻尾をぶんぶんと振っている。
その女性は、最初こそ俺たちを少し警戒しているようだった。
だが、俺とレオが並んでいる姿を目にした瞬間、彼女は少し驚いたように目を見開いた。
その視線は俺の上で止まり、しばらく動かなかった。
やがて、呼吸を整えるように小さく息をついたあと、少し悲哀を含んだ笑顔を浮かべて、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってきた。
「ようこそ、ライオル村へ。旅のお方」
俺とルナリアは、近づいてくるその女性のほうへ向き直った。
ルナリアは、いつものように俺に任せて一歩下がる。
「はじめまして。俺の名前はアルスです。冒険者の……じゃない、武装請負業をやっています」
ルナリアも、俺の挨拶に合わせてぺこりと頭を下げた。
その女性は優しく微笑み、俺たちに何か言おうとしたが、その前にクロエが俺へ抱きついてきた。
「お母さん! この人が、迷子のレオを連れてきてくれたんだよ!」
「ワンワン!」
レオは、クロエを見て不満そうに吠えていた。
迷子ではないと主張しているんだろうか。
娘を見ながら、どこか懐かしそうにくすくす笑い、彼女はクロエに言う。
「クロエ、はしたないですよ。きちんとしなさい?」
「あ! はーい。てへへ」
クロエは抱きつくのをやめ、今度は俺の手を握って、はにかみながらこちらを見ている。
その様子を見て、小さくため息をついたクロエの母親が、少し咎めるように言った。
「レオを見つけたなら、一度知らせに戻ってきなさいな。あなたはもう……」
「アルスに村を案内してたの!」
子供特有の成り立たない会話に、彼女は少し眉根を下げた。
だが、やがて諦めたようにため息をつき、俺へ向き直る。
「わざわざ村まで送っていただいて、ありがとうございます。私はマドレーヌといいます」
そう言って微笑むマドレーヌさんは、落ち着いた雰囲気をまとった、とても綺麗な女性だった。
年の頃は三十前後だろうか。クロエと同じ亜麻色の髪を、後ろでひとつに束ねている。
「俺は神官のアルスといいます。冒険者……じゃないか。旅をしながら武装請負業をやっています」
「わたしは、ルナリアです。アルスのパーティーメンバーです」
俺たちはそろって頭を下げた。
「あらあら。ご丁寧にありがとうございます。それにしても、お二人は旅の途中だったのでしょう?
こんな何もない村まで、わざわざレオを送り届けてくださるなんて、ご親切な方ですね」
「ワンワン!」
諦めろ、レオ。お前は迷子だった。
「いえ、急ぐ旅ではありませんので。……ああ、そうだ。村の近くで野営の許可をいただきたいんです。
村長さんのお宅を教えてもらってもいいですか?」
「野営! わたしも一緒にする!」
マドレーヌさんは少し思案してから、俺たちに答える。
「律儀なお方ですね。特に許可はいらないと思いますが……。クロエ、あなたは駄目に決まっているでしょう。わかりました。ご案内しますね」
「ありがとうございます」
少しふてくされていたクロエは、子供らしくすぐに気分を変え、俺の手を引っ張り出した。
「アルス! こっちだよー!」
俺はクロエに引きずられながら歩き出す。
一歩引いてついてくるルナリアの、さらに後ろでは、マドレーヌさんが少し楽しそうにその様子を見ていた。
レオはしばらく家畜を気にする素振りを見せていたが、やがて俺たちとの距離が開くと、こちらへ走ってきた。
# What_He_and_I_Shared:
村の中心あたりへ向かう途中、俺たちは集会用らしき広場を通り過ぎた。
クロエは、ぽかぽかとした陽気のせいか、俺と手を繋いだまま少し眠そうに、こっくりこっくりと船を漕ぎ始めている。
そういえば、俺たちと遊ぶ前はずっとレオを探して走り回っていたようだし、疲れたのかもしれない。
俺はしゃがんでクロエの頭を撫で、一声かけてから背中におぶってやった。
ルナリアが後ろからそっと位置を整えてくれる。
「んん……。レオ、畑の野菜は食べちゃだめ……」
「はは、寝言でもしっかりしてるな」
マドレーヌさんは申し訳なさそうに詫びていたが、俺は気になさらずにと答え、再び歩き出した。
これでも冒険者なのだ。これくらいは負荷にならない。
通りがかった広場には、この規模の農村には少し似つかわしくない、立派な青銅の像が立っていた。
陽光が作る陰影が像の彫りをくっきりと浮かび上がらせていて、建てられてからまだそう年月が経っていないことを感じさせる。
裾の長い外套を着た、凛々しい男性剣士の像だ。
だが、それよりも俺の目を引いたのは……。
「素敵な銅像ですね。……エルフ族ですか?」
「ええ。十年ほど前、この村が魔物の群れに襲われたのですが、その時に私たちを助けてくださった旅の剣士様です」
マドレーヌさんは、遠い昔を懐かしむようにその像を見上げた。
俺とルナリアも、彼女に続いてゆっくりとその像を見上げた。
「フェリスちゃんに少し似てるね」
「そうか? 長い耳以外はぜんぜん違うと思うけど。フェリスはもっと優しい顔をしている」
俺の率直な感想に、ルナリアは少し吹き出してから、赤い瞳を細めて言った。
「あはは。そうだね。きみの目から見たフェリスちゃんはそうかもね」
「どういうことだよ。誰から見ても同じだろう」
マドレーヌさんは小さく微笑むと、やがて道の先を示して歩き出した。
「もう少し行けば、村長の家です。さあ、行きましょうか」
「あ、はい。……しかし、旅の剣士を銅像にするなんて珍しいですね」
マドレーヌさんは振り返り、どこか懐かしむような微笑を浮かべて答えた。
「この村にとっては英雄ですから」
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田舎ならではの、間隔の空いた家屋をいくつか通り過ぎて、俺たちは他より一回り大きな家の前へたどり着いた。
その前で立ち止まり、マドレーヌさんは俺たちを見ながら、ふわりと微笑んで言う。
「ようこそ。我が家です。クロエをひとまず寝かせてきますね」
「んん? あ、いや。……ああ、なるほど。そういうことか」
俺はそこでようやくマドレーヌさんの意図を察して、苦笑した。
ゆっくりと背中のクロエを下ろすと、ルナリアが優しく受け止めて抱え、そのままマドレーヌさんへ手渡した。
彼女は眠るクロエを抱きながら、少し悪戯が成功したような笑みを浮かべて言う。
「お礼に、よろしければお茶でも飲んでいってくださいな。クロエを寝かせて、少し片付けてきますから」
そう言うと、マドレーヌさんはいったん家の中へ入っていった。
残された俺は、腕を組みながら隣のルナリアに言う。
「マドレーヌさんは村長婦人か。俺はなぜ、年上の女性にこうもからかわれるのだろうか」
「クロエちゃん、村長さんの娘だったんだね。うーん、きみは素直だから、からかいがいがあるってフェリスちゃんが言ってたよ」
おのれフェリスめ。
今度、七段階位くらいの支援魔法をいきなりかけてやる。
しばらくして、身軽になったマドレーヌさんが家から出てきた。
俺たちは村長さんへの挨拶も兼ねて、お言葉に甘え、少しだけご馳走になることにした。
玄関の中までついてきたレオは、すぐ脇で立ち止まり、そこにあった定位置らしき敷物の上に寝転がって昼寝を始めた。
入っていい場所をきちんと理解しているのか。本当に賢い犬だ。
俺たちは、こじんまりとした来客室へ通される。
ふかふかとはいかないが、綺麗に手入れされた清潔なソファに、俺はルナリアと並んで腰を下ろした。
やがて、マドレーヌさんが湯気の立つお茶を運んでくる。
「田舎ですので、大したものはありませんが」
「いえ、ありがとうございます」
丁寧に出された香りのいいお茶にひと口だけ口をつけ、ひと息ついてから俺は切り出した。
「マドレーヌさん、ここの奥さんだったんですね。それなら最初からそう言ってくれればいいのに」
マドレーヌさんはくすっと笑って答える。
「ふふ。すいません。まだ私が若いころ、今日みたいに、子犬だったレオが旅の剣士様に連れられて帰ってきたことがあったんです。その頃のことが少し懐かしくなって、ゆっくりお話ししてみたかったんですよ」
なるほど。普段から会話する相手が、ずっと同じだと閉塞感があるのかもしれないな。ユーリみたいなものか。
俺は、村の奥さんと第三王子の妙な共通点を見出し、心の中で一人得心した。
マドレーヌさんは少し真面目な顔になって続ける。
「主人はあいにく仕事で出かけておりますが、野営の件は私からきちんと伝えておきますので、ご安心くださいね」
「レオにも強く引き止められましたからね。今晩はこの村のそばで一晩過ごさせてもらいます。高原の空気は心地良いですし、いい気分転換になりそうです」
要件が一段落したところで、俺は道中から思っていた疑問を口に出す。
「そういえば、レオはよく迷子になるんですか? あんなに賢いのに、道を覚えるのは苦手なのかな?」
マドレーヌさんは手元の木杯に触れながら答えた。
「実は、今日のレオは迷子ではありませんよ。レオはたまに街道のほうへ遠出するんですが、クロエはまだ幼いので、迷子になったと思ってしまうようですね」
そういえば、レオには迷い犬特有の余裕のなさがまるでなかった。
自分の縄張りの中にいるような落ち着きがあった気がする。
そうか。クロエには、あまり街道のことを言いたくないんだな。
少し遊んだだけでもわかったが、クロエは行動力がある。そのまま一人で街道までレオを追いかけていきかねない。
マドレーヌさんは、大切な思い出を振り返るような優しい笑顔で続ける。
「先程、村の中心に青銅の像がありましたでしょう? 実は、子犬だったころのレオを連れてきてくれた旅の剣士様が、あの銅像のお方なのです。
リナルド様とおっしゃいましてね。レオはあの方に大層懐いていましたから、時折、探しに街道へ出向いているのでしょう」
俺とルナリアは、犬のそういう健気な話に弱い。
少ししんみりしていると、ルナリアが俺の顔を見上げて言う。
「そっか。だからきみの隣を走っていたのかな? リナルド様に会えたと思ったんじゃない?」
俺は少し思案して答える。
「うーん。俺に並走していたあいつの顔は、再会を喜ぶような感じじゃなかったぞ。探し人のついでに、ちょうどいい遊び相手を見つけたと思ったんじゃないか?」
お茶請けの焼き菓子を切り分けていたマドレーヌさんが、ふふっと笑ってこちらを見る。
「当時この村を訪れたリナルド様は、黒い神官服をまとい、立派な細剣を帯びていらっしゃいました。
それでも、レオはあなたがリナルド様ご本人だとは思っていないでしょう。
ただ、風貌がそっくりですからね。何がしかの面影を、アルスさんに感じたのではないでしょうか?」
俺は自分の着ている黒い神官服と、横に立てかけておいた星切を見下ろす。
「はあー。なるほど。神官服と剣の組み合わせは珍しいですからね。想い人に似た面影を見つけたから、レオも俺を引き止めたがったのかな」
俺が何気なく口にした「想い人」という言葉に、マドレーヌさんがわずかに反応し、ほんのりと頬を赤らめた。
すかさず、隣のルナリアが俺の服の裾をぎゅっと掴んでくっついてくる。
二の腕に豊かな胸の重みをほんのりと預けながら、マドレーヌさんをじっと警戒するように見つめた。
「だめですよ?」
マドレーヌさんは切り分けたお茶請けを俺たちの前に配り終え、ソファに座り直してから、ルナリアに優しく微笑む。
「ふふ。当時、私はまだ十代でしてね。お恥ずかしながら、その時村を救ってくださったリナルド様に恋をしたのですよ。
淡い初恋の思い出です。それを少し思い出しただけですよ。ですから、安心してくださいね、ルナリアさん」
今度はルナリアが顔を真っ赤にして慌てる。
「あ、いえ。その……すいません……」
「いえいえ。お気持ちはよくわかりますよ。同じ女性ですからね」
俺は気恥ずかしくて二人の会話には加わらず、玄関で眠っているレオのことを、ふともう一度だけ思い出していた。
# COORDINATE 0028 END




