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[COORDINATE 0010] Honors and the Royal Library

# The Royal Library:


* * *


大森林だいしんりん


世界樹を中心として広がる広大な森林地帯。

古来よりその異常な魔力濃度と魔物出現率の高さから、冒険者層を中心に「魔界」の俗称で呼ばれてきた。


記録によれば、数百年前までは世界樹の祝福を色濃く受けた神聖領域であったとされる。

当時、女神リゼットへの信仰を示す巡礼地として広く知られ、各地から巡礼者が訪れた。


もっとも、当時より魔物の脅威は存在しており、巡礼路は常に危険と隣り合わせであった。

生存帰還者の数は極めて少なく、巡礼の成功例は稀少であったと伝わる。


現在の大森林は、魔族および上位魔物が支配する危険地帯へと変貌している。

巡礼文化は事実上消滅し、なお信仰心により森へ向かう者は、一般社会では自殺志願者と見なされる状況にある。


◆ パイオニア教国


三大国の一角を成す宗教国家。

大森林に隣接する唯一の国家であり、通称「教国」と呼ばれる。


国是は女神信仰。

教国の公式見解では、現在の世界樹は魔王によって穢されているとされる。


神聖なる世界樹の奪還を掲げ、教国はこれまで幾度となく「女神解放軍」を編成し、大森林へ国家規模の侵攻を実施してきた。


しかし、その戦果はいずれも失敗に終わっている。

森の奥深くへ進軍した部隊は、一度として帰還していない。


―――『王立史学会編纂・禁域地理考 第四巻』


* * *


「うーん、どう考えてもたどり着ける気がしない」


ユーリのおかげで図書館への入館が叶い、俺たちはさっそく足を運んだ。

世界樹へ行けと女神様に告げられている俺は、なんとか現実的な方法はないものかと、書架のあいだで書物を漁っている。


星空の夢は今も変わらず、絶妙なタイミングで見る。

まるで俺が忘却しそうになる瞬間を見計らっているかのようだ。

最近では、夢の中に現れるリゼット様の姿をじっくり堪能できるくらいには、夢に慣れてきた。


彼女の姿は、何度見ても、脳髄が痺れるほどの衝撃と魅惑がある。


果てのない星の海を背景に佇む彼女は、星々の瞬きを溶かし込んだような、滑らかで透き通る銀髪をしている。

澄み切った碧眼の中央には、星形の瞳孔が刻まれており、その内側で淡い光が脈打つように揺れている。


身に纏っているのは、フリルのあしらわれた白い薄手のワンピース。

肩口が大きく開き、白い肌が覗いている。


少し背は低く、肩や手足のラインは華奢で――薄く頼りない布地では隠しきれない柔らかな双丘が、今にも零れ落ちそうになっている。

細い鎖骨から続く白磁の肌が、はち切れんばかりのふくらみへと急激なカーブを描く様子は、夢の中だというのにひどく生々しい。


いつも伝えられる内容は同じだが、見せられるシチュエーションは毎回違う。

おかげで様々な角度から、布地越しにもわかるその豊かな曲線を堪能させてもらっている。


そんな俺の理想と寸分たがわない彼女の姿と声は、まるで彼女が俺のためだけに存在しているような、そんなどこか背徳的な気持ちを俺に抱かせる。



――そういえば、なんで俺はあの星空の少女を女神リゼットだと思ってるんだろう? はて? 名乗られたことはないはずだが。


俺が関連してそうな書籍をパラパラとめくりつつ、そんな事を考えていると。


「ねえ、アルス。あったよ。リゼット様の神話の本」


古い紙の匂いが漂う書架の向こうから、ルナリアが歩いてこちらへやってくる。

図書館の静寂を乱さない静かな歩み。だが、その規則的な足運びにあわせて、……彼女の胸元もまた静かに、揺れていた。


……ルナリアのほうが、若干大きいか?


そんな比較を脳内で展開しつつ、俺は平坦な声で返事をする。


「お、早いな。ありがとう」


ルナリアは即断即決を信条とし、あまり思考を重ねてから行動するタイプではない。だが実のところ、非常に頭が切れる。

こうした地味な文献漁りの作業においても、彼女は驚くほど頼りになる。


「大森林関連の書籍は、あまり役に立たないな。危険であることと、その理由、被害状況くらいしか書いていない」


俺は手元の本をぱたりと閉じ、ぐっと背伸びをしてから、ルナリアが持ってきた本を受け取った。


「ここはアプローチを変えて、女神リゼット様のほうから調べてみよう」


こういう手詰まりの状況では、神話や伝承の中にこそ、何かが隠されているものだ。


俺は神話の本を開いた。

そこに記されていたのは、どうやら子ども向けに編まれた寓話らしい。


* * *


はるか昔。


女神リゼットは人々に幸せを届けるため、神の奇跡で、願いを叶える月を夜空にうかべました。

たくさんのひとが幸せになり、女神リゼットをたたえました。


女神リゼットは、さらにその幸せが長く長く続くように神の奇跡で魔法をつくり、人々を脅威からとおざけました。

たくさんのひとが長生きできるようになり、女神リゼットをたたえました。


人々の幸せそうな笑顔に安心した女神リゼットは、世界樹から祝福を与え、なおも降りかかる不幸をはらいのけました。

人々は女神リゼットに見守られ、すくすくと育ちます。


しかし、ある日、悪の魔王があらわれ、女神リゼットを閉じ込めてしまいます。


願いを叶える月を魔王は独り占めし、より強く。

数多の魔法を自分のものにし、さらにより強く。


人々は魔法を使うこともできなくなり、願いを叶えることもできなくなります。


みんなが、つらく苦しい気持ちで過ごす中、一人の男の子が立ち上がります。

彼は誰よりも強い勇気を持ち、誰もよりもまっすぐな正義感をもった勇者でした。


勇者は数多の試練を乗り越え、ついに魔王を討伐するのでした。

解放された女神リゼットと勇者は二人でいつまでも幸せに暮らしました。


* * *


「……こちとら、その試練が知りたいんだよ!」


スパァン!


俺は、肝心な部分だけがすっぽ抜けている、あまりの出来すぎた歯抜けっぷりに、思わず机に本を叩きつけてしまった。


「わっ、アルス! 駄目だよ、図書館の本なんだから大事にしないと。…ごめんね、私が持ってきた本、役に立たなかったみたいだね」


ルナリアが慌てて身を乗り出し、本を庇うように両手を添えながら、少し申し訳なさそうに眉尻を下げる。

静かな空間で一瞬我を忘れてしまったことに気づき、俺は小さく息を吐いて彼女に謝った。


「ああ、いやごめん。ちょっとこの本から俺への悪意を感じて…。でも、魔界の攻略法はわからなかったけど、俺の疑問は一つ解けたよ」


閉じた本の表紙へ視線を落とす。

古びた装丁の表紙には、銀色の髪に青い瞳をした、白いワンピース姿の女神様が描かれていた。

ただし、その胸のふくらみは極めて控えめに、ひどく平坦に描かれている。


…なるほど。

たぶん子供の頃に、これと同じような絵本を見たり読んだりして、リゼット様の姿が意識の奥底にこびりついていたんだな。

夢のリゼット様のおっぱいが大きいのは俺の願望か。


「うーん。これで八冊目か。秘密の抜け道とは言わないから、伝説の迷宮とかが書いてあればよかったんだけどなぁ」


王立図書館の閲覧室。

微かなカビと古いインクの匂いが漂う静寂の中、俺は硬い木製の椅子に深く体重を預けた。キコキコと小さな軋み音を立てながら、高く荘厳な天井を見上げる。


うーん、どうしたものか。世界樹に至るための、めぼしい文献がなかなか見つからない。


ユーリに頼んだら、王家専用の禁書庫にあるような情報を教えてもらえたりしないだろうか。

あいつ、自分で知能派だと言っていたし、王子という立場なら知識も権限も豊富だろうしな。

近々行われるという授与式で、そういう頼み事をするタイミングはあるだろうか。


…あ、そういえば。ユーリのことで一個気になっていることがあったんだ。


「なあ、ルナリア。お前の剣って神器だよな?」


俺の声に、隣の席で一生懸命に分厚い本を読んでいたルナリアがぱたんとページを閉じ、こちらを向いた。

ふんわりと少しウェーブのかかった綺麗な金色の髪が肩口に流れ、彼女の体温に乗って、微かに甘い石鹸の香りが鼻先を掠める。


「アストライアの剣? うん、そうだよ。知ってるでしょう?」


彼女の腰に帯びられたその剣は、派手さを抑えた銀の刀身と鍔に、端正な装飾が施されている。

持ち手は黒く、柄頭には深紅の宝石がひとつ嵌め込まれていた。

ルナリアは日頃から、その美しい剣を艶のない黒鞘に収めて大切に扱っている。


「いや、このあいだの誘拐事件のときさ。ユーリのやつ、神器を持ったまま王都の裏路地をふらふら歩き回ってたんだよ。

いくらなんでも王家の家宝を勝手に持ち出して散策するなんて、あいつも意外と悪ガキだなと思ってたんだけど…さすがにそんなわけないよな?」


俺の疑問に、ルナリアはなぜかビクッと肩を揺らし、わずかに視線を泳がせながら口を開いた。


「わ、わたしは商人の家の出だから…。

アストライアの剣は、お父様が商いの中で偶然手に入れただけで、決して家宝というわけではないんだけど…。

王家には神器が複数本あるはずだよ。たぶん、王子様たちは一人につき一本ずつ、授けられているんじゃないかな」


偉い家のやつってのは、身分を偽る時に「商人」という設定しか思いつかないのだろうか。

というか「ルナリア・アストライア」が持っている「アストライアの剣」が商売で手に入れたものなわけがないだろう。


俺はルナリアの下手くそな嘘は、スルーしつつ、顎に手を当ててアストライアの剣を見ながら相槌を打つ。


「なるほど。家宝として一本だけ継がれるのは、貴族の家だけってことか」


「うん。たいていの貴族は、爵位を賜る際に神器を一本授けられるみたい。

それが家が続く限り、家宝として受け継がれていくんだね。

でも、公爵様のような大貴族なら、もしかしたら複数お持ちかもしれない」


ほーん。商人の娘は、随分と王侯貴族の事情に詳しいな。

俺は内心で呆れつつ、一つの疑問に納得がいった。


「なるほどな。じゃあ、ユーリが家の宝を勝手に持ち出して遊び歩いていた、とんでもない悪ガキってわけじゃないんだな」


「…ちょっとよろしいか、アルス殿」


「んー?」


逆さまの視界の端に映ったのは、近衛騎士の鎧と赤みがかった美しい髪。カタリナさんだった。


「ユリウス殿下は聡明で、心根の真っ直ぐな方だ」


「う、うお!?」


あまりに驚いて、俺は椅子から落ちそうになる。


「あ、いや、その…あれです。違うんです」


憧れの「美人女騎士」に睨まれ、俺はいつものような出鱈目を並べることができなかった。

カタリナさんは、少しきつめで理知的な茶色の瞳に静かな光を宿し、俺の顔をじっと見下ろしている。


「…ごめんなさい。ちょっと軽口が過ぎました」


気落ちした俺を見て、カタリナさんは数秒の沈黙ののち、ふっと目元を緩め、わずかに意地の悪そうな笑みを浮かべた。


「冗談だ。今のは『ユーリ』という子供の話だろう? ユリウス殿下の話ではなかったな。私の勘違いだ」


搦め手で翻弄してくる美人女騎士…。

俺はどうやらカタリナさんに弱いらしく、自分でもわかるほど顔が熱くなってしまう。


俺のあからさまな動揺を見て、カタリナさんは少し意地悪が過ぎたと思ったのか、小さく咳払いをひとつして態度を和らげた。


「ああ、いや…本当に冗談だ。すまなかった。完全武装の近衛騎士がこのような威圧をしては、動揺するなという方が無理というものだ」


いや、多分俺の動揺と、カタリナさんが想定している動揺は、まったく別物です。

申し訳なさそうな彼女からそっと視線を外すと、正面の席でルナリアが半眼になり、じとりとこちらを見つめていた。


こいつ…俺の動揺が緊張や恐怖から来たものではないと見抜いているな。


とりあえず何事もない爽やかな顔を作って、ルナリアへ微笑みかけてみる。

するとルナリアは、ポッと頬を赤く染めて視線を泳がせ、もじもじと身じろぎを始めた。


…ちょろいな。


そんな俺たちの微笑ましいやり取りを見て、カタリナさんはふっと口元を綻ばせた。

いつもの張り詰めた騎士の顔ではない、柔らかな笑みだ。


俺は自分が座ったままだと気づき、立ち上がろうとするが、カタリナさんに制される。


「急に声をかけたのはこちらだ。そのままで構わない。

貴殿に伝えることがある。冒険者ギルドへ赴いたところ、ここにいると聞いて足を運んだ。授与式の準備の件についてだ」


ああ、そうだ。

ギルドの応接室で完璧な土下座を披露した俺だったが、ハロルドさんは最後まで笑顔のまま、お金を貸してはくれなかったのだ。

そもそも、有り金を全てメイド服につぎ込んだ馬鹿は誰だ。俺だ。


とはいえ、王宮からいつ呼び出しが来るかわからないこの状況では、クエストで遠出して稼ぐわけにもいかない。

それに、まずは念願の図書館で世界樹についての調べ物をしたかったという事情もある。


図書館を後回しにしてクエストをこなすべきかと悩んでいると、見かねたハロルドさんが、何やら手を回してくれたんだった。

お金は貸してくれないが、手は貸してくれるらしい。


「日程は、一ヶ月後あたりを予定している。礼服の件に関しては予算はこちらで用意してあるので、王都の指定の服飾店にこれを持っていくといい」


そう言って、カタリナさんは白銀の鎧の隙間から封のされた一通の書状を取り出し、テーブルの上にそっと置いた。

どうやら、わざわざ自ら伝令を買って出てくれたらしい。本当に義理堅い人だ。


「ありがとうございます。お忙しい身でしょうに、わざわざすみません」


カタリナさんはにこやかに微笑み、騎士とは思えないほど艶やかな唇を開いた。


「気にすることはない。そうだ、ルナリア殿にもぜひ出席していただきたいと、ユリウス殿下からの伝言だ。

もし差し支えなければ、ルナリア殿も共に王宮へ来てくれ。当然、その際のドレスの代金も、その書状で問題ない」


「えっ? わたしも、ですか?」


びっくりして、信じられないというように自分自身を指差した。

少しだけ困ったようにハの字に眉を下げつつ言う。


「アルスの晴れ姿を近くで見られるのは、すっごく嬉しいですけど…。わたし、本当に何もしていませんよ?」


「勲章と礼状の授与は、もちろんアルス殿が対象だ。だが、授与式の後にそのまま殿下と会食を行う予定が組まれている。そこに同席してほしいというのが、殿下の主な趣旨だ」


ああ、なるほど。

ユーリは俺たちの勇者様にも会いたいのか。


「いいじゃないか、ルナリア。ありがたくお呼ばれしておこうぜ。お腹いっぱい食べられるぞ」


「だからわたしはそんなに大食いじゃないよっ。それに王子様との会食で、いつも通り食べられるわけないでしょ」


俺の提案に唇を尖らせつつも、ルナリアはカタリナさんに向き直って居住まいを正した。


「…わかりました。出席します。アルスの晴れ姿は、絶対に一番近くで見ないといけないので! ご招待ありがとうございます」


「ありがとう。殿下もお喜びになる。では、わたしはこれで…ああ、そうだ。アルス殿」


用件は済んだとばかりに立ち上がりかけたカタリナさんが、不意に身を屈め、俺の耳元へそっと唇を寄せてきた。


「貴公の魔法の件は、ユリウス殿下と近衛の一部の者しか知らない。…ユリウス殿下の采配で、完全な箝口令を敷いている。

グラディオら実行犯の尋問も近衛で管理し、厳重な口止めもされている。安心したまえ」


ひそやかな囁きと共に、彼女の体温に乗って、微かに甘い花の香りが鼻腔をくすぐる。首筋にカタリナさんの柔らかな吐息が直接かかるほどの、完全なゼロ距離だ。


俺は話の中身とは全く関係のない理由で、ドクン、と大きく心臓を大きく跳ね上げていた。


(なんかカタリナさん、距離近くない? もしかして俺に惚れた…?)


俺の横でルナリアが警戒する猫みたいになっている。


それにしても…。ユーリ、俺の魔法に気がついていたのか。

いや、そういえば最後にチンピラを縛った後、順番に回復魔法をかけている時、もう隠そうともしていなかった気がする。


…そうか。ユーリが対応してくれていなければ、捕縛されたグラディオから俺の特異性が漏れていたのか。


俺は咳払いをひとつして、必死に平静を装って思考を切り替える。


「…ありがとうございます。俺もあまり公にしたくなくて」


「そうだな。それがいい。あまりにも突拍子がない能力だからな。わたしも正直、胸の内に留め続けるのは胃が痛いよ」


カタリナさんは俺の耳元から離れると、少しだけ肩をすくめ、冗談めかしたように笑って背を向けた。


俺は硬い木製の椅子に座ったまま、遠ざかっていく白銀の背中に向かって深く頭を下げ、先ほどテーブルに置かれた書状をありがたく懐にしまった。



# The_Investiture_Ceremony:


――ロドリック・アーサー・セレスティア国王陛下。


御年四十八。王太子時代には共和国との激しい戦争において、自ら前線の指揮を執った武将でもある。


いかほどの価値かも見当のつかない、滑らかな手触りを思わせるアッシュブルーのスーツ。

頭上には、きらびやかでありながらも洗練された王冠を戴いている。


年齢を感じさせぬ艶やかな黒髪をオールバックにまとめたその顔は、威厳をまとった覇者の風格そのもの。

双眸の奥には、覇者の重く鋭い眼光が、確かな質量を宿している。


* * *


今回の授与式に備えて、俺は事前にギルドできちんと下準備をしていた。


「ああ、王様? ロドリック王でしょう?」

そんな程度の認識でこの場に臨めば、間違いなく恥をかくし、無用なトラブルを招きかねないからだ。


しかし。

…あまりにも暇すぎて、真面目な顔を取り繕っているのにも疲れてきた。

豪奢なシャンデリアが照らす王城の大広間。

ずらりと並んだ受勲者は、まさかの四十人超えだ。

一人ひとりの作法を延々と見せられ、正直ちょっと帰りたい気分になってくる。

だが、そろそろ俺の番のはずだ。一応の予習はしてきたが、直前の人間の所作を見て、最終確認をしておかなければ。


静まり返った広間に、式典官のよく通る声が響き渡る。


「ゲオルグ・ベルンハルト子爵。西方での対魔族防衛戦における功績を認め、王国功労章・銀章を授与する」


名前を呼ばれた初老の男性、ゲオルグ子爵が、王の御前へと進み出て静かに片膝をついた。

…凄いな、あの人。凄まじい覇気と隙のなさが滲み出ている。ルナリアと正面からやり合えそうな気配だ。


国王陛下が一言声をかけ、子爵の胸元に直接勲章を留めている。

なるほど。なんでわざわざ片膝をつくのかと思っていたが、勲章を付けやすくするためか。


勲章を受けたゲオルグ子爵が立ち上がり、深く一礼をする。頭の下げ方から指先の角度まで、全く曲がったところのない完璧な所作だ。

ああ、そうだ。付けてもらった後に立って礼をするんだったな。その後、数歩下がって最後に会釈をしてから列に戻る。


手順は完全に頭に入った。

よし、これで俺も完璧だ。ありがとうゲオルグ子爵。…なんかちょっと緊張してきた。


「次の方、Aランク冒険者アルス殿。前へ」


「はい!」


俺は意識してしっかりとした足取りで進み出る。

ふかふかの赤い絨毯を踏みしめ、国王陛下の手前、決められた位置でピタリと立ち止まった。


「Aランク冒険者アルス。王都内でのユリウス第三王子殿下の救出における功績を認め、王国功労章・青銅章を授与する」


ゲオルグ子爵のような、洗練された所作は俺には無理だ。

だが、精一杯、角度と姿勢に意識を向けながら、音を立てずに片膝をつき、頭を垂れた。


カツカツと革靴の音が近づき、国王陛下が俺の目の前で立ち止まる。

顔を上げることは許されない。視界の端で、陛下の大きな手が胸元に触れ、青銅章が留められるのを感じた。


「此度のユリウス救出の件、誠に大儀であった」


頭上から降ってきたのは、よく通る真摯な重みを宿した声だった。

威厳に満ちたその響きに、俺は思わず生唾を飲み込み、背筋を伸ばす。


よし、ここで立ち上がって一礼だな。

そう考え、脚に力を入れようとしたその時だった。


「……今後も、ユーリと仲良くしてやってくれ」


今度は、俺にしか届かないほどの微かな声で呟かれた。


予定にない私的な一言に、一瞬どう反応するのが正解なのか思考が停止する。

だが、まあ俺みたいな冒険者は、とにかく元気で丁寧なのが一番だ。


「はい! 国王陛下!」


俺ははっきりとそう答え、立ち上がると、自分にできる限り美しく見えるよう意識し、深く礼をした。


完璧だ。あとは一歩下がり、会釈をしてからこの場を離れるだけ。

そう思って踵を返そうとした、その瞬間だった。


『ぱちっ、ぱちぱちぱちっ!』


静寂に包まれていた厳かな大広間に、突如として無邪気な拍手の音が響き渡った。

ギョッとして音のした方、観衆の最前列をちらっと横目で見る。


そこには、自分のやらかしに気づいて顔を真っ赤に染め上げ、両手で顔を覆いながらぷるぷると震えて俯くルナリアの姿があった。

今日のために用意したネイビーブルーのドレス姿。大胆に露出した肩や首筋までが、彼女の顔と同じように真っ赤に染まっているのがよく見えた。

静かな式典中での、感極まって思わず漏れ出たであろう、渾身の拍手。


…お前、貴族の出じゃないのかよ。


俺は内心でため息をつきながら、結局ちょっとだけ嬉しかった。

かくして、色々な意味で心臓に悪い授与式は、無事に滞りなく終了したのだった。



――授与式が終わり、俺たちは祝宴会場へと移動していた。

立食形式の歓談席が設けられた大広間には、豪奢な礼服に身を包んだ貴族たちが溢れている。


俺はルナリアと連れ立ち、並べられた豪勢な料理の数々を端から試していた。

王城の料理長が腕を振るっただけあって、どれも絶品ばかりだ。


相変わらずルナリアは、俺が皿にとった料理と全く同じものばかりをつまんでいる。

自分で選ぶという発想がないのか、それとも俺と同じものを食べることに何らかの喜びを見出しているのか。

慣れないドレス姿のまま、彼女は俺の斜め後ろにぴたりと張り付いて離れない。


ちなみに、ロドリック国王陛下はすでに退出済だ。

開宴の挨拶を済ませ、今回の受勲者の中でも高位の貴族と何言か言葉を交わしたのち、早々に退場された。

ああいうのも配慮のひとつなのだろう。


王が去って空気が少し緩んだせいか、ルナリアにはちょこちょこと若い貴族の男たちが声をかけにくる。

目を惹く美貌と、ドレスから溢れんばかりの柔らかな質量。お近づきになりたい男は多いだろう。


ルナリアは、俺以外の男に声をかけられても、露骨に嫌悪を示したり、冷たくあしらったりするわけではない。

ただ、なんというか……完全に平坦であり、……無なのだ。


俺に向ける、熱を帯びた宝石のような瞳とは真逆だ。

まるで路傍の石でも映しているかのような、無機質な目。声の調子も一定で、そこには一切の感情が乗っていない。


目に何の感情も宿さない女性というのは、本当に怖い。

俺もルナリア以外の女性に、ああいう目を向けられることがあるから、その破壊力はよくわかる。


あの視線で一時間も見つめられ続けたら、男のプライドなど粉々に砕け散り、立ち直れなくなるだろう。

まだ露骨な嫌悪を込めて睨まれる方が、精神的にはよほどマシだ。


一方、俺には見事なまでに誰も声をかけてこない。

これは当然と言える。あの誘拐事件はユーリと俺しか関わっていない上、詳細な経緯は伏せられている。

主犯のグラディオは大層な賞金首だったらしいが、奴を直接ぶちのめしたのは俺じゃない。

貴族たちからすれば、俺はよくわからない手柄で運良く紛れ込んだ冒険者にすぎない。


そんな風に心ゆくまで高級なつまみ食いを堪能していると。


「失礼。少し、よろしいかな」


不意に、落ち着いた声がした。

振り返ると、そこには隙のない身なりをした一人の老紳士が立っていた。


只者ではない、覇気をもった矍鑠とした老紳士、ゲオルグ子爵だ。


「アルス殿、でしたな。少しよろしいかな?」


不意にかけられた落ち着いた声に、俺は手にしていた皿を近くのテーブルに置き、居住まいを正して挨拶を返す。


「ゲオルグ子爵。お初にお目にかかります。アルスです」


俺が迷いなく名と爵位を口にして頭を下げると、子爵はわずかに目を見開いた。


「これはこれは。ご丁寧に。ゲオルグ・ベルンハルトです。アルス殿は、お若いのに随分としっかりしてらっしゃる」


品のいい白髭を蓄えた口元に、柔和な笑みが浮かぶ。

俺はおじいちゃんっ子なのだ。だから、こういった方に気さくに、声をかけられるのは純粋に嬉しい。


「ありがとうございます。この場に立つと決まってから、粗相のないよう必死に作法を勉強してきたんですよ」


素直にそう返すと、ゲオルグ子爵はほう、と感心したように何度か頷いた。


「私は武人ゆえ、冒険者の方々と共闘することも多いですが…。貴殿のような、言葉遣いと立ち振る舞いの方は珍しいですな。

むろん、他の冒険者の方々も腕の立つ気のいい御仁が多いですが…いやはや、大したものです」


俺は真っ向から褒められすぎて少しむず痒くなり、照れ隠しに自分の後頭部をかいた。


「そう正面から褒められると恥ずかしいですね…。ただ臆病なだけなんです。

きっちり準備をしておかないと、気が済まない性分でして」


謙遜して笑う俺の隣で、ふと気配が動いた。

ちらりと視線を向けると、ルナリアが、ふんす、と誇らしげに豊かな胸を張っている。

ネイビーブルーのドレスに包まれたはち切れんばかりの胸が、彼女の荒くなった鼻息に合わせて大きく上下していた。


俺が褒められたことが嬉しいらしい。

間違いなく、彼女の中でのゲオルグ子爵の好感度はうなぎのぼりだろう。


「そうですか。素晴らしい心がけです。お二人の歓談のお時間をお邪魔して申し訳ないですな」


穏やかな口調のまま、武人特有の鋭さを宿した眼で、子爵は俺を真っ直ぐに見据えた。


「実は、あの『雷鳴のグラディオ』を討伐した御仁とお聞きしましてな。是非一度、お話をお伺いしたいと思っておりました」


あいつ、そんな二つ名だったのか。格好いい…。

俺は苦笑交じりに首を振る。


「せっかくお声がけいただいたのに、がっかりさせてしまうと思いますが…。

実際に討伐をしたのはユリウス王子ですよ。俺はサポートに徹していただけです」


そういえばそうだ。なんで俺の手柄みたいになっているんだ。俺は最後に剣を投げただけだぞ。

避けて、刺されて、内臓が飛び出しかけただけだ。

俺の言葉に、ゲオルグ子爵は白い髭を揺らして快活に笑った。


「ははは。大まかな流れは存じております。しかし、彼奴の透明化からの奇襲を回避し、あの神速の攻撃をいなし…。

王子殿下が駆けつけるまで、足を折ることなく立ち続けたのでしょう?」


子爵の目が、称賛の色を濃くする。


「さらには王子の詠唱時間を稼ぐため、照明魔法を目眩ましに使うという機転まで見せたとか。これはもう、一流の戦士といって差し支えない」


そう言われて俺はユーリが気を利かせて、俺の特異性に箝口令を敷いてくれていたことを思い出した。

そうか、俺は武力と普通の支援魔法だけで、あの場を凌いだ凄腕冒険者になっているのか。そりゃあ、武人から興味も持たれるわけだ。


まあ、おじいちゃんに悪い人はいない。

ここでは話せないが、いずれ機会があれば、酒の肴にでも話していいかもしれない。


「…少し特殊な技能がありまして。あまり公にしたくないので、この場では詳しく話せないんですが。

…また別の機会があれば、どんな風に立ち回ったかお教えしますよ」


せっかく声をかけていただいたのに、正直に話せないことが心苦しいが、その旨を伝える。

不明瞭な返答にもかかわらず、ゲオルグ子爵はまったく嫌な顔をせず、むしろ深く納得したように頷いてくれた。


「ああ、そうですな。これは失礼した。命を懸ける冒険者の方の、戦術の秘密をこんな公の場で聞くなど不躾でした」


子爵は恭しく頭を下げる。


「では、いつか私の領地にお越しの際は、是非とも屋敷にお寄りください。

精一杯おもてなししますぞ。そちらの美しいお嬢さんも、是非ご一緒に」


話を振られ、俺がひたすら褒められているという事実だけで終始ご機嫌にニコニコしていたルナリアが、弾かれたように顔を上げた。


「はいっ。是非その際はよろしくお願いします!」


嬉しそうに一歩前に出た拍子に、ネイビーブルーのドレスの胸元で、暴力的な質量がふにゅんと無防備に揺れる。

彼女は宝石のような赤い瞳を輝かせ、子爵に向けて得意げに言い放った。


「アルスの指示は本当にすごいんですよ。 わたし、アルスの命令通りに動くのが大好きなんです!

その時は、アルスがどれだけ凄いか、わたしがいーっぱいお教えしますね」


…おいやめろ。

お前が語る俺は、300%くらい盛られているから、結構恥ずかしいんだ。


「ゲオルグ子爵、ご歓談中失礼いたします。アルス殿」


歓談を続けていると、背後から透き通るような清涼な声が響いた。

振り返ると、近衛騎士の鎧に身を包んだ凛とした女性が立っている。カタリナさんだ。


俺とゲオルグ子爵の会話が途切れるのを待っていたのだろう。

さすがは近衛騎士団である。


「アルス殿、準備は整っている。別室にて王子殿下がお待ちだ」


ああ、そうだ。ユーリと会食の予定だった。

俺は少し名残惜しさを感じつつ、目の前の渋い老紳士に別れを告げることにした。


「ゲオルグ子爵、お話の途中で申し訳ありません。

ですが、必ず領地の方へ遊びに行かせていただきます。その際は、よろしくお願いします」


「ええ。此度はお会いできて光栄でした。我が領地にて、お二人のお越しを心よりお待ちしております」


ゲオルグ子爵は、ルナリアの態度にもまったく動じる様子を見せず、最後まで温和で懐の深い笑みを浮かべたまま頷いてくれた。


「では、ゲオルグ子爵。我々はこれで失礼いたします」


カタリナさんが騎士らしく洗練された所作で一礼し、静かに踵を返す。

俺たちは彼女に導かれながら、貴族たちの視線が交錯する祝宴の大広間を後にした。



# COORDINATE 0010 END

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