タイトル未定2025/09/28 12:37
たよりを抱いて以来、礼郎は人が変わったようになった。
「たより!どこへ行くのだ?」とたよりの行先を尋ねるかと思えば「たより、なんだ厠か」と厠の前で待ち伏せし、かと思えば「たより、今夜はどうするのだ」と夜伽をせがむ始末である。
当のたよりもこれには、「礼郎!私はあんたの母親じゃないんだからね!一晩共にしたからって親し気にしすぎよ!」とげんなり顔である。
「よいではないか、俺とお前との仲であろう」
そう言いながら、礼郎は頭一つ分小さなたよりを通せんぼする。
「あら駄目よ。私は皆のものなの」
と、たよりは礼郎の腕をかいくぐる。
「ははは、そうだよ礼郎。たよりの味は皆が知っている。世話になっておらぬのは飼い猫のテンくらいのものよ」
そう声のする方を見やれば、円仁が館の角から顔をのぞかせたところであった。
「あら円仁、どちらへ?」
時刻はまもなく正午である。
「ちょっと市へ行っておった」
「あらいいわね、下総の市はどんな様子なの?何か都の方のお話は聞けた?」
たよりは十代の少女のように目を輝かせる。
「なんだ、たよりは市が好きなのか」
礼郎はたよりを覗き込む。
「あら、昨今、今時の話は全部市で仕入れるのよ。市が嫌いな人なんているのかしら。礼郎は興味ないの?」
たよりはそう言うと、無邪気な笑顔を礼郎に向ける。
「修行僧の俺に市へ行く暇なぞあるか。ただ流行に一定の関心はあるがな」
「そうでしょうとも」
円仁はやわらかな笑顔を二人に向ける。
「今中央では、時の将軍・足利義光様が権勢をふるっておられる。なんでも観阿弥・世阿弥という舞の名手をごひいきになさっているそうな。ご自身で和歌も詠まれるとかで、大層な文人ぶりをみせておられるとか」
ぽんと差し出された都の知らせに、たよりと礼郎の両方から思わずため息が漏れた。
「それは雅な将軍様ね」
たよりはうっとりした表情を浮かべている。
「それだけではない。詳しくは分からぬが、相当な戦上手でもあるらしい」
「それは頼もしい限りね」
たよりは顔いっぱいに笑顔を作って土産話に聞き入っている。
その様子が、礼郎には少し面白くない。
「俺はそんな手の届かない人の話より、もっと楽しい話が聞きたい」
むすっとした表情を見せる礼郎に、たよりはいじわるな視線を投げかける。
見かねて円仁が助け船を出した。
「そんなら闘茶というのを知っておるか?今侍たちの間で流行しておる、飲んだ茶の産地を当てるという遊びよ」
二人とも、左右に首を振る。
「面白いが気をつけねばならぬ。あまりの流行っぷりに闘茶禁止令が出されておるからのう」
それだけ言い残すと、円仁は腹がすいたと食堂の方へと消えていった。
「闘茶だと」
礼郎はたよりに、にたりとした笑みを向けた。
「面白いらしいな」
たよりも同じように、にたりとした笑みを礼郎に返した。
数日後、たよりと礼郎は、示し合わせてはじめての闘茶をしてみることとした。
二人が集ったのは寺の離れで、こじんまりとしたしつらえの小屋である。
客をもてなすための離れであるので、室内には土間や囲炉裏といった火を起こすための場所もこしらえてある。
板の間に座った二人は、互いに顔を見合わせた。
「持ってきたであろうな」
礼郎がたよりに向かって尋ねる。
「勿論」
たよりが懐から取り出したのは、一袋の茶葉である。
何を隠そう、この茶葉は、妙顕寺の住職が大事に壺の中にしまってあるのを夜伽に乗じて失敬してきたものであったが、その内幕を、たよりは礼郎に明かさない。
「おお、それか」
礼郎が身を乗り出してのぞきこむ。
「では、いざ」
たよりが住職に聞いたという闘茶の作法を説明しながら茶を入れ始める。
礼郎は、目の前で細やかに動くたよりの手ばかりを見つめていた。
二人の間に、釜から立ち昇った湯気が立ち昇る。
「ようし、礼郎、見ては駄目よ」
こぎみよい音を立てて、茶が椀に注がれる。
それが三杯である。
「よし、礼郎、目を開けて」
礼郎の間の前の板の間には、今しがた、たよりによりいれられたばかりの茶が三杯、等間隔に並んでいる。
「一口ずつ飲むのよ。それからこの紙を見て」
そう言って、たよりは一枚の紙を見せた。
そこには「本茶」と「非茶」と大きく書いてあり、「本茶」の下に、小さく「栂尾」と記してあった。
「三つの椀のいずれかのお茶の産地が、この小さく書いた栂尾なの。当てはまる場合は『本茶』を指さして。当てはまらない場合は『非茶』を指さすの。どう?簡単でしょ?」
礼郎は分かったというふうにかぶりを振った。
「では」
礼郎はそう言うと両手を伸ばし、一番右の椀を自分の方へと寄せた。
それをうやうやしく目の前に掲げ、まずは香りをかぐ。
それから一口、じっくりと味わうように口に含んだ。
そうして、ひとこと、
「ふん、さっぱり分からぬ」
ともらした。
思わずたよりが噴き出す。
「当然よね、初めてですもの」
それを三つの椀で繰り返し、いよいよ答え合わせと相成った。
礼郎は一番最後に口にした茶を「本茶」に選んだ。
「では答えのお茶は――」
たよりはじらすように言うと、一つの椀を指さした。
「残念!本茶は二番目のお椀でした!」
「残念もくそもない。当たるわけがないであろう」
礼郎はむくれている。
「あら、違うのよ。今回答え合わせをした上で、真ん中の本茶を改めて味わうの。味の違いが分かったところで、二戦目、三戦目に挑むのよ。ね?面白いでしょ?」
そう言うとたよりは真ん中の椀を持ち上げ、こくりとひと口、口にした。
それからそれを礼郎に向けて、礼郎も味わうようにと指示を出した。
礼郎はしぶしぶ、それを口にする。
その後、両脇の「非茶」を口に含み、二人で違いを語り合った。
「それじゃあ二戦目、いくわよ」
たよりはそう言うと、再び三つの椀のうち、ひとつにだけ本茶を混ぜて茶をいれるのであった。
礼郎は今度こそはと肩に力が入る。
二戦目は最初とは異なり、口が本茶の味を覚えていたのか、礼郎は当たりを引き当てた。
闘茶の面白さを知った二人は、それから何日も膝をつき合わせて午後の空いた時間を目いっぱい使ってのめり込むのであった。