第五話「貴族パオニェッロ」
「どうして、何故……どうして……」
スピカが側に居る間はまだ冷静で居られるのですが、彼が居ないと私はどうも駄目でした。
こうして同じ言葉を繰り返し、狭い部屋の中を行ったり来たりしています。おかしいことをしている自覚はあるのですが、じっとして居られません。
あの女性の悲惨な姿が脳裏に焼き付いて離れないのです。もしかしたら私の家族も友人も、同じようになっているのではないかと、そんな悲観的な考えが頭の中を徘徊し、胸を締め付けていました。
そんなある日、スピカが奇妙な異形を連れて帰ってきました。
異形は紫と黄の縞模様の肌をしており、目玉が一つ顔の真ん中にありました。それ自体はこの星では普通のことなのですが、スカートが長い清楚な黒いメイド服を着ていたのです。服を着る異形を見るのはこれが初めてでした。
メイド服の異形はいくつか質問を投げかけてきました。「テレパシーは本当に使えるのか」「あなたはどんな性格か」など、意図が分からないものばかりで、気付けば私は自分の指を噛みながら答えていました。
メイド服の異形はスピカにお礼を言い、部屋を去って行きました。あれは何だったのかとスピカに聞けば、彼は何でもないように「貴族のペット探しだよ」と呟きました。
「まだ一部の間でしかあの薬を使えないから、(異形の)言葉を理解し、話せる人間は少ない。だから、それを珍しがって手に入れたがる貴族が多いらしい。
同僚が勝手に君がテレパシーを使えると吹聴したせいで、今回あのメイドが来たんだが……お眼鏡に適うことはないだろう」
それを聞いて私は安堵しました。見知らぬ異形の元に行くより、よく知っているスピカと一緒にいる方が、まだ気が楽です。
例えそれがどんな結果になるとしても、人間がここに来る原因となった貴族の元へ行くなど、想像するだけで頭を抱えたくなります。
しかし、それからすぐのことでした。スピカが慌てた様子で帰ってきて「君が気に入られた」と告げてきたのは。
一瞬、何のことだか分かりませんでした。しかしすぐに思い出して、血の気が引きました。
「すまない、私にはどうすることもできない。君は今日から⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎のペットとなってしまうが、年に二度、私の元で健康診断を受けるように院長と契約書を書いて、それにサインさせた。それから……」
スピカの説明の途中で、視界が真っ白になりました。初めてここへ来たときと同じ感覚です。次に目を開けると、スピカの代わりに、メイド服を着た三体の異形が居て、私を囲んでいました。
一体が私を持ち上げ、慣れた手つきで服を脱がせると、大きなバスタブの中へ入れられます。どうやらここは風呂場のようです。
泡立つ液体で髪や体を丁寧に洗われ、心地よいタオルで拭かれ、肌触りの良い服を着せられました。あっという間のことでした。
再び抱きかかえられて、今度は広い部屋の中央に下ろされました。
「本日よりお使いいただくお部屋でございます。何かご用がございましたら、こちらの壁のボタンにて、私どもにお申し付けくださいませ」
「ご主人様がお戻りになられるまで、いましばらくお待ちくださいませ」そう言って異形たちは一礼し、扉を閉めました。
足音が遠ざかるのを確かめてからドアノブに手をかけましたが、やはり開きません。
目だけを動かして、部屋の中を見渡します。
真紅で統一された壁と、天井にはガラス製のシャンデリアが一つ。金の縁を持つテーブルやソファー等のラグジュアリーな家具が置かれています。
どれも人間が使いやすいサイズのようですが、ただ一つだけ、ベッドだけが異様に大きく、部屋の中心を占めていました。
私は頭を抱え、その場に座り込みました。深く息を吸って、吐いてを繰り返します。
突然、また突然、異形が……それも貴族が……
少し顔を上げると、天井まで伸びた広い窓から果てしない宇宙が見えました。
黒い空間がぽっかりと空いていて、まるで私を飲み込むかのようにそこにあります。
しばらくじっとしたまま「何故、どうして」と呟きました。
これから私は一体どうなるのか分かりません。私を選んだ貴族とやらがどんな奴なのかも、皆にはもう会えないのかも……そんなことばかりが目の前を暗くして、絶望感が襲ってきます。
一頻り絶望を味わっていると、ぷつんと、急に頭の中が静かになり、視界が明るくなりました。しかしその代わり、体に何かが重たくのし掛かりました。
どうせ、私には何もできない。
もう無理だと思いながら、ふらふらとベッドまで歩み寄り、そのまま身を投げ出しました。
………
……
…
「……起きて。起きなさい」
透き通った女性の声が聞こえてきました。私はどうやら眠っていたらしく、ゆっくり瞼を開けると、シャンデリアがぼんやりと光る黒い天井が見えました。
体を起こし、声の主を探して首を動かすと、隣に横たわる異形がすぐに目に入りました。
上品な光沢のある、ゆったりとしたワンピースのような服を纏った異形です。豊かな胸元と、曲線美があるしなやかな体が浮かび上がっています。
しかし、その顔は異様でした。例えるなら、三本の鋭い爪で深く裂いたような痕がある、生焼けの牛肉です。
「はじめまして、私は⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎。あなたのご主人様よ」
先ほど私を呼んだ、あの透明な声で言いました。まさかこの異形からあんなに綺麗な声が出るとは思いませんでした。
「私の名前は、言える?」
無理なことを言って来ました。スピカもこの異形の名前を言っていましたが、人間にこの発音を言うのは無理です。そう私が言っても「それでもいい」と異形は言います。
私は無理やり「パオニェッロ様」と口にしました。
すると、異形……パオニェッロは「ええ、それでいいわ」と、鈴を転がすようにくすりと笑いました。
不思議とその笑い声は心地よく、恐怖や嫌悪よりもなんとも言いようのない妙な感覚が胸に広がりました。
「食事にしましょう。お腹が空いたでしょう?」
パオニェッロはそう言って、私を軽々と抱き上げました。まるで人形のように扱われながら部屋を出ます。
廊下は長く、壁は黒曜石のような質感と色でした。やがて辿り着いたのは、巨大な食堂でした。
長いテーブルが一つ、真ん中にあります。テーブルクロスは深い青色で、光沢のある皿には地球のものと似ている料理がいくつも並んでいました。
パオニェッロは私を椅子に座らせて、その対座に自分も腰を下ろしました。
「食べなさい」
その言葉に、私は目の前にある肉を見つめました。見た目は牛肉のステーキのようですが、目の前に居るパオニェッロの顔と似ているので、あまり手を付けたくありません。
パオニェッロは銀のフォークを手に取り、光る肉のようなものを一口運びます。裂けた顔の奥で、肉を噛むような咀嚼が見えますが、不思議といやな音はしません。
「……心配しないで。お前がいつも食べていた物より、美味しいわよ」
パオニェッロが、こちらを見てくすりと笑います。食べたくはありませんが……一口だけ食べてみると、柔らかくとろける様な食感でした。味も美味しい、普通の牛肉ステーキです。しかし、それ以上は食欲が無くて食べられませんでした。
「無理にとは言わないわ。最初は皆、戸惑うものよ」
パオニェッロはそう言って、スープの入ったカップをゆっくり口に含みました。その仕草は妙に優雅でした。
しばらくの沈黙の後、パオニェッロが静かに話し始めました。
「前に飼っていたのは女の子だったの」フォークを皿に置き、手を組んで私を見ます。
「とても可愛くて、活発な子だった。私に懐くことは無かったけど、それでも良かった。あの子が元気ならそれで……でもある日、突然、私の手にナイフを突き立てて逃げ出したのよ」
「人間サイズのナイフなんて、どこで手に入れたのかしらね」パオニェッロは何気ないように話します。
「血が飛び散った……あの子が何であんなことをしたのか、分からなった。今もそうよ。あの子が何を言っているのか分からないから……それで気づいたの。ちゃんとお話ができる子じゃないと、ダメだって」
話ができる子……それで異形の言葉を話せる人間をペットに探していた理由が分かりましたが、その女の子がどうなったのかが分かりません。
パオニェッロが立ち上がり、絨毯の上を滑るようにゆっくりと私のもとに歩いてきて、目の前でしゃがみました。
「あなたは怯えてた。あの部屋で、強く指を噛みながら……それを見て、私が幸せにしたいと思ったの。」
幸せ……それを聞いて一瞬だけ胸の奥がざわつきましたが、すぐに静まります。
冷たい指が頬に触れてき思わず身を引きそうになるのをぐっと堪え、パオニェッロの話を聞きました。
「それに、今度は男の子にしようって決めてたから、ちょうどよかった……安心して。坊やのこと、ちゃんと大切にするから。」
パオニェッロは私の両手を包み、優しい声色で言い聞かせるように言いました。気付きませんでしたが、私はいつの間にか震えていたようです。
この震えが悔しさからなのか、それとも恐怖からなのかは自分でも分かりません。
前に飼われていた女の子を、一体どうしたのか……聞こうとしましたが、無駄だと思い、私はただ頷きました。




