第三話「ふざけるな」
研究所へ行ってから、緑色の小さなカプセルを夕食後に出されるようになりました。はじめは飲むふりをしてキッチンの排水溝に流していましたが、すぐに見つかってからは大人しく飲んでいます。
長いこと飲み続けていますが、今のところ体に変化はありません。しかし、ここでの暮らしに居心地の良さを感じるようになりました。まるで自分の部屋にいるかのような、そんな安心感があります。
あそこへは定期的に通わされています。そこではレントゲンと採血をするだけなのですが、昨日、仕切り越しに見えていた異形達の中に人間が二人混ざっているのが見えました。
私とモニターを見て何か話し合っている様子だったのですが、どうして意思疎通ができていたのか分かりません。
研究所への道すがら、行き交う異形達の声を聞いてきましたが、どれも聞いたことがない言語ばかりで、人が話す言葉は一切なかったはずです。
一体どういうことなのか、そして異形達との関係は……いくら考えても、これと言った答えは思い浮かばず、そうこうしている内にクリスタルが帰ってきました。
その時、「ただいま」と、はっきりと人の声が聞こえました。驚いて顔を上げ、部屋の中を見回しますが、クリスタルと私以外、誰もいません。
気のせいかと思いましたが、今度は「おいで」と聞こえます。外から聞こえるというより、頭の中で声が響いているようでした。重低音の、落ち着いた男性の声です。
ついに自分はおかしくなったのだと思い、動揺していると、クリスタルが肩に触手を置いて、顔を覗き込んできました。
「具合でも悪いのかな」
また頭の中で声が響きます。まるでクリスタルの行動とリンクするような言葉に、この声はもしかしたら、クリスタルのものなのではないかと思い始めました。
もしそうだったら、どうして今になって声が聞こえるのか分かりせん。言葉が通じるかはともかく、直接聞いてみることにしました。
「この声は、あなたが、言っているのですか?」
情けないほどのか細い声が、喉から絞り出されます。ここに来て何日経ったでしょうか。こうして声を出すのは久しぶりです。
またあの声が響きます。
「頭の中で、言いたいことを考えて」
言いたい事を考える……?
戸惑いましたが、言われるがままにそうしてみると、短く「そうだ」と返ってきました。
「せっかくこうして話せるようになったんだ。良かったら、何か話しませんか……まずは、食事をしてから」
クリスタルが触手でテーブルを指します。テーブルにはいつもの食事が並べられていました。この声は、本当にこのクリスタルが発しているものだったようです。
食事を終えると、クリスタルの声が聞こえました。
「そうだね……まずは名乗ろうか。私は ⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎。近くの研究所に勤めている学者だ」
名前を言ったのでしょうがうまく聞き取れません。聞き返して少しだけ分かったものの、私には発音できない名前でした。
対面に座るクリスタルが考え込むような仕草を見せたあと、「スピカは、聞き取れるかな」と尋ねてきます。その名前ならと私は頷きました。
「それじゃあ、そう呼んでくれ」
仮の名前なのかもしれませんが、それで充分です。私は矢継ぎ早に質問を投げかけました。
ここはどこなのか、なぜスピカの言葉が突然理解できるようになったのか、なぜ私達は拉致されたのか、そして私たちはいつ解放されるのか……
彼は一つ一つ丁寧に答えてくれました。
「ここは宇宙に浮かぶ巨大な宇宙船の中の一室だ。単なる船ではなく、私達にとって一つの国であり、同時に一つの星でもある。
この宇宙船の内部には君たち人間の他、数多くの国民が暮らしている」
言葉の理解については、あの緑色のカプセルが原因でした。
「カプセルは、君たち人間の脳に作用して、我々の言語を理解させるものだ。
反応は個体によって異なる。言葉を口に出して話せるようになった者もいれば、君のように、思考の中で会話できるようになる者もいる。
つまり、テレパシーだね」
彼は最初からテレパシーを使って私に語りかけていたらしく、その影響で私の脳も自然とその回路を開いたのだろうとのこと。
私はスピカを見つめながら、自分の中で膨らんでいく恐怖を抑え込みました。
ここが地球ではないことは薄々気付いていましたが、自分の脳が得体の知れない薬によって変質してしまったことに、意識が遠くなりそうでした。
スピカは続けます。
「君たちをここへ連れてきたのは、この星の上流階級による決定だ。
地球は、昔から政府の観察対象にあった。人間の暮らしは私たちの文明と、これは実に奇妙なことだが、とてもよく似ている。しかし、ここには娯楽があまり無い。それに対し、君たちには様々な娯楽がある。その為か、旅行先として貴族や政治家の間で人気があった。
彼らは地球に赴いてはあらゆる生物に擬態して歩き、土産として生物を持ち帰り、愛玩動物のように飼育してきた。中でも特に人間が人気だったらしくてね……長くなるから割愛しよう。
この船の内部には酸素があり、上流階級が愛してやまない人間が生きられる環境が整っている。この国に、全ての人間を正式に受け入れることを決定し、政府が移住計画を実行に移した。我々も……」
……スピカはそこで、話すのを止めました。おそらく、私の表情を見てそうしたのでしょう。
私ははじめ、彼が冗談を言っているのだと思いました。けれど、次第に言葉の意味を飲み込んでいき、怒りと絶望が胸の奥から込み上げてきました。
そんなふざけた理由で人間を移住させるなど、ありえません。絶対にあってはならないことです。それに私達はここに突然連れてこられました。移住なんて、そんな穏やかなものではありません。
目の前の異形に怒りをぶつけたくなる衝動を、頭を抱えて必死で抑え込みます。その時、私の脳裏に浮かんだのは家族や友人の顔でした。
全ての人間をここに移住させると言うことは、私の家族や友達もここに来ると言うことです。もしかしたらすでにここに居るのかもしれません。
「人間はもう、全員ここに居るのか?」そう聞くと、スピカは静かに頷きました。咄嗟に立ち上がりドアへ向かおうとすると、スピカが立ち塞がります。
「1人で行ってどうなる。誰かを探したいのなら教えて欲しい、私も探そう」
スピカが私のスマホを取り出して、写真アプリを見せてきました。私のスマホをまるで自分の物のように扱っていることに苛立ちますが、今はそれどころではありません。
「探す?お前が?」何故と聞くと、「君の助けになりたい」と返してきます。
「この状況が君にとってどれほどの苦痛と恐怖にあるのか、声を聞いて理解した。しかし私では、君達を地球へ帰すことができない。こうなった責任は私にもある。だから、君が誰かを探したいと言うのなら、全力で協力する」
それが私にできる唯一の償いだ。
スピカはそう言いました。
償いなど言われても、信じられるはずがありません。私たちをここに連れてきたのは彼らなのです。上がどうだのと言っていましたが、結局はこの異形もそれと変わりありません。
ふざけるなと叫びたくて、仕方がありませんでした。
しかし冷静になってみると、私一人でこの宇宙船の中から彼らを探すのは、到底無理な話でした。
この宇宙船内は上下にいくつものフロアが重なって出来ています。この部屋があるフロアだけでは無いのです。それにこのフロアだけでも果てが見えないほど広大です。この異形が居なくては、何も出来ません。
「……分かった」
そう言うと、異形……いえ、スピカは、静かに頷きました。
スピカに家族と友人の写真を見せると、光のパネルが現れます。それを触って何か操作したかと思えば、そのパネルの中に先ほど見せた写真が映りました。
あとの細々としたことを説明すると、その情報と写真を一緒に役所と掲示板、ネット上に公開したとスピカは言いました。
「人間だから注意を引くと思う……もう寝る時間だが、少し歩こうか。聞き取り調査だ」
スピカがドアを開けて、棚の上にあるいつもの首輪を出そうと触手を伸ばします。しかし、それをすぐにやめて、私の背を軽く押してきました。




