第二話「部屋の外へ……」
あの悪夢のような日から一体どれほどの時間が経ったのでしょうか。どれだけ就寝を繰り返しても夢から覚めることはなく、ずっとこの部屋に居ます。窓から見える景色は相変わらず黒い空間と無数に瞬く白い光の粒ばかりで、まるで宇宙空間のようです。
ここは一体何処なのか、あの異形達は何なのか、
私たちをここに連れてきた理由は、帰りたい……
初めはそんな事ばかり考えて精神がかなり参っていたのですが、今は何故か気持ちが落ち着いています。緊張していた体もリラックスして、あくびまでする始末です。こんな異常事態に慣れるほど私は強くないのですが、あのまま心が折れるよりはマシです。それに、こうして落ち着いていればなにか脱出の糸口が見えるかもしれません。
あのクリスタルのような頭をした異形……長いのでクリスタルと呼びます。クリスタルは今はこの部屋に居ません。私の朝食を用意すると毎日何処かへ出掛けていきます。
何度かクリスタルが居ない間にドアを開けようとしてみたのですが、頑として開きません。鍵穴は見当たらず、クリスタルが出入りする時だけ開きます。
その時に外を見たのですが、向かい側のドアが1つと広そうな廊下があるだけでした。この部屋のドアも向かいのドアも、異形達に合わせているのでしょう、私の背丈の倍はありそうです。クリスタルもそのくらいあります。おそらく部屋はいくつかあり、私がここから出られたとしても他の大きな異形に見つかってしまうでしょう。
どうしたものか……と、私は今日も棚の上を雑巾で拭きながら悩みました。
この部屋に来てすぐの頃、クリスタルは私にこの部屋を掃除するようにジェスチャーで伝えて来ました。
棚から洗剤やブラシなどを出して、ここをこうするようにと手本を見せてきたのです。この部屋には脱衣所と風呂場もあり、そこの掃除の仕方も教えられました。使い終わった道具の洗い方、どの棚に仕舞うかまで、私が完璧に覚えるまで何度も丁寧に。私が覚えたのが分かると、クリスタルはもう何もせず任せてくるようになりました。
気をつけることは、床にそのまま置いてある機械とコードに触れないようにするだけです。機械の上に埃が溜まっているのが少々気になりますが、クリスタルは触れさせたくないようです。
まるでちょっとした家政婦です。今のところクリスタルは私に掃除をさせるだけで危害を加えてきませんが、まさか掃除をさせるためだけに私を買ったのでは無いでしょう。クリスタルは一言も喋らない上に顔が無いので、一体何を考えているのか分かりません。
掃除を終えて道具を洗っていると、クリスタルが戻ってきました。昼食の時間です。クリスタルが脱衣所のドアを指すので、道具はそのままに伝われるがまま向かいました。これはお風呂に入れと言うジェスチャーです。いつもは掃除道具を洗ってからなのですが、今日は良いようです。
服を脱いで風呂場のドアを開けました。バスタブもシャワーヘッドも、道具や家具と同じで私達が使うものによく似ています。
バスタブに入るとシャワーヘッドから透明な水のようなものが出ますが、実際に触れると水とは違う別の液体だということが分かります。温度はぬるめで、少し肌寒いです。
初めてここを使った時のことを思い出します。クリスタルがここへ連れて来て、液体を浴びる私にこう洗うようにとジェスチャーをしてきたあの日。2本の触手を使ってクリスタルの上でそよそよと動かして頭を洗うような仕草が、今思うと少し面白いものでした。
洗い終わってバスタブを出るとシャワーが自動で止まります。脱衣所にあるタオルで体を拭くと、体にまとわりついた液体が瞬く間に吸い取られ、髪も二、三回拭くだけで完全に乾きます。見た目は普通のタオルなのですが、一体どんな素材を使っているのでしょうか。
服を着て部屋に戻ると、テーブルにはいつもの食事が用意されていました。クリスタルはシンプルな霧吹きを持って、自分の頭に液体を吹きかけています。あれがクリスタルの食事なのか、私の食事の時はいつもああしています。
席について、まずはオレンジ色の球体を手にしました。表面がつるつるとしていて、柔らかい餅のような食感がします。ピンク色のキューブもそうで、どちらも食器用洗剤の匂いを味にしたような味わいが少しします。飲み物は水のように透明で、砂糖のように甘い……これを毎日、規則正しい時間に三食クリスタルから与えられます。本当は食べたくないのですが、これしか食べるものが無いので仕方なく食べます。
食事を終えて、いつものようにクリスタルが部屋を出ていくのを待っていたのですが、今日は違いました。クリスタルがどこからか冷たい金属の輪を出して、私の首にはめてきました。
思わず息をのみました。輪から銀色の細いロープが伸びていき、クリスタルがロープの先端を持つとドアの方を指してきます。
突然のことと恐怖で体が固まってしまいましたが、クリスタルがロープをそっと引っ張ると、輪が私の首を軽く押してきました。
しばらく立ちすくんでいましたが、私がゆっくりと歩き出すとクリスタルがドアを開けて、部屋の外へ連れ出されました。
こんな形で外に出るとは思いもしませんでした。そしてまさか、ペットを散歩に連れ出すかのように首輪とリードをつけられる事になろうとは……
外の世界は、まるで巨大なマンションでした。左右には巨大なドアが果てしなく並び、壁は金属のような質感で、ところどころに光る模様が浮かび上がっています。
クリスタルにリードを引かれて歩いていると、やがて広い空間に出ました。中庭のような場所で、柔らかな素材の床には異形達が思い思いにくつろいでいます。
腕が羽のような黒い異形が空中で軽やかに回転していたり、頭と体が球体の異形が小さな生物を連れて歩いています。
他にも沢山異形は居ましたが、その中に私と同じように首輪をつけられた人間たちの姿もありました。周りをキョロキョロと見渡している人もいれば、異形と何かを飲んでいる人もいます。
ここは……一体……?
言葉を失い、ただ立ち尽くしました。私と同じように首輪をつけられた人達が居るのも驚きましたが、一番驚いたのはこの広場の上で輝いている明かりです。
まるで、太陽の優しい日差しのように降り注いで、ポカポカと暖かいのです。それがとても心地よく、ここに来る前の生活を思い出します。
まさか、こんな所があるなんて……
驚いていると、クリスタルが顔をのぞき込んできました。
無機質な頭には、やはり何の感情も見て取れません。私はまたクリスタルに促されるまま歩き出しました。
やがて、一つのドアの前で立ち止まりました。ドアは音もなく開き、クリスタルに中へと連れて行かれました。
中は研究所のような場所でした。壁にはモニターが並び、透明な仕切りの向こうでは様々な異形達が何かを操作しています。中には二足歩行のカエルも居て、先程の暖かな場所とは変わってなんとも不気味です。
クリスタルは私を椅子に座らせて、触手で腕を軽く持ち上げてきました。何をするのだろうと身構えていると、冷たい金属の器具が腕に触れ、少しだけ血を採取されました。痛みはありません。器具が離れた後に腕を確認すると、採血の跡すら残っていません。
続いてレントゲンのような装置が現れ、私の周りをゆっくりと一周しました。すると、モニターに私の体の内部が映し出されて、異形たちがそれを見ながら何かを話し合っています。そして私の方へ顔を向けて、まるで研究対象を見ているかのように観察してきます。
私は、一体の何のためにここに連れてこられたのだろう……まさかこれから、何かの実験をされるために?
そう思うと、恐怖で手が震えました。実家に帰った時の母と父、姉の笑顔や友人の笑い声が頭に浮かびます。
ここで1人、皆に会えないまま、異形に……
咄嗟に逃げようとしたら、再びレントゲン装置が現れて私の周りを一周しました。驚いて体が跳ねると、もう一度周ります。
いつの間にか離れていたクリスタルが近寄ってきて、モニターと私を交互に見くらべるような仕草をしました。それから仕切りの向こうにいる異形たちに何かジェスチャーをしたかと思うと、二本の触手で私を持ち上げて、この研究所のような場所を出ていきました。
廊下、中庭、そして、元の部屋へ。
クリスタルは私をベッドに下ろして、いつもの飲み物をゆっくり差し出してきました。訳も分からないままに受け取ると、クリスタルが私の首から金属の輪を外し、肩にぽんと軽く触れてから部屋を出ていきました。
……一体、何だったのでしょうか?クリスタルの、まるでこちらを気遣うような素振りに訳がわからなくなります。
冷静になって考えてみると、先程のあれは実験と言うより、なにか検診をしていたように思えてきます。もし実験だった場合、私はこうしてこの部屋に居ないでしょう。
手の中にある飲み物を見つめながら、廊下とあの広場を思い出します。思った以上にドアが並んでおり、この部屋から少し離れただけで結構な数の異形が居ました。
今のところ脱出はかなり難しいようです。他の人達と協力して、なんて思ったこともありましたが、ああして首輪をつけられたら接触なんて出来ません。
飲み物を一口飲んで、大きなため息を吐きました。




