6話 魔法
夜が明けても、昨夜の出来事が頭から離れず、僕は寝不足気味だった。窓の外はすっかり明るくなっているのに、まだ夢の中にいるようなぼんやりとした感覚が残っている。それでも、重たい体を起こした。
食堂へ向かうと、すでにアウレリウスとイリスが朝食をとっていた。アウレリウスの隣には、淡い光を放つ小さな炎のような星霊が、楽しそうに飛び回っている。あれがアウレリウスの相棒星霊なのだろう。イリスの肩には、水の結晶のような透明感のある星霊が、静かに佇んでいた。
「おはよう、アキト。ずいぶん眠たそうじゃな。いきなり無理をして身体を壊すでないぞ。」
アウレリウスは、僕の顔を見ると優しく声をかけた。
「おはようございます、アウレリウス、イリス。」
僕は、少し気まずそうに挨拶を返した。昨夜の出来事を話すべきかどうか迷ったが、まだ正体が分からない以上、軽はずみに話すのは控えた方がいいだろうと考えた。
「昨夜は、少し考え事をしていたので……」
と、曖昧な返事をした。
イリスは、心配そうな表情で僕を見つめた。「何かあったのなら、遠慮なく話してくださいね。」
「ありがとうございます。」
僕は、感謝の言葉を述べながら、テーブルについた。朝食には、香ばしいパンと、見たことのない果物のジャム、そして温かいスープが用意されていた。
アウレリウスの隣の炎の星霊は、僕に興味を持ったように近づいてきて、小さな火花をパチパチと散らした。アウレリウスは、その星霊に優しく微笑みかけた。
「これは、私の相棒のイグニス。非常に好奇心旺盛でな。この世界では星霊と契約することで魔法を扱えるようになる。」
僕は、イグニスに小さく会釈をした。イグニスは、嬉しそうにさらに近づき、僕の髪をほんの少しだけ温めた。
イリスの肩の水の星霊は、静かに僕を見つめていた。イリスは、その星霊の名前を「アクア」だと教えてくれた。アクアは、見た目通り穏やかな雰囲気で、僕にそっと癒しの水滴を落としてくれた。
朝食を取りながら、アウレリウスは今日の予定を説明してくれた。今日は、魔法訓練所で星霊との契約を試すことになっている。僕は、昨夜の不思議な星霊のことが気になりながらも、まずは目の前の課題に集中しようと努めた。
「君は予言の人物だと信じている。相棒候補を選んでいるからその中から相性がよいと思える星霊と契約するのだ。星霊の側にも選ぶ権利があるから簡単にはいかんがな。」
アウレリウスの言葉に、僕は真剣に頷いた。
その時、食堂の扉が開き、いつもの明るい笑顔のシエルと、楽しそうに宙を舞うシルフが入ってきた。
「おはよう、爺さん!イリス!アキト、おはよう!」
シエルは、元気いっぱいの声で挨拶をした。シルフは、僕の周りをくるくると飛び回り、朝の挨拶代わりに小さな風を送ってきた。
「おや、シエルも来たか。ちょうどよかった。アキトに、魔法を使う上で大切なことを教えてやってくれ。」
アウレリウスは、シエルにそう言うと、少し意味深な笑みを浮かべた。
シエルは、いつものように明るく答えた。「任せておけって!でもどんな星霊と相棒になれるからは分からないからなぁ。こればっかりは運次第だよな。俺とシルフは相性バッチリだけど。」
シルフは、シエルの言葉に合わせて、得意げに大きな風を起こした。食堂のカーテンが大きく揺れ、朝の光が差し込んだ。
僕は、目の前の朝食を一口食べた。パンは香ばしく、スープは体を温める。昨夜の不思議な出会いは、まだ僕の心に小さな波紋を残しているが、今は、この賑やかな朝食の時間を大切に過ごそうと思った。今日一日、どんな新しい発見があるだろうか。そして、あの光を放つ星霊とは、一体何だったのだろうか。僕の心には、新たな疑問と、ほんの少しの期待が入り混じっていた。昨日の星霊のせいか、寝不足のせいか、目の前でシルフがくるくると飛び回っていても、まるでスローモーションを見ているような感覚だ。
「なあ、アキト、大丈夫か?まだ眠そうだな。」
シエルは、僕の顔を覗き込みながら、少し心配そうな声をかけた。
「うん、まあ……ちょっと考え事をしていたから。」
と、また曖昧な返事をしてごまかした。隣では、アウレリウスの相棒イグニスが、僕の頭の上で小さな火花を散らしてちょっかいを出してくる。熱くはないけれど、くすぐったい。イリスのアクアは、そんなイグニスをたしなめるように、冷たい水滴をそっと浴びせていた。
「ほら、しっかりしろって!今日は特別に、王宮の魔法訓練所に連れて行ってやるんだからな!」
シエルは、僕の腕を引っ張り、無理やり立ち上がらせた。彼の勢いに引っ張られるようにして、僕は食堂を後にした。
王宮の廊下を歩きながら、シエルは訓練所について色々と説明してくれた。
「訓練所には、いろんな属性の魔法使いが集まって、毎日鍛錬してるんだ。魔法の腕を磨くのはもちろん、星霊との連携を高めるための訓練もするんだぜ。」
僕は、まだ星霊との契約もしていないので、正直なところ、あまり実感が湧かなかった。それでも、シエルの話を聞いているうちに、少しずつ興味が湧いてきた。
廊下の途中、僕たちは小さな中庭を通りかかった。そこでは、数人の若い魔法使いが、楽しそうに魔法で遊んでいた。一人が水の魔法で大きなシャボン玉を作り、もう一人が風の魔法でそれを追いかけている。シャボン玉が割れると、中から小さな虹が飛び出し、歓声が上がった。その光景は、まるで絵本の世界のようで、僕は思わず足を止めて見入ってしまった。
「どうだ?魔法って、結構面白いだろ?」
シエルは、得意げな顔で僕に言った。
「うん、すごいね。」
僕は、素直に感嘆の言葉を漏らした。自分の世界にはない、不思議な光景だった。
訓練所へ向かう途中、シルフが突然、何かを見つけたように興奮して飛び出した。小さな光る…石?
僕は、少し戸惑いながらも、受け取った。手のひらに乗せると、ほんのりと温かい。
「ああ、記念にでも持っておけって。もしかしたら、いつか役に立つかもしれないしな!」
シエルの言葉に甘えて、僕はその石?をポケットにしまった。
そして、いよいよ魔法訓練所の入り口に辿り着いた。目の前に立つ大きな建物は、先ほどの中庭とは打って変わって、どこか厳かな雰囲気を漂わせている。建物の入り口には、魔力を帯びた紋章が輝いており、近づくだけでほんの少しだけ肌が粟立つような感覚を覚えた。
「さあ、行くぞ、アキト!」
シエルは、意気揚々と訓練所の扉を開けた。僕は、少し緊張しながらも、彼の後に続いた。これからどんな出会いがあり、どんな光景が広がるのだろうか。胸の奥には、期待と、ほんの少しの不安が入り混じった、不思議な感情が湧き上がっていた。僕は、まだ魔法の基礎も理解できていないのに、訓練所なんて場違いではないかと少し不安になった。
「僕、まだ魔法全然使えないんだけど……」
「大丈夫だって!」シエルは、僕の背中を軽く叩いた。
「まずは雰囲気を感じることが大事なんだよ。それに、訓練所の所長を紹介したいんだ。すげえ腕の持ち主で、きっとお前の役に立つと思うぜ!」
シエルに促され、僕は奥へと進んだ。これまで足を踏み入れたことのないエリアには、魔法の気配が濃く漂っているように感じた。廊下には、魔法の発動によってできたと思われる、焦げ跡や凍結した痕などがちらほら見られた。
数人の若い魔法使いらしき人々が、熱心に魔法の練習に励んでいた。風の刃を飛ばしたり、小さな炎を操ったり、中には空中に浮遊している者もいた。その光景は、僕にとってはまるで別世界のようだった。
奥には、一人の女性が立っていた。すらりとした長身で、黒髪をきりりと後ろで結び、紫色の瞳が印象的な、凛とした雰囲気の女性だった。年齢はシエルの言っていた通り、僕より少し上くらいだろうか。彼女の周囲には、目に見えない強い魔力が渦巻いているのが感じられた。
「よお、ルーナ!」シエルは、その女性に向かって手を振った。「今日は、新しい友達を連れてきたんだ!」
ルーナと呼ばれた女性は、こちらに気づくと、鋭い視線を向けた。その視線は、まるで僕の奥底まで見透かされているようで、思わず息を呑んだ。
「シエルか。騒がしいと思ったら、また何か企んでいるのでしょう。」
ルーナの声は、低く落ち着いており、威圧感があった。しかし、その中にほんの少しの優しさも感じられた。
「そんなことないって!ほら、こいつがアキト。爺さんが言ってた異世界から来た、予言の子らしいんだ。」
シエルが僕を前に押し出すと、ルーナは興味深そうに僕をじっと見つめた。その視線は、先ほどよりも少し和らいだように感じた。
「あなたが、アウレリウス様がおっしゃっていた異邦の者ですか。私は、この魔法訓練所の所長を務めるルーナと申します。」
ルーナは、わずかに頭を下げ、挨拶をしてくれた。その動きは無駄がなく、洗練されていた。
「アキトです。よろしくお願いいたします。」
僕は、少し緊張しながらも、頭を下げ返した。
「アウレリウス様から今日は星霊を見繕って魔法について教えるよう言われているわ。」
その表情には、ほんの少しの笑みが浮かんでいるようにも見えた。
「それぞれ火、水、風、土の星霊を1人ずつ連れてきたの。彼らは将来有望な星霊たちよ。どうかしらなにか感覚的なものがあれば教えてちょうだい。」
ルーナの言葉に、僕は感謝の気持ちで頷いた。「はい、ぜひお願いします。」
こうして僕は、シエルに連れられ、凄腕の魔法使いであるルーナが所長を務める王宮の魔法訓練所で相棒を見つけることになった。僕はただただ圧倒されるばかりだったが、どんな星霊が待ち受けるのか期待半分不安半分というところだった。