一度も冒険しなかった、冒険者
しょうねんはあるひ、お友達に会った。
そのお友達は名前を、まっくら森のちょこ美と言った。
「まっくら森?」
しょうねんはそれがどんな森だか気になったけど、ちょこ美は首を振り、
「〝まっくら森のちょこ美〟が名前」
と笑ってる。
そして、「冒険に行こう」と、ずっと遠くを指さした。
「待って」
しょうねんは言った。
「僕、マスクしてないよ。お病気をもらうからマスクをしないとお友達と遊んじゃいけませんって言われてるんだ」
ちょこ美は目を細め、指をパチンと鳴らす。しょうねんの手に、マスクが落ちてきた。
しょうねんはさらに言った。
「それに今日は暑いんだ。暑い日は熱中症になるから遊んじゃいけませんって言われてる。だからまず飲み物。そしてやっぱり暑い日は……」
ちょこ美は目を細め、指をパチンと鳴らす。暑い日は消え、水筒がしょうねんの肩にかかった。そして、
「キミの名前は?」
と聞いたけど、少年は首を振って
「個人情報は教えちゃいけませんって言われてる」
「そう」
それでも、ふっくらした尻尾のあるちょこ美は微笑んだ。
「じゃあ名無しのキミ。行こう。冒険に」
二人の歩く先に、公園があった。
「わぁぁぁ……」
緑の草原に、見たこともない遊具がたっくさんある大きな大きな公園。しょうねんは目を輝かせた。
「遊ぼう」
ちょこ美はしょうねんの手を引く。でも、一つ目の遊具にさしかかったとき、しょうねんは「あっ」と声を上げた。
『1987年。死亡事故一件発生。撤去』
遊具に注意書きがあって、漢字にはちゃんとふりがながふってある。よく見ると、すべての遊具に『骨折一件』とか『落下数件』とか書いてあって、最後に〝撤去〟と添えられていた。
「こんなの危なくて遊べないよ!」
「自分で試してもいないのに?」
「だから国がなくしたんだろ!?」
そう。この公園にある遊具はみな、その昔どこかの公園で事故があって取り外されたものだった。
ちょこ美は目を細め、ふたたびしょうねんの手を取った。
「向こうの方にも行ってみようよ」
それでも少年は首を振る。
「あれ見て。立ち入り禁止って書いてある。危険だよ」
「あら、わたしいつも行き来してるけど、なにもないわ」
「なら、今日からやめた方がいい」
「そう。じゃああっち」
あっちにも、立ち入り禁止の看板と同じような草原が広がっている。でも、立ち入り禁止の看板は立っていない。
だからしょうねんは、何の文句も言わずについていった。
やがて、川が見えてきた。
川は左から右へ、ずっと伸びていて、歩いて渡れそうにはない。
「橋もなさそうだね」
ちょこ美はぐるっと首を巡らせて、「泳ぐ?」
しょうねんは首を振った。
「川は危ないから、保護者がいないと入っちゃいけませんって言われてるんだ。……さっきの魔法みたいなので何とかならない?」
「そうねぇ……」
ちょこ美は顎を手でなでて、もう一度首を巡らせた。向こうの方に気球がある。
「あれをキミが操作すればいい」
「無理だよ」
しょうねんは首を振った。
「ああいうのは免許が必要なんだよ。僕はないからできない。ちょこ美は免許を持ってるの?」
「持ってないよ」
「じゃあダメだ。ほかに方法はない?」
「ないわ」
「じゃあ引き返すしかないね」
「……」
ちょこ美は目を細め、指をパチンと鳴らす。二人の身体はふわりを浮いて、風に乗るように川を飛び越した。
道がずっと続いている。見晴らしのいい緩やかな下り坂のぐねぐね道なので、この道が遠く遠く、長く続いてることが分かる。
「どれだけ時間かかるかな」
「そうねぇ……」
ちょこ美が辺りを見回すと、脇に自転車が置いてあるのを見つけた。
「これで行く?」
しょうねんは自転車の周辺を確認してから首を振った。
「ダメだよ。自転車はヘルメット被らないと危ないよ。ちょっと前に義務化されたんだ」
ちょこ美は目を細め、しょうねんの手を引いた。
「じゃあ、歩こうね」
「いいけど、今度は寒いな。風邪ひいちゃうよ」
「がんばって」
「頑張れないよ。もう家に帰りたい」
「……」
ちょこ美は目を細め、パチンと指を鳴らす。それで暑くも寒くもなくなった道を、まっくら森のちょこ美と一緒に歩く旅。
「あれは何かなぁ」
見ればお姫様が悪者に襲われている。従者も何人かいるみたいだけど、このままではお姫様はさらわれてしまう。
「助けないと!」
しょうねんの声に微笑んだちょこ美はパチンと指を鳴らした。目の前に現れるつるぎ。
「キミが勇気を出せば、その剣はキミを勇者にしてくれるわ」
でもしょうねんは、首を振った。
「どんなときにも暴力はいけませんって言われてるんだ」
「じゃあどうするの? お姫様、さらわれちゃうよ」
「僕じゃ何もできない。……ちょこ美。警察に連絡できない?」
ちょこ美は目を細め、パチンと指を鳴らした。現れた電話は110番につながっていた。
いつしかしょうねんはオトナになっていた。
それまでも、それからも、いろいろなことが起こった。
ちょこ美はそのつど目を細め、指をパチンと鳴らし続けた。解決しない問題はなかった。
そのちょこ美がハタと振り向いたとき、しょうねんだったオトナは、老人となっていた。
「冒険は、これで終わりだよ」
「冒険?」しょうねんは少しくたびれたおでこで、意外な顔をした。
「僕は冒険をしてたのか」
ちょこ美が笑う。
「そう。一つも冒険しなかった、キミの冒険」
面白かった?……という声に、少年は首を横に振る。
ちょこ美はいつものように目を細め、「そうだろうね」と呟いた。
「あなたは最後まで一つのリスクも負わず、誰かに言われたことを守って、一つも自分自身で解決しようとはせずに、わたしにすべてを任せてここまで来た。……好奇心や可能性を試すこともなく、万に一つの事故に怯え、無事に生きられるように歩いてきた、だけ」
しょうねんはむっとした。
「僕の判断が間違ってたっていうの? むしろ正しくて的確な判断だったばかりだったと思うけど」
「正しい。そうねぇ。正しいからこんなにも長く歩いてこれたんだろうねぇ」
でもそれは冒険と言えた?……と聞かれれば、しょうねんは分からない。やがて開き直った。
「いいんだ。僕はもともと冒険なんてするつもりはなかった」
「あれもダメ。これもダメ。誰かのルールにのみ生きてきたキミは、問題の解決も全部他力本願だった。そうしてれば何かあったとき、自分のせいにしなくていいもんね」
「ちょこ美に頼ったのが悪かったのか? そもそもお前が連れ出した冒険なんだからお前が責任を負うのは当然だろ」
「冒険に出た理由が、〝キミが生まれたこと〟だとするなら、親にも同じことを言うつもり?」
「そうだね。僕を人生みたいな旅に誘ったのが親なら、親が僕の責任を取るべきなのさ」
「だから……つまんなかったんだよ。……キミの人生」
ちょこ美は目を細め、パチンと指を鳴らす。誰もいない孤独な部屋に寝かされている、老人となったしょうねんの身体。顔には白い布が覆われている。……それを、空から眺めている二人。
「あぁ……」
老人は、……やけに腑に落ちたため息を吐いた。
「そういえば死ぬ間際に振り返っていたんだった。どうして僕はこんなにも退屈な人生だったのかなって……」
それは、自分自身の人生を振り返る旅だった。それはそれは、つまらない旅だった。でもきっと……この現代という世の中では正しい道だった。ちょこ美は微笑む。
「次の人生は、楽しいといいね」
その笑顔は、初恋の娘の笑顔と同じだった。リスクを恐れて気持ちも告げないまま、うやむやに消去した娘の笑顔……。
老人はあらためて、「なるほど」とため息を吐くしかなかったけど……
……その上で、「いや……」と首を振った。
僕はもう、生まれ変わっても冒険ができないかもしれない。この世界に飼いならされたら、だれも冒険なんてできやしないだろう……と。
夢の見られない世の中。冒険のできない世界。
こんな世界でごめんね……って、ふと今からの世界に希望を抱く娘たちを見ながら、思ってしまった先にできた物語です。
ではどう生きるべきか……考えてほしいから、やっぱり童話(子供たちに読んでほしいもの)ジャンルとします。