9.お試し
王国の歴史を見ると、平民と貴族が婚姻を結んだ例は無いわけではない。
ただそれも、功績により平民を準男爵に持ち上げる、貴族の庶子だったが諸事情で後に認知された、という流れがあった。
つまり、平民自身が貴族と成ることが条件と言える。
スランとクルツが婚姻を結べていないのも、この慣習が原因だ。
「…………」
そしてワトナは、生粋の市民だった。
侯爵家の権限で可能な限り調べたが、血筋を辿ってもワトナ自身を漁っても、貴族に縁付ける物は見つからない。
準男爵程度ならばヒリンの紹介という名の脅しでなんとかなったかもしれないが、ワトナの希望は子爵以上。
ラチアーバンより下の家格とはいえ、無理強いは難しい。
「…ケミィ。親族か知り合いに、市民を望む方はいない?」
「いたとしても、あのお客様はご容赦ください」
一番の問題はそれだ。
気晴らしで平民を選ぶ貴族は男女問わずいる。貴族相手と違い、利権や損得を考えず付き合えるのが平民の魅力だと、何かの集まりで耳に挟んだ。
しかし何もない平民に関心を持つ物好きは、そうそういない。
容姿、家柄、資産、話術、才能。
周囲の貴族や出入り商人で目の肥えた人間に、時間を割かせる何かが必要となる。
それを思うと、ワトナは余程マッチする相手がいないと難しい。
容姿は悪くないが目立って良くもない。
三代前から王都で暮らしているが、外壁に近い場所の野菜売り。
調べた限り資産は微々たるもの。
加えて、ヒリンを訪ねてきたあの態度。
「少しも気にならないものかしら…」
大口で食べ続け、口端から溢れる滓を気にもせず、音を立てて茶を啜り、服から床に落ちた塵に目も向けない。
汚い。
穢らわしい。
話術がいかに素晴らしくとも、あれでは同じ空間に長くいられないだろう。
「そもそも、お嬢様は男爵以上を対象としてお考えでしたよね。お断りしてよろしいのでは?」
「……それ、考えたのだけど」
「はい」
用意された菓子を摘み、窓に翳す。
中心に大きな割れ目があった。
「あの子相手なら、どれだけ失敗しても問題ないわよね」
「……お嬢様……」
割れ目の周りには、指でなぞるとわかる程度のひびが出来ている。
一見した程度ではわからない傷だ。
「逆に成功すれば、貴族同士をマッチングさせる以上に私の名前は広がるわ。お父様達も、私を認めてくださる」
ケミィは何も言わない。瞼を伏せ、目で語ろうともしない。
子爵家は侯爵家より平民と距離が近い。思うところがあるのだろう。
「ケミィ、お父様にお会いしたいと伝えて」
「かしこまりました」
内心はどうあれ、行動には移さない。
侍女としてのケミィを、主人としてのヒリンで見送った。