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4.マッチの行方



手の中の固い感触に思考が揺らぐ。

赤い石が嵌め込まれた小さな指輪。自分の小指に付いている物と同じデザインのそれは、昼間渡された物。


「…何のつもりだ」


婚約者、ヒリン。親の決めた将来の妻。その名前をスランは心中呟く。

同じ家格で、変わらない教育を受け、良くも悪くもない性格で、可もなく不可もない容姿を持つ女。

そう思っていた。


「日が登ったらラチアーバンへ抗議を…ああ、面倒な…」


しかし彼女は昼、婚約の証である指輪をスランへ渡してきた。挙句にハキの手続きがどうのと、意味のわからないことまで捲し立てて。

気でも狂ったとしか思えない。


「ただいま帰りました、お父様」


談話室の扉を開ける。日が沈んだ後、いつも父は母と共にここで寛いでいる。

予想通りそこには父がいた。母もソファに座っていて、丁度良いとスランは笑う。


「お寛ぎのところ申し訳ございません。ご相談したいことが」

「それはこれのことか」


いつもの場所。いつもの光景。

その筈なのに、別の場所に来たようだった。

スランは眉を顰め父を見返す。父の声と表情は妙に苦々しい。

しかし、別の場所と感じたのはそれだけが理由ではなかった。


「……クルツ?」


見知った女と、見知らぬ男。

女の方は侍女程度の身なりをしているが、男は農民然とした格好でカーペットの上に座っている。いや、本当に農民なのだろう。顔まで土埃で汚れている。

男が誰なのかはさておき、二人がこの部屋にいて、かつ両親がそれを許すなんてありえない。

状況が飲み込めず両親へ視線を戻すと、母が泣いていた。小さな粒を溢すように…ではなく、感情のまま、はしたなくも唇を噛み、嗚咽を漏らしている。


「やはり…本当なのですね…本当のことなのですね…」

「お母様?」


母はしかしそれ以上応えず、代わりに父が口を開いた。


「…ラチアーバンから、お前とヒリン嬢の婚約を白紙に戻したいと連絡があった」

「……は?」


ラチアーバン。婚約。白紙。

一つ一つの言葉はわかるが、父の言葉はわからない。

手の中にある指輪が、急に棘を持ったように感じた。


「どういう…ことでしょう。私とヒリンは、既に指輪を交換しています。今更、そんな…。ヒリンのための部屋だって用意して…次の麦が実る頃には」

「誰のせいだ」

「…お父様?」


父が、こちらを睨んでいる。

父は温厚な人間だ。スランを叱ることはあれど、口調を乱したことはなく、勿論今のような目を向けてくることもなかった。

本当にこれは父だろうか。


「そこの平民とは、随分親しいそうだな」


父が顎でクルツ達を指す。クルツは不機嫌な表情を浮かべ、男は肩を震わせた。


「親しい…というほどではございません。時折領地の話を聞く程度です」


スランが答えると、父は口端を上げる。


「…国の一字をやると。そう言った相手が、親しくない?本気で言っているのか」


一字。クルツ。ヒリン。

そしてようやく、スランは昼のやり取りを思い出した。

何故こんなことになったのか理解し、肩を竦める。両親とヒリンの過剰な反応に、呆れが声に混じった。


「成程…そういうことですか。私の至らぬ行動がご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございません。…しかし、婚約破棄とは…全く、ヒリンにも困ったものですね」


クルツがこちらを見上げたのが、目の端に映る。

それにスランは笑顔を向けた。


「平民との子供を、本気で私が跡継ぎにするとでも?そんな訳がないでしょう」


いつもの朗らかな笑顔を返してくれると思った。しかし、クルツは日に焼けた肌を青くする。指輪一つない手で腹を押さえた。

横に座る男が、初めて大きく動く。頭をカーペットに付けた。

汚れるからやめてほしい。そう言葉に出す前に、男の髭から声が聞こえた。


「うちの馬鹿娘が、領主様に大変失礼なことをしました。本当に、本当に申し訳ございません」


クルツの父だったのか。貧しいことは知っていたが、ここまでとは思わなかった。

スランは、次に会う時は高価な物を贈ろうと腕を組む。

すると高い音が、スランを叱責するように響いた。


「黙りなさい!!平民如きが、よくも、よくも私の息子を!!今すぐ娘を締め殺しなさい!!」


意気消沈していた母が叫び、手元のグラスをクルツの父に投げる。

額に当たり、赤い血がカーペットに落ちた。


「お、お母様…少し落ち着いてください。確かにヒリンも、ラチアーバンも、深刻に捉えている様子。ですが先程申し上げた通り、私は平民との子供を後継になど考えておりません。子供が実際にいるならば問題ですが」

「そうだ。だから、お前のせいだと言っている」


父が酒を煽る。グラスをテーブルに叩きつけるように置くと、その音にクルツが体を縮こめた。

腹を、庇うように抱えている。


「…え?」


それからしばらく、母の嗚咽が、部屋を支配した。





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