3.生涯の夫
母が倒れかけた。
父が顔を真っ赤にしている。
至極当然の反応に、私は窓の外を眺めた。何をどう返されようと、二人の望む答えを贈れない。その現実逃避だ。
「領民と、マッチングだと…?単なる暇潰しに決まっているだろう!それを本気に取るなど…お前は何を考えている!!」
「ああ、ああ…どうすれば…指輪を交換した後になんて…他の家から何と言われるか…!」
憤り、嘆き続ける。
本当は私の首根っこを掴み、スランの元へ連れて行きたいに違いない。いや、もし今が夜なら、人目を気にする必要も無い。そうしていただろう。
「申し訳ございません。お父様、お母様」
「謝る暇があるなら今すぐスラン殿の」
「しかし、このまま婚約すればどうなるでしょうか?」
言葉を遮った私に、父が眉を顰める。
「……愛の無い結婚、などと言わないだろうな」
「とんでもない」
私は首を振る。
「彼は私との茶会の場に、領民を同席させました。隣に侍らせ、恋人のように扱いました」
「だからそれは…遊びだろう。確かにスラン殿も配慮に欠けるが」
「そんな彼と領民の間に子供でも生まれたら、どうなりますか」
父が浮かべていた血管をゆっくり収めていく。母は真っ青な顔で口に手を当てた。
「……どうなると言うんだ」
「子供に国名の一字を与えたいと、そうおっしゃっていました」
平民の方が。
ただそれをスランは否定しなかった。同意したと見ていいだろう。
私の言葉に、いよいよ母は泣き出した。
「な、な、な…なんてこと…!ヒリンという妻を差し置いて…よりにもよって、平民の子供を後継にすると、そう言ったのですか!?」
私に向けていた非難の色が、哀れみに変わる。
実際そんなつもりで平民が言ったのか、それはわからない。縁起の良い文字をと思っただけの可能性もある。
しかし、だからこそ、スランは否定しなければならなかった。無知な想い人を嗜める必要があった。
国名の一字は、家を継ぐ貴族に与えるもの。
その慣習を、平民に許すなんて。
スランが知らない可能性も頭を過ったが、見ないことにした。
「ああ、ヒリン…!さぞ辛かったでしょう…!こんな屈辱、女ならば耐えられません!」
父が頭を押さえ唸る。
ラチアーバン家後継の私がダスネロモ家の者になることで、ラチアーバン家を従兄弟に継がせると共に、ダスネロモ家と繋がりを深める。
そして元ラチアーバン家後継の私がダスネロモ家の後継を産むことで、ダスネロモ家内の勢力を強めていく。
それがスランと婚約する意味だった。
しかし、後継を別の家の子供にするならば、婚約する意味がほぼ無くなってしまう。
平民に現を抜かす男が親族など、寧ろ縁を切った方が家として安泰だ。
「……お前が指輪まで置いてきた理由が、やっと理解できた。ダスネロモ家へ厳重に抗議する」
一呼吸置き、父は続けた。先までの苛立ちではなく、顔色を伺うような雰囲気を見せる。
「スラン殿と話し合う、というのは」
「あなた!!」
私ではなく母が立ち上がった。拳を握り、感情で体を震わせる。
「将来の妻に対し、ここまでの侮辱を平然とするのですよ!?ヒリンが帰って随分と経つというのに、謝罪の手紙すらない…ダスネロモがラチアーバンを軽んじている証拠ではありませんか!!」
入婿である父は母に弱い。何より、ラチアーバンの名を母は誰よりも重く見ている。
そうだな、と父は直ぐ頷き、私を見た。
「この婚約は破棄する。お前はしばらく心と体を休めなさい。多少年は離れてしまうかもしれないが、新しい相手はなんとか…」
「いいえ」
机を叩く。私は父と母に満面の笑顔を向け、言った。
「私、この国を生涯の夫とし、尽くしたく存じます」
ヒュッ、と声を上げて、母が倒れた。