第八話 彼の国の罪
ホムラがここの生活にも慣れてきた頃、突然フレッドから呼び出された。 当然、カイエンも一緒だ。
リュートの仕事の手伝いも終わって、夕食の準備をしている時間だった。 一階の作戦室にはエプロンを着たままのカイエンがいて、その巨体に似合ってないため、ホムラは思わず笑ってしまいそうになるのを堪えるのに必死だった。
「すみません、忙しい時間に」
「構わん。 で、何の用だ」
フレッドは白い紙袋を取り出して、カイエンへ手渡した。 カイエンが中身を取り出すと、赤褐色の粉末が入った小袋が幾つも入っていた。
「……薬か?」
「はい。 ホムラが飲まされた薬の効果を、少しずつですが打ち消すことができる薬です」
ホムラはそれを聞いて、思わずフレッドに詰め寄る。
「これを飲んだら、元に戻れるって事ですか!?」
「でも長い間飲み続けなきゃいけないよ。 ゆっくり少しずつ、毒を解かして無効化させるんだ」
「一気には出来ないんですか?」
ホムラが首を傾げると、フレッドの代わりにカイエンが口を開く。
「生命体にとって繁殖機能というものは重要で、そして体内に備わっている機能の中で最も脆いものだ。 特に血魔はそれが顕著だ。 だから血魔という種族は少なかった。 これから血魔が生き残り、種を増やすためにも、お前の体のためにも、十分に時間をとると言うのは必要な事だ」
「ホムラの今の身体の状態も診察させてもらったけど、必要な栄養素も不足してるし体調も不安定でしょ? その薬には体を整える効能も追加しておいたから、しばらくそれを飲んで、少しずつ元気になればいいよ」
フレッドもカイエンも二人揃って真剣そうな顔で言うので、ホムラはなんだか拍子抜けで、そして恥ずかしいような照れ臭いような気持ちになってしまった。 特にカイエンがここまで体調を心配してくるとは思っていなかったので、なかなか慣れることが難しい。
「わ、わかりました……。 毎日飲むんですね?」
「うん。 毎食後に必ず飲んで。 苦いけど忘れずに飲むように」
「ありがとうございます、フレッドさん。 ここまでしていただいて……」
「いいんだ。 治るものはしっかり治しておくべきなんだ。 手遅れになる前にね」
フレッドの言葉に、ホムラはなにか引っかかってしまった。 だがそれを気軽に聞いて良いのかわからずにいたところ、フレッドは苦笑いを浮かべてくる。
「ごめん、変な言い方だったね」
顔に出てしまっていたのだろう。 ホムラは首をブンブンと横に振った。
「そんなに振ったら首を痛めてしまうよ。 大丈夫、気を悪くしたわけじゃないから。 二人も、もう同じ組織に所属する仲間だから、いつか教えるべきだと思っていたんだ」
「お前の実家のことか」
「え?!」
カイエンがさらりと言うと、フレッドは驚いたように目を見開いた。 ホムラはなんのことか分からずに首を傾げていると、フレッドがスーツの胸ポケットから古い懐中時計を取り出した。 元は美しい金の懐中時計だったのだろう。 今はところどころ錆び付いていて、くすんだ色をしている。 だが錆びた状態でもわかるくらい、特徴のある紋様が刻まれている。
「僕はフレッド・シン。 ここから南下するとガルデンという森に囲まれた国があります。 僕はその国のマフィアのボスです」
「マ、フィア……って?」
「あんまり良くない組織だと思ってくれて良いよ。 犯罪者組織みたいなものだよ」
フレッドの言葉にホムラはギョッとして一歩下がってしまう。 後ろ向きに転倒しそうになっていたホムラを、カイエンが片手で支えてヒョイと抱きかかえる。
「お前はマフィアも知らんのか。 随分平和ボケした姫様だな」
「し、知らないと言うより、教えてもらってなかっただけです! ……私、何も知らないことばかりなんです」
「ホムラ……。 それはきっとご両親が、ホムラを大切に育ててくれたからだよ」
「でもその両親はもういません」
フレッドはやってしまった……と頭を抱えそうになった。 気づかれないように横目でチラリとカイエンを見るが、彼はなんの反応もしていない。
ホムラに少しでも害を成せば、カイエンが息の根を止めにくるに違いない。 そう思っていたので、これには少し拍子抜けだ。
「お前、気づいていたのか」
「……カイエンさんは優しいですから、私に本当のことを教えない様に気遣ってくれたんですよね? でも、勘づいちゃいますよこんなの。 みんないなくなっちゃった、お父様もお母様も、城のみんなも……。 私に残ったのは、中途半端な情勢の知識と、何も知らないことに対する恐怖だけ」
大切に育てられたとしても、いざ一人になった時になんの役にも立たない。 愛情をかけられた分、独り立ちするのは難しい。
「だから知りたいんです、今この世界がどうなっているのか。 平和な世界じゃないのくらいは分かってます、いろんな思いをする人がいるって知ってます。 でももっと、もっと知りたいんです。 どうやったらこの争いが終わるのか、みんなが納得して幸せになれるのか……」
「知ったところでどうする、全員救う気か?」
「私はそんなに強くありません。 全員は救えない。 でも、周りにいる人だけには、幸せになってほしいなって思います。 リュートさんも、フレッドさんも、もちろんカイエンさんにも」
「……」
カイエンは大きなため息を吐いた。 そのため息が怒りでも呆れでもないことを、ホムラはなんとなく気づいていた。 彼はいつだって、頭ごなしに否定することはなかったからだ。
「で、フレッド。 お前の目的を言え」
「え」
「シン一族のことは俺も知っている。 あれほどまでの残忍な一族が、なんの見返りもなしにガキの薬を作るとは思えない」
「僕は……」
「言え。 怖気付いて隠す様だったら殺す」
「カイエンさん、そんなこと言わなくても……!」
ホムラがカイエンの胸板をドスドス叩きながら反論する。 カイエンはそんなことお構いなしで、フレッドの瞳をじっと、睨みつけるように見つめていた。
フレッドは冷や汗が滴れるのを感じながら、大きく息を吸った。
「……幼馴染がいたんです。 とても優しくて、誰からも愛されるような子だった。 僕は彼女と一緒に遊ぶのがいつも楽しみで仕方がなかった。 ……お二人は、ガルデンという国のことをどのくらいご存知ですか?」
ガルデン。 ホムラは名前だけ聞いたことがある国だ。 カイエンは各地を転々としていたため、それなりにガルデンのことは知っている。
「第一印象は、木々が鬱蒼としていて陰鬱な国だと思った」
「そうですね。 あの国は世界樹を信仰しているので、木を傷つけることは許されていないんです」
「ただ滞在するうちに印象が変わった」
「それはどんなふうに?」
「とんでもねえモノを信仰させてる国だ。 上層部もきな臭いしな」
「……」
フレッドは短く息を吐いた後、近くにあった椅子に座った。 テーブルの上に懐中時計を投げ捨てて、それを忌まわしそうに見た。
「ガルデンは森の巫女と呼ばれる存在がいます。 その巫女は世界樹の恵みを受け入れて、身体から花々を生み出して、ガルデンを豊かにしてくれる。 自分がガルデンにいる頃は、それが当たり前で普通のことだと思っていた。
でも違った。 たまたま別の国に留学して医学について学んでいたら、森の巫女と同じ症状の奇病が掲載されていたんです。 身体から花が生え、その花が咲くたびに生命力と記憶を失ってしまう奇病。
あれは恵みなんかじゃない、病なんだ。 世界樹の降らす毒性のある花粉に侵されて、一万人に一人が罹る病気。
だから、僕は助けたいんだ、彼女を……」
「もしかして、その幼馴染さんが……」
「……ああ、今の森の巫女は僕の幼馴染だったトトっていう子なんだ。 年齢は僕と一緒なのに、身長もずっと低いままで、記憶だって失ってる。 僕のことをいつも覚えていないから、会うたびに何度も、初めましての挨拶をするんだ。
こんなの、おかしいだろ……! だから血の滲むような努力をして薬剤師になった。 あの病を治す薬を作りたいっていう一心で」
フレッドは拳でテーブルをドンと叩いた。 その切羽詰まった様子に、ホムラは胸を痛める。
「でも、でも無かったんだ! どんなに研究をしても、あの病を治す薬なんてどこにもなくて、作れやしなかった! どんなに頑張っても、僕達が出来る範囲では薬を作ることはできない。 唯一、治せる可能性があるのは、禁忌に触れるあの薬だけ」
禁忌に触れる薬。
その言葉を聞いただけで、何を欲しているのかがわかった。 ホムラが分かった様に、カイエンもそれを理解した。 カイエンはホムラを抱えている手に、無意識に力を込めてしまった。
「血清か」
「…………それしか、ないんだ……。 でも、無理なんだ……」
掠れた声でフレッドが頭を抱えた。
血清、それは連邦軍が非道な実験の末に生み出した万能薬。 幻の薬だ。 契約済みの血魔の血を使って作り出されていて、どんな病気にも効くと言われている。
何十リットルもの血魔の血から、数ミリの血清が出来る。 血魔といえども、何十リットルも血を失えば命を落とす。 この血清を作り出す過程で何百人もの血魔が死に、それ以上の血魔が苦しんできた。
今現在、生き残っていると確認されている血魔はホムラだけだ。 つまり血清を新しく作るためには、ホムラの血が大量に必要になる。
「たとえ血清を作れたとしても、その過程でホムラを失うリスクが高いんだ。 僕はそんなこと絶対にしたくない、やりたくもない、想像もできない。 トトだって、誰かが死んで自分が生き残るなんて、嫌がるに違いないから……」
「……フレッドさん。 私は、血を差し出しても構わないと思っています」
「ッ、ちゃんと考えた上でものを言ってくれ!!」
フレッドは立ち上がって、喉を枯らして叫んだ。
「死ぬかもしれないんだぞ! 考えてくれ、カイエンさんともう二度と一緒にいれなくなる、君は連邦軍にどんなことをされた!? 全く同じことの繰り返しになるんだ!」
「確かに、たくさん血を抜かれたら死んじゃいますね……。 でも、私さっき言いましたよね。幸せになってほしいって」
「……! カイエンさん、貴方からも何か言ってください! 僕は確かに、最後の方法として血清があると言った。 でも、血清が欲しいわけじゃない!」
フレッドがカイエンに詰め寄る。 カイエンはいつも通りの態度だ。 彼は抱えていたホムラを下ろすと、フレッドの胸ぐらを掴んで壁に背中を叩きつけた。
「どっちかはっきりしろ。 欲しいのか欲しくないのか。 みかえりを求めてるのかと思えば、妙に偽善者ぶりやがって。 テメェみたいなのが一番イラつくんだよ」
「ぼ、僕は……」
カイエンの黒い髪が、徐々に燃える様な赤へ変わる。 ホムラが二人の間に割って入ろうとしたが、彼の大きな長い尻尾がそれを拒んだ。
「フレッド、お前は今俺のモノに命を要求してんだよ。 言い方がどうであれ、その事実は変わんねぇ。 さっさと覚悟決めろってんだよ!」
「……! 欲しいよ、欲しいに決まってんだろう!! こっちだって、何年もあの子の事を想ってるんだ! 誰が犠牲になろうとも、治せるんだったら、力づくでも欲しい!」
啖呵を切ったフレッドに、カイエンは満足そうに笑った。 手を離してフレッドを解放すると、彼の髪は落ち着いた黒の色に戻った。
「時間はかかるが、方法がないわけじゃない」
「と、いうと?」
「フェーインに行けば、連邦からの亡命者が何人かいる。 その中に、血清の研究をした人間がいれば話は早い」
血清の研究は非道だった。 その行いに耐えきれず、連邦軍を抜けた人間も少なくはない。
そしてその人間が行き着く先は、フェーインだ。 連邦軍は大和を拠点とすることが多い。 大和とフェーインは長い間戦争をしているので、亡命しやすいのだ。
「血清を一から作らずとも、保管している場所がわかればいいだろう」
「もしかして、奪う気ですか?!」
「ああ。 俺としても、番を失うわけにはいかない」
龍にとって番は大事だからな。 とカイエンはホムラの頭をわしわしと撫でながら言った。
「それだけじゃないわよ。 もしかしたら作り方が変わっているかもしれないじゃない?」
「ネエさん!?」
優雅に扇子を持ったリュートがいつのまにか作戦室にやってきていた。 彼はフレッドの隣まで歩いてくると、扇子を畳んで、フレッドの頭を叩く。
パシン! と乾いた音がした。 まるで聞いてるこちらまで痛くなる音だ。 ホムラは思わず自分の頭を手で押さえてしまう。
「アンタね、もう少しは周りを頼りなさい」
「す、すみません」
「まったく……。 で、フェーインには二人で帰るの?」
リュートの問いに、カイエンは頷いた。
「そう。 向こうは寒いだろうから、ホムラちゃんの服を新調しなきゃね」
「……ま、待ってください。 帰るって……?」
イマイチ状況が読み込めないホムラが尋ねる。
「カイエンの生まれ故郷がフェーインなの」
「え、えぇ?! えっと、ご両親とかは……」
「もう死んでる。 墓があるくらいか」
あわあわとしているホムラを見て、カイエンはその姿を鼻で笑った。 彼女の首根っこを掴み、片腕で抱えて作戦室から出て行く。
「フレッド」
「は、はい」
振り向くことはせずに、カイエンは歩みを進めながらフレッドへ。
「お前は巫女のことだけ考えてろ」
と言い捨てて、姿を消して行った。