第七話 消えた姫
極東地域と呼ばれる場所はかなり広く、多くの国が存在していた。 その中でも大きな権力を持っているのが、大和とフェーインと呼ばれる二つの国だ。
お互いに領地を広げ、権力を誇示する。 長い年月の中で、この大和とフェーインは戦争を繰り広げていた。
大和は四方を崖で覆われた国。 作物などを育たせるには向いていない土地だった。 そしてフェーインは広大な土地と鮮やかな四季を有しており、農作物が育ちやすい。
始まりは大和からの侵略。 フェーインの豊かな土地を求めて大和は侵略を開始し、フェーインはそれに武力を持って抵抗した。 ということもあり、両国の関係は劣悪だ。
そんなフェーイン国内は、今や活気付いていた。
今の季節は空から雪の華がちらほらと舞い散る十二月。 極東ではもうすぐ新年を迎える。 色とりどりの飾りや屋台で賑わう街は、とてもではないが戦争を続けている国だとは思えないほどだ。
フェーインはアルカルトに属する国だ。 ここに住んでいるのはほとんど異種族だが、中には人間もちらほらと混じっている。 しかし、人間だからと言って排除するものは誰もいない。 フェーインにいる人間は皆、大和から命がけで逃げてきた者ばかりだからだ。
長い間大和と戦争を繰り返しているフェーインは、大和という国の残酷さを知っている。 そこから逃げ出してくる人間を追い払うことなどしなかった。 むしろフェーインはその人間を保護して、大和から匿っている。
異種族と人間が唯一対等な立場で助け合い暮らせる国。 その光景を眺めながら、一人の男が茶色い紙袋を抱えて市場を歩いていた。 金の長い髪に、黒い二本のツノ。 右眼を眼帯で隠した奇妙な男。
「そこのお兄さん、新鮮な果物はどう? おいしいよ」
「へえ、オレンジか。 いいね、じゃあ二つ貰っていいかい?」
男は色々と買い込んでいるようだった。 重くなった紙袋を持って、彼は路地裏を抜けて街外れの小さな森へ向かう。 森の中は薄暗く、時折獣のような唸り声が聞こえてきた。 やがてしばらくすると、レンガ造りの建物が見えてきた。 大きくはないが、立派な作りの屋敷だ。
その屋敷の前で一人の少女が斧を持って、それを振り上げた───。
「ストップ! まって心音ちゃん!」
男はそれを止めた。 少女はぴたりと動きを止めて、ジッと男を見つめる。
「……おかえりなさいませ、トキサキさん」
「うん、ただいま。 今日も俺におかえりって言ってくれて嬉しいな。 じゃ、なくて! 心音ちゃん、早くその斧を下ろすんだ。 いい? 振り下ろすんじゃなくて、下ろして、そして手を離して」
心音、と呼ばれた少女は自分が頭の上まで振りかぶっている斧を、そのままの姿勢で眺めた。
「……トキサキさん、これは薪割りをしようと思い、振り上げた次第でございます。 薪割りをしなければ、暖炉に火を点せません。 凍え死んでしまいます」
「うんそうだね。 でも薪割りは俺がやるから、心音ちゃんは部屋の中で待っててほしいんだ」
「薪割りくらい、平気です」
「もし何かあったらどうするんだ? 俺は、心音ちゃんに怪我をして欲しくないんだ」
庭に置いてあるガーデンテーブルに紙袋を置くと、男は心音から斧を取り上げた。
「薪、無くなっちゃった? 言ってくれれば俺が割るから」
「いえ、無くなったわけではございません」
「じゃあどうして? 俺を困らせちゃダメだよ、心音ちゃん」
「……もうすぐで無くなってしまいそうでしたので、トキサキさんの負担を少しでも減らそうと思いまして」
心音の言葉に、トキサキはニコリと微笑んだ。 しかしその笑みは微塵も心からの微笑みとは思えない。
「俺はどんなことでも、負担だなんてちっとも思ってないんだよ。 だって、心音ちゃんは俺の大切な大切な契約者なんだから。 だから少しでも危険がある事をしないで、何でも俺に任せてよ」
トキサキ、彼は血魔だった。
そして彼の契約者は心音。 あの覚者の国大和から消えたとされる第二王女。
トキサキは心音を抱きしめて、首筋から漂う血の香りに酔いしれる。 トキサキが心音の血を吸ったのは、契約を交わした五年前のただ一度のみ。
「可愛い可愛い俺の契約者……。 俺がずっと守って、可愛がってあげるよ。 二度と俺から離れたくないと、思ってもらえるように」
彼は唯一、あの鬼狩りに遭遇しなかった血魔だ。 一族が滅びたことは知っているが、それをどうとも思っていなかった。 今はこの、目の前の小さな少女のことしか、考えられないのだから。