第六話 ヴェルメ
リュート達の部隊はアルカルトの中でも有名で、主戦力の一つだった。 部隊名はヴェルメ、この名前を聞いた異種族達は大抵の場合、すぐに功績が思い浮かぶほどだ。 そして、元々このヴェルメに壊炎という戦闘狂が所属していたことも周知の事実だった。 そのため、異種族たちはヴェルメを褒め称えると同時に、恐れを成していた。
だが、それもここ十年ほどは落ち着いていた。 なぜなら、カイエンがヴェルメから姿を消したからだ。 戦場で見かけることはあっても、全盛期ほどではなかった。 彼がヴェルメから脱退した事実は皆知らないが、自分の近くからあの戦闘狂がいなくなったという事実は周囲を安心させるのに十分だった。
アルカルトの恐怖の象徴は間違いなくカイエンであった。 そして、同じように連邦軍にも畏怖される存在がいた。
その名を大和心音。 覚者の国大和の第二王女で、剣の達人だ。 大和とは四方が大きな崖に覆われた極東にある国で、その国では「信覚」と呼ばれる力が存在しており、覚術に秀でた人間が多い。
大和心音は、大和の国随一の覚者であり、彼女の右に出るものはいないとまで言われるほどだった。
彼女が連邦軍として参加した戦いは、あっけない程にアルカルトが負けてしまう。 たった一人で千の軍勢を倒してしまう、などと噂され、恐怖と怨みの象徴でもあった。
だがどうした事か、ここ五年程は連邦軍の勢いも落ち着いていた。 一体それが何故なのか。
「……大和心音が消えた?」
「ええ。 今は戦場にも出てきていないし、大和に潜入してるスパイ達も大和心音が表舞台に出てくることがなくなったと報告してるのよ」
ヴェルメが所有している大きなビル。 その一階にある作戦室で、カイエンは酒の入ったグラスを持ったまま訝しげな表情をしていた。 彼の旧友であるリュートは、ツマミを並べた皿をテーブルの上に置いて、自分も酒をグラスに注いだ。
「こっちじゃ、壊炎が大和心音の首をとったんだろうって噂されてたけど……。 その様子じゃ、違うみたいね?」
「殺してきた人間と数は覚えない主義だが、流石に大和心音の顔くらいは見分けがつく。 俺じゃねぇな」
「そう……。 アンタくらいしか、大和心音と互角に張り合えるのはいないだろうと思ってたけど、違うってなると」
「隠居してるっていう可能性は」
「あり得ないでしょ。 あの連邦軍が、優秀な兵器を下げるわけがないわ」
カイエンはグラスの中身を飲み干す。
たしかに、姑息な手を使ったり犠牲者ばかりを出す連邦軍が、最大戦力であるあの少女を戦場から遠ざけるとは思えない。 カイエンと大和心音は一度しか戦ったことがないものの、戦力はほぼ互角だった。 連邦軍が唯一、カイエンを足止めするために使えるのが大和心音という存在だったのだ。
別に殺した人間の身分などどうでもいいのだが、そんなカイエンでも大和心音となれば話は別だろう。 彼女を殺すのは多少骨が折れるだろうし、見た目も知っているので気づくはずだ。
それに、そもそもカイエンはここ六年ほどはアルカルトから脱退していた。 戦場に出ると言っても、敵味方など関係ないただの殺戮者だったわけだ。 そんな彼が大和心音と刃を交えることは難しいはずだ。
「ホムラを拾ってからはあまり戦いに出てなかった。 そういうのも含め、俺が大和心音を殺しに行くのは難しいだろう」
「そうよね。 じゃあどこかで生きているのか、それとも野垂れ死んだのか……。 どちらにせよ、脅威が一つ減ったということね」
リュートは酒を一口飲んで、そしてニッと笑う。
「ねえカイエン、なんでホムラちゃんを拾ったのか教えてちょうだいよ!」
「はあ……?」
「気になるじゃない! アンタをそんな風に丸くさせたのはホムラちゃんなんでしょう?」
リュートがニヤニヤと笑いながら肘で体を突いてくるので、カイエンは鬱陶しそうに眉間に皺を寄せた。 おそらく、この世界の中でカイエンにこういう事を出来るのはリュートだけだろう。
リュートに言われ、カイエンは初めてホムラを拾った時のことを思い出した。 今思い返すと、あの時のホムラはまるでボロ雑巾のように惨めで、なぜ助けたのかも謎だ。
「……焉獄刀を持った大男に追われてた」
「…………!」
「で、俺は焉獄刀を持った大男を殺そうとしていた。 ようやく見つけたと思えば、その男は血魔を捕らえようとしていた。 ……流石の俺でも、血魔が希少で価値のある生き物だと知っているからな」
「それで、助けたの?」
「ああ。 すぐに後悔した」
カイエンはツマミを食べながら、上着のポケットに入れていたタバコを取り出した。 最近では吸う回数も減ってしまった。 ホムラが煙で咳き込むため、控えるようになった。 一人きりの時に吸うか、夜中に吸うしかない。
「弱いし泣き虫だし怖がりだし。 戦場に捨てて、そのまま置いていくつもりだったんだが……」
だが、それは出来なかった。
何故かあの時、カイエンは頭の中で何度も考えた。
連邦軍が近い戦地で捨ててしまえば、この少女はすぐに捕まってしまうだろう。 だから、出来るだけアルカルトに近い場所でないと……、と。 アルカルトの誰かが見つけてくれれば、酷い扱いを受けることはないだろう。
しかし、血魔は希少だ。 例え異種族たちに拾われたとしても、一生飼い殺されて商品にされる事だってあるだろう。 どうすればいい……。
などと考えていると、彼は連邦軍の不意打ちにあってしまったのだ。 なんとか連邦軍は全員殺したものの、致命傷を負ってしまった。
「死にかけた俺をホムラは付きっきりで看病した。 俺のことが怖くてたまらなくて、泣き続けながらな」
カイエンは灰皿にタバコの灰を落とした。 そしてその時の事を思い出す。
『しんじゃ、だめです……! しんだら、全部終わっちゃうんですよ……!』
『テメェ……。 俺が怖いんだろ、ここで見捨てた方が身のためだろう』
『い、いやです! だって、怖いからと言って見殺しにしていいわけじゃないんです……! 私はあなたを助けます!』
泣きながら自分の傷を必死で抑えて、傷が癒えるまで、ホムラはずっとカイエンに付きっきりだった。
「で、俺はあいつを捨てるのをやめた。 自分でもどうかしてると思ったが、情が湧いた」
「契約者になったのは?」
血の契約者、血魔は契約した者の血を一生吸い続ける。 摂取せずとも死ぬことはないが、契約者の血は血魔にとってのご馳走だ。
「あいつを逃さないように無理矢理吸わせた」
「うわ……。 アンタ、ほんとやり方が最低だわ」
「最初は自分のものになればいいと思っていた。 心なんてどうでもいいと。 俺には壊す事しかできない。 我ながら、大罪を犯した龍の子孫とは本当なんだなと思うよ」
大罪、それはカイエンにも枷として与えられているもの。 遥か昔、とある龍が一国の姫と恋に落ちた。 その昔は人間と異種族の間に争いもなく、皆が幸せに暮らしていた。 だから、龍が人間と恋をする事は普通だった。
だが龍の愛憎は深い。 龍はやがて姫に執着するようになり、姫に近づくものは護衛やメイドであろうと敵意を剥き出しにし、食い殺してしまうようになった。
そしてそれを止める姫を、あろうことか龍は殺してしまった。
愛する者を食い殺してもなお、龍は止まらなかった。 やがて無差別に人間と異種族を襲うようになった。 人々は力を合わせて龍の暴走を止め、そして封印を施した。
龍の力は絶大だ。 もう二度と我を失って暴れないように、永劫消えない呪いの封印をかけたのだ。
龍と姫の間に出来ていた息子にも同じような封印を。 そしてそれは代々受け継がれ、今では「大罪の証」としての烙印となっている。 その龍の子孫がカイエンだ。
「……でも今はあいつの事を理解して、側にいてやりたいと思っている」
「あら、進歩ね」
「泣かれるのは正直そそるものがあるが、怯えているホムラをずっと見ているのは好きじゃない」
「……ほんと意外だわ、あのアンタがねえ」
昔のカイエンを知るリュートからしてみれば、想像もできなかった姿だ。 あの頃のカイエンに見せてやりたい。
「…………今なら、お前があの時どんな気持ちだったのか、理解ができる」
カイエンの言葉に、リュートは思わず笑みを固めた。
「俺はあの時、どうしてお前が泣いているのか、どうして俺に向かって怒りを露わにしたのかわからなかった。 だが、わかるよ。 ……今なら」
「やめてよ、もう何年前の話?」
「すまなかった、リュー」
カイエンは頭こそ下げなかったが、リュートをまっすぐ見つめて謝罪の言葉を口にした。
それはリュートにとって衝撃的すぎて、彼は思わず椅子から転げ落ちそうになった。 こうやって面と向かって謝罪されたのは初めてだ。
「やめてカイエン! アンタに謝ってもらっても何の解決にもならない、それくらいわかってるの。 むしろ、アタシはアンタに感謝しなきゃいけないほどなのよ、自分じゃ絶対に、恋人なんて殺せなかった」
まだカイエンがヴェルメにいた頃だ。 リュートには付き合っている女性がいた。
仲睦まじい恋人同士だった。 カイエンも知っているくらいに仲が良く、婚姻も目前だった。
だが、リュートの恋人は皆を騙していた。 本当は連邦軍のスパイだったのだ。 薬で上手く種族を偽り、当時勢いのあったヴェルメに取り行って、アルカルトの情報を横流ししていた。 リュートに毒を盛って殺そうとまでしていた。 カンが鋭いカイエンはそのことに気が付き、彼の目の前で恋人を斬り殺そうとした。
しかし女と言えども相手はスパイ。 カイエンの攻撃を間一髪で躱し、その恋人は逃げようとした。 その時、焉獄刀と呼ばれる凶器を持った大男が現れ、リュートの恋人を真っ二つにして殺してしまった。 恐らく、この大男は大和の処刑人だ。 スパイ活動をしていたリュートの恋人を見張り、正体がバレた時は即座に殺すつもりでいたのだろう。
死んでしまって薬の効果が消えて、恋人が人間だった事を知ったリュートは、混乱した。 悪いのは自分を騙して近づいた恋人であり、死んだのは焉獄刀を持った大男のせいだ。 それでもカイエンを恨んでしまった。 もしかすると、話し合えばわかってくれたかもしれない。 自分へのあの愛は、偽りなんかじゃないと思っていたのだ。 だから、リュートはカイエンをその場で部隊から除名した。
「いいのよ、カイエン。 そのかわり、ホムラちゃんのこと大切にしてあげてね。 無意味に泣かせたら承知しないんだから」
「まあ、善処はしよう」
「なーにが善処よ。 男だったらちゃんと……って、あら?」
酒を飲んでほろ酔い気分になっていたリュートは、ふとドアの隙間から誰かがこちらを窺っていることに気がついた。 リュートの目線を辿って、カイエンもそのことに気が付き、そしてドアの前にいる誰かの名前を呼ぶ。
「ホムラ、隠れてないで出てこい」
「えっと……、作戦室から声がしたので、なにか緊急事態なのかなとおもって……」
「ごめんねホムラちゃん、ちょっと昔話をしていただけなのよ。 気を使わせちゃって悪いわ」
ホムラが作戦室に入ってくると、カイエンはタバコの火をすぐに消した。 ホムラの前では吸わないのは本当のことらしい。
「ホムラちゃんも食べれるようなもの持ってきましょうか」
「え……! いえ、大丈夫です! もう夜も遅いですし、寝る前にあまり食べるのは……」
「……もう日付を跨いだか。 なんで寝てないんだ、眠れなかったのか」
何気なくカイエンが言った一言に、ホムラは顔を赤くした後に、ムッとしたような顔になる。
「っ、カイエンさんの、ばかーっ!」
「は? あ、お前……」
「もうしりません、だいきらいです!」
カイエンが飲んでいたグラスを奪って、中身を飲み干したホムラは、走って帰ってしまった。 カイエンは頭を抱えてため息を吐く。
「ホムラちゃん、大丈夫かしら」
「……あいつに酒を飲ませた経験がない。 そもそも未成年のはずだ、ああ嫌な予感がする」
「早く行ってあげて……」
「そうするか……。 やばそうな時は無理矢理吐かせるしか……」
「そんな辛そうな事させないで……。 フレッドが酔いに効く薬草茶を持ってるから淹れてきてあげるから! ほんと乙女心が分からないバカ男ね!」
先が思いやられる二人だと、リュートは苦笑いをするしかなかった。